始まりの審判 15/空を破る者
地上にて十メートルほどの距離で対峙しているブランとデルグレーネ。
戦闘中だというのに人形のように表情の無いデルグレーネへ思わず生唾を飲み込む。
「……強過ぎる」
先ほども口についた嘆きをもう一度呟く。
ブランの左腕は肘から先が無くなり、全身は大火傷の満身創痍……。
しかし、いまだ右腕一本で相手を見据え闘気は衰えることなかった。
(此処までの化物だとは……。油断した訳ではないが…… いや、所詮は一人の魔物の討伐と自分達の力を過信したか…… それも油断だ)
倒れている部下たちへ一瞥して、自責の念が激しく伸し掛かる。
デルグレーネが攻撃に慣れる前に、もっと早く決着をつけるべきだったと…… 己達の思慮が浅かったと後悔をして――。
ふと未だ戦いの最中だというのに、後悔をしている自分に気がつき、口元には自虐的な笑みがこぼれた。
突然として笑みを浮かべたブランにデルグレーネは不思議な物を見る様に双眸を細めた。
「何故…… 笑うの?」
極限まで張り詰めた空間。重い空気が全ての音を遮断する。
唯一聴こえるのは自分の体内から発する己の呼吸音、心音のみ。
いや、その張り詰めた空気を伝って目の前の相手の心音すら聞こえてきそうな……。
そこに突然、透き通るような女性の声がその愛らしい唇から漏れるように呟かれた。
初めてデルグレーネが言葉を発する。そこには敵意のかけらもなく、静かに穏やかな口調でブランに問いかけられていた。
思いがけないデルグレーネの問い掛けにブランは幼子のように目を丸く大きく開く。
(なんだ?…… デルグレーネ、お前は何を言っている?)
意図が分からず混乱する。しかし一瞬の動揺からすぐに落ち着きを取り戻し、先程とは違った種類の笑いが込み上げてきた。
(他者の感情を気にする? これだけの事を平然と行いながら…… いや、それ以前に会話をする事が出来たのか)
会話が成立する。
ならば今までの討伐部隊も一方的に攻撃を仕掛けるのではなく、先ずは相手と話すべきであったのではないか……。
自分たちの傲慢な考えに呆れた様な笑みが心の底から湧き上がる。
さらに笑みを深めたブランにデルグレーネは理解できないとでもいう様に首を傾げて呟く。
「また笑った…… わからない……」
ブランの笑によほど興味を惹かれたのか、白金色の髪を揺らし小首をかしげ何やら考え込む。
ブツブツと何かを言った後、なるほどと自分の中で納得がいった様にゆっくりと頷いた。
「そう…… 死ぬ事を受け入れたから。諦めたのね」
ポツリと呟かれたその言葉に一気にブランの気勢は跳ね上がった。
「諦めてなどおらぬ!」
デルグレーネの言葉に怒気のこもった声で返答する。
「貴様に打ち勝ち、我の使命を全うする。それだけの事よ!」
ブランは力を込めて腹の底から有らん限りの声で反論した。
彼の答えに変化は少ないが表情を変える。
少しだけ瞳を見開き、眉尻を下げることで驚いたような困ったような顔をしてさらに小首を傾げる。
「まだ、勝てるつもりなの…… そう、でも私も殺されるわけにはいかない」
デルグレーネの声に突き刺さるような殺気を感じ取り、額には冷や汗が流れる。
(重圧が増した? まだ本気ではなかったということか……)
震えそうになる手で剣柄を力一杯握り込み、切っ先をデルグレーネへ向け言葉を発しようとした矢先――。
彼女はさらに続けた。
「……ねえ、貴方が死をかけて戦う意味はなに?」
あまりにも意外な問いかけに、今度はブランが驚いたように口を半開きにする。
(なんだと? 自分と戦う意味を聞いているのか? いや、そうじゃない? 戦う意味だと?)
質問の真意がわからず困惑する。
じっとデルグレーネを観察するが、挑発しているようなそぶりは見えない。
ただの興味なのか、はたまた他に意図があるのか……?
