ゲスピノッサ「だァひゃァはァはァハハハ!」ネイホフ「ぶぅヒゃあはははハハハ!」
フルベンゲンは港町ですので勿論海に面しています。
それから町のすぐ近くには高さ80mぐらいの岩山があります。
その岩山とフレデリクがスキーで登った山は全くの別物です。
もう何も信じられない。
「おお見ろ! やっとフレデリクが来たぞ!」「誰かあいつにジョッキを!」
町中は遊んでる奴と働いてる奴でごった返していた、この極北の町のどこにこんなに人が居たんだ?
だけど今はそれどころじゃない! 私は手押し車や樽や木箱の間を、手を伸ばして来る酔っ払い共の間を駆け抜ける!
ラズニールさんは追いついて来れなそうなので置いて来た。アイリさんも後から来てくれるとは思う。だけどフルベンゲンの雪と氷の道を船酔い知らずの力を借り全力で走る私について来れるのはカイヴァーンぐらいだ。
「くそォ! 先行け船長!」
そのカイヴァーンが後ろで滑って転倒したらしい、この路面じゃ仕方ない……私はフルベンゲンの町に隣接した、秘密の見張り場のある岩山目指して走る。
何故こんな事になるのか。
どんだけ子供達を罰したいんだよ!?
何だよ掟って、町を救う為に旅立ち、町を救う為に戻って来て、町を救う為に海賊と戦い、遂に町を救ったあの二人より偉いのか!? そんな掟があるものか!!
心が荒む……そんなんだったらこんな町、アナニエフに占領して貰えば良かったんだ! そうすりゃ掟なんか無くなってヨーナスもエッベも罰なんか与えられなかった……そんな事さえ考えてしまう。
私は町を飛び出し岩山の麓を走る。道にはたくさんの足跡が残っている……ヨーナスとエッベへの罰を見届けようという人はもう皆、その刑場となる岩山の反対側へ向かったという。道にはもう歩いている人は居ない……いや。
見えて来た。岩山を見上げる人だかりだ。フルベンゲンの人々だけじゃない。避難民の人も居る。怪我をしている船乗りも……
「ヨーナス! エッベ! どこだ!!」
私は野次馬を掻き分け、声の限り叫ぶ。二人はどこに!?
私が二人を、二人だけで使いに行かせたりしなければ……私のせいだ。私のせいで二人が……そんな事を考えると頭がおかしくなりそうだ!
泣きたい。叫びたい。だけど今は駄目だ。早く、早くヨーナスとエッベを見つけてこの町から逃げるんだ。
周りではたくさんの野次馬が岩山をただ見上げている……何という不気味な光景か、悪い夢に見そうだ……二人はどこだ!?
「ヨーナスー! エッベー! 返事をしてくれー!!」
「あ、あの、フレデリク……」
人混みの中に居る、人より少し背の高い男……違う! あれはハイディーンだ、フルベンゲンの協業協会の会長、いやはっきり言って町長だろう、ハイディーン、あの少年達に罰を与えないと、私と約束したハイディーンが……
「ハイディーン!!」
私は少なくとも自分よりは大きいはずの、身を屈めて俯いている男に掴みかかる。
「一体どういう事だ!?」
「ああ、あの、フレデリク、本当にすまん」
「すまんじゃない!! お前いい加減にしろよ、どこまであの二人を罰さなきゃ気が済まないんだ!? あの二人のした事がまだ解らないのか、いやもう、約束した筈だ!! 二人に罰は与えないと!! 約束しただろう!?」
ハイディーンは勿論小さくなどない。身長は2mを超えるし横幅も広いし顔の面積は私の四倍はありそうだ……だけどそんな大男のおじいさんが、悲しみに震え小さくなって私から視線を逸らし半ば涙目になっている。
何だと言うんだ。これじゃまるで私がハイディーンをいじめてるみたいじゃないか……いやこれは私の為の戦いじゃない、ヨーナスとエッベを救い出すんだ!
「言えよハイディーン! ヨーナスは!? エッベはどこだ!!」
「ま、待ってくれフレデリク、ハイディーンを責めないでくれ、ハイディーンはちゃんと反対したんだ、本当だ!」
私は背後からの声に振り向く……ボリスじゃないか! ヨーナスとエッベの実の父で罰に反対すると言ってくれたボリスまでここに居るのに、一体何をやってるんだよ!?
「あ……あなたは賛成したのか!?」
「違うフレデリク、俺もちゃんと反対した! 反対したんだよ信じてくれ、町の英雄フレデリクが怒るから罰はやめようって、ハイディーンもだ! だけど……」
―― ガランゴロンガーン ガランゴロンガーン
岩山の上で突然、鐘が鳴る……私は岩山を見上げた。
町と海がある側の斜面には中腹に草木を植えてあったりして、自然の岩山に見えるよう偽装が施してある。しかし裏側のこちら側は草木も無い、平らな急斜面になっている。
その斜面の一番上の方に……ヨーナスは居た。
「ヨーナス!!」
あれは何をしてるんだ……? 岩山の急斜面の天辺に現れたヨーナスは、二人の大人に両側から抱えられていた……大人達はヨーナスを斜面の上に立たせる……ヨーナスは足を拘束されているのだろうか? 自力では満足に歩けない状態らしい。
一体ここで、ここであの年端も行かぬ少年に何をさせるというのか!? まさか……こんなの罰というより処刑じゃないか!!
