アレク「まさかこのままズルズルと北極まで行く訳じゃないよね……?」不精ひげ「無いと言い切れない所が怖いな……」
フルベンゲンを出港しさらに北へ。行き先は戦士の石碑。
皆大袈裟に送り出してくれたけど、お爺さんのお墓参りにちょっと付き合うだけじゃない。
正直な所、マリーはそのくらいに考えていました。
フルベンゲンがこの位置にあるのは偶然ではない。ここからさらに北へ進み、いくつかの島や山影を迂回すると、海を渡る空気がガラリと変わる。フルベンゲンはそんな気候の境界線の、ぎりぎり手前側にあるらしい。
そしてフォルコン号はこの境界を越え北に進む事になる。そこでは暖流について来た温かい風に変わり、北極の周りを回る冷風が辺りを支配するという。
そしてある地点から周辺20kmくらいの沿岸のどこかに、古代帝国時代の建造物の遺構があり、そこが探索の入り口になるらしい。
「ヨーナスとエッベはたくさん食べて休めるだけ休め、あとで案内をして貰う時に体力が要るから。ルードルフもそうした方がいいんじゃないか」
ルードルフには皆と同じ船員室に入ってもらう事にした。士官用の個室は底冷えするのだ。船員室の方が厨房の竈の熱を利用出来る構造になっており暖かい。
ていうかこのおじいさん、本当に大丈夫なんですか……本当に大丈夫そうなんですけど……本当に70歳くらいなのかしら……?
船倉はそり犬達の棲家となっていた。簡単な柵の中にはハイディーンさんが持って来てくれた普段犬小屋に敷いてある藁やぼろ布が敷いてある。犬達もそういう物があると安心するそうだ。
だけどこんなにたくさんの犬に乗り込まれてぶち君は大丈夫だろうか? 私は少し心配したのだが、まるで問題無くぶち君は犬達に、犬達もぶち君に慣れてしまった。
もしかしてぶち君も犬派だったんだろうか。私が犬用に配ったトドというらしい海獣の肉を、ぶち君は喧嘩もせず御相伴させていただいている。
「あの猫どうして犬平気なんだろうな……俺は犬苦手なのに」
そしてこっちは同族嫌悪なのだろうか、犬っぽいカイヴァーンはやはり他の犬が得意では無いようだ……ぶち君が犬達の餌を分けて貰い仲良く食べているのを遠巻きに見ている。
「船長も上陸してからが仕事になるんじゃろ、たくさん食べて眠っておいた方が良いのではないのかね」
私が犬達の世話を一通り終えるとロイ爺がそう言ってくれた。そうか。私もそうした方がいいのか。
艦長室に戻る前に、私は一旦甲板の小さな飲料水の樽の所に寄り、カップを置いて栓を捻る……あれ? 出ないじゃん水。空なのかしら。
ウラドを呼んで水を汲み替えて貰おうか。私は樽を持ち上げる……あれ? 樽、空じゃないじゃん? まだ入ってるよ、何で出ないの?
私は樽の蓋を開ける。
「え……ありゃりゃ、凍ってますよ」
私は思わずマリーの素の声でそう言ってしまった。
樽の中の水は綺麗に凍っていた。そうか。本当は外はそのくらい寒いのか。私はどうも、服の魔法のせいでそこまで寒さを感じないので解らなかった。
「船長、喉が渇いたなら会食室の配管の上に鉄瓶が置いてあるわよ」
アイリが私に気付いて、そう声を掛けてくれた。
「もしかして、他にも色々な物が凍ってるのかな?」
「不精ひげが中身入りの酒瓶を集めてどこかに持って行ってたわね、凍って割れたら困るって」
「……酒は凍らないって聞いた事があるけど」
「なんでストーク人のフレデリク君が知らないのかしらねえ? ただの水よりは凍りにくいけど、エールは比較的凍りやすいし、あんまり寒いとワインも凍るわ」
そうなのか。
私の故郷ヴィタリスでも冬の寒い朝には竃の甕の水が凍る事がある。そして昔、そんな時にちょうど家に居た父が喉が渇いたからと言ってエールを飲みだした事があった。
祖母は怒ったが、父は水が凍って飲めないので、仕方なく凍ってない酒を飲んだまでと笑うばかりだった。
アイリさんはタコと戦って海に落ちた後、暫くは普通の毛織の防寒着を着て寒い寒いと言って厨房の竈の近くに張りついていた。夜も自分の士官室ではなく、厨房にハンモックを吊るして寝ていたようである。
