商船の水夫(仮)「あいつ、ここを自分の船だと思ってねえか……?」「我が物顔で現れるよな、いつも」
とうとうレイヴン海軍の艦長を海賊船サイクロプス号の甲板に連れて来てしまったマリー。
私はファウストに長引く鱈の不漁による治安の不安定化、実際に起きた最近の襲撃、そしてマカーティが発見したものと彼の懸念について説明した。
ホワイトアロー号の艦長室には丸テーブルが後から持ち込まれ、私達三人は等しく三等分したような配置で椅子を置き、それを囲んで座っていた。中央には私が持って来た地図の山が広げられている。
ファウストは片手で眼鏡を押さえ、軽く俯いていた。レンズにはランプの明かりがちょうど反射していて、その表情は伺い知れない。
静寂の中、マカーティがファウストに向かい、重い口を開く。
「なあ、お前はファ「戦士かと言うのなら違うかもしれないけど彼も出来る事ならフルベンゲンとそこに住む人々を出来れば助けたいと考えているに違いない、ロビンクラフトは」
私はマカーティの台詞に自分の台詞を大声で急いで被せる。幸いマカーティの声は普段よりだいぶ小さかった。
マカーティは眉間に皺を寄せて私を見て、テーブルの上の地図の山を探り何枚かを頂上に積みなおす。
「俺が野営跡を見たのはこの地点、北から南に向かって伸びる岬の先に近い場所だ。アナニエフ一家はここで南から来る海賊の援軍を待っていた可能性がある」
私はマスクの中でファウストに横目を向ける。ファウストも眼鏡の影でこちらに視線を向けていた。
艦長室にはランプが六個ぐらいあったが、点灯しているのは三個だけだった。外も殆ど真っ暗になりかかっているので、室内は結構暗い。
「はっきり言わせて貰うが、お前はイノ「猪の燻製を持って来たのを忘れてたよ! 珍しいだろうロビンクラフト、ちょっとつまんでみないか!? ああごめん猪じゃなく熊だった!」
私はまたマカーティの台詞を食い潰しながら、実際に土産に少し持って来ていた熊肉のスモークの包みを丸テーブルに広げる。私が寝ている間にアレクが作っていた物らしい。
「今そんな話してる場合じゃねえだろ」
マカーティが脂汗を垂らし歯軋りをしながら私を睨む。こんな男でも大賞金首のファウストを目の前にして緊張しているのか。それを私に邪魔されてかなり苛立っている。私もさすがに口をつぐむ。
「あの」
ここまで沈黙していたファウストが口を開いた。
「グランクヴィスト船長、貴方はレイヴン海軍……マカーティ艦長と共に、アナニエフ一家と戦うつもりなのですか?」
私は返事に詰まった。そうだ。
私はうっかりマカーティに土下座されてしまった。あれで私としてはマカーティに協力する事が決まったのだが。では私は海賊と戦うのか?
自分一人ならそう決めてもいい。だけどマカーティが欲しているのは私の協力ではない、フォルコン号の協力だ。
私にはフォルコン号を、戦争嫌いのアイリさんやウラド、優しいアレクやロイ爺を戦いに巻き込む覚悟があるのか。
「先に俺の話を聞け!」
マカーティは椅子から立ち上がる。私は一瞬彼は帰ってしまうのかと思ったがそうではなかった。マカーティは壁際に移動し、ランプの光に背を向けた。
「アナニエフ一家は中型船四隻を中心とした船団らしい、普段は漁業で生計を立てている連中だし重武装はしていない、問題は援軍だ。北洋にはレイヴンとクラッセの紛争が終わった後で、仕事にあぶれた私掠船がウヨウヨ居る。中にはアナニエフ一家の友達も居るだろう」
そこまで言ってマカーティは半ば振り返る。ランプの明かりが、暗闇の中にマカーティの半身の鬼面を映し出す。
「もうお前らが何者でもいい。知っている事を何でも教えて欲しい。頼む」
今度はフレデリクが立ち上がった。
「マイルズ、君はまだ疑っているのか、ロビンクラフトは海賊じゃないし僕だって君が言うような海賊じゃないんだ、本当に知らないよそんな」
その時だ。
「グランクヴィスト船長、貴方も中途半端な事をおっしゃるなら席を外していただけませんか」
ファウストが眼鏡を外し、そのレンズをハンカチで拭いながらそう言った。私は思わずファウストを見たが、その表情は前髪とランプの作る濃い陰影に隠れて伺う事が出来なかった。
私は……所詮臆病な小娘である。ファウストの本気を滲ませた静かな台詞は私を圧倒し、完全に沈黙させてしまった。
「マカーティ艦長。私が今回誰とも連携してないという事は神に誓いますよ……私がここでフォルコン号に出会ったのは偶然ですし、アナニエフ一家の事も寡聞にして存じ上げませんでした」
ファウストは眼鏡をかけ直す……私は席に座り、ただ圧倒されていた。
ファウストの変身は私のおもちゃのような変装とは訳が違った。
「私の今の希望は巡礼者を連れて新世界へ行く事です。レイヴンやコルジアの目を盗む為、真冬の北回り航路を通ってね」
そして椅子の上で背筋を伸ばしたその人物には先程までの腰の低い商船船長の顔はなく、それはもう大海賊、ファウスト・フラビオ・インセンツィだった。
「グランクヴィスト船長。貴方の船に貸した大砲、返していただけますか? マカーティ艦長。私も誰かにフルベンゲンを蹂躙されたりしたら困ります。彼等は私共の素性も勘繰らず大変親切にして下さったんです。時間が惜しいので腹を割って話しましょう」
マカーティはそれを聞き席に戻り、テーブルの上に身を乗り出す。ついでに私が出した熊肉の燻製を一切れ掴んで齧る。
