ランベロウ「奴は卑怯にも何日も前から私を監視していたのだ! そうでなければ! 私の完璧な計画がそう何度も見破られる訳が無い!」
スヴァーヌ海で盛り上がってる所で申し訳ありません、今ちょっと挟んでおきたい話がございます。
同じ頃、南大陸のマジュド国でのお話。三人称で御願い致します。
ロヴネル提督率いるストーク海軍の小さな艦隊は数日前より、南大陸のニスル朝連合の一角、マジュド国の軍港ファイルーズに寄港していた。
ファイルーズ側は当初、今までまるで接点の無かったストーク海軍艦の寄港に驚いたが、彼等が持参した文章には間違いなく首長イマードが自ら持っている筈のファイルーズ港の責任者の印章が捺されていた。
「通訳出来る者がかなり限られておりますし設備も軍港とは名ばかりの酷い物ですが、使用可能なドッグもあり波除け地としては問題ありません。薪水を始めとする物資の供給にもパスファインダー商会と協力関係にあるという商人が名乗り出てくれました。後はレイヴンが何と言うかですな」
艦隊の参謀クロムヴァルは、ロヴネルへの報告をそう締め括った。
「恐らくそこが鍵なのだろう。ストークが内海の入り口に程近いヤシュムと直接交易をする事、新世界交易の端緒を開く事、それをレイヴンがどう思うか。私はこの場所を維持する事がストークの未来を開く扉になると信じる」
ファイルーズ港で営業する数少ない宿屋のテラス。古く寂れた軍港を見渡しながら満足げに頷く年下の上官の背中を見つめ、クロムヴァルは密かに小さな溜息をつく。
「もう一つ……オロフを御記憶でしょうか」
「勿論だ。内海で傭兵をしていた男だな。彼の情報がなければ私はフレデリク卿の面識を得る事が出来なかったかもしれない……そうか、もう一か月になるか。艦隊を去りたいと言うのだな?」
「はい。本来こういう事はあまりすべきではないと思うのですが、この男に関しては特別と思いましたので」
クロムヴァルが控えている海兵に合図すると、別室で待っていたオロフがテラスに連れられて来る。
「提督! 色々とお世話になりやした!」
旅姿のオロフは笑顔で言った。
「ここで降りるのでいいのか? 君はニスル語も出来るのだろう、通訳の仕事でもう少し稼いで行こうとは思わないか?」
ロヴネルもそう言って、笑みを浮かべるが。
「へへっ、惜しまれるうちに去るのが渡り鳥の流儀ってもんですよ」
「まあ、そう言うと思ったぞ……君もストーク人でありながら腕っぷし一つで内海を渡り歩くという所まではフレデリク卿と一緒だな。約束の給与とは別に、これは私からの個人的な餞別だ」
あくまでここで立ち去るというオロフに、ロヴネルは数枚の金貨を渡す。オロフはそれを躊躇わず受け取るともう一度礼を言って、軍人達の気が変わって無理やり引き留められる前にとばかり、外へ飛び出して行く。
「やれやれ、偉い奴と知り合いになっちまった! この一か月待遇も悪くなかったし一財産も出来た、そしてこうして無傷で抜ける事も出来た! 俺にも運が回って来たかなあ? ハッハッハ!」
オロフは通訳で艦隊かファイルーズに残るよう誘われてもいたし、提示されていた条件も悪くはなかった。しかしオロフはそんな仕事に収まる気はなかったし、今は早く大きな街に行ってこの金で遊びたい、その事しか考えていなかった。
軍港ファイルーズから商港ヤシュムまでは陸路でもたいした距離は無い。オロフはヤシュムまで歩いて行きそこから船に乗るつもりだった。
オロフの身長は170cmくらいで、その髪は濃い金髪だった。そしてこれは関係の無い事なのだが、オロフの髭は別段濃い方でも薄い方でもなかった。
フレデリクの情報を母国ストークの海軍提督にもたらし、その提督をフレデリクに会わせる事に協力したならず者オロフは、まさかこの世に自分をフレデリクだと思い込みつけ狙う集団が居るとは思ってもいなかったのである。
その事は勿論ロヴネルも知らなかった。彼はただたまたま宿のテラスから見えた、街道を彼方へと走り去って行くオロフの背中を見ていた。
「幸運を、オロフ」
ロヴネルがそう呟き、宿のラウンジに戻ろうとした時だった。
―― ブボォォーン! ブォン! ブォン! ブォォォォーン!!
