猫「まーた青い顔をしてふらふらと。いまだにあの娘の本性は良く解らん」
リトルマリー号は海軍の手で新品同様に修理されていた。そしてミゲル艦長のボルゾイ号ら三隻の護衛を受けて航海していた。
一応、リトルマリー号のオーナーは今でもマリーで、海軍はそれを借りているという事になっている。その貸し出し代金がフォルコン号だと。
リトルマリー号に合わせて進む船団に追いつくのは訳はなかった。向こうもすぐにこちらがフォルコン号だと気付いたようだ。船は30mぐらいまで近づいて並んだが、特に止まれともあっち行けとも言われない。
改めて近くで見ると、リトルマリー号は原型が無い程の化粧を施されていた。甲板や波除け板も綺麗に塗装されているし、私が始終ぶら下がっていた船尾の手摺りも金ぴかだ。
「リトルマリー」の名前も船腹にペンキで書かれていただけだったのに、船尾にレリーフ板で取りつけられている。
乗組員も揃いの白い制服を着て、揃いの青いスカーフをしている。青白の帽子も一緒だ。
「いいわねあれ、うちも真似しない?」アイリ。
「勘弁してくれ……」不精ひげ。
リトルマリー号は少数精鋭で回航中という所か。さすがに国王陛下は乗ってなさそうね。もし乗っていたら護衛もこんなもんじゃないだろうし。
それにここはまだコルジア沖、ラヴェル半島の北西端の辺りだ。国王陛下はアイビス北中部の内陸の王都にお住まいである。
「船長、ボルゾイ号の艦長さんが手を振ってるよ!」アレク。
船酔いで目が回る私は敢えて操舵輪の前に立たせてもらっていた。舵は固定してあるので動かない。背筋を伸ばして。こうすれば傍目にはマリー船長、自ら操舵を執るの図に見えるだろう。
リトルマリー号とフォルコン号の間には少し下がってボルゾイ号が居る。ああ。艦長のミゲルおじさんが手を振っている。随分久しぶりですねェ。最後にお会いしたのはまさにリトルマリー号を取り上げられフォルコン号を押し付けられた時ですか。
私は大きな身振りでリトルマリー号を差す。あの船はどこへ行くんですか?
ミゲルおじさんは……ごめんねー、という手振り。教えられない? そうではない。ああ、停船して話したいけど今は護衛の仕事中ですと言いたいのね?。
ではもっと違う身振りで……あの船の! 行き先は! どこですかー!? 私は吐き気を堪え、大きな身振り手振りで……甲板で踊る。
ミゲル艦長も踊る……海老? それから……イカ……
今朝食べた物とか聞いてないよ!!
私がさらに吐き気を堪えながら踊っていると、アレクが細い木の筒を持って来る。
「船長、ボルゾイ号からさっきこの矢文が飛んで来てたけど」
「早く言って下さいよ! 余計な恥かいたじゃないですか!」
ボルゾイ号の水兵さん達はこっちを見て手を叩いて笑っているだけでなく、ミゲル艦長のイカの真似をした踊りにも笑いと喝采を送っている。ゆるい軍艦だなあ。
普通ならば民間船である我々が洋上で軍艦に行き先を尋ねるなど畏れ多いにも程があるのだが、彼等が護送しているのは私の船である。
ミゲル艦長もそれを考慮してくれたのか。細い木の筒から出て来た細長い紙には船の行き先が書かれていた。グラスト……アイビス王国最西端の、泰西洋に突き出た岬の先端近くにある大きな港だ。ここから600kmくらいかしら。
「不精ひげ、信号旗の準備はいい?」
「待ってくれ、チャートが見つからなくて……どれがどれだったかな」
「その紅白チェックのやつ! 次に中から赤白青のやつ!」
「おお、凄いな船長、全部記憶してるのか」
何で海に出て五か月の私が覚えててこの道25年のアンタが覚えてないんだよ……
さて。ミゲル艦長が嘘をつく必要は無いだろうし、リトルマリー号はグラストに向かうのだろう。それが解っていればフォルコン号は先に行ってもいいはずだ。
