フレデリク「登場ポーズは……こうして、こう……薔薇は……こう!」
船乗り生活も五か月を超え、それっぽい事を言うようになって来たマリー。
自分は大丈夫なんですかねー?
午後遅くに島々の間を抜けると、干潟とは全く違う表情をした北洋が待っている。海の色も違うし、厳しく荒々しい。
風は6時方向でかなり吹き募っている。波は高く波頭が白く崩れ、うねりも高い。正直、マリーだったら船酔い知らずでもちょっと怖かったかもしれない。
「また風が回ったぞ、太っちょ、取舵5分」不精ひげ。
「へーい」アレク。
「ジブをしまおう、ウラド、新入りは動けるかね」ロイ爺。
水夫達は風と波に合わせ、フォルコン号が一番気持ちよく安全に走れるよう、帆と進路を調節する。
「ロイ、少年達は船員室に下がらせた」
ウラドは甲板に上がりながらそう答えた。しかしその後を追うように、エッベが甲板に現れ、舷側に飛んで行き……
「うおええ××□●▲×○ぇぇぇ~!!」
ああ。親近感が湧きますね。私も今船酔い知らずじゃない服に着替えたら5分でそうなります。むしろエッベの方がまだ強いな。ここまで持ちこたえたし。
出来ればエッベに遠くを見ろとか深呼吸をしろとか、船酔いの心得を語ってあげたいのだが……私のストーク語能力では無理だ。
私はつい何も言えないままエッベを見ていた。するとそれに気付いたエッベが、酷く慌ててペコペコ頭を下げる。
「ごめんくさい! しごとくさい」
「いや、いい、休め、下で休むんだ」
「海にぽいっちょしないでくさい、おねがいこつ」
「大丈夫だから! 休め!」
「エッベ。船長に迷惑を掛けるな。命令通り、下へ行って休むんだ」
そこに新入りの代わりにジブセイルを畳み終えたウラドが戻って来て、スヴァーヌの言葉で何か言った。土下座せんばかりに憔悴していたエッベはそれで落ち着いて、会釈をして下に降りて行った。
「ウラド、あいつら僕の事必要以上に怖がってないか?」
よく誤解されるがウラドの広大な筋肉は皆を安全に航海させるべく舵や動索を間違いの無いように操る為のものであり、人を物で叩いたりする事は大変に苦手にしている。彼は船と船の仲間を守る為にどうしてもという時以外は暴力を振るわない。そして正直で嘘がつけない。
「すまない、船長……腕白少年が船長に逆らうと困ると思ったので……フレデリクは小柄に見えるが大変な剣士で、ブルマリンでは鎧を着た重装歩兵を一人で何人も斬り倒したとか、ディアマンテで巨大な牡牛を一人で突き倒したとか、そんな事を吹き込ませていただいた」
「何でそんな! あー……いやいや、それは事実とは微妙に違うから!」
「スヴァーヌの御伽噺にはたくさんの船長が出で来る……スヴァーヌの子供達にとって、船長というのは途方もない力を持ったヒーローでもあるのだ」
艦首の方から若い女性の悲鳴が聞こえる。見れば何と。高いうねりと白波の中から、青緑色をした鱗を持つずんぐりとした上半身に、人間のような足の生えた半魚人が! 三つ又に別れた銛を手に飛び出して来るではないか!
奴らは次々と甲板に飛び乗る。しまった、逃げ遅れた若い女性が、彼等に捕まって……水掻きのあるカエルのような手で抱き抱えられる!
私は一歩、跳躍してシュラウドに飛び乗り、二歩、跳躍して、フォアマストの天辺まで一気にジャンプする。
「キャプテン・フレデリク!」
誰かが叫ぶ。
半魚人達は統制の取れた奴等だった。甲板に飛び乗って来た10匹以上の半魚人達は、フォアマストを囲むように展開して、三つ又の銛を、端から順番に投げつけて来る!
だけどキャプテン・フレデリクは御見通しだ。ひらり。ひらり。恐るべき速さで迫り来る銛を、最小限の動きでかわし、その一本をはっしと掴むと、片手の指だけで風車のようにブンブン回す!!
―― ガキン! ブン、キンキン、ガキン!
飛来した残り四本の銛を、自らの銛の風車で軽々と弾き返したフレデリクは! 半魚人を指揮する半魚人の族長目掛け飛び降りる! その高さ20m! 族長はただ目を見開き驚くだけ……
―― ズドン!!
次の瞬間には三つ又の銛は族長の目の前に突き立てられた! てっきり串刺しにされたと思って震え上がった族長は、気を取り直しタイのような歯列を軋ませる!
「お吸い物になりたくなかったら、僕の船から立ち去るんだ」
不敵に笑うフレデリク! 無礼で卑怯な半魚人達を許すのかフレデリク!? 船乗りの中の船乗りフレデリク!
しかし半魚人達は喚く! 喚く……えーと……魚って喋るの……? 浮き袋! 浮き袋を鳴らす!
「うるせえ! こっちには人質が居るんだぞ! お前こそ武器を捨てろ!」
ああっ!? そうだった! 半魚人の一人がうら若き乙女を、その手に抱き抱えてニンマリと笑っているではないか! 半魚人! 人間の女なんかさらってどうするつもりだ!
どうするフレデリク!? フレデリク? 胸ポケットの白い薔薇を手に取り……匂いを嗅いだ……そんな事してる場合じゃないよフレデリク……あっ! 投げた! 薔薇を投げた、どこへ!? ああっ! 乙女を人質に取った半魚人の目と目の間辺りに刺さっている! 美しい薔薇の痺れるような毒がっ……その半魚人を眠りに誘う……
―― バターーン(笑)
次の瞬間! すかさず乙女を救い出すフレデリク! さあもう遠慮は要らないぞフレデリク! でも乙女をお姫様抱っこしたままだぞフレデリク!
「あの、フレデリク様、ありがとうございます、ですがこのままではフレデリク様が戦えません、どうか私に構わずに……」
「どうという事は無い。奴等の相手など片手にも余る……しかしそうだな、この先はレディーの瞳には相応しくない調理シーンだ、彼らがお造りになるまでそうだね、10秒だけ、目を閉じていられるかい?」
不敵に笑うフレデリク! だけどその手にはさっきの銛も、愛用の剣も無い、半魚人達は怒り、じりじりと包囲を狭めて来る、どうするフレデリク!
待て、次回!
「待ってくれウラド、僕はヒーローなんかじゃないし、少年達にそんな過剰な期待を抱かれても困る、それにあんなに恐れられていては」
私はそう言った。慌てて言ったつもりだった。しかし私は1分くらい妄想の世界に居たらしく、ウラドはもう目の前には居なかった。
夜には少しだけ風が弱まり、うねりも少し低くなったが、海面は依然として時化の様相を呈していた。
私は懐中時計を見る……ずいぶん日が落ちるのが早くなったなあ。もうそんな季節だっけ?
後にして思えば、私はこの時点でも自分が何をしているのか、気づいていなかった事になる。