水夫「いい女はどこですかね、海尉殿」ディジェム「何? お前には見えなかったのか?」
見た目がゴリラっぽい海兵隊長、オランジュさんとの久々の再会!
……って思ったけど、良く考えたらロングストーンで置き去りにしてから一ヶ月と経っていなかった。
提督室の中には入り口の内側に立っていた側仕えの人の他に、二人の軍人さんが居た。
「始めに言っておく。ゲスピノッサは我が国の通商破壊をしていた時期があり、アイビス海軍は一年前に討伐隊を向けていた。旧式の武装キャラックだが四隻、人員600人の一軍団だった。しかし奴のアジト捜しは難航し、その間に一隻が暗礁に乗り上げて大破、一隻が火災事故で放棄され、ようやく会敵した時には砲撃力不足、散々に撃ち負け、命からがら退却する事になった。その時に指揮を執っていたのが、この私だ!」
私より30cmぐらい背が高い、厳つい顔にチョビ髭の勅任艦長はそう言って胸を張り、堂々と親指で御自分を指差した。私はどういう顔をすればいいのか解らず、とても困った。
「それで、そのゲスピノッサを寡兵で打ち破った私掠船の船長が貴公か。私はアソシアシオン号艦長のタイニャック。御会い出来て誠に光栄だ」
「マリー・パスファインダーと申します」
提督室はここが海の上だとは信じられない程広く、立派だった。
そして入り口から離れた、窓際の背もたれ付きの長椅子の上に、紺色のジュストコール姿の紳士が寝転がっている……こちらがデュマペール提督でしょうか。
「とにかく……見つかってしまったものは仕方が無い。こちらに来たまえ」
「一つ、御伺いしても宜しいでしょうか」
「気は乗らんがね……どうぞ」
ようやく体を起こし、立ち上がった提督は五十絡みの、私より5cmばかり高いだけの小柄な人だった。
「リトルマリー号が御召船として寄港するという事、グラストの司令部では事前に御存知だったのでしょうか?」
「知らんよ! パルキアからも王都からも連絡は無かった! まあ常識的に言って、国王陛下の旗を掲げ三隻の海軍艦に護衛されている船を疑うのはおかしいと思うがね。だがグラストの海軍とパルキアの海軍が仲良しこよしだと思うか? 監視塔の指揮官が、連絡も無しに寄港したパルキア所属の船を見て、ちょっとした嫌がらせを思いついても無理は無い」
ええ……国王陛下の子分同士、仲良くしろよ……
そんな事でリトルマリーはあんな姿になったのか。
「リトルマリー号は君の船だったな。それで君は賠償請求に来たのかね? それとも枢機卿の為に働いているのか? 国王陛下の御召船があの様だ。さぞや御立腹の事だろう。或いは……まさか市民の代表ではあるまいな?」
最近の私、偉い人の前でもあまり緊張しなくなったな……いや、単にこの人が初見で椅子に寝転がっていたからだろうか。
「二つ、御願いがございます」
「そうだろうな」
「まず、リトルマリー号をすぐに修理して下さい。費用はパスファインダー商会が負担します。修理が済んだらロングストーンの本社に回航して下さい。請求書はその時に承ります」
「な……なんだと? 海軍が借り受け海軍が壊した船の修理代を君が払うというのか? 君は一体、何が目的でそんな申し出を」
「解らなければそれで結構ですよ! あれは私の船です! 私の船が傷つき、助けを求めていて、ドッグは目の前にあるのに入れて貰えない! そんなのは見ていられないと申し上げているんですよ!」
私は思わず提督の言葉を遮ってしまった。自分でも驚く程の大声が出た。って私何やってんの!? だけど私の啖呵はそこで止まらなかった。
「代わりの船が必要ならフォルコン号を持って行けばどうですか! 元々海軍からの借り物ですよ、あれをリトルマリーと名付けて国王陛下にお見せなさい、どうせ陛下は元のリトルマリー号を見た事が無いんです、黙ってりゃ解りませんよ!」
ぎゃああああ!? 何を言い出すんですかこの女は!? 案の定、血相を変えたタイニャック艦長が大慌てで私と提督の間に割り込んで来る。