「巡礼者の素性を聞かせてくれないか……嫌だったらいいが」
「巡礼者のリーダー、ラズニール修道士は教王からは破門され、レイヴンでも背教者扱いをされている。だから信仰の自由を求め新世界へ渡るのにも、私のような者の船に乗らないといけなかったんです」
「教王から破門されレイヴン教会からも排斥された連中か……俺は宗教論争には興味は無ェが、新世界に行くってんなら、黙って送り出してやりゃあいいのに」
ファウストも熊肉の燻製を一切れ取り、齧った。
二人が何を話しているのか私には良く解らないけれど、双方がこの緊急事態の認識を共有し、何らかの折り合いをつけようとしているのはちょっと解る。
「それで、何から始めるんです? 或いは私見を申し上げても?」
「ああ、頼む」
「ただちに町の人々にも協力を要請すべきです。貴方、そうしてないでしょう? 何故ですか? 彼等の町の防衛ですよ?」
「この賊は間違いなく海から来るんだ、奴等の海を守ってやるのは我が国王陛下がコモランの国王に約束した、俺の義務だ」
マカーティは真顔で答える。変な話だよね。ハイディーンには何も言わないで、私なんかには土下座して。
「……それにこの町の連中は決して油断はしていない。あいつらはこの町に至る水路や陸路を熟知していて、何がやって来ても早期に発見し対策を打てるよう、見張り小屋を整備しているようだ」
微かに俯くマカーティ。
何だかなあ。こんな事になる前は、用心棒代を誤魔化したくてあんな芝居までするハイディーンの気持ちも解ったのだ。
「ならば尚のこと、彼等の警戒システムの情報を貴方が利用出来るように話を通すべきでは?」
だけどクソ正直の狼ちゃんは熊男のそういう気持ちを真に受けていて、また自分の言動にも責任を持っていて……海賊が攻めて来るからお前達も戦えとは安易には口に出せないらしい。
私は勇気を奮い起こして口を開く。
「ハイディーンには僕が話すよ。町の見張り小屋の情報は何でもマイルズに伝えるようにと」
「ああ……そうして貰えると助かるな。うちにはホルンの名人が居て、あいつを陸に置いとけば俺が海に出ていても情報を伝える事は出来るんだ」
「覚えているよ、いい音色だった。落ち着いたら一度普通に演奏を聞かせてもらいたいものだな」
「情報はこちらの船長にも伝えるように言ってくれ……その……ファ「ファー! ミレドシファーミーレミー!! こうだったかな!?」
私は決死の思いでまたマカーティの台詞を喰い潰す。マカーティは眉間を顰めて軽く仰け反る。
ファウストはテーブルに両肘を突き、組み合わせた両手に顎を乗せたまま、重々しく口を開く。
「グランクヴィスト船長。貴方は船に戻って大砲を私の船に返す準備を始めて下さい。それとハイディーンへの連絡を御願い致します。後は私とマカーティ艦長でお話ししますので、どうぞお引き取りを」
人からどう見られようと私の中身は臆病な田舎のお針子娘で、知人からこんな事を言われたらたちまち涙が出るし、震えが来る。
だけどファウストは気を遣ってくれているのだ。私はレイヴン海軍の艦長を大海賊ファウストに会わせたというだけでも、十分大きな仕事をしたのだと。
実際ここから先は私に出来る事など無い。今から始まるかもしれないのは本物の戦いだ。私が成り行きと偶然で何とかして来たものとは違うのだろう。
ふと見れば、マカーティも私の方をちらりと一瞥しただけで、すぐにファウストの方に視線を戻した。
マカーティも私の船には乗組員が少ししか乗ってない事を知っている。私の船に大砲が増えていたトリックは今ファウストが明かした。
そうですか。マカーティももう私を戦力としては見ていないですか。
じゃあフォルコン号は、海賊が攻めて来るまではここに居て連絡係を務め、敵が来たら逃走させていただきましょうか。
「見損なうなよファウスト!! 僕はともかく、フォルコン号の乗組員はこの状況で自分達だけ逃げて満足するような連中じゃない!!」
フレデリクはテーブルを叩いて立ち上がっていた。全然音がしないのが恥ずかしい。あと私はたった今大変な失言をした。だけど今は止められない。
「フィヨルド海域で動くなら喫水が浅く小回りの効くフォルコン号の方が有利に決まっているだろう、それにあの大砲はくれるって言ったじゃないか、誰が返すか! マイルズ、お前もはっきり言えよ、黙って待ってないでこちらから敵を探しに行きたいんだろう!?」
マカーティはポカンと口を開けて私を見ていた。ファウストは眼鏡がずり落ちて瞳が見えていた。
私は冷や汗が吹き出すような心地で居た。どうしよう。どうすんの。開き直るか? いやだめだ。どんなに見苦しくても誤魔化すしかない。
「ロビンクラフト、掌砲手を貸してくれないか? 2、30人でいいんだけど……」
私は務めて平静に椅子に座り直しながらそう言った。
「おいどうすんだファウスト」
たちまちマカーティがそう言ってファウストを見る。
「ファー!! 違うファウストじゃないロビンクラフトだ!」
「もういいですよ……貴方ちょっとしつこいんじゃないですか」
「うるさい! しつこくない! この男はレイヴン商船ホワイトアロー号船長のロビンクラフトだ! 解ったかマイルズ!」
「いい加減にしろクソが! てめえこの状況でいつまでふざけてんだ!」
「ふざけてない!! ロビンクラフトったらロビンクラフトだ! いいからとっとと僕に命令しろ、さあ、どこの海域を哨戒すればいい!?」