リゲル「勘弁して下さいよ船長、何で俺が」ファウスト「ファイルーズの借りです、仕方ないでしょう」
マカーティとファウストとの三者会談……一方は天敵のはずのレイヴン海軍の艦長、もう一方は海賊で大賞金首、場所は極夜の只中の極北の港町フルベンゲン……マリーは思った。私こんな所で何してるんだろう。
「そういう訳で、マカーティに力を貸す事になりました。誠に申し訳ありません」
私はこの前毛織物の即売に使わせて貰った倉庫で、帽子とマスクをとってマリーに戻り土下座をしていた。
ここに居るのは不精ひげとあの兄弟を除くフォルコン号の面々だけだ。こういう姿はあまり多くの人に見せたくないものである。
アレクがまず振り返りアイリさんを見る。ロイ爺は横目でちらりと。ウラドも俯くふりをして視界の隅でちらりと。ぶち君などはわざわざアイリさんの正面へ歩いて行ってその顔を見上げる……
カイヴァーンだけはアイリの方を見なかった。
「何で土下座なんだよ姉ちゃん、そういう事なら俺達にも出来る事があるって話なんだろ。この町の人達には色々世話になったし、ヨーナスとエッベの故郷でもあるんだ、見捨てる訳に行かないじゃないか」
私は立ち上がり、アイマスクをつけなおし、帽子を被る。ありがとうカイヴァーン。
だけど問題はアイリだ……倉庫の壁にもたれ、腕組みをして俯いているアイリさん。その表情は垂れ下がる髪に隠れて見えない……怖い……
「マリーちゃん」
アイリさんが壁際を離れ、つかつかと歩み寄って来る。ゆるいウェーヴのかかった亜麻色の髪が揺れ、その間から瞳が覗く……怒ってる。かなり怒ってる。怖い。
「フォルコン号が戦わなくてはいけないという理由は解ったわ。だけど貴女とカイヴァーンは今回はフォルコン号を降りなさい」
アイリさんは私の目の前まで来てそう言った。硬直する私に代わり、一歩前に出て叫んだのはカイヴァーンだった。
「何でだよ!? 俺も姉ちゃんも十分戦力になるだろ!? 何で仲間外れにするんだよ!」
「貴方が強いのは知ってるわよ! だけど今までと違うの、これから起こる事は普通に戦争なのよ、そして今回は、今なら貴方達を止められるの、航海中に海賊に出会ったのとは違うんだから……戦争なんて大人がやればいいのよ!!」
アイリが、本気で怒っている……涙で声を詰まらせながら……このお姉さんもかなり涙もろいのだ。カイヴァーンも反論出来ずに一歩後ずさり、私とアイリを何度も見比べている。
アイリさんの言っている事も解る。
海で海賊に遭遇した時は、みんなで戦うしかない。カイヴァーンが戦うのを止める理由は無い。負ける訳にはいかないのだから。
そしてカイヴァーンは実際強い。小さな体に秘めた動物的なパワーに加え、相手の動きをしっかり見て反応出来る神経を持った船で一番の戦士だ。
そんなカイヴァーンは私達と出会う前は、海賊達によって化け物か猛獣の類いとして扱われていたらしい。
勿論、私以外のフォルコン号の人々は、そんなカイヴァーンを決して獣のように扱ったりはしない。皆年下の兄弟として扱う……弱っていれば労るし、無茶をすれば諌める。
だけど私はいつもカイヴァーンの強さに甘えてしまう。
奴隷商人ゲスピノッサとの戦いの時……あの時もカイヴァーンの活躍は目覚ましかったが、戦いの途中でカイヴァーンは敵の狙撃手に撃たれて負傷した。
不幸中の幸いにそれは深手ではなかったが、私だってあれを見た時は生きた心地がしなかった。鉄砲の弾というのは心臓にでも当たればどんな豪傑をも殺してしまうのだ。
私が船を降りる事は、カイヴァーンやヨーナス、エッベを船から降ろす理由にもなるのね。
