不精ひげ「なんか嫌に天気がいいな」ロイ「こんなによく晴れて暖かい所だったかのう」
マリーの気まぐれ? で行先が北になったフォルコン号。
本当は気まぐれじゃなく、ほとぼりを冷ます為なんだけどね。
グラストを出航して四度の夜が過ぎた朝。雲ひとつ無い晴天の元、フォルコン号の行く手に陸地が見えて来た。あれは大きなの河口だろうか……真ん中に巨大な砂だけの三角州がある。
港へ向かう水路は幅2kmくらいはあるのだが、そこを行き来する船の数が結構多い上、ほとんどの部分はかなり水深が浅いらしい。当然、水深の深い所は地元の大型船の為の進路になるだろう。
それで私も念の為艦首で測深を手伝おうかと思ったのだが。
「姉ちゃんは舵をやってくれた方がいいんじゃないかな、もしくはアイリさんが舵で姉ちゃんは見張りに上がってくれた方が」
ここは我が義弟、カイヴァーン船長が正しいのだと思う。私はその指示に従い、アイリさんにも御願いする。
北洋の大海原から、レイガーラントの首都ウインダムへ続く河口へ……フォルコン号は全員参加で操帆、操舵、測深を分担しながら進んで行く。
私はキャプテンマリー姿で見張り台から東の彼方を見回す。
水路の向こうは河口などではなかった。広大な遠浅の汽水湖だ。本当は地図を見て来たから解っている。ここから東の岸まで40kmはあるし、ウインダムまでは南に100kmくらい、この海のような汽水湖を航海しなくてはならない。
なんだか、ここには寄港しなくて良かったような気もして来たわね。もっと、サッと入れてすぐ毛織物が売れる、もっと北の港に行けば良かったような。
しかしレイガーラント……王室の名を取りクラッセとも呼ばれるこの国はコルジアやレイヴンに続く絶好調の新興国で、近年はアンドリニアに代わり東回り航路をぎゅうぎゅうに牛耳っているという海洋王国なのだ。
―― カンカン! カンカン!
前から来るそんなクラッセ船籍の大型船が船鐘を打ち鳴らしている。マストが四本もありますよ……四角帆が多い船で逆風ではタッキングに難儀しているようで、順風で進む小型船の我々にどいて欲しいらしい。
「アイリさーん! ゆっくり面舵切ってー!」
見張り台から舵のアイリさんに声を掛ける私。
「どうしてー! うちが先に直進してたんじゃない! 私は譲らないわよー!」
抗議するアイリさん。
「うそ、うそですウラドさん冗談ですちゃんとやります! ごめんなさい!」
謝るアイリさん。ウラドが慌てて舵の所に飛んで行ったらしい。
航海はチームワークなのだ。冗談もまたチームワークである。
フォルコン号はゆっくりと、進路と帆の開きを変える。
◇◇◇
汽水の大海を行く事10時間。フォルコン号は夕暮れのウインダム港に到着する。
大概の港町には波止場から倉庫街まで水路が走っていたりするものだが、ウインダムは町全体が大きな水路に囲まれていて、さらに町の背後に広がる田園地帯までずっと水路が続いているみたいだ。
そういう訳で港湾施設も実に広い。港のボートは一見さんの我々にもちゃんと浮き桟橋につけられる錨地を案内してくれた。
「アイビス商船フォルコン号、船長はマリー・パスファインダー……お若い船長ですね」
お若いとおっしゃるが、フォルコン号の甲板を訪れた港湾役人さんもかなりお若く見えた。眼鏡を掛けたひょろっとした青年である。
この人はアイビス語が御上手で助かる……私は北洋系の言葉は知らないのだ。
「最近の景気は如何ですか?」
「もう一つですね。皆東方船団の帰還を待っています。四本マスト四隻、三本マスト四隻の商船隊が、予定を半年越えた今も戻っていません。心配ですよ」
港湾役人のお兄さんはそう教えてくれた。
クラッセは東回り航路、南大陸南端を回り中太洋を突っ切り遥か東の彼方へ向かう香料貿易に大変力を入れている。
大型の武装商船の大艦隊で二年がかりで片道三、四万kmの航路を踏破して目も眩む量の黄金にも等しい価値を持つ香料を持ち帰るのだと。
かつてアンドリニアの専売特許だったその東回り航海は、アンドリニアのコルジア編入とコルジアの西回り重視政策による衰退により、クラッセやレイヴンを含めた三つ巴の戦いへと変化し、今日に至るそうである。
我らがアイビスはというと、そういう遠洋開発競争にはあまり参加出来てないらしい……いや、アイビスが普通で、他の国が海好き過ぎるんですよ。
「ここは水夫狩りも禁止されてるし手配されてる人も居ないから、誰でも上陸出来ます! だけど船には見張りが必要だから……二人だけ外れ! 外れた人は留守番、外れなかった人はお小遣い持って上陸!」
私は全員を甲板に集めそう宣言した。不精ひげとアレクとロイ爺とアイリが拍手する。
「方法はフェアですよ、私が握ってる藁に二本だけ短いのがあります! それを引いた人が外れ、さあ皆引いて!」
カイヴァーンが、アレクが、ウラドが、ロイ爺が、私が握った藁を一本引く……どれも長い。
「やった! 当たり、何か食べに行こうよアレクの兄貴ィ」カイヴァーン。
「スパイスをふんだんに使った分厚いステーキ! 早速行こう!」アレク。
