デュマペール「おのれ小娘……好き勝手に言ってくれたな……」
洋上で任務についているはずなのに、何故か港に居たデュマペール提督。
話の行き掛りから派手に啖呵を切ってしまったマリー。
そしてかなりわざとらしく誘導し、マリーをタミア号へ行くボートに載せてしまう、アソシアシオン号の士官達。一体どうなってるの?
飲用水の樽と共に。タミア号への短い船旅が始まる。
「ねえ君、私掠船の船長って本当なの!? 僕は士官候補生のオリオン!」
「僕はバスティエ、凄いな君、僕らと年も変わらないし、その、女の子なのに」
樽の向こうから普通にグイグイ来る二人。喋っちゃっていいんですかね? 私密航者なんですけど……そういえば私、海賊と脱獄、不法侵入はやった事あるけど、密航は無かったですね。
「私の噂の殆どは誤解なんですよ、私はどこにでも居るただの小娘です」
「うわあ……その台詞、恰好いいなあ。なんかさ、大人の女って感じがするよな」
「オリオン、そんな事言ったら彼女が気を悪くするかもしれないぞ!」
「ええっ!? 何で? 褒めたんだぞ、俺!」「お、大人の女って褒め言葉か?」
私は別段気を悪くする事もなく、二人の掛け合いに気を取られていた。
士官候補生って早い人は12歳ぐらいから船に乗ってるんだよね……国王陛下、この矛盾はいいんですか? 軍艦の仕事はキツそうだし上司は厳しそうなのに、彼等は養育院で保護しなくていいんですか?
とは言えそこは男の子。体も私よりずっと丈夫そうだし、気持ちも強いんだろうなあ。いいなあ男の子はキラキラしてて。
タミア号の船体はフォルコン号と同じくらい……ていうかもしかして船体部分の設計は一緒で、マストの位置が違うだけなのか。
「タミア号! 飲料水を届けに来た、ああ、返事は必要ない、僕ら海軍は君達と話す事を禁じられている、だけど! コホン、何でもない、テークルを出してくれ」
私は樽の陰から顔を出す。そして見る。タミア号の乗組員を。
水兵達は私を見て驚いた顔をしていたけれど、恐らくそれまでは、昨日からずっと塞ぎこんでいたのだろう。舷側の手摺りを越えて甲板に上がった私を、大変珍しい者を見るような目で見ている。
いや……目を見開いて呆然としているというか……手に持っていた小槌を落とした人も居る。な、なんか怖い、とりあえず何か言わないと。
「フォルコン号の船長のマリーです。昨日、臨検に来られた方もいらっしゃるかと思いますが」
私はそう言ってみた。いや、言ってしまった。これは失敗だ。フォルコン号は昨日問題なく臨検を受けたが、タミア号の乗組員にとって「昨日の臨検」という言葉には大変な毒があるようだ。
だけど皆固唾を呑んで私の次の言葉を待っている。遠慮していても仕方無い。私は一つ深呼吸をしてから続ける。
「シビル・ル・ヴォー艦長には今朝お会いして来ました。司令部の留置所に居ますが、今の所は元気ですよ」
方々から溜息が聞こえる。扱いが良くない事は伏せた方がいいのかな。
下層甲板から誰か駆け上がって来る。
「頼むから話を聞いてくれ! ジュネスト中将に申し開きをさせて欲しい!」
「ボルツ航海士! 現在タミア号の乗員が許可無く他の海軍の人員と会話をする事は禁止されています!」
階段を登って来たのは少し頭髪の薄くなった、だけどまだそこまで歳の行ってない水夫だった。シビル艦長より20歳くらい年上かもしれない。士官候補生のオリオン君は彼の台詞を遮り、バスティエ君と共に私から少し離れ、両手で耳を塞いだ。
「聞かせて下さい。船が衝突した時シビル艦長はどこで何をしていたんですか?」
私は尋ねる。この人はフォルコン号の臨検の時は居なかったわね。
「艦長は……あの……艦長の様子はどうなのですか? 司令官は艦長の話を聞いてくれたんですか?」
これだよ。まあ私みたいな得体の知れない小娘に話したくない、話してもしょうがないと考えるのは仕方無いけれど。それで自分の秘密は話さないけど、艦長の事は聞きたい。そういう流れですか。
「査問会議は昨夜のうちに開かれました。港湾司令官のジュネスト中将は艦長の言い分を聞きましたが、旗色は極めて悪いです」
「あの、艦長は司令に何と申し上げたんですか? 私にも司令に申し開きをさせていただく訳には行かないんですか!?」
