ハイディーン「さて、と……あいつらが居ないうちに用意しておこうか」
マリーは思う。自分はスヴァーヌの人達に上手いこと担がれっぱなしのような。
最初はただ、ヨーナスとエッベの「掟破りの罰」とやらを止めさせようと思っただけなのに。
何故かフレデリクは二人を連れルードルフの冒険に付き合う事になりました。
頼みもしないのに、フルベンゲンの男達は戦士の石碑を探す冒険の準備を始めた。
ホールには様々な地図が持ち込まれた。
地図というのはどこの世界でも貴重な品物で秘密である事も多く、ことに大変複雑な地形を持つスヴァーヌにおいては、この先人の知恵を利用出来るかどうかは死活問題になるという。
とにかく彼等はそんな先祖代々の知恵の結晶である地図を、惜しげもなく見せてくれた。漁師の地図、山師の地図、歴史家の地図、きのこ採りやトナカイ飼いの地図まで……聞けば案の定どれも絶対余所者に見せてはいけない物らしいのだが。
「村を救ってくれた英雄ルードルフとフレデリクが、村の若者ヨーナスとエッベと共に戦士の石碑に行く為だろう? 今回は特別さ」
戦士の石碑があるだいたいの場所は彼等も把握していたが、実際に行った事のある者は居ないという。
「この島のどれかだろ?」「いいや、半島側だろう」
「サガでは山の上だと謳われてるぞ」「しかしそこは古戦場のはずだ、大勢の軍勢が無人島の山の上に登るか?」
「きっと昔は砦があったんだ」「包囲されたら終わりじゃないか」
集まった男達は喧々囂々(けんけんごうごう)、地図をひっくり返したり重ねたり押し退けたり、胸を突き合わせ議論を交わす。
「バフッ、バフッ……ワンッ!」「バフフ……クォン」
ハイディーンさんは犬達を港まで連れて来る。彼等とそりをフォルコン号に積んで行けと言うのだ。
「真冬に戦士の石碑を目指すのはいい考えだと俺は思う。何しろこいつらが使えるからな」
犬達は船に乗せられるのを嫌がりはしないのか? そう思ったが皆綱で引かれるまま素直に渡し板を渡り、フォルコン号に乗り込んで行く。一頭を除いては。
「エレーヌ、お前一体どうしたっていうんだ……おかしいなあ、普段は一番利口で頑丈な奴なんだが」
金色がかった灰色の狼犬のエレーヌちゃんはフォルコン号を見た瞬間から波止場にべったりと寝そべってピクリとも動かない。綱で引かれてもズルズルと引きずられるだけ、断固拒否という構えだ。
「いや、こんなに嫌がるものを連れて行くというのは、僕の方でもちょっと」
「仕方が無いな……じゃあ担いで乗せておくから。どうしても動かないようなら非常食にしてくれ」
「そういうの勘弁してくれよ、とにかく乗せなくていいから!」
私がそう言って冗談とも本気ともつかない真顔のハイディーンさんを止めようとすると、エレーヌちゃんは慌てて起き上がり、小走りで渡し板を越え船に乗り込む。
「やれやれ、やっと乗ってくれた。非常食は冗談だぞ、食べないでくれ」
「食べないよ! そんな事より……君達は本当にこれでいいのか」
私は波止場に広がる光景を見渡す。
空にはまだ少し明るさが残っている……極夜の太陽の出ない昼がもうじき終わる。
村から少し離れた場所にある港には、今は百人近い人々が集まっていた。村に残っていた家族と、自警団に参加する為周辺から集まった男達。
氷の煉瓦で造られたドーム……ここでは子供達が出入りして遊んでいるようだが、この時期には実際に氷原にああいう物を建て、その中で寝泊まりして魚や海獣を獲っているグループも居るそうだ。
想像もつかない。
フルベンゲンの人々は季節に合わせてフィヨルドの谷間や凍りついた湖の上、人造林、時には鉱山の洞窟や氷河の中州に、小屋を立て、テントを張り……その季節、季節に得られる北の大地の恵みを集め、暮らしを繋いでるという。
ヨーナスとエッベは氷のドームの辺りで子供達のグループに囲まれていた。子供、たくさん居るわね。
いま港に居る人間の半分は子供のようだ。12歳くらいと思われるヨーナスより少し大きい子も居るけど……私と同じ年くらいの子はほとんど見掛けない。
それはつまり、15歳くらいの子はもう大人として扱われていて、大人と同じように氷の家やボリスさんが居た海辺の砦、襲撃されたオコネル農園のような、村から離れた場所に居て働いているという事だろう。
「僕は本当にヨーナスとエッベも連れて、戦士の石碑を探しに行くぞ?」
「勿論だ! 皆喜んでいるよ」
「いや、喜んでるってそんな……」
「なあ。雪原には獰猛なシロクマにトド、サーベルタイガーが居て……最近ではそれ以上に危険な、海の向こうから来る重火器を持った密猟者が出る事もある」
やめよう。冒険やめ! 犬を船から降ろして! 私、ルードルフさんを説得してアイビスに帰ります!
