ヨーナス「ルードルフさん、漕がせる漕ぎ手の数を変えると曲がれるんだよ」ルードルフ「なんと!? そういう事かヨーナス殿!」
だいぶ以前、不精ひげが言っておりました。
「うーん、出来れば船長も引っ込めておきたいけど、言ったって大人しく引っ込まないだろ、この船長。ウロチョロされるくらいなら見える所に居て欲しいし」
アイリはマリーを戦場から遠ざけるべきだと考えていましたが、不精ひげは目に見える所に居てもらった方がマシだと考えていました。
「ひええっ! 何だあいつは!?」「早合使いだ、早過ぎる!」
船尾楼の天板や崩れた窓から銃を向けていた海賊共が、或いは尻餅をつき、或いは無駄撃ちしてしまった銃を放り出して後退する。
こちらが高い所に上がり、敵が窓から離れたので、部屋の中がはっきり見えるようになった。
そこはやはり船長室のようだが……床には大きな熊の毛皮が広げてあり、その上には立派な銀の燭台などが転がっている……私は妙な違和感を覚える。
このまま反撃を防ぎながらもう一度くらい大砲を撃ち込み、後はこの船を離れ他の船からも距離をとりつつ、相手の何隻かを引き付ける役割が出来ればいい。私はさっきまでそんな事を考えていたはずなのだが。
「カイヴァーン、船の指揮を頼む!」
私はそう叫んで跳ぶ。ヤードからバウスプリットへ、そこから一気に海を飛び越え、キャラック船の船尾楼へ乗り込む。
「嫌だ、今日は絶対船長について行く!!」
カイヴァーンは古いヴァイキング風の大盾と大剣を手に、バウスプリットを駆け上り跳躍して、私のすぐ後に船尾楼に飛び込んで来る。まるで船酔い知らずの魔法がかかっているかのような身の軽さだ。
広々としたキャラック船の船長室はクロス張りの壁を持つ、貴族の屋敷のような造りの部屋だった。とても漁船団の親分の部屋とは思えない……私は船を間違えたのだろうか。白塗りのタンスに鏡台付きドレッサー……ベッドなどレースの天蓋が掛かっている。これではまるで姫君の部屋だ。
しかしそんな豪勢な部屋は二発の砲弾とそれに破壊され飛び散った木片やガラス片で滅茶苦茶になっていた。
部屋の向こう側の壁には大穴が二つ開いている。砲弾はあの壁も貫通し甲板に飛び出したらしい。
扉も開いている。扉からは先程逃げ出した海賊達が出て行く代わりに、新手が押し入ろうとして来た。
「野郎、飛び込んで来たぞ!」「くそっ、チビが二人だ潰せ!」
私は膝をついて銃をしっかりと構え、確実に敵を撃とうとしたが。
「俺が行くから!!」
私が撃つより早くカイヴァーンが一気に前に飛び出し、扉から突入して来ようとしていた海賊達を立て続けに盾で跳ね飛ばし、剣で薙ぎ払う。
「ぐわッ!」「ひいっ!? このチビ共化け物か!?」「い、一旦下がれぇ!」
ある者は出会い頭に跳ね飛ばされ、ある者は一撃でカトラスをもぎ飛ばされ。飛び込んで来た海賊達は慌てて出て行く。
やっぱりカイヴァーンは強い。だけどカイヴァーンだって銃で撃たれれば怪我をするし、当たり所が悪ければ命を落とすかもしれない。
私はもう黙って見ているのは嫌だ。少しでも早くこの戦いを終わらせて、皆を安全にする為に役立ちたい。
「アナニエフ! そこに居るのか! 僕はフレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト、フルベンゲンもマリーもお前の好きにはさせない、男なら前に出て来い、潔く僕と勝負しろ!!」
そんな事を考えてしまったフレデリクは、またしてもその場の雰囲気と高揚感に飲み込まれ、とんでもない事を言い出した。
「フ……フハハハ、笑わすなクソチビ!」「てめえらなんか嬲り殺しだ!」
「気でも触れてんのか!」「甘ったれんじゃねえ貴族のクソガキが!」
砲弾が開けた穴に向かい物陰からそう叫ぶ私に、外の海賊達は罵声と嘲笑を浴びせる。
そう言えば、相手がアナニエフ一家を名乗ってるからって頭目の名前がアナニエフだとは限らないよなあ。
海賊達の言葉はストーク語が二割、解らない言語が八割という所だ。海賊達が何と言って私を馬鹿にしているのかあまりよく解らない。
私がそんな事を考えていた、次の瞬間。
「てめえら何タラタラやってんだゴラァァァ!!」
「ぎャッ!?」「ぐわぁッ!」
外で一際危険そうな、猛獣の咆哮のような声と、何かを叩きつけるような音と、短い悲鳴が上がった。
「さっさと向こうへ行って敵の砲手共をぶち殺せと言ったろうがァァ!? 何逃げて来てんだクソがァァ!!」
私は大砲が開けた穴の下に屈んでいるので外の様子は見えない。カイヴァーンも扉の脇に屈んでいる。
そして辺りが一旦、静かになった後。
「マリーをどうしたって……? 男同士、しなきゃならねえ話があるようだなァ」
先程まで私の知らない言葉で吠えていた猛獣が、ストーク語でそう呼び掛けて来た。
私はカイヴァーンと目線を合わせる。カイヴァーンは海賊達の言葉がどれも分からないのだと思う。その上でカイヴァーンは恐らく戦士としての勘で感じ取った事をアイビス語で言葉にしてくれた。
「船長、やべえぞあれ、桁外れに強い奴だ」
「どうした! てめえが出ろって言ったんだろがァァ!! 俺は出て来たんだからてめえも出ろこの野郎ォォ!!」
この壁の向こうに、この海賊艦隊の頭目と思しき男が居るようだ。
私は名乗りを上げ、頭目に出て来いと言った。何故ならもしかしたらその頭目をどうにかすればこの海戦は終わるんじゃないかと思ったので……そして、その頭目が本当に出て来たらしい。
本当に出て来たならどうすればいいのか。私は自分が持ち掛けた通り、その頭目と正々堂々勝負するのか。
私は帽子を取ってマスケット銃の銃口に被せ、そっと壁の穴から覗かせてみる。
―― ドン! ドドン! ドン! ドン!