「アレク君、私はグラストならコルジア産高級ワインを持ち込むのに適していると思うのだけれど、君はどう思いますか」
私はアレクに、吐き気と戦いながら極力気取ってそう問いかける。
「その服だとそういう感じなんだ……グラストだけど、基本的に軍港だから実は寄った事無いんだ。だけど位置的にはレイヴンの商船もたくさん来てて、ワインを売るにはいいと思うよ」
フォルコン号はコルジア産高級ワインを満載している。この秋に出来たばかりの新酒で瑞々しく味わいも良い。
レイヴンの人々もワインは好きだ。だけどレイヴンの国土ではワインが作れないので他所から買う。だから私達もレイヴンの人々にワインを売りたくて、北洋を目指しているのだが。
残念ながら私の父……通称、パンツ一丁のフォルコンは、レイヴンの人達から大層嫌われているらしい。理由は知らないし知りたくない。そしてレイヴンの人々は私のパスファインダーという家名も、この船のフォルコンという船名も好きではないらしいので、我が船が直接レイヴンの港に寄港する事は好ましくない。
しかし幸いな事にレイヴンと海峡を挟んで向かい合っているのは我が母国アイビスである。勿論我々がアイビスの港に入る事には何の問題も無い。
「リトルマリー号は我がパスファインダー商会の大事な船で色々心配はありますが、ここは海軍さんに任せ我々は商売の為グラストに急行しましょう。そうと決まればグエッ、フォルコン号とリトルマリー号を競争させる機会は今しかありません! ここは一致団結して! リトルマリーを置き去りにしてやりましょう!」
私はどうにか船酔いを堪えつつ、ウラドに舵を返し、艦首へと向かう……眩暈がするし気持ち悪いし手が震える……だけど手摺りは掴まないぞっ……
不精ひげはメンマストの微調整をする準備に入った。カイヴァーンは索具を手に不精ひげの指示を待っている。
艦首ではアレクがジブと呼ばれる補助的な三角帆を広げる準備をし始めた。
帆船の先端についている長い棒みたいな部分……私は船乗りになる前は、これは戦いの時に敵の船にドーンと突き刺して攻撃する為の物だと思っていた。だけどこれはバウスプリットと言って、船をより良く操作する為の大切な部品である。
私はバウスプリットに足を掛ける……ロープを張らなきゃ……フックどこ……ああ、気持ち悪い……眩暈がする……揺れる……
「船長!? その服船酔い知らずじゃないんでしょ!? ふらふらしてるじゃない、ほら落ちる! アイリさん、船長をどこかに連れてって!」アレクが叫ぶ。
「失礼な……私はもうベテラン船長ですよ? グエッ……アレク君、ジブは私が張るから君は象限儀で測量を」
「今測量要らないから! アイリさん早く!」
「マリーちゃん! こっちいらっしゃい!」
「海軍さんが見てるでしょう、グエ……恥をかかせないで下さい、大丈夫、ちゃんとやるから、待って、ウエェエ」
ラヴェル半島……コルジアやアンドリニアのある北大陸南西端の半島から、泰西洋を北北東へ。目指すはアイビス王国の港、グラストだ。
そこははるか西の彼方、新世界からの莫大な富を持ち帰るレイヴンと、北大陸に勢力を伸ばし歴史的好調期にあるアイビスが睨みあうバチバチの海、クレー海峡へと続く入り口だ。
「解りました、皆がそこまで言うのなら私は見張りを致しましょう、ゲコッ……下がりなさい不精ひげ君、私はマストに登りますよ」
「アイリさん、頼むから船長をどこかに……」不精ひげ。
「マリーちゃん、もうその服やめなさい、貴女何か変よ」アイリさん。
夜のディアマンテを出港してここまで六度の夜が過ぎた。グラストまであと二晩で行けるかしら。