タリエイ「今日も魚はあまり獲れなかったけどな、海で面白い奴を見つけたぞ! ガハハハ」
延々、岩山の島々と崖と入り江が連なるフィヨルドの海岸。
荒れ地と雪原が入り混じる野山。
しかしそんな土地にも文明はありました。
穏やかなフィヨルドの湾奥の港。最後は私達をここまで連れて来てくれた漁船が、そのまま水先案内のボートと一緒になってフォルコン号を波止場へ牽引してくれる。
「こんな事まですまない、ありがとうー!」
「いいって事よ、コルドンを楽しんでくれよー!」
親切な漁師さん達はフォルコン号を波止場まで連れて来ると、舳先を巡らせて魚市場のある方へと漕ぎ去って行く。
さて、フォルコン号の舷側には簡素な渡し板が渡された。波止場からは暖かそうな毛皮の服と帽子を身に着けた役人さんらしき人がやって来る。
「あー。私は……イプセン。貴方は?」
「ストークのフレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト。フォルコン号の船長代理です」
私は自分でそう口に出してから間違いに気付く。違うよ私アイビスのマリー・パスファインダーですよ! 役人さんに偽名名乗っちゃ駄目でしょ!
「なんだ……ストークの奴か……」
「ああ、あの、僕は暫く内海に居たからストーク語を少し忘れているけど、本当にストークから」
「今時分ストークの船乗りが内海に? ああそう……それでここには何をしに?」
何だろうこの役人さん。最初は興奮を隠して冷静なフリをしていたけど、だんだんガッカリして本当に冷静になって来ているような。
「小船でガッカリしたのかもしれないけど、これでも商売に来たんだよ。出来れば取引がしたいんだけど」
面倒になった私は少しムッとしてアイビス語でそう言った。すると役人……イプセンさんの顔は一瞬輝く。
「えっ!? あ……ああー。取引ね。この季節には少し、少ないから。常設の商品市場は無いが倉庫業者の寄合がある、紹介してやらないでもない」
「用事はもう一つあるんだ。当船はスヴァーヌ人少年を二人、ウインダムで保護して連れて来た。彼等の身柄を引き継いでくれる人は居ないだろうか」
私がその話を持ち出した途端、ちょっとウキウキしかけていたイプセンさんの顔色がまた悪くなる。
「まま、待て、どっちだ? この船は迷子を渡す為に来たのか? それとも商売に来たのか? あの、後者だよな?」
私にそう言いながらイプセンさんは視線を泳がせる……ああ。ヨーナスとエッベが下層甲板の階段から覗いているのに気付いたみたいだ。私は二人に手招きをする。
「ヨーナスとエッベだ。フルベンゲンから来たらしい。彼等をそこに帰してやりたいんだが、誰か相談出来る人は居ないだろうか、その、僧侶とか……」
「フルベンゲン!?」
私がそう言って、イプセンさんがそう応じると、二人の少年はこちらに一気に駆け寄って来た。
「俺達フルベンゲンから来たんです! 白夜の頃に、最初は捕鯨船に密航したんだけど見つかって、それでレイヴンの軍艦に売り渡されて!」
「どうにか逃げ出してウインダムに辿り着いて……でもフレデリク船長に助けて貰えたんです! あの! フルベンゲンに行く船にはどうすれば乗れますか!?」
少年二人はスヴァーヌ語でイプセンさんにまくしたてる。言葉は解らないけど、何を言ってるのかは何となく解るような気がする。
「そうか……お前の船は迷子を届けに来たんだな……」
キラキラと目を輝かせる少年達に背を向け、背中を丸め、イプセンさんはスヴァーヌ語で何か呟く。だから何なんですかその反応は。
「何だか解らないけど、毛織物の積荷がたくさんあるんだ。たくさんと言っても小船だからどうという事は」
「やっぱり毛織物を売りに来たんじゃないか! 最初からそう言え! 組合に紹介するからこっちに来るんだ、ええと、あれだ、鹿肉のシチュー! 鹿肉のシチューもあるから!」
イブセンさんはストーク語でそう言って大きく手招きしながら、渡し板を戻って船を降りて行く。私は少年二人と、ウラドにも手招きをしてついて行く。
「やったー! スヴァーヌだああぁ!」「帰って来た! やっと帰って来た!」
渡し板を駆け下りた少年達は子犬のように互いにじゃれつきながら波止場の石畳の上を転げ回る。まあ、嬉しいんだろうなあ。好きで始めた冒険もこうも長くなっては、帰って来た喜びの方が勝るのも当然だ。
さて、ウラドを連れて来たのは彼がそもそも北洋の出身らしいからだ。ここスヴァーヌ地方は北洋のコモラン王国の一部で、この近辺はオーク族の居留地が比較的多い地域でもある。