宿の正面の方から、吹奏楽器の爆音が響く。そしてラウンジとテラスを隔てる扉が勢い良く開き、ライオンのような髪と髭を持つ大男、レンナルトが慌てふためいて飛び出して来る。
「提督、騎兵の強襲だ! ここは俺が抑えるからそこから飛び出して逃げろ、早く船に飛び乗れ!」
しかしそのすぐ後に今度は黒髪をオールバックにまとめた大男イェルドも、レンナルトを追うように飛び出して来る。
「待てレンナルト! あれは何かおかしいが襲撃ではない!」
ロヴネルはレンナルトもイェルドも無視するかのようにテラスの扉の方へと向かう。そこへクロムヴァルも駆け寄る。
「お待ち下さい提督、尋常な様子ではありません」
しかしロヴネルはそのまま扉を開けラウンジへ向かう。レンナルトもイェルドもロヴネルを止めようとするが間に合わない。
幕僚らを連れたロヴネルが駆け寄ると、宿の玄関にはマジュドの民族衣装を着た屈強そうな男が一人、背中に逆光を背負い、両腕をY字に開いて立ち尽くしていた。
「諸君らも我が騎士に導かれし者達か! 先日は莫大な賞金のかかった大海賊が来たそうだが、我が騎士は一体外で何をしておるのだろうな!」
男はニスル語でそう言うと、ずかずかと歩み寄って来る。それを見たレンナルトはロヴネルの前に出てその間に立ち塞がろうとした。
「よせ」
「しかし」
ロヴネルはそのレンナルトを制止し、自ら数歩前に出る。ロヴネルと同じくらいの背丈の髭を蓄えた男は、ロヴネルの目の前まで来て立ち止まり、今度はアイビス語で言った。
「さて客人、その軍服は正しくレイヴンの物でもコルジアの物でもないようだが」
「失礼、我々はストーク海軍の……」
「ああ待て! 私がまだ名乗って居なかった! 私はマジュドの首長イマード、まあ、王様だ」
そう言って首長イマードは右手を差し出す。
「ストーク海軍提督、ロヴネルと申します。お約束も無しに寄港させていただき申し訳無い」
ロヴネルがその手を取ると、イマードはごくわずかに手を振って握手をする。
「私の印の入った紹介状を持って来たと聞いたぞ。はははは……私は確かに奴に言ったのだ、南大陸の北西岸で治安を守れる味方が欲しいとな、ただしレイヴンやコルジアはやめてくれと。ストークは想像もしていなかったが……薪水の供給に問題は無かったか? ここは見ての通り寂れているからな」
「全く問題ございません、全て良くしていただいております。首長。本当に我々は今後共ここに自由に寄港させていただけるのでしょうか」
「奴からもそう聞いているのだろう? ならばその通りだ。逆に問おう。君達は本当にここに戦力を置いてくれるのか?」
ロヴネルはフレデリクの姿を思い出しながら、力強く頷く。
「彼が首長にした御約束を違える事が無きよう、最大限の努力をする事を約束致します。代わりの艦艇が来るまではビルギットを旗艦として二隻のキャラック船と共に駐留させましょう。我が乗艦ヒルデガルド号は、一刻も早くイースタッドにこの朗報を伝え、ストークの商船団がヤシュムを目指せるよう働きかけたいと思います」
イマードはマリーの姿を想いだしながら、満足げに頷く。
「彼女が只者では無いのは知っていたが、このような離れ業を演じて見せるとは予想外だった! 我々は今は裕福ではないが、ストークの友人の為に出来る限りの事をするだろう」
二人はお互いの会話の中の違和感を、どちらにとっても母国語ではないアイビス語を使っているからだと思い込みながら、長い握手を終えた。