海兵隊員「何をやってるんだお前、始末書物だぞー」海兵隊員「お前こそー何をもたもたしてたんだー」
マリー「風紀ある……市井!」
風紀ある市井。それは国王の名を借りてアイビスの平和を勝手に守る合法越権集団、風紀兵団の合言葉だよ。
監視塔の周り、警戒線の内側は草木を取り除かれた空き地となっている。監視塔の隊長殿とバラソルはその地べたに、並んで正座していた。
「隊長さんの方から伺います。貴方は海軍の事情聴取には何と答えましたか」
隊長はしょぼくれた顔で口を開く。
「リトルマリー号が来た時、私は仮眠を取っておりました。見張りの兵に起こされて上にあがった時には、バラソルはもう信号弾を発射しておりました。ですが!」
「順番に伺いますから! バラソル准尉。貴方は何故リトルマリー号を臨検をすべきと判断しましたか」
私の横には風紀兵団が立っているのだが、こちらも少し元気が無い。
自分が暢気にお茶とクッキーを楽しんでいるうちに、バラソルは逃げようとしていたのだ。ヴィタリスのマリーがそれを見破っていなければ、枢機卿のお使いが果たせなくなる所だった。
「申し訳ありません、まさかあんな事になるとは!」
「質問にお答え下さい」
「り、臨検を思いついた理由は……国王陛下の紋章をつけた船が来るなど、本来であれば一大事であるのに事前に何の連絡も無かった事、そして畏れ多くも国王陛下の紋章をつけているにしては、船が古臭いちっぽけな安物だったからです……妙に厚化粧をして、それがかえって怪しいと、ですから」
厚化粧をした古臭いちっぽけな安物……いや、今は泣いている場合じゃないよ。
「海軍の事情聴取にはそう答えた。なるほど。でも本当は? 貴方はリトルマリー号が来る事を知っていたんじゃないですか?」
「そ、そんな訳ありま……」
バラソル准尉が少し顔を上げる。ああ……嘘をつきなれてない顔をした人だなあ……私は大嘘つきだからよく解る。大嘘つきの私は腕組みをし、悪そうに笑う。
「風紀兵団は国王陛下直属の治安維持集団。何でも知っているのです。貴方がタミア号のアスラン海尉と同じ孤児院で育ったという事も」
私の言葉に弾かれたようにバラソル准尉は顔を跳ね上げる。冷や汗が顎から垂れ落ちる。目が限界まで見開かれている。しかし。
「にに、逃げようとした事はお詫び致します! だけど! もう御存知とは思いますがアスランはもうすぐ結婚するんです、あいつは苦労した奴で、花嫁もとてもいい子だから幸せになって欲しいんです、あいつが俺のせいで不幸になるなんて事は絶対にあって欲しくないんです、ああああ、違った、俺はでもそんなにアスランと親しい訳じゃないです、あいつはただ、監視塔から言われた通り臨検を」
「ごめんなさいバラソル准尉ちょっと待って! あの……先輩、そろそろ何かおっしゃっていただけませんか?」
私は一旦バラソル准尉を止め、風紀兵団の方を向く。
「ん? あ、ああ……そうだな……ちょっと」
風紀兵団は大兜をぐっと私に近づけ、囁いて来る。
「あの、今何の話をされてるんですか? 昨日の衝突事故の事なんですか? それとこの人とどういう関係が?」
「解らなかったらいいですから、そろそろ枢機卿の話を始めて下さいよ」
「ええっ!? 困ります、枢機卿のお使いは極秘任務なんです、必ずバラソルさんと二人きりで話すようにと言われているんです……って、本当はこの話だって秘密なんですよ、これ以上は勘弁して下さい」
案の定、融通の利かない風紀兵団。まあ、そうだろうなとは思ったけど。
「それじゃあ私が枢機卿の話をする事になりますけど、それでいいですか?」
「ええええ!? マリーさん、枢機卿を御存知なんですか!?」
埒が開かないので、私はバラソル准尉に向き直る。
「貴方の口からお聞きしたかったですよ。アスランは今窮地に立っています。彼はリトルマリー号が来る事を事前に知っていた。何故でしょうね」
それを聞いたパラソルは。ますます大きく目を見開き、立ち上がり、迫って来る。
「待ってくれ、アスランがどうしてそんな事に!? そんな馬鹿な、枢機卿は……枢機卿は何とおっしゃっているのですか!?」
ぎゃあああ怖い! 怖いので私は風紀兵団を、目を血走らせて迫り来るバラソルへの盾にする。
「落ち着いて下さいバラソルさん! ああ……極秘任務なのに……いいですかバラソルさん、枢機卿からの御言葉です!」
バラソルに組みつかれ、ようやく風紀兵団は喋る気になったようだ。やれやれ。
「アスランさんは大丈夫です! 事故が起きた時、彼は当直では無かったそうです! だから罪には問われません!」
……え?
