カーリン「元気出して、ねこちゃん」ベルタ「そうよ、きっと良くなるわ」
長いようで短かった海戦が終わり、短いようで長い後始末が始まりました。陸に海に、仕事は山積みです。
海戦の後始末が一段落したのはさらに翌日の午前8時頃の事だった。この日には月は完全に満ちて満月となり、一日中沈む事なく辺りをぼんやりと照らしていた。
私はなるべく上陸を避け、殆どの時間をシーオッタ号で過ごしていた。小回りの効くシーオッタ号にはいくらでも仕事があったのもある。だけどそれも今日までだ。
私はカイヴァーン、ヨーナスとエッベ、臨時の船員となっていたフルベンゲンのお父さん方、そして漕ぎ手の皆さんと共に、フルベンゲン港の仮設桟橋から波止場へと降りた。そこで私は簡単な解散式を行い、漕ぎ手達に告げる。
「予定を越えて働いてもらって申し訳ない。君達のシーオッタ号への借金は帳消しとし、その他にパスファインダー商会から一週間分の給与を払う。改めてこの船で普通に働きたい者はこの船の次のオーナーに相談してくれ。今の所誰がそうなるのか解らない。ともかく、お疲れさま」
漕ぎ手達の反応は様々だった。早速酒を飲みに行く者、そのまま船に戻って一寝入りする者、次の仕事を探しに行く者。
みんなここまでどんな人生を送って来て、これからどんな人生を送るんだろうなあ。家族の居る人も居るんだろうか。彼等がもう海賊船の漕ぎ手になんてなりませんように。
フルベンゲンの男達も少し名残惜しそうに去って行く。彼等には家族と、町の仕事が待っている。
逃走していた海賊船のうち2隻は自らフルベンゲン近海に戻り、哨戒中のフォルコン号に投降して来たという。そのうち1隻は無傷で逃亡していたカラベル船だった。
そのカラベル船に移乗してフルベンゲンへの回航を指揮して来たのが不精ひげだったのだが、私は何故かこの時点まで不精ひげの存在を半ば忘れていた……いや、不精ひげがずっと頬被りをして気配を消していたからですよ!
「ぶっ……不精ひげ先生、代理船長が頬被りをしてるのはおかしいんじゃないのかな、こんな時ぐらい堂々としてればいいのに」
「ずっと覆面をしている代理船長に言われたくないぞ」
そしてカラベル船からはアナニエフ一家の船乗り達が降りて来るのだが、皆さん司直に投降した囚人だという事を差し引いても余りにも元気が無いように見える。
「何だか随分しょぼくれてないか?」
「こいつらか? 海賊に捕まって身包み剥がれたんだそうだ」
「ええ……海賊をしに来て海賊にやられたのかよ……」
「うん。船の資金は勿論、酒や食料、乗組員の上着や靴まで持ち去られて、これじゃ命に係わるってんで投降して来たと……ああ、早く連れてってやらないと気の毒なんだった、ごめん船長、また後で」
元気が無いのはあんな薄着だからか。縄も掛けられてない海賊達は、裸足で震えながら大人しく不精ひげについて行く。行く先はルードルフがハイディーン達に乞われて臨時の判事をしているフルベンゲンの臨時裁判所だ。
フォルコン号がここを離れるべき時も来たように思う。
獲れ過ぎの鰊はもう獲るなという号令がかかった。加工施設もその倉庫もこの三日間の操業で満杯になったそうだ。
その上に本来は稀少な高級特産物であるはずの極光鱒まで大量に水揚げされてしまったのだ。港には彼等の為の氷の家が何個も増築されている。
「これだけ大量の商品があるのに、商船がフォルコン号しか居ないというのは気の毒な話だな。僕らもそろそろ南へ帰ろう、そして他の商船に宣伝してやろうよ」
「賛成。もう鰊は勘弁して欲しいし」
傍らのカイヴァーンもそう呟く。
他の食べ物が無い訳ではないがとにかく鰊が大量にあるので、今フルベゲンでは町じゅうの人が頑張って鰊を食べている。
鰊の食べ方で一番驚いたのは料理当番の漕ぎ手が作ってくれたハーリングという料理だ。頭と鱗と内臓と骨を取った生の鰊を、半日塩漬けにする。その男がやっていた手順はそれだけに見えた。それでもう食べられるのだと。
そんな簡単な料理なのに食べ方には作法があるという。まず尻尾を持って高く持ち上げる。次に上を向いてゆっくりと口の中に落として行きながら咀嚼する。彼の故郷レイガーラントでは春には皆この食べ方でハーリングを食すのだそうだ。
まあ私もカイヴァーンも最初は面白がってその通りにいただいていたのだが、この先も焼き鰊と煮込み鰊とハーリングが延々続くと思うと、逃げ出したくもなって来る。
町のホールへ行けば他の物も食べられると思うのだが。フルベンゲンのおじさん達は、勝利の立役者だと尾鰭をつけて宣伝されている私が町のホールに現れるのを手ぐすね引いて待ち構えている。私はそこには行きたくない。
それにこの港には、一刻も早く他の商船隊を呼んであげたい。
「ただ、その話をハイディーンとしないといけないんだよなあ。ヨーナス、エッベ、ハイディーンを探して港に来るよう御願いしてきてくれないか」