しかし今朝からはどうやら船酔い知らずの魔法がかかっているらしい料理人の服を着ている。そしてやはり魔法のかかった服を着ている間はあまり寒さを感じていないようだ。
「アイリさん……この服の魔法、やっぱり物凄いと思いません?」
私はマリー声のまま小声で囁く。
「やっぱり、どう考えてもバニーガールだけなんて勿体ないですよ。皆だってこの魔法のかかった服を着てたら、この寒さだってへっちゃらなのに」
「そうね……そうよね……」
アイリさんは困ったような顔をする。この魔法のかかった服を着た人は必要以上に勇敢になり、そのせいで戦死してしまう事もあると。アイリさんは前にそう言っていた。それは私も身に覚えがあるしその通りなんだろう。
だからアイリさんは、この魔法はバニーガールの服に使われるくらいがちょうどいいと言う。
「少し気になってたんですけど。アイリさんの知り合いとか、大切な人が……この魔法の服を着て亡くなった事があるんですか?」
「うーん……」
アイリさんはますます困ったような顔をする。私はかなりデリカシーの無い事を聞いているのだと思う。そんな話、もしあったとしても誰彼なく話すような話じゃないよね。
「ごめんなさい変な事聞いちゃって、今のは忘れて下さい」
「いいわ、聞いて。この魔法の服を着て戦死したのはトリスタン先生の弟さんと、先生の友人達よ」
私とアイリさんは会食室に移動しながらこの話をしていて、私は今鉄瓶から木のカップに生温い水を移した所だったのだが、それを落としてしまった。
「あっ……」
しかし幸いカップはすぐ下の平らな棚の所に落ち、倒れずに留まった。
アイリさんは気にせずに続ける。
「みんなこの魔法のかかった服を着て戦場に行って、たくさん手柄を立てて出世もしたけれど……一人、また一人と亡くなって。最後には一人も帰って来なかったそうよ」
アイリさんは自分もカップをとり、お湯という程には温まっていない飲み水を注ぐ。
「先生の言う事には賛成出来ない事も多かったけど、この魔法の使い道だけは私も賛成だわ。私だって今でも貴女にそれを着ていて欲しくない気持ちもあるのよ? もしその服を着たマリーちゃんが勇敢に戦って、命を落としたらと思うと……」
アイリさんは私がサイクロプス号やハマームで何をしていたのかは知らないし、ディアマンテの小聖堂で何があったのかも知らない。
「だからマリーちゃん、本当に、その服を着て危ない事をするのはやめてね? 私、船酔い知らずを着たマリーちゃんの身に何かあったら、きっと自分の事も許せなくなるわ」
「解りました! 私この服を着て危険な事をしたり戦ったりしません! ていうか私そもそも戦いなんて出来ませんよ! でも……意外です、あの先生にもそういう思いがあったんですね」
私が知っているトリスタンはファルク王子を暗殺する為その警備をしていた近衛兵を奇襲し躊躇なく射殺する奴だったし、かつての弟子であるアイリを恐ろしい暗殺用の短剣で刺そうとした奴だった。
「根は意気地なしで小心者だったもの……だから私驚いたのよ、あの城でお化けみたいな顔してた先生を見て」
アイリはそう言って、屈託なく笑う。
アイリさんって過去の事は何でも楽しそうに話すよなあ。トリスタンの事ですら、話してる時は楽しそうだ。ヴァレリアンさんの事もそうだったな。
うーん……
やっぱり、大人が黙ってる事をむやみに聞き出すもんじゃないよなあ。
ディアマンテで出遭ったトリスタン先生はアイリを殺そうとしたり聖堂で大暴れしてたり、見た目の迫力も相まって、こちらも一切遠慮せず何でもしようと思えた。
あの日私は、トリスタンを躊躇なく全力で剣で突いた。
だけど次にトリスタンと出遭う事があったら、私はもう一度それが出来るだろうか……弱虫の私には戦うごとに強い理由が要る。
……
いやいや! 理由なんて要らないよ! 私は戦う人じゃないから! これまでもこれからも!
剣の稽古をするのはいざと言う時に最低限の時間稼ぎをする為で、銃の扱いを覚えるのは近くに現れたクマを嚇かして追い払う為、それだけですよ。