ブランは困惑しながらも正直に返答をする。
「質問の意図が分からん…… ただ、我が王より貴様の討伐を命じられた。先ほども言った通り、我が使命を果たすために戦う」
「それで死ぬとわかっていても? それは自分の死より重要?」
「そうだ!」
「そう…… それが貴方の『生の意味』なのね」
「……? 言っている意味が分からぬな。まあいい。そろそろ終わりにしよう」
そう言って会話を打ち切るとブランは気力と魔力を極限まで高め、最後の一撃にかける。
デルグレーネが何か呟いたようであったが、それはブランの耳には入らなかった。
(――カルバラへ、王都へ、デルグレーネの異常な強さを伝えたいが叶うまい。ならば……)
デルグレーネに少しでも傷を負わせ、時間を稼げれば、あの聡明なカルバラのことだ。きっとこの事態を察知し、撃退の手筈を整えるだろうと願って。
ブランの魔力放出に充てられて、地面から渦を巻くように風が舞い上がる。
それは一匹の雄々しい獅子が地上から天空へ駆け上るかのような黄金色した暴風として形どる。
暴力的なまでの風圧は辺り一面の木々をしならせ、根から掘り起こし、枝を折り破壊していく。
やがて黄金色の暴風はブランの大剣を中心として収束する。まるで風を取り込むように。
銀色だったその刀身自体が燃え上がり橙黄色の輝きを放つ。
「うおおおおおおおお――――獅子王天翔斬――!」
二撃目を考える事はない、正に全霊を込めた渾身の一撃をデルグレーネへ放つ。
右腕一本の上段から放たれた神速に並ぶ程の一撃に、デルグレーネは咄嗟に回避行動へ移るが、その予想以上の速さに驚愕の表情を浮かべる。
ブランの命そのものが宿った強烈な一撃からは逃げられない。
避けようとした刹那、肩口から腰にかけて袈裟懸けに刃がデルグレーネの身体を通り抜けていった。
殺った! いや、殺せずとも大きなダメージを負わせた!
――そう確信した。
しかしブランは自分が何を斬ったか、その手応えから瞬時に理解する。
両断されたデルグレーネ。
そうデルグレーネは斬られた。しかしデルグレーネだったはずのものは蜃気楼のようにボヤけ、ドロッとした液体が地面へ落ちていった。
唖然とする自分の背後に気配をみせたデルグレーネへ驚愕と落胆をもって現状を理解する。
ブランは振り返らず、構えていた剣先をだらりと下すとひどく落ち着いた声で話しかけた。
「なあ、デルグレーネよ。お前は強いな……」
「…………」
返事はないが更に話しかける。
「この先、お前はどうするのだ? お前の望みはなんだ?」
「……分からない。……ただ知りたいだけ」
『何を知りたい?』と問いかけそうになるその口をブランは動かす事なく自分の中へ飲み込む。その代わりに一言だけ「そうか」と呟いた。
「さあ終わりにしよう」
全ての終わりを覚悟してデルグレーネへ告げる。
ブランは、全身を揺さぶる程の鈍い衝撃が突き抜けた胸へ視線を下げると、そこには一本の腕が元からあったかの様に生えていた。
もちろんそれはブランの筋骨逞しい腕ではなく、女性の華奢な腕が肘先から露呈していた。
「――――がはっ⁈」
大量の吐血と、胸から生えている腕が握っているものを見て、不思議なほど落ち着いて全てを受け入れられた。
胸から突き出た手が握っていたもの…… まだ脈打つブランの心臓が抉り出され、その血管からは勢いよく血が吹き出していた。
(これが俺の死か……)
冷静に死を受け入れ、静かに双眸を瞑ると流れてくる映像。
カルバラと歩いてきた思い出が脳裏に現れては消えていく。
「すまん……カルバラ……先に行く」
走馬灯が少年時代、過去へ遡る最中、先ほどから感じていた強烈な胸の熱さは無くなり、急激な寒さを感じた。凍えるほどの寒さに震えながら、ブランは真なる暗闇に飲み込まれて行った。
◇
青々と草生していた森林であった一帯は、木々が焼かれ薙ぎ倒され、所々ぽっかりと大地が刳れていた。まさに目を覆わんばかりの惨状となっていた。