ここから見渡していても、その辺りの漁船で働く者、その辺りの倉庫で働く者、街の通りにもちらほらと。オーク族の血を引く者がごく普通に生活しているのが見える。ここではウラドの存在は珍しくないだろう。
内海などでは珍しい者として見られがちな彼等にとって、こういう町は心安らぐのではないだろうか。
次第に空模様が変わって来た。風が吹き募り、雪が舞い始めた。
倉庫街の建物は各棟があえて隣の倉庫とは別の木材を使い、風合いの違いを引き立たせていた。そして漆喰の色も皆違う。
そんな倉庫街には単にホール、またはコルドンのホールと呼ばれる建物があった。
中は広く高い吹き抜けになっていて、中央には大きな暖炉があり大きな薪がたくさんくべられ、明々と燃えている……そしてフロアのそこかしこには小さな暖炉や椅子やテーブルがあり、主に男共が何かの相談をしていたり単に酒を飲んでいたりして寛いでいる。
ここはこの辺りの旦那衆の居間というところか。
私は、このホールに入った瞬間から違和感を感じていた。多くの男達が、ちらちらとこちらを見つつも、気が付かないフリをしている。
イプセンさんはホールに入るなり誰かにヒソヒソ話をしていた。それを聞いた男が、さりげないフリを装いながらまた他の男にヒソヒソ話をする。それを聞いた男がまた……そうして何かの噂話が、このホールの中の数十人の男達に広がって行く。
当然だが、私は気分が良くない。
「さあ、この鹿肉のシチューはこの町のおごりだ……そっちの坊主達も食え、鹿肉は久しぶりだろう」
「食事には礼を言うよ。ところで僕の商談の相手なんだけど」
「商談! もも、勿論な、商談の相手な、あー、私はちょっと、そんな相談を友達として来るから、ここでその、食事をしながら待ってるといい」
申し訳ないがマリーはともかく、フレデリク君はそこまで気が長くないのである。短気なフレデリク君は鹿肉のシチューに匙をつける前に、怪しいストーク語で周りに呼び掛ける。
「今入港したフォルコン号の船長代理フレデリクだ! ここには毛織物の取引と迷子のお届けの為に来た、毛織物は生地と毛糸が中心だが既製品もある、そして迷子はこの二人、フルベンゲンのヨーナスとエッベ、僕は彼らを故郷に帰す方法も探している! 誰か心当たりはないか!」
「ま、待つんだ船長、港にはその港の流儀というものが……」
たちまち焦り顔のウラドが私を窘める。だけどもう言っちゃったもんは仕方が無い。ああ。ホールの男達に、困惑と不満が広がって行くのが解る……
一人のおじさんが、半ば椅子を蹴って立ち上がり、イプセンさんを指差して叫ぶ。
「そうだイプセン! フルベンゲン行きの船はいつ出るんだ!?」
別の席のおじいさんも立ち上がる。
「他にもいくつもの村への便が滞って居るのだ、仕方なかろう!」
「なかろうじゃねえよ! あいつら南からの物資が無かったらどうやって生きるんだよ!」「偉そうに言うな! お前に何とか出来るのか!?」「誰か船を出せ!」
ヒエッ!? そこらじゅうの席の男達が立ち上がる、イプセンさんに詰め寄る人も居る、方々で口論も始まるし何なのこれ!? 私のせい!? 皆さん当然スヴァーヌ語で言い争っておられるので、その内容は私にはさっぱり解らない。
ふと見るとヨーナスとエッベは大慌てで鹿肉のシチューを食べだした! 何それ生活の知恵? しかしシチューが熱過ぎてなかなか捗らない。
「ストークの人! 毛織物は本当か、よくこっちに持って来てくれたな! 早速商談がしたい!」
「待て、商売相手は慎重に選んだ方がいい、うちはこの港で一番大きな倉庫だ、高く買えるのはうちだ」
「私は縫製工場を持っている! コルドンで一番の専門家は私だ、私とだけ取引してくれ!」
ひえええっ!? そしてさっきまで遠巻きに眺めていた商人達も駆け寄って来て矢継ぎ早に質問だか何かを浴びせて来た! だけどスヴァーヌ語だから何言ってるのか全然解んないッ!?
「私の話を聞いてなかったのかッ! その人は商売をする代わりにその迷子をフルベンゲンに帰したいと言っているんだ! その人から毛織物を買いたければまずフルベンゲンに船を出す方法を提案しろッ!」
イプセンさんは、他の筋骨隆々のおじさん達三人ぐらいの掴みかかられながらも、私めがけて殺到する商人達を指差し、そう叫んだ。
「船長……どれから翻訳すればいいだろうか」
ウラドはとりあえず私の前に立ち、商人達を押し留めてくれていた。
ヨーナスとエッベは騒ぎを他所に、涙目でハフハフ言いながら必死で熱い鹿肉のシチューに立ち向かっていた。