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29:伝授!

 化合物の構造決定には、いくつか手法がある。

 単結晶が取れればX線結晶構造解析での構造決定が可能になる。

 これが、構造決定を行う上で最も確実な方法だと思う。


 でも、全ての物質が結晶化するわけじゃないし、結晶化度にもよる。

 固まったとしても結晶化度が低ければキチンと解析できない。


 それで、試料の結晶化を全く必要としない新しいX線構造解析手法として、結晶スポンジ法が開発された。

 でも、順番に物事を考えたら、やっぱり核磁気共鳴から啓蒙するのがイイかなって思ってね。

 それでボクは、核磁気共鳴……つまりNMR理論を学び直して来たんだ。

 今、これを魔法に変換させる。



 一応、X線結晶構造解析の方も勉強してきたけど、やっぱり有機化学で構造決定って言ったらNMRが主流だと思っている。


 実は、こう言った構造決定に関する魔法こそが、この世界でボクが開花させたいって思っていた魔法なんだ。

 薬の分子構造をキチンとイメージしてもらうためにね。



 それに、ボクが前にこの世界にいた時に、NMR……と言うか化合物の構造への理解を高めることが必要じゃないかって思っていたことでもあったんだ。

 実を言うと、女神フィリフォーリア様からも、この世界で薬を作るためにNMRとかが必要なファクターになり得るなら、その理論を是非学び直してきて欲しいってリクエストをされていたしね。



 ボクは、

「出ろ!」

 ガラスコップに入った高純度の水を出した。


「ミサ。水の分子構造は知ってる?」

「うん。王太子の講義で習った」

「そうしたら、これを解析してみて」


 そして、ミサが向き合わせた右掌と左掌の間に、このコップを置いた。

 とにかく、チャレンジしてもらう。


「左手でNMR信号をキャッチできていると思うんだけど」

「NMR信号?」

「左手でキャッチしている信号が、さっきまでと変わっているのは分かる?」

「一応、分かる」

「これが水分子のNMR信号なんだけど、これが分かるって凄いよ!」

「ホント?」

「うん。じゃあ、次は、これね」


 続いてボクは、少量の高純度エタノールを重クロロホルムに溶かしたモノの入った小さなガラス製容器を出した。

 さすがに重クロロホルムがメインの状態だからね。いくらエタノールでも飲める状態じゃないよ!

 もっとも、こんな昼間から飲むつもりは無いけどね。


 そして、ボクは、ミサの前に置かれてあった水入りコップを、エタノール入り重クロロホルムに置き換えた。

 入れ物は、コップじゃなくて小さな小ビンね。

 すると、

「えっ? なにこれ?」

 ミサは、NMR信号が変わったんで驚いていた。


 でも本当に、これを敏感に察知してくれるってことは、相当才能があると思うよ。エタノールは、微量しか入ってないからね。


「これがエタノールのNMR信号。エタノールの分子構造も習ったでしょ?」

「たしか、お酒の成分ね」

「そうだね。ただ、このうち、水素原子の信号だけに集中して欲しいんだ」

「水素原子?」

「そう。集中すると、炭素原子の安定同位体からの信号もキャッチできちゃうはずだけど、それは極微弱な信号だと思う。ここでは、水分子の信号をキャッチしたのと同じ感覚で水素原子の信号だけに集中してみて」

「分かった」

「それで、この信号から、エタノール分子の構造をイメージできるかな? それが出来る魔力をミサは持っていると思うけど……」


 つまり、キャッチしたNMR信号を魔法で構造式に変換するって、もの凄いムチャ振りをしているんだけどね。

 魔法でNMR信号をフーリエ変換してスペクトルデータのチャートを描き出し、さらに、そのチャートを魔法で解析して頭の中に構造式を描き出せって言っているわけだからさ。


 だけど、

「うん、分かる!」

 さすがミサ。このムチャ振りに応えてくれたよ!

