エレーヌ「用が済んだのならとっととお行きなさい、このアカゲザル」ツーン
海賊を辞めると言うファウスト。少なくともマリーはそういう意味に取った。
サイクロプス号はレイヴンやコルジアの海軍の目を避け、北回りで新世界を目指すという。
ファウストに色々と拒絶された格好になってしまった私は、しょんぼり加減にフォルコン号に戻る。
「犬と残りのそりを牧場に返しに行こう……不精ひげ、ウラド、行こうか」
「勘弁してくれ、何でヨーナスとエッベじゃ駄目なんだ。それに船を岸壁につければこうしてボートで運ぶ必要も無かったのに」
不精ひげとウラドはボートで犬を岸壁に移していたのだが、前者は余程犬達に気に入られたのだろうか、やたらと吼えられ尻やらふくらはぎやらに軽く噛みつかれている。
「ガルルル……バウバウッ!」
「ウウウー! バウッ!」
フォルコン号のマストの上ではヨーナスとエッベとカイヴァーンが何かの作業をしている……あれは動索を交換しているのかしら?
不意の断線を避ける為、帆の操作に使うロープを整備済み点検済みのロープと定期的に取り替えるのだ。大事な保安作業なんだけど子供にやらせる仕事じゃない気もする。
「じゃあウラドだけでいいや。ほらお前達、集まって、集まれ」
私が狼犬の背中を二、三頭、ぽん、ぽんと触って回ると、残りの狼犬も全員集まって来る。エレーヌちゃんだけは少し離れて見ているけど。
「何で船長の言う事は聞くんだよ……」
「よし、よし……お前達、本当によくやってくれたな。怪我した子はまたそりに乗って。大丈夫、牧場で休めば治るよ……おみやげの熊肉も積んだな? よし行こうウラド」
「うむ」
◇◇◇
「お疲れさん! 早かったな、こいつらは役に立ったか?」
「勿論だ、大活躍さ。だけど二頭が怪我をしてしまったんだ、すまない」
町の反対側の犬舎に辿り着くと、犬達はそれぞれに嬉しそうな表情を見せる……みんな仕事も大好き、家も大好きなんだな……何だかちょっと羨ましい性格だ。
怪我をした犬は母屋の土間で面倒を見るそうだ。他の犬達に少し羨ましそうに見送られ、二頭は犬の調教師の家の方に去る。
「この熊肉は犬達の稼ぎだから貰って欲しい。あと、この熊の生皮も貰ってくれないか?」
「ひえっ……えらい大物だなこれは……」
熊肉は半分くらい持ち出して来た。それでも船にはまだ30kgくらいの熊肉があると思う。
熊の生皮はフォルコン号には処理出来る人が居ない。山の百姓の私も生皮は扱った事が無い。これはちゃんと扱える人にあげるのが一番いいだろう。
「色々とありがとう、エレーヌちゃん。元気でね」
最後に私は色々と因縁のあった白金色の狼犬に顔を近づけるが、彼女はやはりプイッと横を向いてしまった。何が気に入らなかったんですか、全く。
◇◇◇
町に戻るとホールの周りは軽い祭りのようになっていた。広場にも石組みのかまどなどが作られ、煙を上げている……
時間もちょうど昼ぐらいなのかな。極夜なので太陽は出ないが、このぼんやりとした空の明るさも、この土地では貴重なのだろう。
それでも外に居るのはほとんどが地元民のようだ。避難民達はやはり寒さに慣れないのか、ホールの中に居るらしい。
ハイディーンもボリスも外に居る……そろそろはっきり話さないと駄目だな。
「ウラド。今度こそヨーナスとエッベに罰とやらを与えないようにと掛け合おう」
「解った」
即答するウラドは頼もしい。頼もしいけれど、この人が誰かに抗議するという絵図がどうしても頭に思い浮かばない。
「二人とも、ちょっといいかな」
私達は港の反対側の、あまり人が居ない方の道から来て、こちらに背を向けていたハイディーンとボリスに声を掛けたのだが。
「おお! やっと落ち着いて会えた! 皆、もう一人の英雄が来たぞ!」
「戦士の石碑を見つけて来たんだって!? 凄いじゃないか、本当に行って来たんだな!」
振り向いた大男二人が飛びついて来るのは! どうにか大男のウラドを挟んで逃れる。
「フレデリク船長!」「フレデリク船長だ!!」
そしてフルベンゲンのちびっ子達が続々集まって来る!? 待て! ちょっと待って、やめて、そんな事をされたら私が自分に酔ってしまう!
「折角だし巡礼の人達にも一緒に祝ってもらおう!」「ミードの大きな樽を開けよう、極光鱒もデカいのがあるからな!」「宴会だ! 宴会の準備だ!」
「待て、待ってくれ! 大事な話があるんだ!」
私はこのまま賞賛されていたいという欲望と真面目に話さなきゃという理性の中間で叫ぶ。
「その前にお前も風呂に入って来たらどうだ? スヴァーヌの蒸し風呂はいいぞ」
「ルードルフも入ってるぞ、彼の鎧は今あっちでピカピカに磨いてるんだ」
ああ、風呂に入って鎧も磨いて、ピカピカになってお祝いの席に座るのか。いいなあルードルフ。私もオレンジのジュストコールに着替えて来ようか……違う、そんな話をしに来たんじゃない!
