25:これで二往復だよね?
それは六年前のこと。
「大丈夫ですか?」
そう声をかけてくれたのは第一発見者の男性だった。
発見対象物とは、この場合、ボクのことだ。
ボクは、どうやら気を失っていたらしい。
自分のことを『ボク』と呼ぶけど、性別は女性。いわゆるボクっ娘。周りからはボクっ娘は痛い娘だよって言われるけどね。
季節は初夏。
ある公園内での出来事だ。
ボクは自分が誰なのかも、どこから来たのかも思い出せずにいた。
記憶喪失だ。
警察の情報網を使っても何の手がかりもなし。自分を証明するものは何も無かった。免許証とか保険証とかも持っていなかったんだ。
ボクを引き取ってくれたのは第一発見者の遠野氏。ボクは、留美と名付けられた。
戸籍無しの人間だったけど、そこは幸運に恵まれたんだと思う。
10ヵ月後には就籍許可の通知が届いた。
遠野氏が有名大学の教授だってのもあって優遇されたっぽい。
そして、戸籍を取得し、ボクは正式に遠野夫妻の養女となった。
いまだに、ボクは何処の誰か分からないし、それを証明するものも見つかっていない。つまり、ボクの過去の人間関係や経歴は一切不明なままなんだ。
でも、今まで勉強してきた内容は覚えていた。
それでボクは、戸籍を取得した後、8月に大検にチャレンジした。そして、大検を取得して、翌年、大学を受験。
無事合格して大学に入学した。
ボクが覚えているのは、この6年間で起きたことだけ。
ただ、ボクは、最近になって、
「君は友人フィリフォーリアから預かった大切な存在。君には、君の体内に侵入した害となる異物を全て瞬時に体外放出する力を与えている。これなら病気になることも毒物に侵されることもない」
と誰かに言われたのを、ふと思い出した。
でも、それが一体いつの話だったのか、これを誰から言われたのかも思い出せない。
今、ボクの年齢は、便宜上24歳ってことになっていた。『便宜上』と言うのは、6年前に保護された時、年齢を証明するものが無かったからだ。
そこから先は、彼氏いない暦をずっと更新中の身にあるけど、別に男から誘われたことが無かったわけじゃない。
容姿は、決して悪いとは思っていない。
周りに言わせると、むしろ良い方らしいけどね。
小顔で目が大きくて、一応、美人顔って言われている。
栗色の髪。
痩身巨乳の上に脚が長くて首もちょっと長め。
正直、周りの女性からは、敵認定されることが多い。もう慣れたけど。
だけど、自分でも不思議なくらい、全然、恋愛に興味が持てなかったんだ。
この容姿のお陰で、男に付きまとわれることは日常茶飯事だった。
大学の時は、ボクを酔わせてお持ち帰りしようとしていたヤツもいたけど、ボクはお酒が強いんだよね。
全然酔わない。
それで、睡眠薬を盛ったヤツもいたけど、何故か睡眠薬も効かなかった。
誰かに昔、言われた言葉……、
『君の体内に侵入した害となる異物を全て瞬時に体外放出する力』
この力が本当にボクの身体には備わっているような気がしているよ。
家族構成は父と母と兄とボクの四人家族。
両親にも兄にも、ボクは非常に感謝している。兄は、たまにボクのことをイヤラシイ目で見てくるけどね……。
友人からは、遠野の『遠』と、留美の『留』を取って『トウル』と呼ばれている。
でも、何故か、その呼び方には、一度も抵抗を感じることが無かったし、当然のように自然と受け入れていた。自分でも、良く分からないけどね。
今、ボクは分析機器の会社で働いている。
今年の3月に大学を卒業して、4月に就職したんだ。
ボクは、大学に入学した頃は有機化学に興味を持っていた。それで、色々な化合物とか薬の構造式を覚えたし、色々な有機化学反応も勉強した。
最近では、その手のモノをまとめたホームページとかもあるしね。
ただ、自分でも良く分からないんだけど、何かに急かされるように勉強していた感じがあった。それに、何故か分からないけど使命感もあった。
でも、大学の授業で化合物の構造決定の話を聞いて急に考えが変わった。
核磁気共鳴理論のほうに興味が移ってしまったんだ。
合成化学者は、核磁気共鳴スペクトルを使って化合物の構造を決定するのが一般的。つまり、核磁気共鳴は合成化学者の武器ってとこだね。
なので、ボクは化学者相手の武器屋さんになりたくなったってとこかな?
