ロイ爺「ププッ……フォルコンが卵を間違えて……」アレク「やめて、うひ、うひ、うひゃあははは」
パスファインダー商会は商社で、フォルコン号は商船だよ。各地の特産品や生活物資を運んで売る事を仕事にしているんだ。
私掠免許状は海軍に押し付けられただけだし、海賊退治は仕事じゃないよ。
グラストには公設の商品取引所があり、仲買人の事務所も何軒もあってあちらこちらで熱気のある取り引きが展開されていた。
アイビスからはワインや乳製品が、レイヴンからは毛織物や干し鱈や工業製品、とにかく様々な物が取り引きされている。
仲買人のおじさんはとても機嫌の良さそうな方だった。
「ああん? コルジアワインを持って来ただと!? 小娘、お前どこのモンだ? アイビス? アイビス人な訳ねえだろうこんな物持って来ンのはよォ?」
ちょうど別の商談をしていたレイブン人の人の好さそうな商人も口を挟む。
「フッフッフ、アイビス人はワイン造りを大層自慢にしていたが、近ごろではコルジア人に頼まないとまともな量を揃える事も出来ないのだと見える。どれどれ、味見をさせて貰おう……ほうほう、これはこれは。アイビスにはない美味さだな、それに小娘が持って来るとは、アイビスでは男も品切れかね? ハーッハッハ!」
アイビス人の仲買人は忌々しげに私を睨み付けているし、レイヴン語の方は私には解らないが絶対腹立つ事言ってる気がする。
「あの。買わないなら他所へ行きますので」
「買わないとは言ってないだろう! むかつく小娘め、言い値を出しやがれ!」
「お嬢さん、こんな男を通す事は無い、私に直接売りなさい」
「待てカラス野郎! 抜け荷は重罪だぞ!」
「結構ですよ! なんならイースタッドまで担いで行って売りますよ、お味の解らん人には買っていただかなくて結構!」
「だから言い値で買うって言ってんだろがあ! さっさと値段を出しやがれ!」
アレクも引くような丁々発止の後で、取引はアイビスの仲買を相手に軽く非常識な高値でまとまった。しかもレイヴン商人と仲買はそのまま商談に入ったようだが、これにまた掛け値をして売れるの? そんなにこのワインが良かったの?
「おっかしいなあ、不作でもないらしいのになんでこんな高値相場なんだろう」
台帳を手に歩きながら、アレクは首をひねる。周りではまだワインを中心に商談が進んでいるが、どうもアイビス産ワインは等級の高い物の在庫が無いらしい。
そのせいで仲買人がレイヴン商人に馬鹿にされているのだろうか? それでああいう喧嘩腰になっているとか……
「恐らく……戦争じゃろうな」
一緒に居たロイ爺がそう言って、溜息をついた。
「戦争?」
「うむ……きっと戦争が迫って居るのじゃ。ワインは戦略物資、戦争が起きそうだという噂が出るだけでも買い占めが起こる。品物は等級の高い物から無くなり、品薄になると普段なら捨ててしまうような失敗作も売り物になる……」
私とアレクは顔を見合わせる。
アイビス王国は決して平和で穏やかな国ではなく、内戦も起こるし他国ともよく戦争をする。酷い時には隣の国の王様の兄弟喧嘩にわざわざ加勢に行ったり、国境も接してないような遠くの国の宗教戦争にまで介入したりもすると。
そんなアイビス王国に生まれた私だが、幸いにして直接戦争に出会った事は無い。ヴィタリスが戦火に包まれたり、村の男達が徴兵されたりという事は今の所無い。衛兵隊長のオドランさんも日中の半分を牛の世話に費やしている。
「どこで戦争が起きるんですか。もしかして……アイビスとレイヴンの間で大きな戦争になるの?」
私は波止場を並んで歩きながら、ロイ爺の顔を覗き込む。
「アイビスとレイヴンは遠い昔から喧嘩ばかりしておるが、全部が全部敵かというとそうでもない、複雑な関係なんじゃ。宗教、血縁、利害……様々な要因が入り乱れておる。わしら商人にとっても、戦争は避けては通れない物じゃが……のう、船長……いや……マリーちゃん」
ロイ爺が足を止め、私の方を向く。私も背筋を伸ばしてロイ爺に向き直る。
「お父さん……フォルコンがよく言っておったよ。わしらは海洋商人じゃ。商人は海を越えて幸せを運ぶんじゃと。食べ物が足りない所に食べ物を持って来る。特産品を作った所にお金を持って来る。町の貴族やお金持ちには異国の珍しい物を持って来て、退屈を癒してやる……商人は幸せを運ぶ使者であるべきじゃと」
私は頷く。父は商人としてどのように戦争と向き合っていたのだろう。
私達は海洋商人として、ただお金を稼げばいいというものではなく人の世に良かれという哲学を常に持って……
「まあー、実現出来ていたかどうーか? っちゅうのはまた別の話じゃのう? うひゃひゃひゃひゃひゃ」
