ロイ爺「この年になってこんな、ほほ、ほ、ほ、ほ……」
レイヴン軍艦を襲ったのは超巨大なタコだった!
コルベット艦と同じくらい大きなタコ!? それってタコ焼きにしたら何人分なの!?
三人称ステージ、続きます。
タコの腕が一本、さらにもう一本、グレイウルフ号のメインマストに絡みつく。タコは他の腕でしっかりと船体を抱えながら、ねじ切るように力を籠める。
タコの腕は先端まで行けば細くなっているが、根元の方は直径だけで2m以上あり、そして大変な怪力を持っていた。
―― ミシミシ! ギシギシギシ!
それでもメインマストはフォアマストより多くの静索で固められており、いかに怪力の超巨大タコとはいえ一気にへし折る事までは出来なかった。
「撃て! 斬りつけろ! 艦を、艦を守れ!」
オーロラの明かりだけが頼りの暗闇、身を切るような冷たい海水、激しく揺れる船体……グレイウルフ号の水夫達はフォルコン号を襲撃するつもりで皆武装はしていたが、こんな超巨大タコに通用するのだろうか。
果たして。
「だ、駄目だあ、こんなの斬れねえ!」
一人の水夫が叫ぶ。彼は勇気を振り絞り、蠢き震えるタコの胴体にカトラスで斬りつけたのだが、元々あまり切れ味のよくない水夫のカトラスでは、水分をたっぷと含んだ分厚いなめし皮のようなタコの表皮を切り裂く事は出来なかった。
そして。
「ひっ……ぎゃあああああああ!?」
たった今タコに斬りつけた水夫が、タコの腕に絡め取られ巻きつかれる。
そして次の瞬間。
―― バリバリッ……メキッ……ギギギ……
「畜生ッ……メンマストが……」
タコの腕と胴体によって捻じられ、軋みを上げていたグレイウルフ号のメインマストの根元のあたりから破砕音が響き、ひびが入り出す。
「掌帆手! 降りろ! 早く!! くそおッ!! 間に合わねえ!!」
マカーティは別の場所でサーベルを振りかざし、タコの腕の一つに何度も振り下ろしていた。その斬撃は少しずつ、比較的厚みの薄いタコの腕の表皮を切り裂いていたが……タコの腕は離れないまま。それは、やって来た。
「畜生! 畜生! 敵艦が撃って来るぞ伏せろォォ!!」
超巨大タコの襲撃に加えて。先程まで身包み剥いでやるつもりで追い回していた不審な動きを見せた商船、フォルコン号が艦首砲を押し出したままこちらに向かって来ていたのだ。その姿はもう、ほんの50m先まで迫っている。
―― ドン
そしてついにフォルコン号が発砲した。
マカーティはがっくりと肩を落とす。何という運の無さか。
最初はこんな寒く退屈な場所に回された事自体が、自分の武運の無さだと思った。
化け物の噂は母国の漁船団から聞いていた。世界最高のタラ漁の漁場の一つ、ファンテン諸島一帯で急にタラが全く獲れなくなった。それと前後して、その近海で巨大生物の目撃情報が増えたと。自分はこれを首尾よく退治出来たと思っていた。
そしてその二週間後、極夜が始まった海に突如現れた一隻の船はこんな辺境の海には似つかわしくない高性能艦で、乗組員は嫌に少なくいかにも怪しかった。切り立つ岬を回った所でいきなり現れたのでなければ捕まえる事も出来なかったかもしれない。
まあ折角目の前に現れたのだからと、半分は軽い気持ちで、半分は期待して、少人数で探りに行ったら何と。この船の船長はハマームでレイヴンの高等外務官を身代金目的で誘拐し、王国に大変な損害を負わせた男と同じ名前だと言うのだ。
だけど情報によればそのフレデリクという男は大海賊ファウストを顎で使う危険な奴だというのである。マカーティはそいつはきっと刺青だらけで髭に導火線でも編み込んだ怒りっぽいギョロ目の大男に違いないと考えていた。
ところが船に乗っていたフレデリクを名乗る奴は、緊張感の無い痩せたチビだった。挑発しても全く手ごたえが無いしとても豪傑には見えない。
それでもマカーティは執念深く監視を続けた。この船は何かおかしいという自分の勘を信じて。
果たして。
目くらましの為の松明をつけた浮標まで浮かべ、フォルコン号は突如北へ回頭した。恐らくは極洋周りで新世界へと逃れる為に。フルベンゲンに行くと言うのは嘘だったのだ。
マカーティは刹那の時間にそこまで回顧していた。人は死ぬ時にそれまでの人生の事を思い出すと言うが。マカーティは最後にそう考えて少し自嘲するが、すぐに気を取り直す。自分はレイヴン人艦長だ。最期の瞬間まで最善を尽くす。
「黙って殺られてたまるかよ! 奮い立て国王陛下の兵士よ! この海にレイヴン人の強さとしつこさを刻みつけてやるぞ、俺に続け!!」
マカーティは艦長用のサーベルを振りかざし、超巨大タコの頭部めがけ、艦尾楼の上から危険なダイブを仕掛ける。
「うおおおおおおお!!」
ところがその途端、超巨大タコはグレイウルフ号のメインマストや船体、抱えていた水夫などから手を離し、急激に後退した。
「なっ!?」
タコが離れ何も居なくなった舷側の手摺り目掛けマカーティは落下し、激しく右脛をぶつける。
「ぐぎゃあッ!?」
さらに超巨大タコが突然船体から離れた事で、グレイウルフ号は激しい揺れ戻しに襲われ、水夫達が、海兵隊員が、次々と転倒し甲板上を滑り回る。
その瞬間。
―― ベキベキベキベキ!!
