カイヴァーン「姉ちゃん、ちゃんと後の事考えてんのかな……」
「グレイウルフ号! もういいでしょう、後はこっちでやるから負傷者の救護でもしてて下さいよ!」
「黙れファウスト!! てめえらこそもうそのへんに引っ込んでろこの海賊野郎がああ!」
「艦長ッ! あり得ません艦長、今は奴ら、いえ彼らを頼るべきですッ! 我々は限界です!」
「うるせぇぇ盗っ人の情けなんざ受けてたまるかこン畜生ォォオ!」
「誰か! 誰か艦長の治療を!!」
私は長引く戦いの中で憔悴していた。一言で言うと自分はストーク人貴族で子爵の四男坊のフレデリク君だと思い込む妄想力が尽きて来た。
私は昨日からほとんど寝てないし午前の早い時間から山越えをして、女の子を背負ったり大の大人に肩を貸したり、銃で撃たれたり海賊船を乗っ取ったり、刺青だらけで髭に導火線を編み込んだ怒りっぽい身長2mのギョロ目の大男に追い掛けられたりして、いい加減ヘトヘトなのだ。
疲れた。眠い。
「僕の前に出る覚悟はいいか!」
―― ドン! ドン! ドドン!
私は側面から船に近づこうとする敵の大型ボート目掛け、シーオッタ号のメンマストの檣楼から適当にマスケット銃を撃ちまくる……当たっても当たらなくてもいいのだ。ここにマスケット兵が居るとお解りいただければ良いのである。
そうすれば、死にたくないと考えている漕ぎ手は手を抜いてくれる。
それにしても……
「あの野郎より先に首と胴体をネジ切られたいかクソ共がアア!! さっさとあの船に接舷させろ何度も言わせんなァァアア!!」
今フレデリクでなくなったら私は恐怖で心臓が止まって死ぬ自信がある。あの刺青だらけで髭に導火線を編み込んだ元々大変怒りっぽい性格をしてそうな身長2m50cmのギョロ目の大男が凄まじい剣幕で、ボートを漕いでくれている味方の水夫達を蹴りつけ、ぶん殴りながら、ずっと私を指差し怒鳴りまくっているのだ。
田舎の百姓娘として生まれた自分が人生の中で、あんな恐ろしい人間からこんな猛烈な恨みを買う日が来るとは思わなかった。生きた心地がしないとはこの事だ。
―― ターン! タターン!
他のボートやキャラック船からも時折弾丸が飛来する……さっきから甲板のカイヴァーンもずっと怒っている。
「降りろよ船長! 弾バンバン飛んで来てるだろ!」
「あんな弾は当たらないし当たる時は隠れてたって当たるんだ。ああ、風が変わるぞ! 面舵20分、オール上げろ!」
―― ドーン!
ぎゃあああ! 大砲も時々飛んで来る!
―― ドボォォォン!!
砲弾がシーオッタ号と言うより大男を載せたボートに近い海面に着弾し、水柱を上げる。
「このク×○△◆×の●×がああああ!!」
大男がもはや誰の耳にも意味不明と思われる咆哮を上げる……嫌だ。怖い。天国の婆ちゃん、地獄のお父さん、どうか私を守って。
ああ……でも今の砲撃のおかげで少しボートとの距離が離れた……そこへ。
「フレデリク! ホワイトアローと交戦していたキャラックが旗を降ろしたぞ!」
船尾で砲撃の指揮を執っていたルードルフが叫ぶ。本当だ。私の方が檣楼に居るのに、甲板の人間に先に見つけられてしまうとは恥ずかしい。
これでキャラックはあと2隻か。だけど海賊艦隊はシーオッタ号を除いても13隻も居たのだ。
大変な数だよ。グレイウルフ号やフォルコン号はどうなったんだろう。望遠鏡を見ているような暇はないので、私は肉眼で先行艦隊が艦砲戦をしている方を見渡す。砲煙が酷くて殆ど見えないが、そういえばいつの間にか砲声が少なくなったような……なっ!?
「誰か望遠鏡! 三時方向の黒煙の中から出て来たあのボロ船、あれはまさかグレイウルフ号か!?」
―― タターン! ターン! タタターン!
