猫「言ってやれ。お主らが冒険に旅立ったその本当の理由を」
ヨーナス「スヴァーヌの教え……ヒッ……大人達が食事中に喧嘩を始めたらッ……ハフハフ」
エッベ「ハフハフッ……巻き込まれて皿をひっくり返される前にッ……飯を食い終われッ……」
「イプセンお前自分が市長だという事を隠してフレデリク船長と話してたのか」
「何故そんな事をする!」「恥ずかしくないのか!」
港湾役人のフリをしていたイプセンさんは、本当はコルドンの市長らしい。
「それはその……すまん……色々隠したい事があったので……」
「隠し事は男らしくないぞ!」「自分を偽るなど最低だ!」
ウラドが手短に訳してくれるイプセンさんへの非難の言葉を聞き、いたたまれなくなった私は彼と男達の間に入る。
「待ってくれ、少なくとも僕は全く気にしてないから! それより実務の話をしよう、まず僕らと取引をしてくれる人は居るんだな?」
男達は顔を見合わせていたが、すぐに頷く。
「近年コルドンに来る商船は減っていて、冬の間は特に少ない。イプセンは……俺達が新しい商船の来航を待ち侘びていた事をあんたに悟られたくなかったんだろう。こいつ、見栄っ張りだから」
「見栄だけではないッ……こっちが商船を渇望していたと知られたら、取引の時に足元を見られるではないか!」
私は一つ溜息をつき、別の話を聞く。
「もう一つはフルベンゲンだ、ここよりもっと北北東の港だとは聞いているけれど。そこに行く船に、この少年達を乗せる事は出来るのか?」
男達の数人が忌々しげにイプセンさんを睨む。イプセンさんは抗議しようと口を開くが、何かを逡巡するように言い掛けては止める。そのうちに別の男が口を開く。
「イプセンには市長として、幾つかの港や村に船を派遣する責任があるんだ。皆コルドンから船が来るのを待ってるはずだ」
「立候補する船が居ないのにどうしろと言うのだ、生活物資は夏の間に十分送ったはずだ、もう冬の定期便は諦めてくれッ!」
「勝手な事を言うな! 市長には歴代市長の仕事を引き継ぐ責任がある!」
「船が無いもんをどうしろと言うのだ! ただでさえ不景気なのに誰がこんな季節に北に船を出すんだバカじゃないのか!」
「貴様それでも市長かッ」「何度も言わせるな! 俺は市長を辞めたいんだ!」
そしてまたしても始まる掴み合いを、今度はスヴァーヌの男達がすぐに止める……一応順次ウラドが訳してくれるが、何を言っているのかよく解らない。
「コルドンではフルベンゲンに出すべき船が出せてない。そして出せる予定も立ってない。理由はコストに見合わないからか」
自称ストーク人のフレデリク君はストーク人らしく単刀直入に言った。イプセン……市長が男達に掴みかかられながら答える。
「簡単に言わないでくれ! 俺がただ金を惜しんでそうしてるのだと思うな、実際に金も人手も船も無いんだ、だから俺は頭を下げた! 下げまくった! 頭を下げるのはタダだからな! そして……誰も頷いてはくれなかった」
私は二人の少年の方を見る。少年達は鹿肉のシチューを食べる手を止め、こちらを見上げていた。
「フルベンゲンに来る船は減っていたのか?」
「俺たちよく知らないんげん、大人たち困ってたんぼ……なぜ冬は船来ない、だから俺たち……いいえ」
ヨーナスはストーク語でそこまで言って言い澱む。言葉が解らないならスヴァーヌ語で喋れよ、ウラドが訳してくれるから……いや、そういう問題ではないのかな……とにかく言いたい事があるなら言えと、私が問い返そうとした瞬間。
「アオアァ」
私もウラドもイプセンさんも周りの男達もその声を聞くまで全く、この場に猫が一匹紛れ込んでいる事に気付かなかった。
当たり前のようにフォルコン号から一緒に降りてきて当たり前のようにホールに入り込み、その辺りを好き勝手に嗅ぎ回っていたぶち猫が。少年の片割れ、エッベの所に戻って来て、一声そう鳴いたのである。
エッベは猫に促されたかのように、口を開く。
「俺達、コルドンへ行って聞いてみようと思ったんだ! みんな冬の船が来なくてがっかりしてたのに、夏の船の船長達は俺は頼まれて航海してるだけだから何も知らないって言うから、だったら俺達がコルドンに行って聞いて来ようと!」
そこまで言い掛けたエッベを、ヨーナスが止める。私はウラドから彼等の言葉を順次翻訳してもらっていた。
「村の掟。俺達は後から来る者達の為、フルベンゲンを開拓する為に生きる、だから本当は村を出たり、コルドンに来たりしてはいけなかった」
辺りの男達が静まる。ウラドがスヴァーヌ語をアイビス語に訳す声と、薪がパチパチと弾ける音だけが広いホールに小さく響く。
「こんな小さな男達が、皆の為に働いている」
イプセンさんの声が静寂を破る。市長はスヴァーヌ語で何か言った後で、ストーク語に切り替え……
「客人! 遠方よりわざわざ来ていただいた所誠にすまないが! この二人を連れてフルベンゲンまで行ってはくれないか!」
ビシッと! 切れのある動きと揺るぎ無いフォームで! 土下座をかまして来た。
たった今頭を下げるのはタダだと言い放った人間に土下座されてどう思うかというのは別として、父フォルコンのそれを空を舞う鷹の土下座とすれば、イプセンのそれは地を這う狼の土下座! 何と洗練された攻撃力のある土下座だろうか!