「じゃあ次に、これは?」


 さらにボクは、あるNSAIDを重クロロホルムに溶かしたモノが入った小さなガラス容器を出した。

 NSAIDは非ステロイド性抗炎症薬のことね。ボクのところで売っている鎮痛薬も、この一種なんだよ。

 このNMR信号をキャッチして、ミサは、さらに驚いた顔を見せた。


「なにこれ? エタノールよりも複雑な構造をしているんだけど」

「これが、ミサがたまに飲んでいる鎮痛薬だよ」

「えっ?」

「この構造、描ける?」


 ボクは、ミサに紙と鉛筆を渡した。すると、

「多分、こんな構造だと思うんだけど……」

 ミサが、そのNSAIDの構造式を見事に描いてみせた。これで、第二段階合格だよ。

 次に第三段階なんだけど……。


「ちょっと疲れた。スウィーツ頂戴」

 ここでミサはグロッキー状態になった。

 でも、これで分子の構造がキチンと分かったはず。少なくとも、ミサは薬づくりの重要な戦力になれると思う。



 と言うわけで、ご褒美だ。

 まあ、いずれにせよ、スウィーツのリクエストは想定の範囲内だよ。

 巧く行こうと行くまいとね。


 なので、

「出ろ!」

 ボクは究極のメロンパフェを出してあげた。


 マスクメロンを半分に切った上にクリームとかアイスクリームとかでデコレーションしたって言う、容器がメロンの超贅沢品。勿論、メロンの果肉付き。

 前にも食べさせてあげたよね、これ。


 早速、ミサは貪るようにパフェを食べ、

「うーん。生き返るぅ~!」

 超笑顔を見せてくれた。


 ミサもルビダス同様に目付きが悪いけど、この笑顔はホンキで可愛いね。

 なんだか、こっちが癒されてくるよ。



 そして、パフェ完食後、ボクは、

「次のことが出来たら完璧だよ」

 って言ったんだけど、そうしたらミサが、

「まだあるの?」

 ちょっと嫌な顔をしていた。


 悪役顔だけに、この表情には迫力があるな。正直、ミサ自身が思っている以上に、相手側には威圧感を与えるからね。

 知らない人には、マジで怒っているように思われてしまいそうだもん。


「これが最終段階。これが出来たら超高給取りになれるよ」

「じゃあ、やる」


 でも、まあ、基本的にお金の魅力には勝てないっぽい。

 この辺は俗物っぽくて有難いね。一応、チャレンジしてくれそうだ。


「物質創製魔法なんだけど」

「えっ? さすがに私にはできないと思うけど」

「なので開花させるよ。ミサからは、魔力を感じるから、間違いなく魔法が使えるはずだから」

「本当?」

「そもそも、構造解析自体、魔力を使っているわけだし」

「そっか。言われてみれば、たしかにそうだよね?」

「うん。じゃあ、先ず、エタノールの構造を頭の中で描いてみて。分子模型での形じゃなくて、さっきNMR信号から頭の中で掴んだ構造式ね」

「分かった」

「さらに、それが、このコップの中に出るように念じてみて」

「うん」


 ミサは、コップを両手で掴むと、目を閉じて集中した。

 そして、

「出て!」

 と必死の表情で彼女が唱えた直後、コップの中に溢れそうになるくらいの透明の液体が湧いて出て来た。

 匂いからしてエタノールっぽい。

 多分、出来ていると思うけど、キチンと分析しないとね。


 ボクは、その液体を少量取って重クロロホルムの入った小さな容器に入れ、左右から両手でかざしてNMR信号をチェックした。

 間違いない。この液体は、紛れもなくエタノールだよ!

 成功だ!


