オロフ「チッ、早くウインダムに行きてえのに、中継地がレイヴンの軍港とはなあ……ん?」
ドラゴン「良かれー、励めよ龍の民ー、もーえよ龍の民ー♪……どうした? 汝も歌って良いのだぞ」
マリー「」
少し前。伝説のドラゴンが暢気に歌っていた頃、南西におよそ2000kmの彼方では。
レイヴンは北大陸北西部の群島にある連合王国である。
この国は歴史的にはあまり豊かな国ではなかった。対岸のアイビスと比べると土地が悪く気候も冷涼、水利や日照にも恵まれていない。
そんなレイヴンが今では世界で最も裕福な国の一つになろうとしていた。大航海時代の到来である。
レイヴンは先行するコルジアやアンドリニアに追いつき追い越す勢いで、西は新世界へ、東は中太洋へ、その触手を伸ばしていた。
そんな絶好調のレイヴンを支える港街の一つにプレミスがあった。この街はレイヴンとアイビスとの海峡の西側にあり、アイビスのグラスト港の北にある、レイヴンでも一、二を争う有力な軍港である。
このプレミスにレイヴン海軍のブリガンティン型通信艦ヘッジホグ号は五日前に寄港していた。積荷は大罪人、元高等外務官のランベロウである。
先進的なレイヴン海軍の中にあっても珍しい女性艦長のエイヴォリーは、ランベロウがすぐに船から連れ出される事を期待していた。同時にどうせそうはならないだろうと悲観もしていた。
そして実際ランベロウがヘッジホグ号から連れ出される事はなかった。プレミスの海軍司令部はレイヴン王国に金貨50万枚の損害を与えた大罪人を移送する手間を嫌い、ヘッジホグ号ごと海軍監視下の湾内に留めたのである。
「皆。ようやく下船許可が出たわよ」
舷側をよじのぼり舷門を跨いだエイヴォリー艦長は、開口一番そう言った。周りの海兵も水夫も、それを聞いて喝采を挙げる事はなかった。
「やっとですか……お疲れさんです、艦長」
「あの、もちろん艦長も降りられるんですよね? ちゃんと休暇が貰えたんでしょうね?」
水夫の問いかけに、エイヴォリーは力なくかぶりを振る。
「ほら見ろ! だったら俺も降りねえぞ!」
「そうだそうだ、司令部は酷い! 俺達も司令部に抗議して……」
「待って! 私は用事のある時には降りられるからいいのよ、皆はそうは行かないわ、次に休ませてあげられるのはいつになるか……水夫と准士官、海兵隊はただちに72時間の上陸の準備に入って」
司令部の仕打ちに一瞬憤った水夫達も力なく項垂れる。ヘッジホグ号の水夫達は本当に長い間上陸していなかった。
エイヴォリーはいつも通り気丈に肩を張り踵を返すと、自分の艦長室へと帰って行く。
「はあ……」
部屋に入り扉が閉まるのを確認してから、彼女は深い深い溜息をつく。今日は一段と肩こりが酷い。
◇◇◇
ブライス・エイヴォリー艦長が溜息をつく艦尾楼の艦長室より二層下の船体中央部。そこには例の鉄格子付きの客室がある。
部屋の入り口を固めているのはヘッジホグ号の海兵隊員ではなくレイヴンの中央から派遣されていた憲兵だった。
「御願いだ……一時間でいいから眠らせてくれ……」
「何度も同じ事を言わせるな。眠りたければ全ての質問に明確に回答しろ」
狭い客室には四人の男が詰まっていた。部屋の真ん中の机に突っ伏しているのはレイヴン王国の元高等外務官で、少し前までは我こそが次のレイヴンの外務大臣であると豪語していたランベロウである。
「貴様がハマームの王子を暗殺しその元妻と子供達を犯人に仕立てようとした、その真意……そしてそれは誰の差し金だったのか」
ランベロウの正面に居る黒い外套を着て黒い帽子を被った険しい顔をした紳士は、レイヴンの中央政権から派遣されて来た特命査問官のレジンという。他の二人もやはり黒の外套に黒の帽子で、それぞれランベロウの斜め後ろに立っていた。
「何度も言っているだろう……ハマーム王室は異教徒でありターミガンは我等が国王の潜在的な敵、彼らに打撃を加える事にどんな理由が要る? ぐおおっ!?」
ランベロウがそこまで言い、レジンが手を小さく振ると、後ろの男の一人がランベロウの肩に手を置き、その後頭部を机に押し付ける。
「ふざけるな! そんな狂信者のような言い訳で誰かが納得するとは貴様自身も思っていまい……貴様は何かを企み、それに手酷く失敗した。貴様の最大の罪は貴様が有り得ない程の無能だった事だ。杜撰な計画、杜撰な準備、不用意な運用、全てに失敗した上での後に残される者の事を考えない不様な逃亡劇、そして! それにすら失敗してハマームの虜囚となる! 貴様は! 一体どれだけの無能なのだ!」
ランベロウは狂人ではない。ただ自分を人より賢しいと思い込んでいて、実際に幾らかの点では賢しく、そして酷くプライドが高いだけの男である。
