猫「拙者世界を見る為にここに居るのだ。此度は何と言われようとついて参る」
それらしい無人島に到着したフォルコン号一行。早速地元動物の手荒い歓迎を受ける? マリー。
みんなも雪国では雪庇とセイウチに気をつけてね。
出発は私の懐中時計の時刻で8時。
荷物には念の為二晩野営出来るだけの食料や薪炭も含まれているが、基本的には12時まで探して見つからなければその時点で一旦船に戻る計画だ。
「気をつけるのよ? 本当に」
「大丈夫、これ以上油断しないから」
「危険な事はしない事。いいわね?」
アイリさんは私に何度も念を押す。
「解ってる。少しでも危なく見える事はしない。何せ古い石碑を見に行くだけなんだから、だめだと思ったら諦めるさ」
「吾輩……わしからも御約束する、フレデリク殿やヨーナスやエッベを危険に晒すような事はしない、そのような時はすぐに探検を諦める」
「ルードルフさん貴方もよ、貴方も命を賭けたりしないで下さいね? 貴方が命を賭ければ結局少年達もそうしてしまうんだから」
そして私達はフォルコン号の皆に見送られ、雪原へと旅立つ。なだらかな登り坂を犬ぞりに引かせ、自らも地面を蹴る。
◇◇◇
ランプは全部のそりにつけた。雪原はよく光を反射するし今は風も少ないので、結構遠くまで見渡せる。空もぼんやりと光っている……完全に真っ暗ではない。
道標となっていたのは伝統的な石積みだ。石工が切った跡のある石と、自然に落ちていた石を組み合わせて、目につくように積んである。
今回は犬達も進路を知らないので人間がちゃんと指示してやらないといけない。登り坂も多いし、あの砦へ行った時のようなスピードは出せない。
強い斜面を避けて斜めに折り返しながら、私達は道標を辿り、広く大きな山を登って行く。
最初のトラブルは15分後に起きた。
「待った! ちょっと……」
私は先頭のヨーナスを呼びそりを停める。荷物の中に信じ難い物が見えたのだ。丸めて紐で閉じた毛布の一つを私は覗き込む。
「ぶち君!? 何でそんな所に挟まってるんだよ! 誰も気づかなかったのか」
誰かの悪戯!? そんな訳が無い。毛布に猫が挟まっているのに気付かず、誰かがここに積んでしまったのか? とにかく私のそりには猫の毛布巻きが一本積まれていたのだ。どうするのこれ……
「お前こんな目に遭ってたなら何でニャーとか何とか言わないんだよ! 今さら戻らないからな! 悪いけどそこから出て来るなよ。ていうか寒くて出て来れないんだろそれ、全くどうしてそんな……」
ぶち君は横目でちらりとこちらを見ただけだった。実際毛布から出て来る気は無いらしい。私はヨーナスに合図し、再びそりを走らせる。
やがてそりは山の中腹に達し次の道標は斜面を下った先に見えた。私は後ろを振り返る。遠くに見える入り江にフォルコン号が停泊しているのが見える。
この先に進めばフォルコン号は見えなくなる。
そして行く手は……何という圧倒的な景色だろう。今居る山を越えた先は山に囲まれたなだらかな盆地になっていて、その先にはいくつもの山が連なる山脈が見える。広い、広い……岩と氷の雪原だ。
大海原とも、ソヘイラ砂漠とも違う光景。
雪原だけならフルベンゲンから北の砦に向かう時もさんざん見た。だけどあの時の私は砦へ続く道を犬達の案内で走っていた。
だけど私が今居るのは、もしかすると何世紀も人が通っていないかもしれない場所である。
「船長……遠くにシロクマが居る!」
「川が凍ってない……あれをどうやって越えよう」
エッベが、ヨーナスが、望遠鏡で辺りを見回しながら言う。エッベはフォルコン号の備品の方、ヨーナスはパスファインダー家の私物の方の望遠鏡を持っている。
シロクマは……エッベが見つけてくれたら私にも見えた……本当に遠くの雪原に、三頭のシロクマが居る。向こうもこっちを見てるようだ。山腹に現れた四基のランプは向こうからでもよく見えるのだろう。とにかく遠いのでお互い警戒する距離ではない。
川は丘陵地の谷間を流れているようだ……北の砦に行った時も途中にいくつか川を見掛けた。そのうちのいくつかは凍りついていたが、いずれにせよ向こうの川には全部橋や置石がかかっていた。しかしこの島の川にはそんなものあるまい。どうやって渡ろうか。
下り坂での犬ぞりの操作は意外と難しいようで、ヨーナスもエッベもルードルフも、時々声を上げて犬を制していた。
「待て! 待て!」
犬達へはスヴァーヌ語で指示する。私はスヴァーヌ語が出来ないが犬に命令する為の単語は全部ハイディーンやヨーナス、エッベに教えて貰った。
私のそりの先頭にはエレーヌちゃんがついていて、彼女は依然として私には冷たいのだが、ハイディーンさんの言葉通りそり犬の統率にかけては優秀な犬らしい。私のそりには無暗に行きたがる犬は居らず、私が声を掛ける必要はほとんど無かった。
雪原をさらに進む。今の所は順調だ。天気が良く遠くまで見渡せるので、だいたいの現在位置も把握出来ている。
さて、第一の難所だろうか。私達の前に現れたのは凍結していない川だった。幅は10mくらいある……水深は浅そうだが流れはそこそこ急で、水面からは湯気が上がっている。私たちはまず、そりを止める。
「冷たい水だけど……気温よりはずっと温かいのか」
「どこかに地熱があるのだろう。太陽も出ないのにこれだけ温まっているのだ」
私とルードルフは川岸に屈んで水に触れそんな感想を交換する。言われてみれば日も出ないのに、何が雪を融かしたのか。
私はふと顔を上げる。川の対岸で何か動いた……きゃああぁあぁあ!? 何あれ、真っ白な犬!? 違う、キツネだ! 真っ白でふわっふわのキツネが一頭、円らな瞳でこっちを見ている! 可愛いぃいぃい!?
