フレデリク「尻の皮を剥かれたい奴は前に出ろ!」カイヴァーン「姉ちゃん意外と容赦ないよな」
マリー達がその後どうしたか? それは置いといて少し話が飛びます!
申し訳ありません!
この話は三人称でお願いいたします。
二本マストのピンネース型の帆船、バーグホンド号はレイガーラントで建造された快速の小型商船だったが、紆余曲折を経て堅気の商社の手を離れ、私掠船崩れの海賊の手に渡っていた。
バーグホンド号は数年前まで国家の後ろ盾を得て敵対勢力の商船を堂々と襲う事、私掠行為で生計を立てていた。しかし戦争が終わると私掠免許は失効し、彼らはその糧を失った。
その後はけちな恐喝だの護衛の押し売りだのでちまちまと稼いではいたが、実入りは乏しくどうにも面白くはない。そこに降って湧いたのが今回の大掛かりな襲撃への誘いだった。
極北の港町フルベンゲンは貧しく慎ましやかなふりをしているが、本当は様々な資源採掘や特産品開発に成功し、たんまり儲けていると。その一方、凋落したスヴァーヌ海軍にはこの地に艦艇を回す余力はなく、同盟国であるレイヴンもたいした戦力を割けない状態であると。
襲撃の発起人はアナニエフ一家で準備は数か月前から行われて来た。バーグホンド号の他にも大小5隻の武装商船や私掠船崩れの海賊が、海の裏社会の呼び掛けに応じこの極夜の海を訪れていた。これにアナニエフ一家の中型キャラック船4隻と小型船4隻を加えた計14隻が、フルベンゲン襲撃の全戦力だ。
「これだけの戦力で襲撃するんだ、ひとたまりも無ェだろうな」
「へへ、町ごとぶっ潰すなんて初めてだ」
「やりたい放題、何をしてもいいってのは気持ちいいだろうなあ。酒を飲んでも飯を食っても、金なんて払わなくていいんだろう?」
「そりゃあそうだろうけど、なんか小せえなテメェの夢は」
バーグホンド号の甲板やマストの上では、海賊達がうきうきと働いていた。
皆、つい数時間前までは不平不満しか言っていなかった。この海は寒いし太陽も登らない、沿岸は枯れ野ばかりで人里もなく、何の楽しみも無かったのだ。
しかし今朝。ようやくアナニエフ一家の頭目は襲撃を決断した。極夜でも空が明るくなる数時間を利用し、一気に押し寄せて制圧してしまおうと。
男達は喜びに震えていた。味方は十分に多く、フルベンゲンの守りは脆弱だ。勝利は約束されたようなものである。
「おい、もっと急ごうぜ、後から着いたんじゃ美味しい獲物は皆他の奴に取られた後なんて事になっちまうぞ!」
「まあそう焦るな……」
バーグホンド号の船尾楼の下からこの船の船長、ネイホフが現れ辺りを見渡す。
「お前らの言う通りフルベンゲンにはたいした戦力は無いが、人間、破れかぶれになったら何をするか分からないからな。命懸けで反抗して来る奴だって居るだろうし、一番最初に行くのはあんまり利口なやり方じゃねえぜ」
「でも船長、アナニエフは町に山側から放火隊を向かわせたって」
「ああ、首尾よく潜り込んだって狼煙の知らせがあったとよ」
「だったら! 早く行かねえと!」
「お前らには黙っていたけどな。フルベンゲンには今、他の外国船が二、三隻来てるらしい……うち一隻はレイヴン海軍の艦だそうだ」
「えっ……」
船長を急かそうとしていた水兵達の顔色が変わる。彼らはレイヴン海軍の軍艦の恐ろしさを良く知っていた。
「幸い、そんなに大きな艦ではないらしいがな。一番に行った船はそいつと戦う事になるかもしれねえ。俺としては出来ればそういうのは避けたい」
バーグホンド号を含めた14隻の海賊の船団は程よく行き足を揃えながらフルベンゲンを目指し、夜の闇から僅かに色付き始めたフィヨルドの海を航行して行く。
船団の先頭を行くのはメンマストの高い位置に大きな見張り台をつけられたアナニエフ一家のカラベル船で、普段は魚群を探す役割を担っている船だった。
その船の見張り台がまさに今、色めき立つ。
―― カーン! カカン…… カーン! カカン……
見張り台の水夫達が鳴らした鐘の音は、南側から一隻の船が近づいている事を知らせていた。
それから間もなく。船団の他の船からも、その船は見えるようになった。島影を回って現れたのは、奇妙な三角帆を掲げたコルベット艦だった。
カラベル船とそのコルベット艦の距離は1.5km程。コルベット艦は島影で待ち伏せをしていたのだ。そのメインマストには凄い勢いでレイヴン王国海軍の軍旗が掲揚されて行く。
そして。
―― ドォォン!
