アネッテ「本当にもう……ついこの前までおねしょして泣いてたのに……」ヨーナス「やめてくれよ……」
間隔が空いてしまい申し訳ありません!
フルベンゲンにたどり着いたフォルコン号! そこにあったのは氷の住居とクマの毛皮を着たエキセントリックな大男!? いいえ……普通に文明がありました。
結局の所少年達は母親にすがりつき泣いていた。
母から見れば半年の間行方不明だったのだし、少年達の方は遥か2000km彼方の街で二人ぼっちだったのだ。御互いにもう二度と会えないかもしれないと思った事もあったのだろう。
それがこうして再会出来たとなると。喜びや感動より、緊張と混乱が前に出てしまうものなのかもしれない。
母親も両脇に少年達を抱えて泣いていた。この人は感情の出て来る順番が私と逆だったのだ。本当は怒るつもりじゃなかったのね。
私は死んだと思っていた父に一年ぶりに再会出来た時、泣きながら抱きつこうとした。本当は次に父に会えたらまず棒か何かで一発殴ろうと思っていたんだっけ。
「ごめんよ……おかしいね、叩くつもりじゃなかったのに……毎日神様に御願いしてたんだよ、帰って来てさえくれればそれでいいって、もし帰れなくても、元気で生きててくれればそれでいいって……ごめんよ……」
ふと見ればハイディーンさんはハンカチまで取り出して、大きな顔の割に小さな目元を拭っている。
このホールの壁際にはもう一人、今この母親を呼びに行ってくれたおじいさんが佇んでいたが、この人の良さそうなおじいさんも涙を浮かべている。
フレデリク君はアイマスクをしているので、傍目には泣いているかどうか解らないだろう。
◇◇◇
夏のフルベンゲンには穏やかで魚群の濃い海を求め、周辺の村々や小さな入り江の集落から船や人が集まる。
この時期の漁は鰯類が中心で多くが肥料用に加工され、コルドンを経由して南へと出荷される。
コルドンからは民間の商船がやって来て様々な物資を売ってくれる。
冬になると周辺の人々は冬用の居住地に移りフルベンゲンには来なくなる。民間の商船も来なくなる。
その代わりにコルドンから官営の連絡船が物資を運んで来る約束になっているのだが、これが前の冬には全く来なかった。
さらに南のファンテン諸島近海で年明け頃から春まで続くはずの鱈漁も一昨年から大変な不漁が続き、鱈漁船も近寄らなくなった。
そしてフルベンゲンの男達には掟があるという。仲間の八割以上の賛成が無ければ、村を離れてはいけないと。
過酷な北極圏で共同生活をする中では、一人一人の労働力はお互いの生活と生命を保証する大切な物であり、勝手に村を離れる者が増えれば、残された者にも危険が及ぶ。
いつも通り難しい話は解らない私だったが、少年二人が浮かない顔をしていたのはこの掟のせいだという事くらいは解った。私はぶち君と顔を見合わせる。
◇◇◇
私はストーク語やらアイビス語やら入り混じった言葉と身振り手振りで説明する。
「ハイディーンさん、ヨーナスとエッベは冬の船が来なくなった理由を調べに行ったんだ。彼等はすぐ戻るつもりだった。二人はコルドンに向けて密航したけれど上手く行かず、途中で軍艦にパウダーモンキーとして売られてしまった。そこから何とか逃げ出してウインダムに流れ着きそこで僕に出会った。彼等には掟を破るつもりは無かった」
ハイディーンさんは厳つい大男で怒ったら大層怖そうである。だけどここまでの所は優しいおじさんにしか見えない。そのおじさんが、申し訳なさそうに眉間を顰めて答える。
「すまない客人、掟破りの事については俺の一存で決められる事じゃない、ここではフルベンゲンの男達全員の意見が一番重要なんだ」
ヴィタリスだってそうだ。田舎は皆が力を合わせて生きる所だ。困った時は助けてくれる代わりに、勝手な事をすれば怒られるのは仕方ない。