次の瞬間。
「ウゥー、バウッ!」
ああっ!? エレーヌちゃんが吠えた!? 私が一度狼犬達の方を振り返り、もう一度前方に視線を戻した時には……もう、全力で逃げ去る白いキツネの尻尾しか見えなかった……
「ああ……キツネ、逃げちゃったじゃないか」
「温かい川の水を飲みに来たのかもしれんな」
私とルードルフが逃げて行くキツネの背中を見ていると、尚もエレーヌちゃんが騒ぐ。
「バフバフ……ワウッ! バフッ、ワンッ! ワンッ!」
「なんだよ……ハーネスを外して欲しいのか?」
エレーヌちゃんは後ずさりして首輪を外したいというような仕草をしている。だけど私はハイディーンさんに習って来た。動物の希望を聞いてはいけないと。
「だめだめ、今、川を渡る方法を考えてるんだから。君と遊んでる暇は無いよ」
私がそう言った瞬間。ヨーナスが、川の下流を指差す。
「船長……鱒が跳ねてる」
ヨーナスが指差す方を見た瞬間。ちょうどちょっとした岩の段差で出来たほんの30cm程の滝を、銀鱗輝く魚体が飛び越えて来る……次から次へ。どの魚も50cmは越えていそうだ。
故郷ヴィタリスの川を思い出す。ちょうどこのくらいの大きさに育った鱒が川を上って来るのを、浅瀬の網や籠に追い込んでまとめて捕まえたり、棒でぶっ叩いて気絶させ浮いて来たのを捕まえたり……
私は剣帯に下げていた片刃の鉈を抜き、川面に近づく。
「フレデリク殿? 大丈夫か」
「大丈夫、気をつけるから」
船酔い知らずの魔法の服を着た私はせせらぎの中の小さな岩や氷の塊の上でも、滑ったり踏み外したりせずに飛び歩けるのだ。私は川の中の段差に素早く忍び寄り、今まさにそれを飛び越えて来た魚に、すくい上げるように斬りつける。
「えい!」
やった! すごく上手く行った! 弾かれた魚は対岸の雪の上に飛んで行って落ちる。私は興奮を隠しつつ対岸の魚の元に駆け寄る。これは50cmはあるよ、白い鱗が虹色の光を反射する……綺麗な鱒だ。
「この島、魚も獲れるじゃないか、それもこんなに簡単に、本当に誰も来なかったのか?」
私はストーク語でヨーナスにそう聞いてみる。
「良く解らない。でもその極光鱒、とても小さい」
「とても小さい? 決して大物ではないけれど立派な鱒じゃないか」
ヨーナスはそんな事を言うけれど……これは極光鱒ですか! あの香りの良いしっとりとした脂のある……ああああ、やっぱりアイリさんも連れて来れば良かった! 食べたい! ああ、極光鱒……
「バゥワウッ! バフ! ワンッ! ワンッ!」
エレーヌちゃんが綱を一杯に伸ばして抗議してる。自分にも狩りをさせろ、そう言いたいらしい。私はそれを見て正気に戻った。
「だめだって、魚を釣りに来たんじゃないぞ……見ろ、向こうにそりが渡れそうな場所がある、あそこから渡ろう」
一尾だけ獲れてしまったこの鱒はどうしよう。帰りだったらフォルコン号に持ち帰って皆に自慢するんだけどなあ。
あ。さっきの真っ白なキツネ。まだ遠くでこっちを見てるよ。あの子、水を飲みに来たんじゃなく鱒を捕まえに来たんだろうなあ。
この鱒の漁業権は、この島に住むあの子の物かしら。
「船長、置いて行くの? それ」
「まあ、この小さな鱒はあのキツネにやるのがちょうどいいだろ」
エッベに尋ねられ私はそう答える。私は本当は小さくはないと思うけどね……でも人間と犬達皆で分け合うには小さ過ぎるか。やっぱりキツネにあげるのでちょうどいいや。
エレーヌちゃんも私がそのままにしておいた鱒を未練そうに見ていたが、私が再び手綱を取り合図をするとそれ以上は文句を言わず走り始める。