フレデリク、カイヴァーン、アレク「いただきまーす!」アイリ「本気なの貴方達」
「ひ゛ゃああ゛あああま゛ずぅい゛いいい゛ぃいい!」
「苦いし塩辛いしッ……何より腐敗臭みたいなのがすげェッ……」
「僕も……これはギブアップ……」
「私は止めたわよ?」
フォルコン号は夜明けの無いスヴァーヌ海の航行を再開する。
島々の間を抜ける海路では海図だけが頼りになる。暗礁のある水域もあり、その道は見た目以上に入り組んでいる。
正午が近づいて来ると、南の空がいくらか色づいて来る……その程度の明かりでも今は恋しく見えるというのに、ちょうどその頃から雲が厚くなり、雪が降り出した。
フォルコン号は一度船を入り江に入れ、投錨して全員で休息を摂る事にした。最初、見張りも無しにして開き直って全員睡眠を取ろうと言ったのだが、皆、眠れないか眠れてもすぐタコの夢を見そうだと言う。
「仕方ない、二人だけ見張りを立てよう。僕とアイリがいいだろう」
航行に必要な水夫の皆さんにはしっかり休んでいただく。止まってる船の見張りはまあ、素人でも出来る。
「アイリさんすみません、見張りに巻き込んじゃって」
私はマリーの声で言う。
見張りとは言うが外は大雪だし、フォルコン号が潜り込んだのはおあつらえ向きの小さな奥まった入り江だし、外で海面を睨んでなきゃいけないという事もあるまい。私達は船長室で裁縫をして過ごす事にした。
「それで? 何か私を指名してくれた訳があるんじゃないの?」
「あの短銃、タコと戦ってる最中に焼きついて動かなくなっちゃったんですけど……アイリさん、また別の」
「あら、良かったじゃない。船長は15歳の女の子なんだから、前に出て戦ったりしなくていいのよ! 美少年ごっこは仕方ないけど、戦うのはやめなさい」
壊れた銃の代わりに、別の武器にまたあの魔法を掛けて欲しいという私の要求はあっさり拒否された。まあ、すんなりやってくれるとは思わなかったけれど。
それにしても。アイリさんは船乗りも戦争も大嫌いだというのに、何故こんな船に乗ってしまったのか。いや、私だって戦うのは嫌いですけど。
「アイリさんだって戦ってたじゃないですか、海に落ちてまで」
「私? 私はタコを料理しようとしていただけよ、料理人だもの。切ってる時から臭いが凄かったから、途中で諦めたけど」
それでアイリさんは今は船酔い知らずではない普通の防寒着を着ている。それはそれで暖かいんだけど、魔法の服の方がより暖かいんですよねぇ。
「アイリさんって、基本的に魔法を使うのがあまり好きじゃないんですか?」
「えっ……うーん。そうなのかもね……私があの男、トリスタンから習う事が出来た魔法はあの男の都合のいい物ばかりで……船酔い知らずも覆水盆返しも商品を製造する為の魔法だったし、他にもね。私は平和に手に職がつく魔法を習いたかったのに」
覆水盆返しというのはあの短銃に掛かっていた魔法の名前だろうか。船酔い知らずといい、絶対効能と名前が合ってない気がする。
私は何気なく次の一言を口に出した。
「喧嘩になる前はどういう師弟関係だったんです? あの先生どういう人だったんですか」
私の質問にアイリは一瞬顔を上げるが、またすぐ縫い物に目を戻す。
「そりゃもう陰気で意地悪でね! そうね、とにかく一言多いのよ、普通の人はちょっと意地悪な冗談を思いついても口に出したりはしないでしょ? 先生は全部言うのよ! 私だけにじゃなく、取引先や御客様にも言っちゃうの。そんな人、商売する資格無いでしょ? それでその度に私が代わりに謝るのよ」
アイリさんは軽く吹き出しつつ、口元を抑えて何とか笑いを堪える。
「プライドばっか高くて人を頼りにしないし出来ないの。それで自分で何でも出来るのかって言えば、出来る事もあるんだけど……出来ない事は本当に出来なくて、まず二つの事を同時に考える事が出来ないの。だから最悪なのは料理! 出来もしないのに料理を始めて、いつも鍋に火を掛けて待っている間に別の事を考え出して、鍋の事を忘れるのよ。あは、はは……あの人、何回小火を出したのかしら」
そこまで言ってくすくすと笑っていたアイリは、急に私を見て笑うのをやめる。それで私が怪訝そうな顔をしてるのを見て、再び苦笑いを浮かべる。
「まあ、最後はどうなったのかは知っているでしょ? 金貨七万枚の借金を負わされた挙句、私刑団をけしかけられてヴァレリアン諸共殺されかけて。ディアマンテでも危うく何かの悪さに利用される所だったわ……今はこうして笑って話してるけど、私、本当にあの人の何だったのかしらねぇ……」
