1.01 「思考放棄」
10月17日 日曜日 AM5:00
それまでの静寂を壊すのは、無機質に鳴り響くアラームの音だ。その耳障りの悪い音は、望まない覚醒状態を作り出した。
見飽きた部屋だ。何の感慨も抱くことはない。体を起こし、大きく腕を、体を伸ばす。
毎日のことだが、どうしても寝起きは頭が重くて、朝が嫌になる。低血圧か、起きる時間帯なのか、詳しいことはよく知らない。
起き抜けでまだ、思考に靄がかかる。それを覚ますために、体を引き留めようとするベッドから無理やり抜け出した。
水分を含んだ髪にタオルをかぶせ、歯ブラシをくわえたままソファーへと座る。
目の前の机に置いてあったラップトップを開いた。
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既10/16 22:16 サク】”明日だからな。流石に忘れてないよな?”~
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特に新しい連絡は無かった。画面に以前として残るのは、休暇の終わりを意味する、この主語の無い文字列のみ。
ここ数週間、こんなにも平和な休暇を満喫できたのはいつぶりだったろうか。
もはや記憶も朧気だが、夏休み終わりの切なさは、今のこれに似た感じだった気がする。
それとない寂しさを勝手に抱きながら、既に外出する支度を始めていた。習慣化した動作は、半ば自動的に行われるようなもので、欠伸を交えつつ服を着替え、整えた白い髪を留める。
鏡に映り込むのは、低血圧でなのか、より白く見える顔。その憂鬱さの色が抜けない表情を残したまま、休暇以前まであったこのルーティンを終えた。
右にヘルメットを抱え、玄関のドアを開ける。
朝の冷たいそよ風に髪を弄ばれ、何気なく街を見下ろす。ガラスとコンクリートに囲まれたこの空間、高所での強い風は穏やかなそよ風へと変換された。
周りに建ち並ぶのはどれも、300mを優に超える高さだ。縦横に連なって構成される居住用途の建造物によって、ここ一帯はハウスケースの集合地区と呼べるようになる。そのうちでも、ここは24階と、高い部類に位置していた。
日が出たばかりのこの東京は、意外にも人や車の数は寂しい。前述の、高く建ち並ぶ無機質な建造物達とも相まって、どこか不思議な雰囲気を演出していた。
「…行かなきゃ」
起床してからある程度の時間が経ち、少しずつ街も目覚めてくる。道が混む前に出ようと、そばに置いたバックパックを肩にかけ、ヘルメットを抱えてエレベーターまでの階段を降りて行った。
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自宅からオートバイを走らせて40分と少し。
既に先駆的で都会らしい独特の雰囲気は薄まった。ここ一帯すべてが、彩度の落ちた、どこかに旧世代らしさを残した建物たちだ。
どんなに科学技術が発展し都市の開発が進んだとしても、使われなくなった建物や古い風習はどこかに残っているもの。
それに、今の日本の急速な人口の変化を考えれば、それが無いことのほうが不自然と言える。この辺りの街は、そんな見向きもされなくなった場所の一つだった。
広い道を進んでいくと、ひと際目立つ、大きな建造物が見えてくる。使われなくなったまま取り残されたショッピングモールというものは、どうやら一部のマニアにとって一定の支持があるようだ。が、ここにはその期待にこたえられるものは残されていない。
だだっ広い駐車場を突っ切り、裏手のバックヤードまでバイクを動かした。
二つのシャッターと、端っこの壁に隠されるように配置されるのは、この街の雰囲気にはあまり似つかわしくない見た目をしたコンソールだ。そこへ、懐から出したカードを押し当てる。
現れるなだらかな下り坂。そのまま通路を抜けた先、さほど広くもない駐車場でエンジンを切った。