私はとにかく飛び出していた。ヨーナスは余りにも遠い……私は地上に居て、ヨーナスは高さ80mの岩山の急斜面の上に居て……だけど助けなきゃ、今ヨーナスを助けられるのは私だけだ、だけど……こんなの間に合う訳が無い……
野次馬達が大声を挙げた。私は死に物狂いで走りながら空を見上げた。
あ……ああ……
ヨーナスの体が、大人達の手を離れて……急斜面を滑り落ちて来る!
「嘘だ……」
あまりの事に。私は膝をついてしまう。
ヨーナスの体は平らな急斜面の上でどんどんスピードを増して行く、あれはスキーで滑れるような斜面じゃない、そして斜面の途中には御丁寧にも雪の小山が盛られている、あんなものがあったらヨーナスは……
「……ぁぁぁ……ぁあああ!!」
悲鳴を引きずりながら……ヨーナスの体が雪の小山に蹴り上げられたかのように……極夜のフルベンゲンの紫色の空へと放り出される……
「ああぁぁぁ……ぁぁ……」
雷鳴のように少し遅れて届く悲鳴を挙げる、ヨーナスの体が、空を飛んで……飛んで……再び急斜面へと……墜落して行く……
―― ズザァッ……ズドドドドドド!!
私は必死で駆け寄った。急斜面に落ちたヨーナスの体は深雪を巻き上げながらさらに20m近く転がり、斜面がいくらか緩やかになった所に埋まって止まっていた。
こんなの無事でいられる訳がない、体がバラバラになっていたらどうしよう、冗談じゃない、私は雪を押しのけ、掻き分け、ヨーナスを探す、ああっ、ヨーナスの髪が見えた……
私は何故ヨーナスを使いに行かせてしまったのか。それは自分が行けばまた浮かれた酔っ払い達に絡まれると思ったからだ。
だけど私がそんな自分勝手な理由で、自分を船長だなどと思って、他人を顎で使うような真似をしたせいで……私のせいだ……私のせいだ……
「ヨーナスー!!」
私は泣き叫んだ。
「船長!! 見た!? 俺、飛んだ! 空を飛んだ!!」
ヨーナスが跳ね起きた。
「俺、どのくらい飛んだ!? ノールハイムより遠くまで飛んだ!?」
「ハハハハ、全然ダメだ」「あいつは23m飛んだんだ」
ヨーナスは履いていたスキーを外して立ち上がる。
斜面の両側から男達が集まって来て、ヨーナスが転がって出来た溝をスコップで慣らしだす。
私は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったまま、ヨーナスに掴みかかる。
「待て、ヨーナス、どういう事これ」
「船長! 俺もう一回飛ぶから! 今度はもっと遠くまで飛ぶから見てて!!」
「船長ー!! ヨーナスー!! 今度は俺が飛ぶんだから、どいてー!!」
見上げれば岩山の上でエッベが手を振っている。
野次馬達は大盛り上がりだ。避難民達は心配そうな顔もしていたが、地元民は皆ゲラゲラ笑って拍手喝采を送っていた。
◇◇◇
フルベンゲンの冬は本当に長く厳しく、夏はとても短い。
ある時は丸一ヶ月冬の嵐が続き、誰も外に出られないような事もあった。ある時は三日間大雪が降り続け、町が二階の屋根まで雪に埋まってしまった事もあった。
「俺達も反対したんだけど、二人がどうしてもやりたいって言うんだよ」
「言い訳ばかりで申し訳ない。でもこれは誰でもやらせて貰える事じゃないんだ」
「そうそう、あの斜面だって大勢の職人が何時間もかけて作ったんだぞ」
この町、いやこの土地で生き抜くのに必要なのは勤勉で奉仕を惜しまぬ献身的な精神、そして勇気と好奇心を持ち続ける事だという。
海から何が得られるか。山から何が得られるか。洞窟があれば潜ってみろ、岩があれば割ってみろ、知らない貝も木の実も草の根も、一度は臭いを嗅いでみろと。
「まあ掟破りも最近は珍しくなってたけど、昔はフルベンゲンでは掟を破って初めて一人前の男と呼ばれる、なんて言ってたらしい」
「ハイディーンもボリスも昔、掟を破ったんだろ? お前ら何で反対してたんだ」
「そうだそうだ、自分達だって飛んだくせに。どうなんだボリス」
はちみつ酒入りの鰊のスープをすすりながら、フルベンゲンの男達が頷き合う。
「すまねえ皆、俺も言い訳はしたくないんだが……フレデリクがどうしても罰はやめろって言うんだよ、反対したやつは皆そうだろ? フレデリクが怒るからやめろって」
男達の視線が、こちらに集まる。
「知るかーー!!」
フルベンゲンのホールで、私、フレデリクは蹴るように椅子から立ち上がり、両手でテーブルを連打した。