傍から見たら変わった娘だよね、きっと。
先生方や先輩達からは、修士課程への進学を勧められた。
理系の場合、修士に進学するのが普通みたいに言われているからね。
でも、何故かボクは、ここでも何かに急かされるように進学ではなくて、就職する方に決めた。
それに、これ以上、両親に学費を出させたくなかったって言うのもあった。
本来、他人のボクに、もの凄い労力や時間、お金を使わせていて申し訳ないからね。
入社して三ヶ月が過ぎた。
この日、仕事が終わって更衣室で着替えていた時だ。
「それって、着る人いるんだ!」
ボクが着ていたTシャツを見て同僚の一人が指を差して言った。
一応、この手の会社にも女子社員はいるよ。
ボク以外にもね。
彼女が指差していたのは、周期表がプリントされたTシャツ。
周期表って、判り易く言えば原子一覧表のことだよ。
まあ……、普通の人は、こんなのが描かれたTシャツを着ないと思う。
でも、何故かボクは、この手のモノが好きなんだ。
自分でも変人だと言うことは十分理解しているよ。
それに周期表を見ると、なんだか懐かしい感じがする。
うーん……。相当変人だな、ボクは。
厳密には、周期表そのものじゃなくて、幾つかの特定の原子の名前に懐かしい響きを感じているんだけどね。
一つ目はフッ素。
英語でFluorineって記載する。
二つ目はベリリウム。
語源はBerylで緑柱石の意味。
三つ目はルビジウム。
語源は暗赤色を意味するラテン語のRubidusから。
四つ目はマイトネリウム。
語源はオーストリアの女性物理学者リーゼ・マイトナー(Lise Meitner)博士から。
五つ目はアンチモン。
原子記号のSbは輝安鉱を意味するラテン語のStibiumから。
そして、六つ目はアクチニウム。
語源はギリシア語で放射線を意味するAktisから。
この原子を使ったガン治療の研究もされているしね。ボクは、特に、このアクチニウムには興味があるんだ。
あと、リチウムにもちょっとだけ懐かしい響きを感じる。
それからケイ素……シリコンもだね。
これはラテン語のSilexとかSilicisから来ているって話らしい。
でも、何で懐かしく感じるんだろう?
逆にヒ素には嫌悪感があるんだよね。
原子記号はAsで、これはギリシア語のArsenikonから来ているって話だけどね。
次の日、ボクは学会出張で飛行機に搭乗した。アメリカで開催される化学系の国際学会への参加ってことでね。
この学会はWeb参加も可能だけど、今回は特別に海外の研究所の見学もして来いってことになった。
まあ、機器メーカーだからね。
実際に機器を利用する各研究室で、色々と意見を聞いて回るのも、直接利用状況を目で見ることも大事だってことだ。
ところが、不運にも航空事故が起こった。
最悪なことに飛行機は墜落。
そして、大破。
多分、生存者なしだろうな。
そのまま、ボクは意識が途絶えた。
ボクも、これでこの世界とお別れか。ボクを引き取ってくれた両親には本当に申し訳ない。
…
…
…
気が付くと、ボクは何も無い真っ白な世界にいた。
ただ、ここには何故か見覚えがある。
「遠野留美様。いいえ、トオル様ですね」
女性の声だ。
ふと、声がしてきた方を振り返ると、中性的で美人顔のお方が、こっちを見ながら宙に浮いていた。
そのお方は、背中に白くて美しい翼を生やしていた。
ただ、ボクは、このお方の姿にも見覚えがあった。
ふと、ボクは頭の中に浮かんできた単語を口にした。
「シリシス!?」
そうだ、この御使いの名前はシリシスだ!
それだけじゃない。
ボクは色々と思い出してきた。
例の言葉。
『君は友人フィリフォーリアから預かった大切な存在。君には、君の体内に侵入した害となる異物を全て瞬時に体外放出する力を与えている。これなら病気になることも毒物に侵されることもない』
これは、ボクが地球に遠野留美として転生する際に、地球の女神様……ラメラータ様から言われた言葉だ。
だから、お酒を飲んでも酔わなかったし、睡眠薬を盛られても効かなかったんだよ!
それから、何故、ボクが特定の原子の名前に懐かしい響きを感じていたかも理解した。
特にアクチニウムに興味を持っていた本当の理由もね。
思い出すと、結構、恥ずかしいな。
なんだかんだで、アイツのこと、好きだったんだ。
シリシスがボクの手を取った。
「身体は、既にイットリア山に転移済みです。地球では、あの墜落事故で肉片すら残らずに死亡したことになっていますが、事故の直前にトオル様の身体は無傷のまま転移されたのです。また、異世界転移することで、トオル様の身体を、こちらの世界の仕様に切り替えることができます。ですので、今のトオル様の肉体は、男児の出生率が復活した状態になっています」
そう言うことか!
ボクがネペンテスの世界で自分の遺伝子を残すためには、どうしても異世界転性か異世界転移する必要があったってことだね!
でも、誰が相手なの?
もしかして……。
まあ、でも、悪い話じゃないからイイか。
「では、フィリフォーリア様のところに行きますよ!」
「うん!」
ボクは笑顔で頷いた。
そして、ボクの魂は次の瞬間、シリシスの力でフィリフォーリア様……元の世界の女神様のところへと転移したんだ。