だけ……ど本当にそれでいいのかなあ。マカーティに協力する事を決めたのは私なのに、その私が戦いを避け船を降りるなんて。
優柔不断な私は、うじうじと悩む。
「船長、わしもアイリさんに賛成じゃ。他の船から砲手を借りて砲撃戦をするなら、船長やカイヴァーンが乗ってなくてもあまり変わりはないと思う……その……」
そこへロイ爺が、遠慮がちに口を開く。
「薄々気づいているのじゃろう? 不精ひげが元海軍だと。他の船と連携して大砲で戦うなら、あの男に指揮を執らせたらいいと思う。砲撃戦だの艦隊機動だのというのは本来は軍人の専門分野じゃ」
「不精ひげってマリーが居ると何でもマリーの言う通りにしようとするんだよね……あれは何故なんだろう。だけどマリーが居なかったら、仕方なく自分の勘や経験に頼るかもしれないよ」
アレクもロイ爺に同意らしい。何だか雲行きが怪しくなって来た。私はとうとう、フォルコン号の船長をクビになるのだろうか。
「ウラドはどうなの」
アイリが、沈黙を守るウラドに問い掛ける。ウラドはやはり腕組みをして俯いていた。
「何とか言ってよ、私に賛成でしょう? 貴方も船長のお転婆には心を痛めてるはずだわ、そうよね? カイヴァーンだって心配でしょう? フォルコン号が戦わなきゃならないのは解るけど、子供を戦わせるのは避けるべきでしょ?」
「う……うむ……私も概ねアイリに賛成なのだが……」
さすがはウラドである。何か引っかかってるのね。そう。
カイヴァーンは基本的に私と同じくらいアイリさんに弱い。だけど頑張ってもう一度前に出て来た。
「ウラドの兄貴まで……待ってくれよ、フォルコン号の船長は誰なんだよ、姉ちゃんが決めた事に皆が従うのが」
「待ってくれ、カイヴァーン」
覚悟を決めた私は、フレデリクに戻った声でそう言って、アイリとカイヴァーンの間に割って入る。
「ロイ爺やアレクの言う通りかもしれない。でもその前に一つ……いいのかロイ爺、僕が居ない場合のフォルコン号の船長は君だと思ってたんだけど」
「む……ふはは、そう言われると未練があるのう……いやいや冗談じゃ、軍艦の指揮なんか真っ平じゃよ、わしは喜んで不精ひげの配下になるとも」
「あはは……」「ふふ……」
ロイ爺が、アレクが笑う。私も笑う……アイリさんは笑ってないけれど、少しはホッとしてもらえただろうか。
「解った。僕とカイヴァーンは今回はフォルコン号を降りよう」
「姉ちゃん!? 本気で言ってるのか!?」
「考えてみれは、これから戦争に行くっていうならヨーナスとエッベも連れて行けないじゃないか。あいつらはもうパウダーモンキーなんかじゃない……アイリさんも降りるよね?」
まあ、戦争嫌いのアイリさんが船に残る理由は無いよね……だけどアイリは申し訳なさそうな顔をして言う。
「ごめんなさい……船長、私は船に残して。私、船長をただ船から降ろして満足したくないし、マリーちゃんの代わりに船と仲間達を守りたいの。フォルコン号を必ず船長の……マリーちゃんの手に返すから。その為に今回は嫌いな魔法も使うわ! だから私は船に残して下さい! フレデリク船長、御願いします!」
そう言って背筋を伸ばすアイリさん……そんな事をされると余計心配になっちゃうなあ。やっぱり全部やめて皆で逃げようかなあ。
私はマリーの地声で応える。
「アイリさんこそ海賊にだって巨大タコにだって突撃して行くじゃないですか。私なんかよりよっぽど無鉄砲ですよ……絶対、無茶な事はしないで下さいよ?」
「わかりました! 無茶はしません!」
「本当ですよ? うそついたら針千本ですよ?」