「船長ー! いいから降りて来いよ! 撃って来てるだろうがよ!!」
「カイヴァーン、見えるだろ!? あいつあの船でまだ戦う気か!!」
酷い。やっぱりあれはグレイウルフ号だ。あんなボロ雑巾みたいになって、ヒョロヒョロの仮マストにレイヴン軍旗を揚げて……
「ああもう!! 引っ込んでろよ! あいつバカだろ!?」
「船長もバカだろ引っ込めよ!! 漕手、左右交代して待機!」
カイヴァーンはニスル語で私に悪態をついてから、そこだけ覚えたストーク語で漕ぎ手に指令する。
確かに私は馬鹿だ。このまま逃げ回っていれば状況が良くなるとでも思っていたのか。私も何かの役に立たなきゃ。フォルコン号は無事かなあ。解らない。私も何かの役に……
「ルードルフ、大砲を船首の砲座に戻してくれ! エッベ、取舵15分、ヨーナス、ブレースを……」
私は指示の言葉を飲み込む。ヨーナスは言われる前に帆の調整を始めていた。
「大砲を戻すぞぉぉお!」「ファイトー!!」「一ッ発ァァツ!」
ルードルフと筋骨隆々のフルベンゲンのおじさん達は気合を込めて叫び、大変に重い鉄の塊でもある大砲の周りに取り付き担ぎ上げ、船尾から船首へと運んで行く。
―― ターン! タターン! ターン!
揺れまくるボートの上から撃たれた敵の弾丸が檣楼目掛け飛来するが、私は直前にそこから飛び降りていた。あんな狙いが目茶苦茶では避けなくても当たらないだろうし、運が悪ければ避けても当たりそうだ。
「エッベ舵を代われ、この銃を持って後ろに居てくれ」
「ひッ……船長の銃! かしこまり!」
―― ドーン! タターン! ドボォォォン!
砲声、銃声、水柱……メイントプスルにまた穴が増える……もう仕方ない。
「大砲固定早く!」「終わったぞ小僧!」
返事の早いルードルフ。プロの軍人は凄いなあ。さて。
「漕手と甲板員は今から左舷側に貼りつけ!! 返事ー!!」
「お……おう!」「アイ!!」「左舷了解!!」
「カイヴァーンヨーナスはブレース絞れ、行くぞ!!」
私は思い切り取舵を切る。櫂漕船でもある細身のシーオッタ号ではあまり急な舵を切ると転覆の恐れがあるし、ただ船の向きを変えたいだけなら櫂漕してそうすればいいのだが……私なりに思いついた事がある。
―― ギシギシギシギシ!! パキッ……ポキッ……
うわあ、船体から嫌な音が……左舷側から風を受けながら左舷側に曲がろうとするシーオッタ号が大きく右に傾く! お願い、転覆しないで、持ち堪えて!
「外に張り出せええ!!」「もっと乗り出せ!」「行けェェエ!!」
臨時の水夫となったフルベンゲンの大地に生きるおじさん達、強制労働をさせられていた漕ぎ手の皆さん、恐らく思いは人それぞれなのだと思うが、乗組員達は皆一丸となって左舷の波除板から、漕手甲板の防柵から身を乗り出し、遠心力で大きく右傾した船を転覆させないよう、体重をかけてくれる……ルードルフも……みんなどうしてこんな素人船長のする事を信じてくれるんだろう。人が良過ぎる。
そしてシーオッタ号はあまりスピードを落とさないまま、白波を立てて急旋回する……三、二、一……
「甲板漕手全員戻れ!! 操帆手帆を切り替え、甲板ブレース引けー!!」
「アイ船長!」「かしこまり!!」「甲板了解!」
「漕手は位置につけ、オールまだ出すな!」「漕手了解!」
急旋回中に完全に風に水平になった帆を一気に右舷開きから左舷開きへと転回させる……一度裏帆を打つ事になるが急激に左傾しようとする船体を抑えるには好都合のはず……合ってる? 自信など無いが今はある事にしないと。とにかく私は一気に舵を戻す。
―― ミシミシギシギシ! ボキッ……メキッ……
ああああ、また嫌な音が。ごめんよシーオッタ。酷い船長に乗っ取られたせいで味方から撃たれるし手荒な操船はされるし散々だよね。
「頭目の乗ったボートは55分方向!!」
船首のルードルフが叫ぶ。
カイヴァーンとヨーナスが指揮を執り甲板員達が操作してくれた帆が右舷からになった風を捕え大きく膨らみ、再び船を加速させる。
船体は酷く揺れている……さっきは限界まで右傾して、次に揺り戻しで左傾して、また反対へと大きく振れる……多分漕手甲板は極北の海の冷たい波に洗われ酷い事になっている。
「エッベ! 取舵5分!」
私はエッベに持ってもらっていた銃を引き取り、代わりにエッベに舵を任せ、船首へと走る。
「待て船長俺も行くから!」
カイヴァーンも途中でブレースを放り出してついて来る……ヨーナス一人に操帆の指揮を任せる気!? まあ……それもいいか。
甲板を駆け抜け船首へ、そしてバウスプリットの影から顔を出した私は見た。先程まで追いすがって来ていた大男を載せたボートが、こちらに腹を見せて左舷方向へと逃れて行く……
「このク×○△◆の×●×▼共がァァ!! あの野郎の首をねじ切れと言ってんだろがァァァァ!!」
例の大男は怒り狂い、ボートをこちらに向けろと言っているが、ボートの乗組員達はシーオッタ号に船首を向けられた状態でそうしたくないらしい。
「取り舵10分! 漕手全員、漕ぎ方始め!!」
周辺には他にもボートが何艘も居て、急旋回したシーオッタ号に舷側から接舷しようとしている者も居るが、これは振り切ってしまうしかない。
―― ターン! タターン! ……ドォォン!