ヒエエッ!? どこが正々堂々だよ! 海賊共は普通に帽子目掛けで銃を撃って来た。ああっ、お気に入りの羽根飾りが……
だけど向こうがそういう態度なら、決闘より飛び道具だというならこちらも遠慮は要らない。私とカイヴァーンはだいぶ時間を稼いだのではないか。
私は傷ついた帽子を被りなおし、背後のガリオット船の方にアイビス語で叫ぶ。
「準備が済んだら舵を狙って新鮮なうちに料理しろ!」
撃て、という単語は何語で言ってもばれそうなので避けた。後はアイビス語の堪能なルードルフが皆に伝えてくれるはず。その間はどうしよう、何とかここを抑えきって……
―― ド ド ドドン!!
ぎゃあああ!? シーオッタ号がもう撃った! いくらルードルフが伝えたからって少しは躊躇してよ、私とカイヴァーンも乗ってるんだよ!?
「うわああ!?」「奴らまた撃ちやがった!?」
外もパニックだ。船体も多分相当揺れている……私は船酔い知らずだから解らないが……あれ? 船長室の床に転がっていた燭台が私の方に転がって来る……
「舵軸に当たったぞ、これ」
カイヴァーンが真顔でそう言った。ふと見れば、破壊された船尾楼の窓の向こうの水平線が傾いて見える……
「シーオッタ号のバウスプリットが見えないな」
私も真顔で答えた。
カイヴァーンは手早く半開きになっていた船長室の扉を蹴り閉める。私は扉の小さな閂を掛ける。こんなもので持ち堪えられるのだろうか。
シーオッタ号の二度目の斉射はこのキャラック船の舵を後ろから破壊した。それは目論見通りで結構なのだが、壊れた舵が何かの按配で、効かなくなるのではなく、効き過ぎた状態で固まってしまったらしい。
さらに浸水が酷くなりバランスが崩れたのか、裏を打っていた帆に風が当たりだしたのか……船体が大きく左に傾いたのだ。
「これで十分だ、撤退しよう」
このキャラック船は暫く行動出来ず、艦隊戦には加われないだろう。私とカイヴァーンは壊れた船尾窓の方に駆け寄る。
しかし、シーオッタ号のバウスプリットの先端は既に15mぐらい離れていた。そしてキャラック船は急旋回に入っていて、先程までの真後ろにピッタリとつけた態勢も崩れてしまっていた。
「船長ー! 大丈夫なのー!?」「俺達、どうすればいいー!?」
エッベとヨーナスが船首で叫んでいる。その後ろではルードルフを始めとする大人達が、何とか船を制御してもう一度バウスプリットをこちらに近づけようとしてあたふたしている……
大人達は皆少しずつ漕走船に乗った経験があるらしいが、漕走船の指揮を執った経験があるのはカイヴァーンだけである。
「カイヴァーン、彼らにここから指示出来ないか?」
「俺、スヴァーヌ語もストーク語も解らないよ……船長が訳してくれる?」
私とカイヴァーンが、そんな悠長な話をしていると。
―― バシャーン!! バタン!
背後で凄まじい物音がした。
私とカイヴァーンが振り返ると。船長室の扉は閂ごと粉砕され、廃材となって床に倒れていた。
その上に立ちはだかっていたのは。顔も腕も刺青だらけで、茫々(ぼうぼう)の長い髭には導火線を編み込み、筋骨隆々でとても怒りっぽそうな、身長2m50cmのギョロ目の大男だった。