そう、マリーは納得するけどフレデリクが納得しない……いや。そんな格好つけなくても、やっぱりマリーだって納得出来ないよ。
私は、世の為人の為に良かれと思って一生懸命働いた人が報われないのが好きではない。
ヨーナスもエッベも、掟破りの事については反論しようともしない。元々腕白のくせにすごく素直な子達だったけど……その罪を受け入れる事に、どうしてそこまで戸惑いが無いのだろう。
私はこんなに納得が行かないのに。
「聞いてくれないから言うけれど、僕はフレデリク。ロングストーン市国の商社パスファインダー商会に属する商船フォルコン号の代理船長だ。そして僕はここにビジネスの為に来たのであって、迷子を帰しに来たのではない。その二人は僕の船の大事な水夫で、戦力だ」
私はストーク語でそう言った。言ったつもりだ。だけど私のストーク語は貧弱ででたらめな上、スヴァーヌ人である彼らにはどこまで通じているか解らない。
「だがヨーナス、エッベ。君達には借金は無いし、望むならここで船を降りてもいい。君達がそう決めたのなら、僕はウインダムからここまで君達が水夫として働いて稼いだ給料を払う」
私は帽子を被って立ち上がり、ぶち君に合図をする。ストーブの近くのテーブルの上で丸くなっていたぶち君はすぐに起き上がり、ヒョイと床に飛び降りる。
ヨーナスが、エッベが、順に母親の傍らから離れてこちらを向いた。
「だけど君達がまだフォルコン号に乗りたいのなら歓迎するよ。ヨーナスは銛打ちもなかなかの腕だし、エッベは身軽で目が良い。君達が一緒なら心強いからな……ハイディーンさん、やはり僕は船に戻って積荷を降ろす事にするよ」
私はそれだけ言ってすぐに踵を返し、ホールの二重扉の方へ歩き出す。ぶち君は一度ちらりと少年達の方を見たが、その後は振り向かずについて来る。
「あ、あの、待って!」
エッベの声がした。
「俺、俺、今はまだ海のなまこ、にもつおろしの仕事をする! 最後まではらたく!」
「エッベ! お、俺も海のなまこ! 仕事はまだ終わってない!」
兄のヨーナスも遅れてストーク語でそう言った後、スヴァーヌ語で母やハイディーンさんに何事か告げる。
「皆が集まったら、皆にちゃんと謝らせて。フレデリク船長はああ言ってるけど、俺達ほんとは船長に拾ってもらったんだ。ウインダムって街で乞食みたいに生きてる所を……だからフルベンゲンまで来てくれたフレデリク船長の仕事を、最後までちゃんと手伝いたい」
私は好奇心に負け、ちょっとだけ後ろを振り返っていた。見るとぶち君も、前を見てるフリをしながら横目で後ろをチラ見している。
「お前達……強くなったね。なんだい。ついこの前までおっぱいがないと眠れないって言ってたくせに」
「いつの話だよ母ちゃん……勘弁してよ」
ハイディーンさんと少年達の母親が笑っている。少年達は……何か気まずそうな顔をしてるけど、あれは大人にからかわれているのかしら。
大人は子供をからかうんだよね。実の所、私も昔不精ひげを初めとするフォルコン号の面々がバニーガールの衣装まで着て現れた私を見て二歳の幼児の話をしだした事を、少しだけ根に持っている。
「ハイディーンおじさん、だからその……俺達決して逃げたりしないから」
「ハッハッハ……そんな事を疑う訳無いだろう……そうか、お前ら遠くの街で苦労したんだなきっと……大丈夫、解っているさ、フルベンゲンの男なら、引き受けた仕事は最後までやり遂げるべきだ」
そこまで聞いて、少年達は母親から離れ大急ぎでこちらに駆け寄って来た。
「船長! あの、コルドンの荷物降ろすの俺達海のなまこの仕事!」
「そのあとの事解らない、でも今ある仕事は最後までする、それが海のなまこ!」
発音の悪いストーク語で話す少年達を斜めに見て、私は帽子の鍔を抑えて笑う。
「お前達、それは海鼠じゃなく男だぞ」