「この街にも私の種族の居留地があるのだ、訪問して来ても良いだろうか」ウラド。
「ホッホ! 久々にふかふかのベッドで眠れそうじゃ!」ロイ爺。
アイリさんと不精ひげが睨みあう。
「ちょっと待って、もう当たり一本しか無いの!?」
「船長、俺は残り物を引かせてもらっていいか? こういう時は残り物に福が」
「私も残り物がいい! 先に引きなさいよ不精ひげ」
「お、俺が先に残り物って言ったんだぞ」
いいから早く引いてよ……そう思ってると。足元にぶち君が来ている。ああ。君が先に引く? はい、どうぞ。
「ちょっと待て船長、その猫も一票なのか!?」
不精ひげは焦りの声を上げるが、ぶち君が一本の藁を器用に前脚でつまんで引き抜くのが先になる……しかしその藁の長さは私が握っていた所から1cmも無かった。
「ぶち君は外れですね、留守番です」
「正気なのマリーちゃん!? じゃあ外れはあと一本で、それを引いたらにゃんこと留守番!?」
「いいから引いて下さい、アイリさん」
私は目を細め、アイリに藁を差し出す。アイリさんは息をのみ、それから一本を引き抜く……長い。
「当たりね!? 当たりよね!? やったー私も降りるわよ、待って太っちょ私も行くから!」
「残り二本は当たりとはずれ。さあ、不精ひげ引いて」
「お、おう」
水夫達は皆下船して行き、甲板には私とぶち君が残された。
まさか本当に全員降りて行くとは思わなかった。心配性のアイリさんか、お姉ちゃんっ子のカイヴァーン、船一紳士のウラドの誰かは残ると思ったのに。
ウインダムは干潟と低地に囲まれたぺったりとした街で、まるで海岸線全てが石垣で出来ているようだ。人工的な島に建物が密集している……そして遥か彼方まで見回しても山が無い。
高い物といえば人間が建てた物だけで……だけどあの教会の塔は凄いな、50mくらいあるのかしら。もっとかな? 私は距離や高さの見立てには自信が無い。
そしてサフィーラもディアマンテもそうだったけど、ここも宵っ張りだなあ。もう日は沈んだのに、そこらじゅうにランプや篝火を焚いて……
……
良く考えるとこんな異国の地で15の小娘が一人で留守番をするのは何とも心細い。皆いいの? 子供を一人で置き去りにして。大人が見てないとだめじゃん。
浮き桟橋に係留されているのも、こうなるとむしろ気掛かりになる。確かに乗り降りには便利だが空き巣狙いの悪党とかも渡って来れてしまう……うう。怖い事を考えてしまった。
私は艦首楼の上に折りたたみ椅子とテーブルを置き、そこで寛いでいるふりをしていた。精一杯の強がりである。
本当は目の前の仮設ブリッジを必死で見張っている。ぶち君はまさに乗降口の真ん前で丸まって寝ているが、猫なので有事の役には立たない。
一応、例の短銃は手の届く所に置いてある。
そして私が白ワインのふりをして飲んでいるのは水で割ったビネガーだ。不味い。
私は近くに置いていた帽子を手に取る。そうだ。マリーだから怖いのであってフレデリクなら平気なのではないだろうか。アイマスクをつけて帽子を被ればもうフレデリクじゃないか。ほら、こうすればもう何も怖くないよ。
眠っていたぶち君が顔を上げ、こちらを見て、大あくびをして、また眠る。
やっぱり、怖い物は怖い。
私は立ち上がり短銃をベルトに掛け、その辺りの甲板を歩き回る。どうすんの。一晩中こんな事してんの? でもアレクとカイヴァーンは帰って来るかも、あの二人は船の方が眠れる派のはず。
私は静索を駆け登る。傍から見ると猿が木の上に飛んで行くくらいの速さだと思う。船酔い知らずの魔法のズルだけど。周囲が見渡し易くなった……ああ、浮き桟橋を二人連れが歩いて来る、良かった、帰って来た。
……
あの片方は太っちょにしてはシュッとしてる気がするし二人共なんか少し縮んだような……私はマストの陰に身を隠す。
フォルコン号の乗降ブリッジの前まで来て辺りを伺っていますね。
「早く乗れ、するするっと乗っちゃえばいいんだよ」
「だけど誰か居たらどうするの、よく隙をうかがった方が」
「いいから! こういうのはパッと乗ってパッと降りたらいいんだ、いいよ俺が先に行くからどけ」
吊り橋のようなブリッジを渡って来た二つの人影は、私には解らない言葉で何か言いあっていた。
「ようし、艦尾楼から行こう」
「待って、ここにワインが……うえ、なんだこれ薄めたビ「フギャーッ!!」ぎゃあああ!!」
「どうしたエッベ!」
「ね、ねこがねこが……! ヒッ!? ヨーナス、後ろ……」
「え……? うわあああ!?」
「空き巣狙いなら残念だったな」
私はヤードから半ばコウモリのようにぶら下がったまま、片手で銃を振り向いた侵入者の額に突き付けていた。もう一人の侵入者は後頭部に猫を張りつかせたまま、早くも手を上げていた。
私は侵入者に銃を向けたまま、半回転しながら甲板に飛び降りる。この服じゃなきゃ出来ないわね、こんなの。
「そのまま回れ右をして、船から降りるんだ」
怖がるふりはしていても、私もこの船の船長である。留守番に決まったからにはきちんと船を守るのだ。ただ……盗賊は私より背の低い少年達だった。