銃声や砲声が増えて来た気がする。早くやらないと。私は船首のバウスプリットに足を掛ける。
「待てよ姉ちゃん、俺が行くから!!」
カイヴァーンが私の袖を掴み、ニスル語でそう言う。ああ、怒ってるよカイヴアーン、いつになく真剣な眼差しだなあ。だけど。
「カイヴァーン。ハウス」
私が落ち着いた声でそう言うと、カイヴァーンは反射的に私から手を放し、一歩下がってしまう。
私はその間にバウスプリットの先端へと駆け上がり、アナニエフに向かい叫ぶ。
「やい木偶の坊!! 今度こそ決着をつけてやる、また錨を投げてみろ!」
―― ドン!
私はそう叫んで、片手で持った銃の引き金を雑に引く。銃口は跳ね上がり弾は明後日の方へ飛ぶ。それでも、アナニエフを乗せたボートの漕ぎ手達は首を縮めた。
「上等だクソガキャアア!!」
「だ、だめです親分!」
アナニエフはボートに乗っていた錨を握り、大きく振りかぶってこちらに投げつけて来る!
「注意ー!!」
私は甲板へと叫ぶ。ボートからの距離は30mはあるのでは……しかし飛来した錨はシーオッタ号を飛び越え……!
―― ドボーン!!
右舷の波除板の外に落ちた! 本当に投げた!
「ロープ掴めー!!」
私は甲板に戻りながら叫ぶが、それはもうカイヴアーンがやっていた。
「グワァハハハ! これで貴様も終わりだゴルァァア!!」
ギョロ目の大男はその目を剥いて笑いながら、ロープを手繰り寄せる。向こうのボートの乗組員達は青ざめ、それを止めようとする。
「親分! やめてくれ!」「落ち着いてくれ、それは駄目だ!」
「うるせえクソ役立たず共がァァアア! さっさと漕ぎやがれェェ!!」
アナニエフは味方を蹴りつけ、なおもロープを手繰る。アナニエフのボートと、それに船首を向けたシーオッタ号が一気に近づいて行く。
「エッベ面舵5分、ヨーナスはヤードをスクエアに、漕手は今踏ん張れ!! 大砲はまだ出すな!」
私は最後まで何が起きても対応出来るよう、船首でマスケット銃を正しく構えて狙いをつける。
「フレデリク。君がブラスデンに来襲したストーク海賊の頭目でなくて良かった」
その時。ルードルフが私の横に来てそう呟く。私は思わず顔を上げルードルフを見る。
「どういう意味だよ、それ」
「どうって、そのままの意味だろう」
「船長!! 目を離すなよ!」
カイヴァーンはアナニエフが投げた錨を手繰りよせて握っていた。向こうのボートの上も揉めている。
「グワァハハハ! その首を頭から捩じり切ってやるわ!!」
「親分、頼むからロープを放してくれーッ!」
残り5mまでボートが迫った所で、カイヴァーンはアナニエフが投げて来ていた錨をそのボートの上へ、叩きつけるように投げ返す。
「おい。何でだよ」
アナニエフは目を丸くしてこちらを見上げる……さすがの大男もボートの上では、甲板に居るこちらより目線が低い。私は船首の波除板から飛び退く。
急旋回したシーオッタ号はアナニエフが乗ったボートの方へ真っ直ぐ向かい、アナニエフは逃げるどころかロープまで投げて寄越した……あの大男、どこかで頭でも打っておかしくなっていたのだろうか。
―― メキベリベリバキバキ!!
「うわああああああ!」
粉砕音、水音……シーオッタ号の船首から嫌な音が響く……強襲任務用に建造されたシーオッタ号の船首喫水線下には衝角が設けられていて、体当たり攻撃の時に威力を発揮するようになっている……まあ、そんなのか無くても、このスピードで体当たりすればボートは無事では済まないとは思う。