コルベット艦の艦首付近で、炎と光がきらめき、少し遅れて轟音が轟く。
各船の海賊達は勿論色めき立ち、罵声を上げた。
いくらレイヴン海軍とはいえ、あんな小船一隻でこちらの艦隊に逆らおうと言うのか。
しかもそのコルベット艦は戦う前からボロボロらしい。掲げている蟹の爪型の帆は正規品では無いだろう。艦首や舷側のあちこちには応急補修をした跡もある。
コルベット艦の艦首砲から放たれた砲弾はカラベル船から30m程離れた水面に着弾し、水柱を上げた。
「他に伏兵でも居るってのか……」
ネイホフ船長が呟いた、その時。
「甲板! 東からも一隻、岬を回って来るぜ!」
見張りの水夫が叫ぶ……果たして。ガフセイルとジブセイル一枚ずつ、コルベット艦とあまり変わらない大きさの船が一隻、フルベンゲンの方角から島影を越えて現れる。
ネイホフ船長は水夫から受け取った望遠鏡を覗き、歯を剥いて笑うと、皆に聞こえるように言った。
「ありゃあ商船だ、こんな季節に何でこんな所に迷い込んだんだか……あれはいい船だ、町を襲うのもいいが、あの船をいただくってのも悪く無ェな」
これには数人の水兵が不服の声を上げる。
「せっかく町を襲うチャンスだってのに、何だって船なんか襲うんだよ」
「それに武装商船だと厄介だぜ」
ネイホフ船長は望遠鏡を降ろし、得意げに続ける。
「他の船の連中も皆そう思ってるだろうな。だが俺はあの船をウインダムで見て覚えてるんだ、羨ましい船だと思ったからな。文句なしにいい材料を使った新造船できびきび動く、なのに乗組員は10人も居ねえ、おまけにそのうち一人は女ですげえ美人なんだよ」
バーグホンド号の乗組員達は呆れ、下品に笑う。
「美人が乗ってるって、そんなもん船長が自分の物にしちまうだけだろ」
「何で俺達がその為に、町の略奪を我慢すんだよ」
「まあ、まあ……町を略奪したからって必ず美味しい思いを出来るかどうかは解らないぜ? 他の奴等と競争なんだから。それよりあの船の実情を知ってるのは多分俺達だけだ、俺達があの船を襲ったって、他の船は見向きもしねえだろうよ。それならあっちのレイヴンの軍艦と戦わされる事にもならないだろうしな」
急ごしらえの海賊達の船団は現在は事前の約束通り、隊列を組んで進んでいた。
アナニエフ一家のカラベル船を先導に、二列目には多くの漕ぎ手を揃えたガレー船二隻が並び、バーグホンド号など私掠船隊は三列目に居て、その後ろに本隊のキャラック船四隻、最後方には先に放火隊を輸送しに行っていた二本マストの小型のガリオット船が居る。
そして三列目では一番東寄りに居たバーグホンド号があの商船に対応する事は、理に適っているようにも見える。
「な? 帆に天秤の模様をつけた、あの商船を襲おうじゃないか。金貨は山分けにするからよ」
バーグホンド号の海賊達は顔を見合わせる。ひそひそと話し合う者も居る。やがて。
「そうだな、いいんじゃねえか」「金貨は山分けって本当だな?」
「あの天秤の船をいただくとすっか」「あれならまあ、楽そうだしな」
乗組員たちの気持ちも概ね船長の提案通りに固まって行く。操舵手も頷き、船長の指示を待つ。その時。
「ひ、ひひひ……ヒィッヒッヒッヒ……」
一人の男が、震えるような、恨めしいような、薄気味の悪い声で笑い出した。
「ヒヒ、ヒヒヒ……あんまり笑わせんな……はあ……海賊だから学問に興味が無ェのか、学が無ェから海賊にしかなれなかったのか知らねえが……これだから下品なクズ共は……ヒヒッ、イヒヒヒヒ……」
それは後部甲板で操帆をしていた、ごく最近この船に加わった背の低い中年の水夫だった。
「な……何をこの野郎!」
別の水夫数人がいきり立つが、その背の低い水夫にギロリと睨まれると、皆足をすくめて立ち止まる。この新入りは見た目に寄らず恐ろしく屈強で残忍なのだ。以前この男を袋叩きにしようとした四人組の荒れくれは逆にこの男に腕だの足だのをへし折られ、泣きながら船を降りて行った。
「待て、お前ら」
船長のネイホフは軽く首を振って周囲を制してから、その男に真っ直ぐ向き直る。
「新入り。どうもお前はただの水夫じゃ無ェような気がしてたんだ……何か知ってるなら教えてくれよ」
ネイホフは確かに学の無い男だったが、決して勢いだけで生きて来た男ではなかった。むしろその性分は慎重で、他人の言葉を疎かにしない男だった。
小柄な男は、慟哭するように言葉を吐き出す。