「私は民間人ですよ。ただしあなた方が衝突し大破させたリトルマリー号の本来の所有者でもありますが」
私のその台詞で、タミア号の乗員達の雰囲気は一変した。悪い意味で緊張が解けたというか、簡単に言えばがっかりしたようだ。
まさかこの小娘が状況を変えてくれるのか? 何だ違うのか、こいつ文句を言いに来ただけだ……そんな彼らの思考が手に取るように伝わって来る。
何だかなあ。変な期待をされても困るのだ。私はただの田舎のお針子ですよ。
そして、こんなんじゃとても本当の事なんて話して貰えそうにないですねぇ。
「教えて下さい。あの時実際には何が起きていたのかを」
私はそう言ってみるが、彼等は皆目を逸らしてしまう……タミア号の甲板には20人近い男が居て、甲板の下にも誰かが居る気配がするけれど。私に何かを言おうとする人は一人も居ない。
ちょっと腹が立って来ましたよ。リトルマリーが可哀想というのもあるけれど。
「そうやって黙っていて、自分達で何も選ばないまま状況が変わって行く、貴方達それでいいんですか! シビル艦長は何一つまともな言い訳をしていません、全部被る気ですよあの人! そして御存知ですか。グラストには今ユロー枢機卿が来ています。カンカンですよ枢機卿は」
御存知ですかなんて偉そうに言っているけど、私は枢機卿の事は何も知りません。実際にはどんな方なんですかね? まあ、たまたま知ってる事なのでついでに申し上げてみたのですが。これには劇的な効果があった。
タミア号のあまり高くない艦尾楼の艦長室の下の階層へと繋がる階段……フォルコン号でもそっちには士官室や海図室などがあるんだけど、そこから、海軍士官の制服を着た、二十代半ばくらいの……一言で言えば青ざめた優男が飛び出して来る。
「アスラン……」
ボルツさんが呟く。ああ。それじゃあボルツさんが航海長で、このもう一人の士官が副長なんですかね。それにシビル艦長を合わせた三人が、タミア号の運行責任者ですか。
「す……枢機卿がグラストにいらっしゃるんですか!?」
その士官は挨拶も抜きに私にそう迫る。ぎゃぎゃっ!? だけど次の瞬間、二つの影が両側から、私とその士官の間に割り込み、立ち塞がる。ああ、オリオン君とバスティエ君だ。二人は10歳は年上のその士官を押し留める。
「アスラン海尉! 本来貴方達は許可なく発言出来ないんです、自重して下さい」
「バスティエ、どうなんだ、枢機卿は何とおっしゃっているんだ!?」
「海尉! 我々は貴方と話せない!」
私は体を張ってくれた二人の士官候補生の間から、前に出る。
「アスラン海尉? おっしゃりたい事があれば私が伺います、私は民間人です、ボルツ航海長も、私に期待するのもしないのも結構ですが、早く決断していただかないと何が起きるか解りませんよ! いいですか。シビル艦長は海軍司令部で、他のクズ共と一緒の留置所に入れられてるんです。普通士官は士官用の留置場に入るんです、だけどシビル艦長は酔っ払いや乱暴者や下着泥棒なんかと一緒くたですよ、解りますか!? 現状司令部にはシビル艦長を士官に戻す気が無いんですよ!」
アスラン海尉は。私が今まで見て来た海軍士官の中では一番、線の細い人だった。アイリの元恋人ヴァレリアンさんや、出会った頃のハマームのファルク王子のような、生命力弱い系男子に見える。
そのアスラン海尉はますます青ざめ、二歩、三歩と、甲板を後ずさりして行く。何だか物凄く悪い予感がする。
「そう……そうだ……私など! 初めから居なければ良かったのに!」
そう叫ぶや否やアスラン海尉は振り返り艦尾楼に向かって走り、階段を駆け上がり艦尾の手摺りに辿り着くや否や、腰のサーベルを抜き放つ。
「許してくれサーシャ、私はもう生きられない!」
そう叫んでサーベルを自分の首筋に当てるアスラン海尉。周りの水夫も止めようとしたが間に合いそうにない。
だけど私は、いつもの……船酔い知らずの魔法でズルして、甲板から索具、手摺りへと飛び、最短距離でアスラン海尉を追い掛けていた。
私はレイピアを既に鞘から抜いていた。
「やめなさい!」
私のレイピアの切っ先は、容赦なくアスラン海尉の頬を捉え、彼が自分の首筋に突き付けようとしていたサーベルを弾き飛ばしていた。
大丈夫、竹光でゴザル。このレイピアはフォルコン号の武器庫にしまってあった、練習試合用の木の棒に布を巻いただけの物である。