「だけど戦士の石碑を探しに行くに当たって一番危険なのは氷のクレバスと雪庇だ。深さ100mの断崖絶壁から落ちる奴は滅多に居ないが、高さ5mの雪庇には油断して簡単に落ちたりするもんだ。危険度はどっちも一緒だよ。気をつけてくれ」
ハイディーンさんはまだ何か言ってるけど、私はアイビスに帰るから!
帰る……だけど……
ヨーナスとエッベ、めちゃくちゃ嬉しそうでめちゃくちゃ自慢げでめちゃくちゃやる気満々だな……子供達に囲まれ、質問攻めに会いながらもまあ、鼻高々だ。
良かったね二人共。友達みんなに褒められて鼻が高いね……凄く苦労したもんね。
軍艦でパウダーモンキーとしてこき使われて、やっと逃げ出して、ウインダムではネズミの真似事までして。それからフォルコン号に乗って、今度は水夫としてこき使われて。白波と船酔いも乗り越えた、巨大タコとの戦いをも生き延びた。そうしてやっと帰って来たんだもの。
◇◇◇
冒険の準備は整ってしまった。
フルベンゲンにとってそり犬は大変貴重な交通手段のはずなのだが、彼等はそれを二十頭も貸してくれた。そりも四台積み込んだ。
地図の写しもいいのだろうか。彼等は後で返してくれればいいと言うが、他所者の私がこれを持ち逃げするかもしれないとは思わないのか。
そして。
「船長! 雪原の旅はとても危険! 俺達海のなまこ……海の男ヨーナスに任せて!」
「ルードルフ! 俺達があなたを戦士の石碑に連れて行く! 俺はフルベンゲンの勇者エッベ!」
これ以上ないくらい調子に乗った鼻高々のドヤ顔で、フルベンゲンの兄弟は言った……お前らさっきホールで萎れてたのは何だったんだよ。
それで、本当にこれでいいのか。
フルベンゲンの大人達は波止場で喝采を上げ、手を振っている……ボリスさんも。まだ小さな息子達が危険な冒険旅行について行くというのに、そんな喜んでいていいのか?
フルベンゲンの掟というのは一体何なんですか。私が考えているのより、ずっと恐ろしい事なんだろうか。
まさか二人は磔にでもされるというのか? 村を勝手に出て戻って来たせいで!?
だけど子供達が危険な冒険に出る事をこんなに喜んでいるというのは、もしかしてそういう事なのか。このまま村で掟に従い処罰されるよりはマシだと……
「何だか面白い事になったわね、フリデリク船長」
私は不意を突かれて小さく飛び上がる。アイリさんが声を掛けて来たのだ。アイリさんはその言葉とは裏腹に、腕組みをして眉間に皺を寄せている。
「貴方どういうつもりなの? 本当にあの子達を連れて冒険に行く訳? 地元の人達も危険な冒険だって言ってるけど」
「解ってる! 危険だと思ったらやめるから! 大昔に建った石碑を一つ見に行くだけだから! 大丈夫!」
そこに、ルードルフもやって来る。ルードルフもあまり顔色が良くないな……この冒険に出掛ける事に、あまり賛成ではないのだろう。
「我輩……わしのせいで面倒事に巻き込んでしまい、誠に申し訳ない」
「僕にはもう誰が誰を巻き込んでるのかさっぱり解らなくなったよ! だけど、号令は貴方に出して貰いたいな。船に仲間、犬とそり、地図はここ。それに道案内だって居る。こんなに準備万端な冒険は滅多にないぞ」
ストーク貴族の四男坊で生意気で不遜なフレデリク君は、自分の五倍近く生きてそうなルードルフにもタメ口をきく。
ルードルフは一瞬目を丸くしたが……すぐに、少し赤みを増した顔でにやりと笑った。
「そうだな。冒険の準備は万端のようだ。我輩もこれでも様々な経験をして来たつもりだったが。こんなにも暖かく門出を見送られた事は記憶に無い」
ルードルフは波止場を指差す。見送りの人々はさらに増え二百人近くになっていた。そして後から後から増えて行く。
フォルコン号は既に抜錨していて、例のヴァイキング風の船に牽引され波止場から離れ向きを変えて行く。
「世話になるぞ、フレデリク殿、フォルコン号の皆さん。では……出航!」
アレクとカイヴァーンが牽引船のフックを外す。展帆はヨーナスとエッベに任せた。フルベンゲンの人々が、二人の父親のボリスさんが見守る中、二人は堂々と索具を操りフォルコン号の帆を開いて行く。