「それから! 以前枢機卿から貴方へとお預けした物を返して欲しいそうです。必要になるのだと。お持ちですか? 枢機卿から貴方に届けられた物を」
バラソルは風紀兵団の方を見る。目は虚ろで、肩は震え、冷や汗はとめどなく滴っている。
バラソルの手がゆっくりと、彼の懐に伸びる。恐らくそれはとても大切な物で、絶対に誰にも見せてはいけない物なのだろう。だからどこにも置かず自分で持っていたのだ。そんな一枚の便箋が、彼の懐から取り出される……
私の手は自然に。バラソルが風紀兵団へと差し出した便箋を掴んでいた。
私の目はその文面を一瞬で確認する。書かれている事はシンプルだし予想通りの物だった。そして文末には枢機卿のサインがしてある。
「マ……マリーさん!? それはいくら何でも、あの! それを返して下さい!」
私は手紙を持ったまま後ずさる。風紀兵団が震えた声を上げる。
そうだよいくら何でもこれは無い、無いよ、早く風紀兵団に返せ! マリー! 返しなさい!
「これが無いと! 何の罪も無い真面目に働いただけの海軍士官が一人、酷い罰を受ける事になるんです! 貴方達が規則に縛られて仲間一人満足に助けられないって言うなら、私が代わりにやってあげると言ってるんですよ! これは私が預かります!」
ぎゃあああああああ!? 有り得ない! 有り得ないやめて!!
私は、強奪した枢機卿の手紙を持って走り出す……だけど私の姿は歩哨塔の海兵隊員達からは丸見えだ。彼等は装填されたマスケット銃だって持っている。
思い出すなあ。ヴィタリスの野山。放牧地へと山羊を追う日々。何となくついて来るけど何の役にも立とうとしない村の犬。途中の小川で拾い集めた、泥臭い川海老の味。
「待てー。止まれー」
一人の海兵隊員が歩哨塔の階段を降りて来る。一人がマスケット銃を私に向ける……マスケット銃の銃口が私を向き……地面を向き……ひっくり返り……
私は警戒線の門を駆け抜けるッ……! 階段を降りて来た海兵隊員は私を止めるのにはまるで間に合わず、銃を向けてきた海兵隊員は、
「ああっ!? マスケット銃を落としてしまったー」
などと叫んでいる。
「マリーさん! 待って下さいマリーさん、それはあんまりです、トライダーさんが! どんなに心配するか解りません、トライダーさんが!」
トライダーとか言ってる場合か! いやもうトライダーでもいいから私を止めて!
とうとう、強奪をやった。強奪をやってしまった。盗んだのは紙切れ一枚だが、枢機卿のサインが入っている。
これでいいのか。いいわけが無いよ! いいわけないけど、物凄く嫌な予感がするんですよ!
何故風紀兵団はアスランが大丈夫だと断言するのか。枢機卿からそう伝えるよう言い渡されたからだろう。
じゃあ枢機卿はどういうつもりなのか。自作自演でこの事件を用意する一方、国王陛下の権威が蔑ろにされたと憤る枢機卿は、何を考えているのか。この事件にどういう終止符を打つつもりなのか。
だけどこんなの、どう考えても私の仕事じゃないでしょう! 何で私がこんな事しなきゃいけないの!?
だめだ。そんな事を考えると涙が溢れる。考えちゃだめだ。
「待ちなさーい! マリーさーん!!」
風紀兵団が追って来る。海兵隊員もついて来ているようだ。私の足は鎧兜や武装兵士よりは速いと思う。だけどこの道、行きは二時間もかかって……
「わあああああああ!」
嫌な予感しかしない。嫌な予感しかしないから、今はとにかく走るしかない。少しでも早くグラストに戻らないと、手遅れになるような気がしてならないのだ。