その話をすると、また二人は顔を見合わせ、萎れたように俯く。
「大丈夫だよ。お前達二人も皆の噂になっている、海賊の頭目と戦ったフルベンゲンの英雄だと。もう誰も、二人に掟破りの罰を与えようなんて言わないさ」
◇◇◇
二人が戻るまでする事が無いので、私とカイヴァーンはシーオッタ号の甲板で結局ハーリングを貪り喰っていた。
「遅いな二人とも……もしかしてホールで大人達に捕まってるのかな」
「あいつら逞しくなったよな、短い間にさ……で、あいつらこれからどうするの? 姉……船長」
「それはもう、二人に決めて貰おうと……」
なかなか戻らない二人を待っていると、フォルコン号が港に戻って来た。空も少し色づいて来た……懐中時計を見るともう10時くらいである。私はフォルコン号を指差しながらカイヴァーンに囁く。
「向こうで待とうか? あっちなら鰊以外の食べ物もあるかも」
私達は帰港したフォルコン号の方に行く。カリマール号の接舷戦の後で訪れて以来、三日ぶりのフォルコン号だ。私が近づいて行くと、ちょうどファウストとその部下達がフォルコン号を降りて来る所だった。
「ちょうどいい所で会えましたね。お預かりしていたフォルコン号、お返し致します……船体は結構やられましたが貴方の乗組員は無事ですよ」
「ありがとうロビンクラフト、あの」
「もういいですよその名前。貴方もそろそろ南へ帰るのでしょう? サイクロプスも新世界へ旅立つ事になります。リゲルやロゼッタには会いましたか? 彼等は貴方に興味を持っていましたから、時間があれば少し話でもしてやって下さい」
「ああ……フォルコン号はどうだった? どこかに改良の余地は無かったかな?」
「応急修理は済んでます。御機嫌よう」
私は立ち止まって話を続けようとしたのだが、ファウストは自分の言いたい事だけを言うと軽く手を振り、そのまま立ち去ってしまう。彼の部下達も。少し気まずそうに私とファウストを見比べてから、そのままファウストについて行く。
「あいつ、何か姉ちゃんの事苦手っぽいよな。何でだろ」
カイヴァーンが小声で呟く。まあ心当たりが無くも無いんだけど……吹き流しはちゃんと返したんですよ? ランベロウのガレオン船を追い掛けてもらった時に。
そんなサイクロプス号とも今度こそお別れか。リゲルさんやロゼッタさん、そしてファウストとも。さすがに私が新世界に行く事は無いよね、もう。
私がそろりそろりとフォルコン号の舷門を越えていると、アイリさんはすぐに現れた。
「お帰りなさい船長。あら? ヨーナスとエッベは? もしかして、もうご両親の元に返したの?」
「いや……ちょっとハイディーンを呼びに行って貰ってるんだ」
アイリさんは見た目にはとても機嫌が良さそうだったが、このパターンの時は安心してはいけない。
「じゃあ、今はマリーちゃんでいいのね?」
「え……ええ、はい……」
私と一緒にフォルコン号に戻って来たカイヴァーンが、スッと私から距離を取る……私は首をすくめる事くらいしか出来なかった。
「そうだわ、お茶とクッキーがあるわよ、マリーちゃん、シーオッタ号ではそんなの出て来なかったんじゃない? カイヴァーンもいらっしゃい、鰊ばかりで飽き飽きしてるんじゃないの? さあ、会食室へ行きましょう」
アイリさんはそう言って私の左肩をがっつり掴む。私の左肩……!
「ぎゃあ゛あぁ゛ぁぁぁぁー!!」
私は素のマリー声で悲鳴を上げてしまった。
「ちょっ、ごめんなさい船長、な、何? ちょっと……そこ、見せなさい」
「だ、大丈夫、何でもない、ちょっと驚いただけだから」
必死でフレデリク声を作り直す私。だけどそれは上手く行かず、中途半端な声になってしまう。額に脂汗が滲みだす……
「大丈夫じゃないわよ、真っ青よ貴女! ……マリーちゃん。見せなさい」
「あの、大丈夫ですから本当に、三日前にちょっと打っただけだから」
「見せなさい! それから、あの夜何があったのかもちゃんと聞かせて!」
アイリは私の右腕に絡みつき船長室へと引きずって行く。助けてカイヴァーン! ああ……だけどカイヴァーンはアイリさんには決して逆らわないのだ……
「フレデリクさん! フレデリク船長はそちらですか!?」
その時だ。フォルコン号も係留しているフルベンゲンの仮設桟橋を、誰かが息せき切って走って来る……酷く慌てた様子の、聖職者のローブを着た痩せた男の人……あれは確か、避難民の修道士のラズニールさん……?
あんな物静かな人が必死に走って来るのはただ事ではない。私はアイリさんに右腕を掴まれたまま、舷側に歩み寄る。
「どうなさいました! ラズニール師!」
「フルベンゲンの男達が、あの少年二人、ヨーナスとエッベに掟破りの罰を与えると言って、ホールから連れ去りました! 彼等は……彼等はあの年端も行かぬ少年達に何をしようと言うのですか!? フレデリクさん! あの少年達は貴方の大事な部下ではないのですか!? 御願いします! 二人を助けて下さい!」