「やめて! またガマガエルの話だ! ガマガエル! ひゃあははははは」
「やめてって、ヒヒヒヒヒ、太っちょが話し始めたんじゃろうがフヒヒヒヒ」
「ずるいよロイ爺、ロイ爺が言わせたんでしょ! うひゃあははははは」
真面目に背筋を伸ばし深遠なお話を承っていたつもりだった私の前で、私の知らない話をネタに笑い転げる二人。
「ま……戦争の時こそ、わしら商人の腕が試されるという物じゃ。お手上げになるか、書き入れ時になるか……のう太っちょ? クックック」
「ククク。物が無くなるという事は、商機も広がるという事ですからね、御隠居様」
そう言って悪そうに笑う二人……幸せの使者何処行った。船長として海に出た事。時々、後悔しないでもない。
さて。ワインも一瞬で捌けて代金も受け取った。ここまで運んで来た甲斐はありましたよ。
後は毛織物でも買ってロングストーンに帰ればいいのだろうか。だけどちょっと遅きに失した感もあるような。今毛織物を買って内海に戻っても、それが製品になる頃には内海の短い冬は終わってるんじゃないですかね。
では北東へ行くか? 進んだ工業力を持つレイヴンの毛織物は、より寒い北洋に住む人々に大変喜ばれるという……
ロイ爺とアレクと、三人で市場を歩きながら。私の思案は次第に自分自身の事へと軸足を移して行く。
ここはアイビス領である。アイビス領にはアイビス国王が発令した国王令があり、それによると、この国では16歳未満の人間は正規の職についてはいけないそうだ。子供の就業は父母の仕事の手伝いに限り許されると。
では私のような……母は離婚して家を出ていて、父は法的に死んでいる孤児はどうすればいいのか? 養育院という、一度入ったら18歳まで出て来れない施設に入らなくてはならない。
私はそこには行きたくない。
あと一ヵ月半。私はあと一ヵ月半逃げ切って16歳になれば、正規の職に就く事も出来るようになり、故郷で普通に暮らせるようになる。
アイビス本土に居ると捕まえられて養育院に連れて行かれるかもしれないからと言って、魔法で船酔いを誤魔化してまで、出来もしない船乗りの真似事を続ける必要も無くなるのだ。
さて。私の故郷は冬でも温暖な内海の山村、ヴィタリス村だ。
一方ここより北東の海は内海や泰西洋に対し、北洋とまとめて呼ばれる事がある。冬には吹雪が舞い平地にも当たり前のように雪が積もるという厳しい土地だ。
つまり。私はあと一ヶ月半でヴィタリスに帰れるのにあんまり遠くへ行きたくないし、それが真冬の北洋というのは尚の事ご遠慮したい。私は色々弱いが寒さにも弱い。
さっきは仲買人に買わないならストークの首都イースタッドにだって行ってやると啖呵を切った私だが、あれも行き掛かりという物だ。本当は行きたくない。
「ワインで十分儲かったし、帰りの荷物は干し鱈で十分ですかね? 内海に持って帰って売れるやつを」
「船長、干し鱈も値上がりしとるぞ、保存食じゃから」ロイ爺。
「えーと……じゃあレイヴン茶碗や硝子食器を……」
「その辺りは目利きに自信が無いよ。船長も詳しくないよね?」アレク。
「アイリさんはどうかな……」
「アイリさん、昔骨董品で火傷した事があると言っておったのう」
ともかく。あと二ヶ月ばかりは海洋商人として真面目にやらせていただこう。その後はヴィタリスに帰ろう。私がそんな事を考えていると。
「船長、毛織物を買って北洋は駄目なの? レイヴンの毛織物は安くて品質もいいしコモランやストークでは喜ばれるよ」
ですよね? それを聞きますよねアレク君……商売の事だけ考えるなら、ここから北洋を目指すべきだけど……そうなるとヴィタリスに帰れるのが遅くなる。
いや実際、どうするの私?
例えばアイリさんはどうするのか? 何故アイリさんは故郷にも帰れず、恐らく大嫌いなはずの船乗りに自分もなってしまったのか? それは他ならぬ、私の父、フォルコン・パスファインダーのせいではないのか?
その娘の私が、自分だけ故郷に帰って穏やかに暮らす。私は本当にそれでいいのか? 或いは私や水夫達が許したとして、神はそれを許すのか?
ふと気が付くと……周りが騒がしい。取引所の外だろうか、アイビスの仲買人とレイヴンの商人が喧嘩でも始めたのか? 騒がしい声が聞こえて来る。
そこへ。港の役人さんらしき人が飛び込んで来て叫んだ。
「皆さん、暴徒化した市民の集団が近づいています! 衛兵と軍隊が出動し説得と鎮圧に当たっていますが、こちらに影響がある可能性もあります! 商談を中止して下さい! 荷物は倉庫に戻して! 混乱が収まるまで避難して下さい!」