「僕は何も知らされてなかったんだよ!! 何なんだこの茶番は、何が掟破りの罰だよ、お前らの遊びじゃないかこんなの!!」
「いや、結構危険なんだぞ、あれ」
ハイディーンにボリス、それにフルベンゲンのおっさん共、そして当のヨーナスとエッベと、野次馬の避難民やら水夫やら……ホールは満員である。
「申し訳ありません、私が早とちりをしたばかりに」
ラズニール修道士も申し訳なさそうな顔をしている。ラズニールさんは全く悪くない。私と同じ、この町の掟の被害者である。
「とにかく兄弟は確かにフルベンゲンに返した! 僕の仕事はこれで終わりだよ、あとはフォルコン号に積めるだけの交易品を積み込んで、南へ帰らせて貰う!」
「待て待て、これから戦勝記念パーティをだな……」
「ロビンクラフトのホワイトアロー号も明日出航すると言ってるし、お前らだって飲んだくれてる場合じゃないだろう! そして僕には僕の仕事があるんだ!」
私は決してマカーティやアナニエフのような怒りっぽい人間ではない。なのに私はさっきからキレっぱなしだ。
「仕事仕事って……ストーク人はいつもそうだ」
近くに居たスヴァーヌ人のおじさんのぼやきを無視し、私は少し離れた所で私を見ているヨーナスとエッベに手招きする。しかし二人は近づいて来ない。そして例の萎れた表情で、地面とお互いを交互に見ている。
「だからその顔は何なんだよ……僕はお前らのその表情に騙されたんだぞ!」
「ごめんなさい……船長……」
ヨーナスもエッベも泣きそうな顔で下を向く。
「もう罰の話も済んだ、今度こそ家に帰るんだろ。アレクに言って今日までの給料を出して貰うから後で取りにおいで。あとお前達の私物がまだシーオッタ号に」
その時、同じテーブルで隣に静かに座っていたアイリさんが手を伸ばし、私の後ろ手に触れた。
「やめなさい船長……本当にこれだからストークの男は」
私を挟んで反対側に座っていたカイヴァーンも首を振る。
「船長は他人の事なら何でも解るのに、自分の事は何にもわかんないんだよな」
アイリさんはそのまま椅子から立ち上がり、私の右肩を押してヨーナスとエッベが居る方に連れて行く……何なんですか。カイヴァーンもついて来る。
ヨーナスとエッベは顔を上げた。うわぁ、ボロ泣きしてるけど今度は何ですか。
「まだわからないの? 二人は罰が怖かったんじゃないわ。御伽噺から出て来たような、憧れの英雄と別れたくなかったのよ」
アイリさんのアイビス語は兄弟には正確には伝わらなかったと思う。だけど兄弟の感情は、それで決壊した。
「フ、フレデリク船長は悪い巨人のアナニエフを一騎打ちで倒した!」
「船長は誰も倒せなかった巨大なタコも倒すんだ!」
「船長は強くて優しいんだ! 俺達兄弟も船に乗せてくれた! 美味しいご飯を作って食べさせてくれた!」
「船長は巨大な熊も倒すんだ! ファルケの騎士を助けた!」
「火を吹くドラゴンだって捕まえて乗りこなす! 居なくなった極光鱒も呼び戻す!」
「レイヴンの軍艦だって助けてやるんだ! 船長は男の中の男なんだ!」
ちょっと待て! 天から雲を割って金色の光が何本もパーッと降りて来て私を照らして光の中から天使がいっぱい現れて私の脇腹やら首やら足の裏やらくすぐるじゃないか! やめてくすぐったい! あとドラゴンはだめ!
「船長!」「船長ー!!」
あと本当にごめん、本当に、私は実は年頃の娘なのでかなり年下とはいえ男の子に本気で抱き着かれるのはちょっと恥ずかしいから腕で押さえさせて下さい、ヨーナスとエッベは涙と鼻水と涎を振りまきながら突進して来て、私の肘にすがりついて号泣する……
……
本当にごめん。君達の前に居るのは本当はヒーローなんかじゃない。ただの魔法でズルしてる貧弱で気の弱いお針子だ。強くも優しくもないし男ですらないのだ。
私は腕を回し二人の頭をぎゅっと抱きしめる。二人ともまだまだ私より小さいのに。よく頑張ったね。偉いね……だけどあんまり泣いてるとほら……周りに居るのはフルベンゲンの大人達だけじゃない。フルベンゲンの女の子達も、君達が泣いてるのを見ているよ。
私は気持ちをぐっと堪え、二人の頭を軽く突き放す。
「フルベンゲンのヨーナスとエッベ、君達をフォルコン号の見習い水夫から正式な水夫に格上げする、そして今日をもって乗組員から解任する! これからはウラドやカイヴァーンに習った技術や精神を生かして、両親と兄弟姉妹を、フルベンゲンの人々を支える立派な海の男になれ! 今日までありがとう、お前達が仲間で本当に心強かった!」




