アイリ「エールでも出せばいいのかしら」ロイ爺「いや……あの顔は紅茶じゃな」
思わぬルードルフの横槍と手助けで色々あったけど、どうにかその場を凌ぎきったマリー。
辺りの様子に警戒しながら、私はこっそりと氷の家の一つに戻る。
当たり前だけど中は寒い……だけど急がないと。私はもう一度根性を出して元のキャプテンマリーに着替える。
着替えを終えアイマスクをつけ帽子も被り氷の家を出ると。マカーティはちょうどボートの方に引き返そうとしていた。あれ……?
ハイディーンに見送られながら、マカーティと副長はボートで岸を離れて行く……いいの? もう帰ってくれるの? いや、それならそれで助かるんだけど、そんな事ってあるのかしら?
いや……ある訳ない。そんな簡単に都合よく終わる訳が無い。私はお姫マリーの服を入れた袋を抱え、雑木林の中を通ってフォルコン号の錨地へと全力で走る。
◇◇◇
フォルコン号の艦長室で、私は本を読んでいた。その扉を誰かがノックする。
「どうぞ」
私がそう答えると扉が開き……ロイ爺と客人が現れた。あれ。一人で来ましたね。
「船長、お客さんじゃ。ほれ、先日の巨大タコが現れた時の」
「ああ! マイルズじゃないか、はは、心配したんだぞ」
私は本を閉じて立ち上がり、両手を広げてみせる。マカーティは仏頂面で呟く。
「俺、お前にファーストネームなんか教えてたか……?」
「さあね、僕は人から聞いたのかもしれないな、君も僕をフレデリクと呼んでいいんだぞ。さあ狭い所だがどうぞ。何か飲むか?」
私は正直調子に乗っていた。マカーティが苦虫を噛み潰したような顔をしているからである。ざまぁ見ろ。
奴は集落の方向へ消えたはずの赤いワンピースの男が、港の真逆の方向に停泊しているフォルコン号の艦長室に今居るはずがないと思い、困惑しているらしい。
だけど船酔い知らずの魔法の服を着ている私は、雪深き雑木林の中を迂回してでも、普通の平地と同じ速さで走って移動出来るのだ。
マカーティはフォルコン号の艦長室の私の机の向かい側の、折り畳み椅子に座る。
「お前の船、前に見た時は大砲を積んでなかったよな……?」
「何を言ってるんだ、僕があのタコを大砲で撃ったのを忘れたのか?」
「そういう意味じゃねえ! 舷側に並んでるあの大砲だ! 前は無かっただろうがあんなもん!」
「マイルズ、近くに海賊が出たんだ。アナニエフ一家という名前を知っているか? 小規模な襲撃だが亡くなった人も居る」
フレデリク君の十八番、たまたま知っていた事をさも大事な事であるかのように言って聞かせる術は、今回もマカーティから絶句と唖然とした表情をいただく事が出来た。
「最近、鱈の群れが回って来なくなった事と関係があるのかな……海賊が凶暴化しているのは。君は何か知らないか」
「待て、質問するのは俺だ! どういう事だその海賊ってのは、詳しく話しやがれ」
「僕の知ってる範囲の事なら何でも話すとも。さっきも言った通り襲撃自体は小規模だった、十人くらいの集団と一隻のボートで農場を急襲して抵抗した人々を殺害し物資を略奪、反抗を防ぐ為子供を三人誘拐して逃げようとしたんだ……ああ、温かいお茶が来たぞ」
「俺には貴様なんぞと仲良く茶を啜る趣味は」
マカーティは悪態をつきながら半身を逸らして後ろを見るが、そこに立っていたのがアイリだと気づくとコロリと態度を変え、椅子から立ち上がって礼をする。
「ありがとうお嬢さん、午後の紅茶は私達レイヴン人の心のオアシスなんです」
「そうらしいですわね」
アイリはそれだけ言ってティーセットを執務机に置き、ポットのお茶をカップに注いで行く。
「海賊の話だったね。結論から言えば彼等は速やかに報いを受けた。これは大きな偶然だったんだけど」
「ああ、待てグランクヴィスト船長……紅茶の一口目を飲む時には仕事の話は無しだ……うん……素敵な香りだ……お嬢さん、この茶葉はどちらで」
まるで態度の変わってしまったマカーティがそう言って振り向いた時には、アイリは既にそこには居なかった。一部始終を見ていた私は密かに笑いを堪える。