「ななっ、何を言い出すのだ貴様は! 陛下に対し不遜ではないか!」
しかし私はその大柄で立派な勅任艦長にもまくし立てる……
「貴方はどうなんですか! 海軍は王国の海岸線を守る為国民の生活を守る為市民の抗議に手を焼きながらも日夜戦っているのに、陛下の物好きのせいでやって来た船を傷つけたからと言って、昨日まで真面目に力を尽くして来た海軍士官を下着泥棒と同じ牢に入れて、何とも思わないんですか! 二つ目の御願いです、提督! シビル・ル・ヴォーを留置所でも士官として扱って下さい!」
静寂が流れる……いや。
「ククッ……プッ……ププッ……」
後ろから忍び笑いの声が聞こえる……オランジュ大尉だよ……だめじゃんそこで笑っちゃ……折角昇進したのに、この人いずれ降格するんじゃないかしら。少なくともばんばん出世するタイプではないわね。
偉い人に対しても遠慮が出来ないんだな、前にエルゲラ艦長とも喧嘩してたし。
さて。デュマペール提督もタイニャック艦長も唖然としている。
そして私は自分のした事に戦慄していた。どどど、どうしよう……
いや逃げるしかない。逃げるしかないじゃん!
「宜しく御検討の程、御願い申し上げます」
私はそう言って45度腰を折る。三、二、一、終わり。直立に戻って回れ右、前進。
「失礼致します」
扉の前でもう一度振り返って敬礼。側仕えの若い人も唖然としている。結構です、扉ぐらい自分で開けて閉めます。
―― バタン。
さあ、どうしよう。速やかに、なるべく遠くに逃げないといけない。
だけどこの提督室は艦尾楼の上から二番目の階層にあり、甲板に出る為には廊下を通らなくてはならないが、その廊下に、私と同じくらいの歳の、士官候補生らしい男の子が二人、立ち塞がっている。
「今のは……君の声だよね?」
「君が……提督閣下と艦長を怒鳴りつけてやったのか?」
どどど、どうしよう……ちょっとそこを空けていただけないでしょうか……
「オリオン! バスティエ! 何を怠けている、さっさとこっちへ来い!」
そこへ二人の背後、甲板の方から、先任士官のものと思われる罵声が飛んで来る……二人は弾かれたように甲板へと駆け戻る。良かった、これで通れるよ!
「さあー! ボートを下ろすぞー! タミア号の! タミア号の連中に飲み水をくれてやらなくてはならないからな! さあーボートを下ろせー!」
私が甲板に飛び出すと、さっきの士官候補生二人が、先輩士官の前で敬礼をしている所だった。降ろせというけれど、ボートはもう降りているようですが……?
「オリオン、バスティエ、お前達もボートに同乗しろ! ただし! 海軍の人間は今、タミア号の乗員と口を利く事が禁じられているからな! 海軍の、人間は、タミア号の乗員と喋ってはならないぞ!」
その士官は明らかに私に聞こえるように、あらぬ方を向いてそう叫ぶ。
「了解! 我々はボートに乗ります! タミア号の乗員とは喋りません!」
「さあ、ボートはこっちだ!」
ええ……本気かしらこの人達……
私は恐る恐る、彼等の居る、カラベル船とは反対側の舷門の一つに近づく。
「ああっ、見ろ皆、あそこにすごーくいい女が居るぞぉお!」
士官のおじさんはカラベル船側、波止場の方を指差す。周りに居た水夫達も二人の士官候補生も、一斉に波止場の方を見る。
ちょっと待ってよ……貴方達そんなんでいいんですか? 何が起きても私は責任取りませんよ?
私は舷側の梯子を飛ぶように降りる……まあ船酔い知らずのズルですけど。
飲料水入りの樽を積んだボートはそこに浮かんでいる。
私は一応、その樽の陰に身を隠す。
二人の士官候補生も、後から乗り込んだようだ。
「よォォし行けえー! タミア号に! 飲み水を届けるのだー!」
行けといってもタミア号はほんの目の前、30m先の海面に浮かんでいる。
あの士官のおじさんは、何に敬礼しているのだろう。