アイリ「嘘でしょ何あれええええええええ!?」アレク「ああああ……有り得ない」不精ひげ「待て皆、まだ船長が関わってるとは限らないから」ロイ爺「そ、そうじゃな、船長達もきっとどこかに隠れておるじゃろ」
カイヴァーン「今、空から姉ちゃんの声が聞こえたような気がする」ウラド「よせ、縁起でもない……」
「せんちょおおおおおおおおー!」
遥か彼方から声が聞こえる。
「フレデリク船長ぉぉぉぉー!!」
あの声はヨーナス……ここで何をしてるんだろう。あの子、家に帰れたのかしら。今頃きっと優しいお母さんが作ってくれる、鹿肉のシチューを待っているんだ。
私はそんな事を考えながら起き上がろうとする。しかしそこは急斜面の途中だった。船酔い知らずを着ていても、どこからも落ちなくなる訳ではない。こんな風に何も考えずに立ち上がれば、
「ぎゃふああああああ!」
私はさらに50mばかり、斜面を転がり落ちる。その途中で見えたんだけど、ヨーナスはまだ家に帰れていないらしい……犬達を追い立てながら彼方の雪原をそりでこちらに向かい爆走して来る……
私は半ば雪に埋もれたまま、自分に起きた事を思い出そうとする。思い出せない……私は何故こんな所に居るんだろう。私が今思い出せたのは、ヨーナスはまだ家に帰れていなかったという事だけだった。
ああ帽子が5m程上の斜面に落ちている……拾わなきゃ……私は今度こそ、少し緩やかになった斜面で立ち上がり、帽子を拾いに行く。
「船長! 無事!? ドラゴン、どうなった!?」
ドラゴン? 何を言ってるんだこの子は。ドラゴンなんてこの世に居る訳が居たああああああああ! 居たんだった! ドラゴンが出たんだよ、あの亀裂から飛び出して来て、辺り一面に火を吹いて……そうだ!
ヨーナスは犬ぞりを止めて斜面を駆け上がろうとしていた。私は急いでそれを駆け下りる。
「ヨーナス! 皆は無事か!? ルードルフは!? 怪我はどうなんだ!」
私はストーク語では簡単な事しか言えないが、ヨーナスも簡単な事しか解らない。
「じいさん元気! すごく元気! そりが転んで犬が怪我した!」
「大変だ……ああもう、戦士の石碑、どっちだっけ!?」
私は完全に方向感覚を失っていた。しかしまあ、雪の上にはそりが走った跡がくっきり残っているので、迷う事は無かった。
戦士の石碑があった方の山に戻る頃には、空はかなり暗くなっていた。
私の姿を見たルードルフは開口一番叫ぶ。
「フレデリク! 無事であったか、何という、何という無茶をするのだ君はッ!」
「貴方にそれを言われたくないッ! あんな化け物相手に正面から名乗りを上げて、貴方は絵本の中から出て来たのかッ!」
生意気なフレデリク少年も応酬する。
このおじいさんは不死身なんだろうか? あの巨大な獣にくわえられて振り回され、遠くまでぶん投げられて雪の斜面を転がり落ちて、それで怪我一つしてないと言うのだろうか。
「それで犬の怪我は? 誰がやられたんだ!?」
ルードルフは一頭の犬の前脚に添え木をして布で巻いてやっていた。別の一頭もエッベが背中を布で拭ってやっている……少し出血していたようだ。
「怪我をしたのはこの二頭だ……退避する時にそりが横転して引きずられたらしい。命に別状は無いと思うが」
「大丈夫だよな? 治るよこのくらい。帰りはそりに乗って休んでいいぞ」
私は怪我をした二頭の頭を順に撫でてやる。そりの方も大丈夫かしら? 引っくり返ったままだけど、特に壊れてはいないように見える。
「とにかくそりを戻そう、一度荷物を全部解いた方がいいな」
私がそう言った瞬間。ここまで黙って戻って来たヨーナスと、黙って犬の世話をしていたエッベが同時に叫び出す。
「それよりドラゴン! ドラゴン! ドラゴンが出たでしょ!」
「ドラゴンはどうなったの! 何でドラゴンの話しないの!」
「ドラゴンあっちに飛んで行った! ドラゴン戻って来るの!?」
「船長はドラゴンになって飛んだ! ドラゴンと戦ったの!? 船長はドラゴンに勝ったの!?」
「待て! 僕にだってまだ何も解らん!」
少なくとも私がドラゴンになる訳がない。ではなったのではなく乗ったのか? 多分違う。じゃあ何が起きたのか?
