ヨーナス「不精ひげニキ、狼犬はプライドが高いから一頭ずつ大事に担がないと怒るんだよ」
ファウストとの邂逅……昔から謎の多い人だったけど今回は特に様子がおかしい。
岬を回った後は帆走出来たのだが、そうなるまでに疲れ果てた私は甲板でのびていた。船乗り共は疲れた顔をしながらも操帆やオールの片付けをしている。
だめだ、私も船長らしくしないと。私は残された力を振り絞り、立ち上がって艦長室へ行きその床に倒れる。
「船長、投錨が済んだぞ」
艦長室の外から無情な不精ひげの声がしたのは数分後の事だった。数分というのは私の体感時間の話で本当はもう少し長いと思う。
私はどうにか立ち上がり、服を整え直す。港にはロビンクラフトさんのホワイトアロー号も停泊しているので、こちらも船長があまりだらしない格好をしている訳には行かない。スカーフは一度外して締めなおす。
アイマスクも別の物に変えよう。これはフレデリク君を象徴するアイテムなのだが、未だにこれという決め手がなく、ずっとしっくりくる物を探している。
艦長室を出た私が見たのは、予想外の光景だった。
艦尾のレリーフまで偽装して今はホワイトアロー号を名乗っているファウストのフリゲート艦は湾内に居て、ボートをいくつか降ろし、乗組員を岸壁に運んでいるのだが……その乗組員に嫌に女子供が多いのだ。
女子供の自分が言うのも何だけど、本当に小さな子供を抱えた母親なども居る……まさかあれが海賊船サイクロプス号の乗組員? とてもそうは思えない。
勿論、甲板で働いている者やボートを漕ぐ者など、一目見て熟練の水夫と解る者も居る。だけどそうは見えない者があまりにも多い。
私は息を飲む。優しそうな顔をしていてもファウストは金貨30,000枚の賞金首で海賊だ。彼自身も言っている……自分は極悪人だと。
あの人達はファウストの捕虜とか奴隷とか、そういうものなのか?
「ヨーナス、エッベ……」
私は私の船の子供水夫、ヨーナスとエッベを探す。帆走が始まるタイミングで見張り台からは降りて貰ったはずなんだけど……近くには姿が見えない。
「船長、二人を探しているの?」
甲板で分解したそりにロープを掛けていたカイヴァーンが声を掛けて来る。
二人を無事フルベンゲンに戻す冒険。それはまだ終わっていない……なのに今、もう一つ別に気掛かりな事が出来てしまった。
私は一瞬考えて決意する。
「二人に悪いけどもう少しだけ船に居るように御願いしておいて貰えないか? 僕はちょっと用事が……不精ひげ、ボートを出してくれ」
その不精ひげは大きな狼犬を二頭、肩に担いで下層甲板から上がって来た。
「もう始めてるぞ、犬とそりを降ろすんだろう? ヨーナスとエッベにも手伝わせてくれないか、犬の扱いはあいつらの方が慣れてるだろ」
「ウウウー! バウッ!」「ガルルル……バウバウッ!」
上甲板に降ろされた狼犬達は何が気に入らなかったのか、不精ひげの尻やふくらはぎに軽く噛みついて抗議する。不精ひげはそのまま逃げるように下層甲板へ降りて行く。
「犬の事はヨーナス達に任せた方がいいんだろうけど。だけど今降ろしたらあの二人、そのままフルベンゲンの男達にお仕置きに連れて行かれないだろうか」
「そっか……それは嫌だな……じゃあ二人にも話してみるよ」
カイヴァーンはそう言って下層甲板に降りて行く。なんだ、カイヴァーンは居場所を知ってたのね。
それにしてもあの子達は何語で会話をしてるんだろう? 双方が使える言語は無いはずなんだけど。
「ウラド、小さい方のボートを使っていいかい?」
私はテークルで分解したそりを吊り上げているウラドに声を掛ける。下の荷物用ボートにはアレクが居て荷物が降りて来るのを待っている。
「この積み下ろしが終わるまで待っていただけないだろうか、そうしたら私もついて行く」
「大丈夫だよ、ここはストーク語でもだいたい通じるから」
「船長のストーク語は、その……しかし……」
そんな話をしていると、ルードルフが駆け寄って来る。
「通訳が必要なら吾輩を連れて行け! 吾輩はオールもテークルも任せて貰えぬし肩身が狭いぞ!」