◇◇◇
やがて時計上での夜が来て、私は水夫達を起こす。私とアイリにとっては夕食、皆にとっては朝食な食事を会食室で一度に摂り、私とアイリはそれぞれの部屋で休息につく。おやすみなさい。
◇◇◇
―― カン、カン…… カン、カン……
船鐘の音が私をフォルコン号の艦長室に呼び戻す。夢の中の私はひもじさに耐えかねて小川で川エビを獲っていたが、川エビに見えた物は全部脱皮した後の脱け殻だった。何という不景気な夢だろう。
私はまたフレデリク姿に着替えて艦長室を出る。操舵はロイ爺が担当していた。
「船長は眠れたかの。あの後はずっと雪続きな上、風が弱くて捗らなかったわい」
フォルコン号に積もる雪はヨーナスとエッベがこまめに掃除していたという。ただし艦尾楼の上は船長の安眠を妨げないよう除雪作業をしなかったと。私が振り返ると、艦尾楼の上にだけ30cm以上はあろうかという雪の層が乗っている。
「スコップはどこだよ、僕がやるから貸してくれ……」
私はスコップを探すが、それはヨーナスとエッベが紐をつけて背中に背負って占有していた。
「俺達フォルコン号のせいれいスコップ部隊!」
「雪のおいしゃさん! 俺達に任せてくりきんとん」
二人は私が何か言う前にせっせと艦尾楼の雪を海に捨て始める。
船に乗り始めてから何日だっけ。今日で8日目くらいかな? 放浪をしていたのはもっとずっと前からだと思うんだけど……短い間で本当に逞しくなったなあ。
男の子は成長が速いね。
ヴィタリスの悪ガキ共もいっぺん船に乗ってみたらいいのに。特にサロモン。あの男も一度労働者の気持ちを味わえ。
だけど私、あいつらに大きな借りを作っちゃったんだった。私が海に戻れたのはサロモンとエミールとニコラのおかげですよ。次に帰る時はもう少しマシなお土産を買って行こうか。
今思い出したんだけど、私が飴や干し肉をお土産に持ってったら、年下のエミールとニコラは喜んでくれたけど、サロモンは微妙な顔してたな。あれはもしかすると子供扱いされたと思っていたのか。
「船長、何か? 俺達何か良くないどんぐり?」
「いや、何でもない、ありがとう二人共、頼りにしているよ」
私は突然湧き出した郷愁を振り払い、フレデリクとしての意識に戻るよう努力する。フルベンゲンまであと少しだ。
フォルコン号はフィヨルドの海峡を行く。
右舷側に見えるのは島ではなくスヴァーヌ本土大陸だ。
島々はこの雪で白く覆われていたが、本土側にはもっと前から雪と氷の層が積み重なっていたようだ。太陽の出ない、雪と氷に覆われた季節……この地に生きる事を決めた人々にはどんな事情があったのだろう。
途中、明かりのついた小さな集落がいくつか見えた。フィヨルドの大地には恵まれた広い平野は無い。海風が通り北風が入らない場所があれば、どんなに狭くても有効活用する……そんな感じか。極北に暮らす人々の英知が伺える。
午前四時。二時間ごとに仕切られた当番表でヨーナスとエッベは船室での体力回復が義務づけられる全休の時間に入ったのだが、二人共艦首楼の上から離れようとしない。
「お前達、休むのも仕事だぞ」
私はストーク語でそう言いながら背後から近づく。前方にじっと目を凝らしていた二人が振り向く……目に一杯涙を溜めているのは、寒い中目を見開いて暗闇をじっと見ていたからだろうか。
「ありがとう、フレデリク船長。船長は英雄。巨大なタラコもたおす」
「船長っておとぎ話みたい。本当に俺達を村に返してくれた」
やめて! また天国の鐘が鳴るから! 天使がラッパを吹くから!
白鳥の群れが見事なメヌエットを踊りながら集まって来るから! ほら空から金色の光が降り注いで……ちょっと待って。村に返した?
「見えたのか!? フルベンゲンが!」
私も艦首の彼らに並び、前方に目を凝らす。フォルコン号は切り立つ島と大陸に挟まれた水路を航行していたが、どうやらその先が少し開けていて、その向こう正面に……微かに……降りしきる雪の中を、立ち上る煙のような物が見えた……
「俺達、戻って来た」
「フレデリク船長が、俺達を帰してくれた」
「それは違うぞ」
私は艦首楼の上に膝をつき鼻水をすすり目元を袖で拭う二人を、順に見渡す。二人は私、いやフレデリク船長を見上げる。
「お前達は冒険を成功させたんだ。帰してもらったんじゃない。自分の力でフルベンゲンにたどり着いた。ちゃんとコルドンにも行った。船が来ない理由も聞いて来た。コルドンからの品物も持って来た。ヨーナス。エッベ。君達こそが英雄だ」