「天秤だから大人しい商船だ? とんでもねぇ……いいか? あの天秤に載せられるのは金貨なんかじゃねえ。人の業だよ」
「……どういう事だ?」
「……あれはな、『審判』を表しているんだ」
俯いていた小柄な男が顔を上げる。その表情には笑みが浮かんではいたが……それはまるで恐ろしい怨霊のそれであるかのように、見る者全てを凍りつかせるような恐怖と狂気で歪んでいた。
「あれは人の罪と業を計る最後の審判の天秤よ、あれが見えた時にはもう手遅れ、人はそれまでの行いを振り返り覚悟を決めなきゃならねえ。もしお前らが善行を積み上げて来たなら何の問題も無いぜ……天国はその門を開くだろう。だが罪の重さであの天秤が僅かでも傾くなら……地獄行きだ!!」
男は最後の言葉と共に立ち上がり絶叫した。
甲板に居る者全て、いやバーグホンド号の乗組員の全てがこの小柄な水夫を注視していた。ある者は怒り、ある者は震え。嘲笑おうとする者も居ないではないが、男のあまりの剣幕に押されそう出来ずに居た。
「荒唐無稽な夢物語だと思うか。いい歳して見習い水夫としてゴミ溜めみたいな船に乗り込む、負け犬の妄言だと思うか。そうさ俺は負け犬だ……だがこれでも一時は俺だけの王国を所有していたんだぜ、あの天秤を見るまではな……」
男はそう言って、酷く肩を落とし俯いて甲板に座り込む。
「俺の物言いにむかついたか? 殺すんなら殺しやがれ、どうせお前らも地獄行き、行きつく先は一緒よ……」
甲板の空気が凍りつく。
たった一人の新入り水夫の言葉が、勝利を確信し浮かれきっていた船内の空気を変えてしまった。この男の言葉には異常な説得力があった。
そんな中。そこまでこの浮かれ騒ぎにも参加せず、隅の方で黙って汚れた手桶を木のへらで磨いていた酷く腰の曲がった年老いた水夫が小柄な男の前に進み出た。
「あんた……ゲスピノッサじゃろ? ワシは前からそう思ってたんじゃ」
ゲスピノッサと呼ばれた男は顔を上げ、かすかに頷いた。
「ゲスピノッサだって!?」「有名な賞金首だろ」
「逮捕されたって聞いたぞ……」「嘘だろ、偽者だ」
海賊達がざわめく。
老水夫は。他の海賊達に馬鹿にされいじめられ、いつも汚い仕事ばかりさせられていた老水夫は、ゲスピノッサの近くに歩み寄り、辺りを見渡して声を張る。
「青二才共め! 貴様らには人を見る目は無いのか! この人は本物のゲスピノッサじゃ! コルジアやアイビスの海軍を返り討ちにし、南大陸に悪の王国を築いていた悪の英雄、ゲスピノッサに間違い無い!」
海賊達の間に動揺が走る。
実際の所、多くの者がこの男がゲスピノッサであるという事に納得していた。武勇に優れ残忍で教養も説得力もあるこの男は、現在のこの船のリーダーであるネイホフの資質を大幅に上回っていると、多くの男達が感じていた。
多くの海賊達は海軍と比べるとずっと民主的である。全体の意見は現リーダーの意見より尊重される。その事は他ならぬ現船長、ネイホフが一番よく解っていた。
「本当なのか? いや……俺は本当だと思う。教えてくれ。俺達はどうするのが一番いいんだ?」
ネイホフはゲスピノッサの前に進み出てそう言った。
ゲスピノッサは驚いて顔を上げる。こんな反応は予想していなかった。ネイホフだけでなく周りの水夫達も、自分の次の言葉を待っているのだ。こんな事を言い出した自分は私刑を受け海に投げ込まれると思っていたのに。
ゲスピノッサは、このチャンスに賭ける事にした。彼は顔を上げ、立ち上がって叫ぶ。
「今ならまだ間に合う! 帆を張り増して全速であのレイヴンの軍艦に突っ込め!」
「は……はああ!? いくらなんでもそれは自殺行為じゃねえのか!?」
ゲスピノッサの叫びにたちまち水夫の一人が呼応する。確かにそれは誰の耳にも自殺行為であるかのように聞こえた。しかし。
「あの天秤の船はそこまで恐ろしい奴だと。だけどあんたの言う通りにすれば上手く切り抜けられる可能性があると、悪の英雄ゲスピノッサはそう言うんだな?」
ネイホフは真面目な顔で、ゲスピノッサにそう言った。
「そうだ。俺はゲスピノッサだ、偽名で船に乗り込んで悪かった。だけど俺も出来ればまだ死にたくないしこれからもこの船で商売がしたい。どうか聞き届けちゃくれないか」
ゲスピノッサはあまり期待せずにネイホフにそう言った。
ネイホフは答える。
「解った! 皆、俺は船長を辞める! 後任はこのゲスピノッサ、賞金8,000枚の大物だ! 異存は無いな!? ゲスピノッサ船長、指令台に立ち号令してくれ!」