猫「猫の毛布を取り上げて恥ずかしくないのか、全く」
まさかドラゴンが現れるなんて思わなかったよハハハ(白目)
ただのお墓参りのはずが大変な冒険になってしまった……だけどこれでもうおしまい。さあ、フォルコン号に帰ろう。
二頭の犬をそりに乗せるのは大変だった。怪我をしていてもそりを引きたいらしい。私は何となくハバリーナ号の乗組員達を思い出す。彼等は別に仕事が好きな訳じゃなかったけれど。
「怪我が治ったらまた御願いするから……今は大人しくしててくれ」
帰り道は下り坂が多かった。海からここまでだいぶ登って来たのだ。
それに帰りは来た道を折り返すだけだから、行き程の警戒はいらない。
灰色熊の亡骸には目ざとい狼の群れが集まっていた。6頭ばかりの小さな群れだ。私達は単に、彼等を大きく迂回して避けた。
低い峠を越え、平原を走り……犬ぞりは快調に進んだ。
そりを走らせながら、私はルードルフに声を掛けた。
「帰りはやっぱり速いな! 時間も予定をだいぶ越えてるけど」
「それで、船の皆にはどう説明するのだ? フレデリク!」
説明? 何を?
―― 解ってる。少しでも危なく見える事はしない。何せ古い石碑を見に行くだけなんだから、だめだと思ったら諦めるさ
―― 吾輩……わしからも御約束する、フレデリク殿やヨーナスやエッベを危険に晒すような事はしない、そのような時はすぐに探検を諦める
ああ……私はアイリさんとの約束を思い出す……そう言えばルードルフもそんな約束してたっけ。
「憂鬱だね、何だか」
「ふはは、君もかなりの豪傑のようだが、アイリ殿には色々と敵わぬようだな」
爺ちゃん、なんか雰囲気が変わったわね?
この人は時々は明るい顔を見せるものの、基本的にはずっと物思いに沈んでいる人だった。私は何度かこの人は戦死志願者ではないのかと考えさせられていた。
だけど今のルードルフは死ぬつもりなどまるで無いように見える。ドラゴンに出会い戦った事で人生観が変わったのかしら。
凄いよなあ。あんな巨大な化け物を相手に堂々と。ファルケの騎士とか、あと何だっけ……何か言ってたな……
「船長! 行きに越えた川だよ!」
そこでちょうど先頭のヨーナスがそりを止め、声を掛けて来た。私もそり犬に止まるよう合図する。
「あれ……行きより水位がだいぶ高くなってないか」
「流れが増しているようだ。雨が降った訳でも無いのに妙であるな」
私はそりを降りて川の水に触れてみる。冷たいには冷たいけれど……気持ち温かみが増しているような? 実際川からはかなりの水煙が上がっている……
「こんな時は来るかも」
ヨーナスが呟く。
「来る? 何が?」
「極光鱒……真冬に温かい川の水が増えると、本物の極光鱒が登って来るんだ」
「はは、極光鱒には本物と贋物があるのか?」
「バウッ、バウッ!! ワンッ! バフッ、ワンッ!」
不意にエレーヌちゃんが騒ぎ出す。ブレーキを掛けたそりを引こうとしている? いや……ハーネスを外したいのか?
「今度は何だよ、お前は」
「船長、その犬も極光鱒が来るって言ってる」
「ワウッ!」
エッベの言葉に反応したかのように、急に大人しくなって私を見つめて来る狼犬……そんな事ってあるのかしら。私はエレーヌのハーネスをそりから外し、手に握る。
「ワウッ、バウッ!」
「船長、大丈夫?」
「ああ、ちょっと待て、どこへ連れて行くんだエレーヌ!」
エレーヌは川下へと走り出す。私はハーネスを持ったまま追従する。
そりを止めた場所より50m程下流に、川幅が広がっている場所があった。そこだけだいぶ水深が浅くなっていて、方々に岩や石が突き出している。
なるほど、ここなら渡れそうね……そうじゃないの? エレーヌちゃんは私を横目で見上げペロリと舌舐めずりをする。
「極光鱒が来るのか?」
「ワンッ!」
私は頷き、エレーヌについていたハーネスを完全に外してやり雪の上に置く。エレーヌは川の浅い所を選んで走り、流れの真ん中のあたりまで行く。
私も肩に担いでいたマスケット銃を取り出し、石や岩の上を飛んで後を追う。
「船長……危なくないの?」
「船長」
「フレデリク……大丈夫なのか」
三人が岸辺から呼び掛けて来る。私は帽子を深く被り直しながら答える。
「そこで見てるといい、今度こそ大きな極光鱒を御馳走するよ……本当に来るんだろうな?」
私は三人に答えた後、エレーヌに念を押す。エレーヌは横目で私を見て……にやりと笑ったような気がした。
足手まといになるなよって? 見てろよ。私は川で鱒を待ち受けるのは初めてではない。故郷ヴィタリスでも何度もやった。棒を持って渓流を登って来る鱒を待ち構え、浅瀬に追い詰めてぶっ叩くのだ。
私はマスケット銃に銃剣をセットしなおす。船酔い知らずの服に、覆水盆戻しの銃。魔法の名前の是非はともかく、この装備はこの仕事にぴったりではないだろうか。ヴィタリスに帰ったら本格的な川漁師を目指すのもいいかもしれない。
遠く下流の水面に揺らめく水煙が乱れ始める……何か変化が起きたようだ。
「来たかな」
遠くの水煙の中で何かが飛んだように見えた……鱗が光ったのかな?