「いやちょっと待ってくれ、ルードルフは戦士の石碑を見つけて来たんだから、ちゃんとハイディーン達に準備をして貰ってから華々しく凱旋を」
「何を意味の解らん事を申すのだ、たかだか墓参りをしただけなのに。そうであろう? フレデリク」
そう言って、ごたごた抜かすとドラゴンとの戦いの事を皆に話すぞという脅しを言外に秘め、ニヤリと笑う老ルードルフ……なんかこの人やっぱり雰囲気変わったような? 元々元気なじいちゃんではあったけど。
「まああいつら凱旋祝いって言っても酒飲んで騒ぐだけだろうし、別にいいか……それに何か御祝いをするような雰囲気じゃないよな。あれは何事なんだろう」
私は岸壁を見渡して呟く。
船乗りに見えない人々は100人以上居る……そして何となく、家族連れが多いように見える。夫婦とその子供という組み合わせが多いような。
「吾輩の目には避難民のように見える。戦争や重税、理不尽な扱い、そういったものから逃れて来た一般市民のようだな」
心苦しいがルードルフにはファウストが海賊である事は一旦伏せておこう。だけど……どうして海賊船に避難民が乗っているのだろう。
「避難民か……どこから来たんだろう」
「君は何でも知っているようだが、ここ数十年の戦争の歴史の事なら吾輩の方が詳しいと思う。君が次の御節介を焼く相手は彼等かね?」
思わずマリー声が出そうになった。
「そんな事は無いったら! 言っておくけど僕は貴方が思ってるのの10倍は無責任だからな! あと僕が漕ぐボートは揺れるぞ!」
それでボートで岸壁に向かおうとしたら、アレクが言う。
「船長、どうせ行くならこれも引いて行ってくれない?」
何かと思えばそれはルードルフが仕留めた極光鱒だった。いつの間にかエラに縄を通して海に放り込んである。寒い所では物が腐りにくいとは言うが、こんな雑な扱いでいいのかしら。
それからどうにか岸壁まで漕ぎ寄せたボートを浜に引っ張り上げる。ボートには分解したそりを一つ積んである。これに極光鱒を積み替えなくてはならないのだが……この魚、100kgで利くのかしら?
「氷原でッ……どうやってこいつをそりに乗せたんだっけッ……」
「あの時はッ……犬達に引いて貰ったのだッ……」
祖父と孫くらいの歳の鎧武者と覆面男が冷たい海水に足を浸しながら巨大な魚をそりに乗せようと格闘していると、見かねた避難民の男が数人近づいて来る。
「随分大きな魚ですね……手伝いましょうか?」
「これは忝い、ならばこの綱を引いてはくれぬか」
「そりも抑えててくれると助かるよ! ありがとう!」
こうして巨大な極光鱒はどうにかそりの上に乗った。あとはこれを雪の上で引いて行くだけだから楽ちんだ……そう思ったのは甘かった。
「ルードルフッ、これやっぱり100kg以上あるんじゃないのか!」
「何を食ったらこんなに大きくなるのだろうなッ、こいつらは!」
結局の所またしても避難民の男達が手伝ってくれたおかげで、私達はどうにかそれをフルベンゲンの集落の方へ持って行く事が出来た。
さっきハイディーンは応援を呼ぶと言っていたのに、地元民の姿が見えない……そう思っていたら、フルベンゲンの留守番の人々はホールと倉庫の周りに集まり、煮炊きの用意をしていた。
「ルードルフ殿……一体何だいそいつは!?」
ハイディーンもそこに居て、私達が引いて来たそりを見て素っ頓狂な声を上げる。私はルードルフの代わりに答える。
「何って言ったじゃないか、極光鱒の群れを見たって」
「お前これ2mはあるじゃないか、聞いてないぞこんなの」
「言ったよ僕は! 2mはある極光鱒の群れを見たって!」
「だからって本当に2mあるとか普通は思わないだろう! 船乗りの与太話ってそういうもんじゃないのか」
「そのへんの船乗りと一緒にしないでくれよ。僕は本当の事しか言わない船乗りなんだから」
私がちょうどそう言った瞬間。ホールの二重扉を開けて、ファウストが出て来た。後ろにリゲルさんとロゼッタさんを連れて。
「……」
ファウストはいつになく憂鬱そうな表情で、一瞬だけ私を見た。