「それはそれとして! 俺達は商品が欲しいので毛織物も売ってくれ! ただしこの町は裕福ではないのであまり金は出せない! 出来る限り安くして貰いたい!」
私は二歩後ずさる。
「それから聞いての通り俺は本当はフルベンゲンに船を送らないといけないのだが、金も船も人も居なくて送れないでいる、だからその二人をフルベンゲンに送り返すついでに、俺がフルベンゲンに送らなくてはならない物資を積んで行って欲しい! なるべく安い金額で! 出来たらタダで!」
三度目の掴み合いを止める気力は私には無く、周りもろくに止めなかった。イプセン市長は男達に軽く袋叩きにされていたが、これはつまり私の負けである。
「解ったよ、毛織物は八割ここで売る。残りはフルベンゲンに持って行く。僕は商人だから商売も無しにフルベンゲンまで行きたくはない。他の荷物の運賃は……まあヨーナスとエッベが働く分だな」
私はそれをアイビス語で言ってウラドに訳してもらう。
「俺達が言うのも何だが、いいのかフレデリク船長こいつの言いなりで」
呆れ顔の男達が言う。私は黙って席につき、鹿肉のシチューを一口匙ですくう……甘味のある蕪がとろとろに溶けかかっている。香りの強い人参が鹿肉の獣臭を程よく中和して、柔らかく煮込まれた脂身のある鹿肉のどっしりとした味わいを引き立たせている……これは御馳走ですねぇ。
「お前達はどうだ? 夏までこの町に居て夏の船で帰るって手もあるけど」
私は念の為少年達にストーク語でそう聞く。
「フレデリク船長の船に乗りたいやき!」
「フォルコン号で帰るんぱっぱ!」
少年達は即答する。まあそうだよね。心配してる人も居るだろうし、早く帰るに越した事はないか。
周りの男達にも落ち着きが広がる。席に戻る者、飲み物を汲む者……逆に集まって来る人も居る。
「それで毛織物の荷物だが……売って貰えるのか、その、安く」
「とにかく保税倉庫に降ろさせるよ。取引はうちのアレクって男がするから。でもちょっと待って、今はこのシチューをじっくり味わいたいんだ」
商人達もそれで納得してくれた。
ホールはすっかり落ち着きを取り戻す。先程まで男達に足蹴にされていたイプセン市長が、居住まいを正し、服の埃を払いながらこちらに戻って来る。
「ありがとう。初めて見た時から解っていた、君はとても親切な英雄なのだと」
「良く言うよ……このシチューには感謝するけどね。どんなハーブを使ってるんだろう。まさかチョウジやコショウじゃないよね」
「あんな高価な物はスヴァーヌ王家が存続していても使っていなかっただろうな。この土地にはこの土地の秘密があるのだ」
「秘密で思い出した。フルベンゲンに行けと言う以上、海図は写させてもらえるんだよね? スヴァーヌの海岸線は信じられない程複雑じゃないか。漁船の船長が案内してくれなかったら、コルドンにだって辿り着けなかったよ」
フォルコン号は北洋の全体図を頼りにコルドンまで来た。コルドンは地図の北の端にギリギリ描かれていた。そしてフルベンゲンはここより北だと言うがどのくらい北なのか私はまだ知らなかった。
「スヴァーヌの海図を甘く見ないでくれ、先祖の血と汗の結晶だぞ。本当に複雑な地形だからな……いや、勿論提供させて貰うとも、写しは私が持っている」
私はシチューの皿から、煮込まれた大きめの鹿肉の塊の一つをまるごと口に入れる。筋の部分までとろとろに柔らかく煮込まれていて、噛み締めた時に溢れだす脂の甘さと、ぷりぷりの食感がたまらん……肉好きの食いしん坊を黙らせる、肉メニューですよ。
「何せフルベンゲンは海路で1300km、他の港や村と比べても格段に難易度の高い場所……勿論そんな距離も真冬の寒さも怪物の噂も! 我らが英雄、フレデリク船長の行く手を阻む物ではあるまい」
は?
1300km? 怪物?