空には低く上弦の月が出ている……ランプは四台のそりに取り付けたオイルランプだけ……周囲の大地は雪に覆われぼんやりと雪明りを灯しているが、雪の無い川面は一筋の暗黒のように彼方まで続いているように見える……
なんだか首の後ろがヒヤリとする。松明を持って来れば良かったな……今からでも戻って取って来ようか?
だけどもう何か向かって来るわね。
―― ドド……ドドド……
私はエレーヌちゃんの方を見る。彼女も私を見上げていた。
―― ドドドド……ドドドドド……!
私は再び前を見る。無数の太鼓を激しく打ち鳴らすような響きが、彼方から接近して来る。この音はどこかで聞いた事がある。
ああ……ヤシュムだ、ヤシュムでイマード首長が百騎近い軍馬を率いて駆け去って行った時の音だ。ただしあの時と反対で、それはこっちに向かって来ている。
こんな無人島の氷原に百騎の軍馬が?
―― ドドドドドド! ドドドドドドドド!!
私はもう一度エレーヌちゃんと顔を見合わせる。そしてもう一度前を向いた時には、それは100m前まで迫りつつあった。
「う……わあああああああ!?」
「ワ……オオオオォォォン!?」
私と狼犬は同時に飛び上がり……空中で抱きつくような格好になった。
――ドドドド!! ざばぁぁぁぁ(笑) ズドドドドドドド!!
「船長!?」「せんちょうー!!」「フレデリク!!」
私と狼犬の真横を!! 空飛ぶ巨大な丸太のような物が通過して行く!!
巨大な口が大きく開かれているのが見えた……エレーヌちゃんより大きい。巨大な……全長2m以上の丸々と太った巨大な鱒の大群が、軍馬のような勢いで空中を跳ね回りながら下流から突進して来る!!
「ぎゃああああああ!? ふぎゃっ、ぎゃっ、わあああああああ!!」
「ワオッ、ワオオォォォン!! バフッ、ワウッ、ワオオオオン!?」
逃げるっ!! 私とエレーヌは死に物狂いで逃げるっ!! これは勿論、狩るなんて話ではない、狩られる!! こんな突進をまともに喰らったら死ぬ!!
「ぎゃぎゃあ、わぎゃっ、わぎゃっ、わぎゃー!!」
「アォォン!! アォン、アォン、アオオンッ!!」
―― ざばぁ(笑) ズドドドド ドドドド!! ざばぁぁぁ(笑)
私は命懸けで川に飛び込むぐぎゃああああ冷たい死ぬ、ぐえええ!? 今鱒に踏んづけられた、た゛す゛け゛て゛ぇぇぇ……ぐえ……
命、辛辛……私は川岸に這い上がる。
「ワゥ……オオン……」
エレーヌちゃんもどうにか生き延びたらしい。
本物の極光鱒。その群れは川の上流へと去っていた。
私は……自分の油断、心の浅薄さに吐き気を覚えていた。ドラゴンの襲撃を生き延びたからもう大丈夫だとでも思っていたのか? 甘い。甘過ぎる。
これが私の人生だ。
寒い。死ぬ……火……火が欲しい……
「酷い有様だのう。ほら、火を起こしたぞ」
えっ……そんな簡単にどうやって……ああっ! 大きな炎が燃えている!?
「ルド……どどどうやってて火火を貴貴方は魔法使い使いか」
「ふふ、いいから早く当たれ」
薪も無いのにどうやってこんな大きな火を……ってこれさっきのドラゴンの唾液じゃないの!? こんな便利な物ならもっとたくさん取って来れば良かった!
私は毛布を頭から被り、ドラゴンの唾液の焚き火の前で膝を抱える。エッベに体を拭いてもらったエレーヌちゃんと私に寝床を強奪されたぶち君も焚き火の前で丸まっている。
「うう……熱寒い……うう……」
ルードルフはさっきの騒ぎの中、しっかり一頭の極光鱒を仕留めていた。クマのようにでかい……そして丸々と太っている。
「早速いただきたい所だが、これは鋸でも無いと解体出来そうに無いな」
「ルードルフ凄い!」「じいちゃんかっこいい」「わははは」
ルードルフと兄弟達は塩を振ったクマ肉などをドラゴンの炎で炙りながら、楽しそうに笑っている。私は柄にもなくミードで体を温めるのが精一杯だった……とりあえず、川漁師になるのは諦めよう。