私はさりげなく、将来自分が許される為の布石を打つ……いや、だからってアイリさんに無茶をして欲しい訳ではないけれど。
「それから……不精ひげについては本人がどうしても嫌だって言ったら、無理強いはしないであげて下さい。本人があれだけ隠してるからには、それなりの理由があると思うんですよ」
◇◇◇
フォルコン号の面々は早速船に戻って行った。これから皆で不精ひげの説得に当たるという。
私はカイヴァーンと、何故か残ったぶち君を連れて、ハイディーンとルードルフを探しに行く。
そう言えばボリスさんも居なかったな……ホールにも広場にも。皆どこかで一緒に居るのだろうか。
自宅にも居ない、作業場にも居ないハイディーン……そろそろ時間が惜しくなって来たと私が思い始めた頃、三人は村の外から犬ぞりに分乗して帰って来た。
「ハイディーン! どこへ行ってたんだよ、緊急事態だぞ!」
「どうした? 町で何かあったのか?」
この三人なら聞かせてもいいだろう。私はマカーティが発見した物やアナニエフ一家による襲撃の可能性、マカーティとロビンクラフト、それにフォルコン号が連携して事態に当たろうとしている事を伝えた。
驚いたのはハイディーンである。
「何だって!? あの艦長、俺と会った時にはそんな事、一言も言って無かったぞ!!」
「ハイディーン、お前また古代の猟師の物真似か何かしてたんだろう……」
そう突っ込みを入れるボリスさんの表情を見るに、やはり身内でもあれには呆れている人も居るらしい。
「仕方ないじゃないか、レイヴンやストークの軍艦は一度寄港するごとに警備料を請求して来るし、その度まともに払ってたら俺達が干物になっちまう……だけど今度の奴は本当に俺達の為に働いてくれてたんだろ、何故それを言わないんだ!」
「マカーティは狼犬のような頑固者なんだよ。とにかく警戒を強めて、何かあったらすぐ知らせて欲しい、僕らも港に連絡係を置くから」
私がそう言っている間にも、二人の後ろに居たルードルフの表情が見る見る憂鬱に染まって行く。
「では吾輩は異国の町を守る為熱心に働いている若者に、酒臭い大言壮語を吐いてしまったのか。何という……何という不覚……」
萎れてしまうルードルフ。なんかこのお爺さん、ある意味カイヴァーンに似てるな。
「あ、あの……マカーティにも行儀の悪い所はあるから仕方ないんじゃないか、貴方がそこまで落ち込む事は」
「フレデリク! 君が居ない時の話なのだ……吾輩は酔っ払って彼に気安く声を掛けた上、勘気を起こして……そう言えばあの娘さんはどうしたのだろう」
ハイディーンが口を挟む。
「あの艦長がフレデリクと見間違えた女の子か? 確かに少し似てたけれど……巡礼者の誰かなのかな」
「あれはこの町の娘さんではないのか? ハイディーン殿をおじさんと呼んでいたが」
私はその現場に居合わせていたし、勿論何があったかも知っているのだが、ハイディーンもルードルフも、本当にその事に気付いていないらしい。
「そう、フレデリク、お前が居ない時にちょっとした騒ぎがあったんだ、あのレイヴンの艦長が港でルードルフを呼びに来た女の子を見て女装したお前だと言い出して、少し言い争いになったんだ……確かにフレデリクに似てたな、あの子」
「吾輩はそうは思わん。少しも似ていなかった。彼女は可憐な乙女であったが、フレデリクは見ての通りの豪傑ではないか。やはりあの若者の目がおかしいのだ」
何故私がこんな複雑な気持ちにならなければならないのか、それは解らないが、ルードルフは少し元気を取り戻したようである。
「ともかく我輩も協力させて貰おう。歳はとったが、海から来る敵を迎え撃つ戦なら数え切れぬ程の経験があるからな」