ぎりぎり持ちこたえていたメインマストが。揺れ戻しの衝撃に耐えきれず、タコの怪力でひびを入れられた所からへし折れる。
「ぬあああ!?」
しかし、たくさんの静索に支えられたメインマストは完全に倒壊するまでには至らず、船体と相互に支え合われたロープの力で、傾きながらも持ちこたえた。
そしてこの混乱の中、手摺りにしがみつきフォルコン号の監視を担当していた水夫が、あらん限りの大声で叫んだ。
「艦長!! 奴は艦首砲でタコを撃ちました!! ああっ……奴は……フォルコン号は引き続き小銃でタコを追撃中!!」
―― タン……タン! タン!
フォルコン号は艦首砲をタコに向けていた。その3ポンド砲弾は威力も射程距離も貧弱な豆大砲であったが、至近距離からしっかりとタコの後頭部を捉えていた。
その他にも。フォルコン号の甲板のどこかから小銃の発砲音が続く。その銃口が向けられていたのはグレイウルフ号ではなくタコの方だった。
そしてゆっくりと踊るオーロラが照らす極北の海に、レイヴン語の号令が飛ぶ。
「王国海軍兵士よ! 諸君らは誰よりも頑丈である! 諸君らは誰よりも執拗である! 諸君らは誰よりも諦めが悪い! 黒き翼の旗を見上げよ、国王の敵は今見えり、立ち上がれ! 世界最悪の強者共よ!!」
グレイウルフ号の副長ハロルドは振り返り、彼の上司マカーティ艦長を見た。しかしマカーティは後退するタコとフォルコン号を見つめ呆然としていた。
甲板に転がり痛みと恐怖に震えていた水夫達が、一人、また一人と立ち上がる。
暗がりの冷たい海に落ち絶望していた水夫達が、互いを励まし合いながら母船に向かい必死で水を掻く。
「装填しろ! 普段の手順は飛ばせ、砲弾が無ければそのへんのガラクタでも構わん、とにかく火薬を籠めろ! 湿っていてもいい!」
マカーティは叫ぶ。
タコはグレイウルフ号を離れ水面下に消えていた。いくらオーロラが照らしていても、さすがにこの明かりでは水中の様子までは見えない。
先程までグレイウルフ号に真っ直ぐ向かって来ていたフォルコン号は面舵を切り、グレイウルフ号の左舷側をすれ違うように通過するコースを通る。
タコは姿を現さない。先程のフォルコン号の大砲が効いたのか?
マカーティは気づいた。あのタコは恐らく大砲の音に反応しているのだ。奴は大砲を酷く恐れながらも、大砲に復讐しようとしているのではないか。
マカーティは目をつぶり、一秒だけ考える。そして。
「左舷側二番砲! 砲弾を入れるな、空砲で撃て!」
そう、マカーティが、グレイウルフ号に化け物を引きつけようとした瞬間。
「撃つなー!! こっちが今撃つから!!」
ほんの30m程離れた向こうを、交差してゆくフォルコン号の艦尾楼の上で。例のアイマスクをつけたふざけたチビがアイビス語でそう叫ぶのが聞こえ、見えた。
マカーティは本当はアイビス語が解る。解らないふりをして相手の油断を誘うのが彼のいつものやり方だったのだ。
「待て、撃つな!!」
マカーティが叫ぶのと。
―― ドン
フォルコン号の艦首砲が空砲を撃つのが、ほぼ同時で……
―― ザバァァア!!
その音を聞いた超巨大タコがフォルコン号の方の舷側に浮上し、その船体に掴みかかったのがその2秒後だった。
こちらの後書きの頂き物のイラストは、資料室に転載させていただきました!
【頂き物】ニコニコめがね爆弾おじさん(ファウストさん)の手配書
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