ヘルメットを外し、何気なく周りを見やる。視界の端には、パンツスーツに身を包んだ女性がいた。
「おはよう、カエデ。早いね」
「…あぁ、おはようございますルイさん。お久しぶり、ですね」
例え相手が年下の俺であっても、その丁寧な言葉遣いを崩すことがなかった。それが彼女、櫻木 楓という人間の特徴の一つ。
「なんか変わったこととかあった?」
「いえ、…特には思いつきませんね。普段から変わったことばかりでしたので」
「まぁ、…そうかもね」
軽い愚痴をこぼしながら歩きだした。
外からの見た目とはかわって、内部は大幅に改造、リフォームが行われている。よって、その一部のマニアを喜ばせるものは、外観の要素しか残っていなかった。
目的の部屋の前まで来ると、何やら話す声が聞こえる。今日は少し早いようだった。
「おはようございます」
「…おや、来たようだ。おはよう、ルイ君。いつも通りの時間だね」
応じたのは、首から上を機械的なマスクで覆った人物だ。とは言っても、それは補聴器や義足と同列に扱われる物の類と受けとられる。珍しくないわけじゃないが、世間的には認知されている代物だった。
「よぉルイ、今日も眠そうな顔してんな」
続いて目が合った、その大きく丸い目や、明るい髪色。小野寺 咲真は、面食いが喜びそうな人物だった。別に、うらやましくはない。
「あぁ、サク。久しぶり、って程でもないか」
「そうかもな。後で飯いくよな?」
サクは俺の肩を軽くたたき、カエデと話しながら部屋を出ていった。
残ったのは俺と、機械マスクの彼だ。
「それで、今日は何を?」
「…今日は『ある人物の保護』だ。だが、実をいうと正直、複雑な状況だよ」
「複雑、ですか?」
「ああ、今回は特殊だよ。この一か月の間だけ専属的に、ある依頼主の依頼だけを受けることになった。短期契約とでも言えるかな。だからこの後も、『依頼』という形に変えて次々と、『指令』が飛んでくることになる」
「ずいぶんと、変なことしますね。今回は」
「そもそもの依頼者が特殊だ。…『セイヴィス』、どういうわけか彼等は、直接我々のことを知っていて、さらに直接依頼してきたわけだ。私の把握していないルートを伝ってね。断ればどうなるかはわからないが、断らずとも厄介なことに巻き込まれることは間違いないね。…面倒なことになったものだよ」
頭を覆う彼の機械は、そういって苦笑いをしているようなマークの表示に変わった。
彼が言う『SAVICE』とは、『SAVE』と『SIRVICE』を合わせる造語であり、またそれは、ある組織の名称だ。
技術特区を発祥とする組織であり、それは警察とは別に存在する治安維持の民間組織。だが実際のその立ち位置は、簡単に言えば、警備会社と警察の中間にあると言えた。
基本的にパトロール、行事や有事の際の警備、避難誘導などを行い、直接的な事件、事故への関わりは行っていない。行政、公安警察活動の一部を担うという話もあるが、それが本当かどうかは一部の人間しか知らない。
「さて、我々は決められた結果を持ってくることに関しては得意だ。しかし、今回はこの通り、最終的な結果が読めない。こちらから条件を出して、リスクを減らしていくしかないというわけだが」
「あの、あんまりピンと来ませんけど、結局今日は何をすればいいんですか?」
セイヴィスに目を着けられたというところまではわかったが、わざわざこっちに依頼して何かを為そうとするその意図はわからない。
いや、そもそもそんな複雑な事情を知ったからといって何か変わるのかという話だけど。
「ああ、まずはアキ君と合流してくれ。さっきも言ったけど、最初の指令はある人物の保護だ。その保護対象についての情報も、場所以外何も無しと来る」
「問題ないです。それで、その場所は?」
「ああ、実はね…、」
最初からこうして本題に入ってくれれば一番楽だ。そんなややこしい事情なんてのは、俺からしたらそんな重要なものでもない。
今もただ、従っていればよかった。
/*第一話 「思考放棄」*/