「皆も聞いてくれ! 英雄はヨーナスとエッベもだぞ、むしろ彼等が犬ぞりを操って僕らを戦士の石碑へと導いたんだ! あの二人こそが英雄だ!」
私はそう叫んだ。皆はどう反応するのか。それでもまだ、二人を勝手に町を出た裏切り者のような扱いをするのか。
「うおおおおおおお!」「二人は英雄だ!」
しかし、ハイディーンもボリスも大喜び、他の大人達も大喝采、ちびっ子達も飛び跳ねて喜んでいる。
「だからもういいだろう!? いい加減あの二人に罰を与えたりしないと約束してくれないか!?」
しかし、たちまち俯くハイディーンにボリス、他の大人達もひそひそ話、ちびっ子達はよく解らないという風に互いの顔を見合わせる……
何なんだ。一体何なんだこの人達は! ウラドは私の怪しいストーク語を、正しいスヴァーヌ語訳で補ってくれている。話が通じてないって事は無いでしょ?
「どうしても二人を罰しないと気が済まないと言うのか!? どうして!! そこまで言うのなら僕は本当に二人をそのまま船に乗せて連れて行くぞ!?」
私は、いやフレデリク船長は拳を振るって熱弁する……フレデリクは本気だぞ。本当に二人を連れて行くぞ!?
ほら見ろ! ハイディーンはボリスの顔を伺っているし、ヨーナスとエッベの父親のボリスはちゃんと、困ったような顔をしている。もう一押しか。
「二人とも勇敢で器用で仕事熱心ないい水夫だし将来はきっと船長になるぞ、そしたらパスファインダー商会で扱き使うからな! 内海は勿論、中太洋や新世界にだって送り込んでやる!」
「ヨーナスかっこいいー!!」「エッベすげえええええ!!」
しまった。方向性を誤った。ちびっ子達が大喝采を挙げているし、ボリスもハイディーンもそれなら仕方ないかなあみたいな顔をし始めた!
「待てったら! だけど本当はヨーナスもエッベも今は家に帰りたいと思ってるんだぞ! 滞っていた物資を運ばせるだけなら、自分達はフォルコン号に乗る必要は無かっただろ? 僕だけ来させればいい話だ。そうじゃない。二人は物資も届けたかったけど自分達も帰りたかったんだ!」
あれ……? いつの間にか広場は静まり返っていた。
子供達は気まずそうに顔を見合わせている。ハイディーンとボリスは……ええっ!? ちょっと涙ぐんでる……
「そうか……あいつら、家に帰りたいと思ってたのか」
「そうだったのか……俺はあいつらの親父なのにそんな事に気づかないなんて」
いや、泣く所かなここ……ハイディーンもボリスも、あの兄弟と話す機会は結構あったと思うんだけど。
「みんなの意見が重要というのも解るけど、少なくとも協業会長のハイディーンさんと二人の父親のボリスさんは、二人に罰を与えるのに反対すると約束してくれないか? それから、ここに居る皆も……」
私は辺りを見回す。広場に居るのは殆どが子供だが、大人も居ない訳ではない。
「どうか、ヨーナスとエッベに罰を与える事に反対して欲しい!」
しかし聴衆の反応は鈍い……大人達はひそひそと相談し合っているし、子供達はよく解らない顔をしている。
「頼むよ! 僕やルードルフを称えてくれる気持ちがあるなら、ヨーナスとエッベも称えてくれよ! あの二人は君達の英雄だろう!?」
ここまで言ってもひそひそ話をしている広場の大人達。その様子を見てか、ハイディーンとボリスまでも何かひそひそ話を始めた……ちょっと待ってよ! 二人は罰に反対派になってくれたんじゃないの!?
なんかもう腹立って来た……本当にヨーナスもエッベも南へ連れて帰ろうかしら。
「解ったよ、フレデリク」
私が次に何を言おうか考えていると、ようやく。ハイディーンがそう言った。
「俺とボリスは……二人に罰を与える事に反対すると思う。なあ? ボリス」
「うん……フレデリク船長がそこまで言うんじゃなあ……皆はどうだ?」
渋々。二人はようやくヨーナスとエッベに罰を与える事に反対すると言ってくれた。周りの大人達は!? うーん……やはり、渋々だけどだいたい皆頷いている。
やれやれ……やっと肩の荷が下りた……いや、まだ油断は出来ない。ここに居るのはフルベンゲンの男達のほんの一部だ。ここに居ない男達を説得する方法は無いだろうか。私がそんな事を考えたその時。
―― ブーン……ブン……ブブン……ブゥン……
風の音に混じる奇妙な旋律を、耳のいいフレデリク君は聞いた。町を見下ろす小さな岩山の上で鳴ってるように感じるが。
「何の音だろう? これ」
私が岩山を見上げると、ハイディーンが呟く。
「おいおい……また南から船が来たってよ」