そのひどい戦場跡の中心に降り立ち、辺り一帯を見渡す。他に動く物がいないか探る。
目視だけではなく魔力感知も使い、周りに敵がいない事を確認したデルグレーネは、ほっと一息吐いた。
「危なかった……」
圧倒的な力でブラン将軍とその部隊に完勝したかに見えるが、実の所、勝てたのが幸運と思えるほどギリギリの戦いであった。
約二百名の魔物の戦士達、そして強者であったブラン将軍との戦闘は、デルグレーネが初めて経験した大規模な戦闘であり、実際のところ極限近くまで魔力・体力ともに消耗していた。
あともう少しブラン将軍との戦いが長引いていたら……。
あともう一人ブラン将軍と同等の力を持つ者がいたら…… 負けていたのはデルグレーネだったかも知れなかった。
「力がもう無い…… 早く魔力を集めないと……」
ブラン達から斬りつけられた傷口に手を置き、出血を止めるように回復魔法を唱えるが、魔力が枯渇しているため上手くいかない。
なんとか出血を止めると、その重い身体を引きずりながらデルグレーネは自分を中心として魔素を集める魔法陣を展開させた。
「【マナ・アセンブル】……」
先程までブラン将軍達との死闘を演じたこの地には、多量の魔素が漂っている。
特に強者であった精鋭部隊の面々、そしてこの国でも最強の呼び名が高いブラン将軍の魔素量は非常に大きい。
直径二十メートル程の魔法陣が彼女の足元から発光して浮かび上がり、漂っている魔素を一つの塊になるように集めていく。
両手を広げ自分を中心として渦のような流れを作り、徐々に大きくして浮遊している魔素をその中心に引き寄せていく。
「こんなものかな」
集めた魔素を圧縮して取り込めるように意識を集中したその時――。
天を二分する雷光が走り、遥か頭上より大地を揺るがすほどの轟音が轟いた。
思わず両手で耳を塞ぎ体を丸める。
鳴り続ける轟音と共に尋常では無いほどの莫大な魔力に押し潰されそうになる。大気に歪みを生じさせ、ビリビリとした振動がデルグレーネの身体を揺らす。
「一体何が――⁈」
驚きを隠せず、轟音がした方向へ慌てて身体を向けると、まるで空の一部が裂けていくように中空へ黒い亀裂が走っていた。刹那、凄まじい量の稲光に思わず眼を逸らす。
空間が、いや世界そのものが破裂し、まるで時が焼きついた様に赤黒い炎が枝分かれしていく。
そして遅れて爆音が轟き、爆風とともにデルグレーネへと襲い掛かった。
「ううう……」
凄まじく吹き荒れる風に乗って飛んでくる石礫や転がる岩、巻き上げられた木々から腕を上げて顔をガードする。
腕と腕の隙間から薄らと目を細めて亀裂が走った空を見上げると、裂け目の中で人型の影が動く。
その影に合わせて地面が揺れる程の雷鳴と共に三柱の稲妻が亀裂から走る。
稲妻と共にひび割れた空間から三体の影が完全に姿を表すと、やがて激しかった放電も小さくなり、渦を巻いて暴れていた突風も治っていく。
デルグレーネは、いま目の前で起こった事が信じられず、現状を理解しようと必死に意識を巡らす。
しかし、どう考えても有り得ない……。
「空間を割って現れた……?」
◇
バリバリと小さく放電が続く中、辺りを見渡しながらフォルセティは確認する様に呟く。
「転送は問題無くできた様ですね」
「ああ…… しかし、少し遅かった様だ」
眼下の戦場跡に視線を向けて、ザイオンは苦々しげに受け応える。
「いえ、結構と消耗しているようね。魔力も回復していない様だし…… っていうか、なんで貴方達も来るのよ」
「仕方がないですよ。そういう決まりですから」
ハハハと乾いた笑をするフォルセティの横で、何を言っとるんだコイツとばかりに白けた視線を送るザイオンは、溜息を一つ吐き出すと緩慢に動き出した。
手にしている巨大な両刃斧を軽々と振り上げ、デルグレーネへその重厚な切先を差し向けながら宣告する。
「貴様を排除しに来た。大人しく死ぬがよい」