わかんない。わたしわかんない。
私はとにかくあの光景を一瞬たりとも思い出したくない……死ぬかと思ったという話ではない。死ぬのだと。自分はこれから間違いなく死ぬのだと。ドラゴンの背中に貼りついたまま空高く攫われた、あの時は思った。
あの時、高度を上げて行くドラゴンの背中から、地上で燃える炎が見えたっけ。あれはきっと半分死んでいた私の目に、地獄の業火の切れ端が見えていたのだ。
……
だけど空の上で見た景色は地獄ではなかったかも……マストの天辺で見る水平線や山の頂上から見る地平線も美しいけれど……空の上で見たそれは、人間が誰も見た事の無い物だったのではないだろうか。
世界は円で出来ていて、自分は球体の上に住んでいる……そう思える景色だった。もしかすると、あれは天国だったのかもしれない。
きっと私は地獄と天国の中間に居るのね。こりゃあ次に死ぬまでに積めるだけの善行を積まないといけませんねえ。
「化け物の来襲は終わったとは限らない、とにかくなるべく早くこの場から離れよう。ルードルフ、貴方もここに残るなんて言わないだろうね」
私はすっかり興奮しているヨーナスとエッベに、冷静にそう言った。二人は急に真顔になる……ああ。何かガッカリさせちゃったかしら。
「奴が現れる前に、吾輩は君と何か話していたような気がするんだが……どういう訳か何を話していたのか全く思い出せぬ……待てフレデリク、あれは少し面白い物かもしれんぞ」
ルードルフも冷静さを取り戻している。彼が指差したのは山頂に残る炎だった。炎は周辺の雪や氷を溶かしながら、まだ燃えている。
炎の周りには地面が露出しているようだが、どうも炎は何らかの液体から発せられているらしい。
「これは何だ、燃えているのはあの化け物の唾液だったのかな? あいつ、油を吐くんだね。少し記念に持って帰ろうか……何か入れ物は無いかな」
「ミードやワインを入れた瓶がある。これを空にしてはどうだ」
「ああ、ちょうどいいね」
私はミードをタンカードに注ぎ、そのへんの雪を入れて薄め、一口飲む……なんという冷たさか。これを真夏のハマームで売る方法は無いのかしら。
「ちょっと待った、飲む事は無いじゃないか」
「そうかね? あんな化け物と戦った後だ、一杯ぐらい飲んでも良かろう」
まあ、一杯ぐらいはいいか……ルードルフもミードを自分のタンカードに注いでいる。
ふと見ると。戦士の石碑の中にあった石の器の上でも、ドラゴンが吹いた火が燃えている。スコップを入れてみると、そこにあった凍土も柔らかくなっているようだった。
なるべく早くこの場を去らなくてはならないというのに……好奇心は猫を殺すって言うよなあ。猫……そういえばぶち君はどうした? ぶち君……ええ……あの子こんな事が起きた後でまた平然と毛布にくるまってますよ……
とにかく石の器に溜まっていた土砂は炎と共に取り除かれた。その下には特に碑文は無いか、あってもかすれて消えてしまったようである。
「酒はここに注ぐのが正解かな。じゃあワインとミードを……」
「待て待て! これだから若造は、ワインとミードを混ぜるもんじゃない、注ぐのはワインだけで良かろう」
「変な所にこだわるなあ。自分が飲む訳でも無いのに」
「先祖達に捧げる酒だぞ、疎かにしてはならん」
おじいちゃんのような事を言いながらルードルフは石の器にワインを注ぐ。成る程、これでちゃんと墓参りに来たような感じになった。
「あの化け物が先に出て来て良かった。ここにワインを注いだ後であれが現れたら、間違った伝説が生まれていたかもしれぬな」
ルードルフはそう言って自分のミードが入ったタンカードを掲げる。私も思わずタンカードを掲げ、もう一口、ミードを飲んでしまった。
「俺達はドラゴンに会ってビックリドキドキしてるのに。大人はさめてるしすぐお酒飲む」
そしてエッベが真顔でそんな事を言うので、私は口に含んだ酒を吹いてしまった。