「ミサ。やったじゃん!」

「うん」

「次は……」

「まだあるの?」

「マジでこれが最後。さっきの鎮痛剤の構造式を思い浮かべて、この容器の中に出してみて欲しいんだ」

「そっか。薬が出せなきゃ意味がないもんね」

「そう言うこと」

「じゃあ、やってみる」


 再びミサは、ボクが渡したガラス容器を両手で掴むと、目を閉じて集中した。さっきよりも、さらに気合が入っている。

 そして、

「出て!」

 と唱えたその直後、容器に山盛りの粉状の個体が出て来た。


 ボクは、早速、それを重クロロホルムの入った小さな容器に、ごく少量だけ取って溶かした。構造チェックするためだ。

 NMR信号を確認したところ、間違いなくボクのところで作っている鎮痛剤だった。


「成功だよ」

「ホント?」

「うん」

「じゃあ、免許皆伝?」

「ええと、それは、あと一歩かな。今回は不斉中心(キラル中心)が無いタイプだから」

「そうか。不斉制御できたものも作らないとイケナイってことか」

「そう」


 不斉って、化合物の構造を考える上で俗に右手と左手の関係って言われるヤツのことね。

 炭素原子の四本の腕が一本ずつ別の原子と共有結合した場合、結合した相手は炭素原子を中心とした正四面体の、だいたい頂点に来る。

 この時、四つの置換基が全て異なる場合は右手と左手のように、鏡像同士となる二つの立体構造を与え得る。

 この炭素原子が不斉中心ってことになる。



 ボクのところで売られている薬の中にも不斉中心を持つ有効成分はあるからね。

 オセルタミビルとか、タダラフィルとか、ダポキセチンもそうだね。


 とは言え、鎮痛剤が作れただけでも大きいよ。

 実は、明後日のテストで全員不合格にならないか不安もあったんだ。

 でも、絶対に合格できる人が確保できたんだもんね。有難いよ。



 一方のミサだけど、

「もう一つ、ご褒美が欲しいな!」

 スウィーツの御代わりを要求して来たよ。まあ、これも想定の範囲内だけどね。


「何がイイ?」

「前に食べたマロンパフェとチョコレートパフェがイイ!」

「二つも?」

「文句ある?」

「別に」

「じゃあ、お願い」


 本当に、別腹の方はブラックホールなんだから。

 主食側の胃袋も、決して小さくは無いけど……。


 もっとも、彼女のデザート好きは、昨日今日始まったことじゃないけどね。

 と言うわけで、

「出ろ!」

 ボクは、ミサが所望した二品を出してあげたよ。

 ミサは早速、

「ありがとう。いただきまーす!」

 一気に完食した。



 この後、ボクは流通センターに戻り、現在、センター長をされているケックさんをミサに紹介してもらった。


「初めまして。トオルです」

「ケックです。まさか、本物にお会い出来るとは。この世界から消滅したと聞いておりましたから」

「一旦、この世界から消えたのは、本当です。訳あって、異世界に出張させられておりました」

「でも、御使い様から薬が供給されるのは、あと一年と聞いておりましたので、来年からどうなるかと思っていましたけど、トオル様が戻られたのでしたら安泰ですね」

「一応、ボクの方でも対応します。でも、ボク以外の人にも薬を作れるようになって欲しいと思っています。それで、明後日、ミサとロンドをお借りします」

「明後日?」

「はい。城の方から二人に来るように連絡があったと聞いていますけど」

「ああ、はいはい。聞いています」

「二人には、今後、薬の製造を手伝ってもらうことになる可能性があります。特にミサには、その力があることを、昼食の時に確認しました」

「ミサが?」

「はい」

「それは名誉なことね。ミサ。頑張ってね」

「はい。勿論!」


 この時のミサは、本当に自信に満ち溢れた表情をしていた。

 薬製造業の最上流の仕事ができることが証明されたんだもんね。

 当然と言えば当然だろう。



 でも、正直、ミサだけじゃダメなんだ。

 今のミサにできることは、まだ有効成分を作ることだけ。でも、それだけじゃ薬として販売できない。


 例えば、これが経口薬なら、有効成分を賦形剤と混ぜて打錠して錠剤にするとかが必要だからね。

 薬として流通させる形にするまでには、まだ工程がある。


 それに、仮にミサが薬製造の全工程を一人で成し遂げられたとしても、彼女だけじゃ供給量に限界があるからね。

 まあ、今はボクがやればイイって話もあるけど……。



 実は、今回、ミサは鎮痛剤の有効成分を容器いっぱいに作り出してくれたけど、全世界的な流通量を比べたら、あれじゃ全然足りないんだよね。

 ドロセラ国の分だけで考えても全然足りないんだ。

 なので、どっちにしても、まだまだ人数が必要ってことだ。

本当は、NMRだけで構造決定するのは厳しい化合物と思いますが、話を単純化するためNMRだけで構造決定できることとしました。また、有効成分は、ここでは塩ではなくフリー体で出しているとお考えください。

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