「むっ、無能ではないッ! 私は断じて無能ではな、ギャフッ!?」
強引に顔を上げようとしたランベロウを、背後の男が再び机に押し付ける。
「貴様のした事を清算するのにレイヴンがどれだけの金を払ったと思うのだ!」
「有り得ぬのだッ! 奴は有り得ぬ程に卑怯だったのだッ! フレデリク……ストークだ! あのアザラシ食いのストークの連中が放った刺客だ!」
ランベロウは再び顔を上げる。
「あの卑怯者が私の緻密な計画を台無しにしたのだ、何度も言っているではないか! 奴は自分をオロフという名の傭兵だと偽り、ハマームのレイヴン人商人の家に潜伏していたのだ! 奴は卑怯にも私の動きの全てを監視していた! 私は無能な商人のせいで捕まったに過ぎない、私は無能ではない!!」
ランベロウの身柄がハマームに買い取られたのは8月25日。レイヴンの首都ブレイビスに第一級の急報が伝わったのが9月18日。
レイヴンもまずはハマームに抗弁する方法を考えたが証拠があまりにも多過ぎた。これを突っ撥ねて噂を世界中に拡散させるのは不利益過ぎるという結論に至ったレイヴンから、身代金を乗せた船がハマームに到着したのが10月23日。
その間のレイヴン関係者によるランベロウへの接見は認められなかったが、現地の大使館員はターミガン人が嫌う豚肉料理の骨に隠した通信文を差し入れに混ぜる方法で密かにランベロウとのやりとりを続けていた。
オロフという名前は、その時点からランベロウが繰り返し言及していた。10文字程で一杯になる貴重な紙面を使いランベロウが伝えて来るのはいつもそればかりだった。
”オロフ探せ”、”オロフがフレデ”、”170、金髪”
「その男の話はもういい。最初の質問に答えろ。誰の差し金で貴様はハマームの王子を暗殺しようとした。フェザントにいた王子の元妻と子供を呼びつけた上でな。この航海には巨額で馬鹿げた賞金が掛かっていた事も解っている。その金は誰に出させた? 貴様には公金横領の嫌疑も掛かっている」
「先ずはオロフだフレデリクだ! 何故それが解らんッ、いつまでレイヴンの忠臣である私を責め、レイヴンの仇敵である奴を放置するのだッ、不当にも牢に繋がれ何も出来ない私、外に居るのにフレデリクを捕縛出来ない貴様等、そのどちらが無能かなどギャフッ」
たまりかねた後ろの男が再びランベロウの頭を机に押し付ける。
レジンは溜息をつく。確かにこれではどちらも無能である。自分の仕事はこの男が処刑される前に、一つでも多く有用な情報を引き出す事だというのに。
◇◇◇
投錨しているヘッジホグ号のトップヤードに止まっていた一羽のカモメが、猫鳴きしながらフワリと飛び立つ。
「ミャーア、ミャーア、ミャーア、ミャア……」
カモメはその完璧な飛行能力を誇示するように、海を渡る風を受けほとんど羽ばたかずに、岸壁の方へと飛んで行く。
「ミャア、ミャウ……」
やがてカモメは、岸壁からあまり離れていない町の三階建の建物の屋根の上にフワリと降りる。
その建物の一階の外壁に取り付けられた掲示板の前で、金髪で身長170cmのストーク人の風来坊、傭兵のオロフは茫然と目を見開いていた。
『フレデリク・グランクヴィスト ストーク人
覆面をしている場合及びオロフという偽名を名乗っている場合あり
身長170cm、金髪、航海者、剣士、そしてレイヴン王国の仇敵』
オロフは知らなかったが、昨日までここに貼られていたのはフレデリクという尋ね人と、発見に繋がる有力情報には謝礼を払うという穏当な申し出だけだった。
しかし今朝張り替えられたこの掲示には高額の賞金に加え、似顔絵も掲載されていた。
似顔絵のフレデリクは覆面をしていなかった。そしてその顔はストーク人傭兵オロフの顔を思い出せる範囲で語り尽くしたランベロウの証言によって描かれていた。
「お……俺じゃねえ……俺じゃねえよぉぉ!」
フェザント人の海賊ファウスト・イノセンツィと並んだその手配書の前から、オロフは後ずさる。オロフの目と顎は限界まで見開かれ、手足は酷く震えていた。
そのただならぬ様子に、周りを歩いていた通行人やその辺りに座り込んでいた暇人達も目を向ける。
「俺は関係ねえ! 俺は関係ねえー!」
オロフは振り返り、よろめいて壁に二度ぶつかった後、全力で走り出す。
「待てよ、お前」
「ちょっと、そこの奴」
あまりのオロフの焦りっぷりを見た暇人が数人、訳もわからずオロフを追い掛け始める。
「そこ! 何の騒ぎだ!」
さらに、急に始まった逃走劇を目にした衛兵の一隊も、結構遠くに居たにも関わらずオロフを追い掛け始める。




