ハロルド「お騒がせして申し訳ない。あの娘さんは……?」ハイディーン「あ……あー。あれはこの村の娘で、えー、父親が確か、アー」マカーティ「随分目に痛い服を着たスヴァーヌ人だな……ええ酋長?」
大ショックである。(マリー)
何故私はこんな世界の北の最果てみたいな町で家族も友人もなく、最近顔見知りになったおじさん達の間で一人、女装癖のある男呼ばわりされた上、必死で涙を堪えていなければならないのか。
酷い。
「あの……お嬢さん?」
だめだ、堪えきれなかった。涙が零れる……
私はとにかくマカーティに背中を向ける。そのせいでルードルフにはまともに顔を見られてしまった。
「いきましょうおじいちゃん、外は体が冷えるわ」
私はルードルフの袖を掴み、集落の方へ強引に引っ張って行く。年老いたとはいえ豪傑であるルードルフを無理に引き摺って行ける力など私には無いが、ルードルフは困惑の表情を浮かべながらも何とかついて来てくれる。
「ちょ……待てよおい、待てよ」
背後でマカーティが何か言っているが私には聞こえない。前に私はあの男がそれ程嫌いではないと思った事があるがあれは嘘だ。奴は不倶戴天の敵である。
「待て、待てったら」
マカーティが私の前に回り込もうとして来る。ああ。あの短銃が壊れてなかったら良かったのに……
いや駄目だ。私は騒ぎを起こしたいんじゃない。一刻も早くこのマカーティの御一行に平和裏にお引き取り願いたいだけなのだ。
「ごめんなさい、貴方の言葉、よく解らないわ」
「いや俺アイビス語で喋ってるしお前もアイビス語じゃねーか!」
「きゃっ、この人こわい、助けておじいちゃん」
「ああ!? おいふざけんなストークのクソ……」
ああっ、マカーティが掴みかからんばかりに迫って来る! 割と本気で助けておじいちゃん!
「やめぬか!!」
ルードルフは。本当に私とマカーティの間に立ちはだかり、一喝した。老戦士は私には背中を向けていたが、その咆哮は軽く鼓膜が痺れる程盛大だった。
マカーティはまともに耳をやられたらしい。二、三歩ばかり、両耳を押さえよろめきながら後ずさる。
「な……何しやがる!」
「道理を弁えろ小僧! 軍服を着た軍人はその国の良識と規律を代表するものだ! 降り立ったばかりの港で、か弱き乙女に狼藉を働くなど言語道断、お前は自分の国王の顔に糞便を塗り付けるつもりか!」
先程までの好々爺ぶりはどこへやら……ルードルフは威厳に満ちた声でマカーティを圧倒する。
「艦長、いけません、この人物の言う通りです、どうかお詫びをなさって下さい」
前に見た時もそうだったけど、グレイウルフ号の副長、ハロルドさんは温厚な常識人らしい。レイヴンにもそんな人が居るのね。マカーティとはバランスの取れた良いコンビなのかもしれない。
「だけど、そいつはッ……! ええいハロルド! てめえどっちの味方なんだ!」
「間違いなく艦長の味方です! 御願いですから先々の事を考えて下さい、だいたい何ですか、この少女があの海賊グランクヴィストだなど、そんな訳が」
「お前の目は節穴か!! どこからどう見てもあの野郎じゃねえか! あのストークの超むかつくイカレポンチがこんな」
マカーティは私に指を突きつける……しかしルードルフはたちまちそれを払いのける。
「まだ解らぬか小僧! これ以上この乙女に無礼を働くというのならわしが相手になる。我が名はルードルフ・ルッドマン。お主も覚悟があるのなら名乗りを上げよ」
少しの間、静寂が流れた。
「貴方が……まさかブラスデンのルッドマン元帥、その方ですと……?」
最初にハロルドさんがそう呟いた。ルードルフは頷く。
「お前達が信じようが信じまいが構わぬが、我輩は確かにかつてブラスデン市国の元帥であった。そして今はただのファルケ皇帝の騎士見習いである。だがそれはいずれもこの場には関わり無き事だ」
ルードルフは俯いたままそこまで言って、顔を上げる。
「今のわしは一人の戦士としての矜持によってここに立っておる。さあ。道を空けよ」
マカーティはもう一歩後ずさりして、道を空けるような恰好はするが。その顔には何一つ納得出来ないと書いてある。
「ま……待てよ、あんたがルッドマン元帥なら、どうしてそのストークの野郎と一緒に居るんだ……? グランクヴィスト! ルッドマン元帥ったらストーク国王の親征軍を何度も打ち破り窮地に追い込んだ、お前らの宿敵じゃねえのかよ!」
「まだ言うのか小僧。そろそろ吾輩の堪忍袋の緒が切れるぞ」
私と向こうの副長は、たぶんそれぞれの事情で二人を引き剥がしにかかる。
「やめて下さい艦長、こんな騒動は誰の為にもならない!」
「おじいちゃん足元に気をつけて! 飲み過ぎよもう!」
ルードルフは意外にと言ったら失礼だが年の割に素直な人で、私が手を引いたら黙ってついて来てくれた。
私は可能な限りマカーティの方を見ないようにしていたが、最後に好奇心に負け、ちらりとだけ見てしまった。
「何でだよ……何で俺が悪いみたいになってるんだ、ああ!? 世の中どうなってんだ!」
「艦長、一体どうしてしまったんですか、か弱い娘さんにそんな乱暴な言葉を使ったんじゃ、誰も味方になれませんよ!」
マカーティは自分の主張が受け入れられない事に本気で憤慨しているようだった。私の事もまだ睨んでいたし、悔しさを隠そうともしていない。
ついさっきマカーティの言葉に悔し涙を流していた私だが、今度はマカーティが少し気の毒になって来た。
ハロルドさんは優しい人だと思うけど、ちゃんと仕事をしてるのはマカーティの方だよなあ。
◇◇◇
「むう……ハイディーンはそのような芝居の最中であったか……それは申し訳ない事をしてしまったな」
「いいえ……ルードルフさんにきちんと説明しなかった、ハイディーンおじさんが悪いのですわ」
フルベンゲンに一人でやって来たルードルフはハイディーンの芝居を見た事が無かったので、彼が何をしているのかは知らなかった。だけどレイヴンの警備艦が来たという情報は耳にしていたらしい。
「ははは、吾輩にはこんな可愛らしい孫娘が居ただろうかと、本気で記憶を探ってしまったわ……いやいや、御心配を掛けて申し訳ない」
そしてルードルフは私が誰なのか解っていないらしい。つい最近一緒に雪原の旅を共にした仲間だというのに。
しかしマカーティにあんな事を言われるとは思わなかった。
個人的には正しいのはマカーティの方であって、アイマスク一つで誰だか解らなくなる他の人達の方がおかしいんだと思うけれど……
いずれにせよショックである。何故マリーの方を変装呼ばわりされないといけないんですか。あんまりだよ。
だけどのんびりしてもいられなくなった。下品で頭が悪そうに見えるマカーティは実は洞察力に長けていて仕事熱心でしつこい。
ホワイトアロー号は今すぐには出港出来ないんだと思う。避難民の皆さんは疲れていて久しぶりの陸地での休息にホッとしている。そしてこの後は新世界へと渡る長い航海が待っているのだ。
「助けて下さってありがとうございます、ルードルフさま。私はここで失礼させていただきますわ」
ごめんねおじいちゃん。あとでちゃんと説明する時間があればいいんだけど。
今は急いで次の手に移らなくてはいけない。