こちらに向き直ったマカーティは元の短気で下品そうな顔の男に戻っていた。
「それでその海賊をお前が退治したと言うのか? ああ?」
「いいや? 聞いて驚くなよ、それが何と……ふっふ、この話はやめておこうか、君はどうせ信じないだろう」
私はそう言って横を向く。マカーティはそっとカップを置いてから立ち上がりかける。
「さっさと質問に答えろ!」
「ははは、答えてもいいけど君はきっとこう言う、ウソだ! と。何なら金貨一枚賭けるか?」
「銀貨一枚なら賭けてやるからとっとと言え!」
私は揉み手をして勿体振ってから、少し身を乗り出して小声で言う。
「本物の騎士が現れたのさ、こんな極夜の最中の北の大地に、偶然だぞ? まさに神のお導きだ。その騎士の名はルードルフ・ルッドマン! かつてのブラスデンの元帥さ。まあ僕らストーク人にとっては国王の親征軍を何度も打ち破った宿敵でもあるんだけれど、それも昔の話だ。退役した彼はたまたま騎士としてフルベンゲンを目指す巡礼の旅をしていたらしい。そんな英雄が偶然、誘拐した子供をボートで海へ連れ去ろうとした海賊達の前に現れたんだ」
私はついさっきマカーティ本人から初めて聞いた情報まで、さも自分だけが知ってる秘密の情報であるかのように演出してマカーティに告げた。
マカーティは口を半開きにして絶句していた。
「おや? ウソだと言わないのか? たかが銀貨一枚の為にそこまで我慢出来るのか、たいしたもんだな」
「うるせえ……俺は今猛烈に混乱している」
マカーティは執務机に片肘をつき、酷く俯いたまま紅茶をもう一口啜る。
今マカーティは何を考えているんだろう。勿論私は本当はマカーティが既にルードルフに会っているという事も、喧嘩になりかかったという事も知っている。
「君も彼に会いたいと思うだろう? 彼はまだフルベンゲンに居るんだ、何なら僕から紹介しようか? 君も巨大タコを退治した英雄だし、きっと話が合うだろう」
私は更に何も知らないふりをしてマカーティの神経を逆撫でしてやる。案の定マカーティは顔を紅潮させ跳ね起きて怒鳴る。
「やかましい! あんなのは船乗りの与太話だと思われて終わりだろうが! おいグランクヴィスト、お前もしかして歳の近い妹でも居るのか?」
妹……乙女小説の脇役のフレデリク君には居なかったな。ふふふ。
「突然何の話だよ……ああ、僕には三人の兄が居るけど姉妹は居ない。君が僕の家族に興味があるとは思わなかったぞ、それじゃあ話してあげるよ。僕の母ヨルディスは父の二番目の妻で」
「その話はもういい! それで海賊はルッドマンとその仲間が倒したというのか」
「彼はたった一人で旅をしていたんだよ、マイルズ。そして浜辺から逃げる寸前だった海賊達を討ち果たし、人質の子供達は無事農場に戻った」
マカーティはそこまで聞くと掌に顔を埋め、沈思黙考に沈む。
私は自分のマスクの中の悪魔に軽く戦慄していた。気持ち良いくらい手玉に取ってやったわね。
さて……これからどうなるのか。大砲の事はまだ何も説明してないけどいいのかしら? もっと根掘り葉掘りしつこく聞かれると思ってたのに。
それにホワイトアロー号の事は私と関係があるとは思っていないの?
まあ実際関係無いんだけど。今あの船がここに居る事と私には何の関わりもない。私はただちょっと昔、あの船に乗って一緒にランベロウを誘拐しに行っただけなのだ。その後でファイルーズ港を世話して今日は大砲を預かっただけなのだ。
マカーティは俯いたまま手を伸ばし、俯いたままポットのお茶をカップに注ぐ……見えてないのに器用ね。
そしてそのカップのお茶を、今度は香りもへったくれもなく一気に飲み干す……
「おい、くそ野郎」
いつもの御挨拶と共にマカーティは私に向かって空になったカップを突き出す。
「お代わりを注いで欲しいのか?」
「ああ!? 銀貨一枚に決まってるだろうが! 賭けに勝ったんだからとっととよこせ! 俺はこれで帰る、お前と違って俺にはやる事が山程あるんだよ!」