ロイ爺「フォルコン……すまん。わしにはこんな事しか出来なかった……」
海戦が続きます……また三人称で御願い致します。
アナニエフ一家のキャラック船カリマール号は甲板長50m、全幅は最大18m、大小26門の大砲を搭載した堂々たる船で、今日はフルベンゲン襲撃の為に駆り集められた下請けの漁師達を含め300人以上の人員を載せていた。
その大船が今、ガリオット船シーオッタ号の捨て身の船首砲撃と衝角攻撃を左舷に受け、パニックになっていた。
シーオッタ号のバウスプリットはまるで一角獣の角のようにカリマール号の舷側の船体に突き刺さり、甲板を突き破って止まっていた。カリマール号の船体は左舷に傾き、左舷側の大砲は海面を向いてしまっていた。
シーオッタ号の乗員はせいぜい50人、その大半は漕ぎ手だし舷側には大砲も無い、今の今まで、カリマール号の方がシーオッタ号を追い詰めていたはずなのだが。
「畜生! やりやがったな!」「乗り込め! 殺せー!!」
とにかくカリマール号の海賊も武器を取り、反撃を始めようとした。不甲斐ない私掠船隊が敗れはしたが、戦闘員の人数ではまだまだアナニエフ一家の方がずっと上なのである。接舷戦になれば負ける事は無い。しかし。
―― ドカァドカドカドォォーン!!
「なんだあ!?」「うわああ!!」
シーオッタ号の船首の4門の大砲が再び火を吹いた。具体的には他の手順を飛ばし砲身に火薬袋と瓦礫を投げ込んで点火したらしい。
この攻撃には威力はあまり無かったが、たちまち周囲は粉塵に包まれ、まるで視界がなくなってしまった。
「げほ、ゲホ……馬鹿にしやがって!!」
カリマール号は撃てなかったのではない。撃たなかったのだ。シーオッタ号には彼等の頭目、アナニエフが乗っている。
海賊達はともかくシーオッタ号のバウスプリットに駆け寄り、熊手や鎌、鉤爪などを引っ掛ける。
やがて粉塵がいくらか晴れて来る……シーオッタ号側でも数少ない乗組員が白兵戦に備えようと船首に集結していた。だがその先頭に立っている二人は、年端も行かぬ少年兵と、かなりの老兵ではないか。
「ええい、どんどん乗り込め! 潰せ!」「ウラァアアア!!」
組みし易しと見た海賊達はシーオッタ号に乗り込もうとする。そこへ。
―― ドサドサドサァァ!!
「な、なんだァー!?」「うわっぷ!?」
メンマストのトプスルが帆桁ごと甲板に落ちて来た。帆桁は途中で片側が静索に引っ掛かり、何人もの海賊が帆布に覆い被され、もがく。
「上だァァ! 甲板、マストの上に居る奴を撃ってくれぇぇ!!」
マストの上で誰かが叫ぶ。甲板の男達が見上げるとちょうどそこに……
「ああああ!!」
切れたロープ必死に捕まりながら、カリマール号の檣楼員の一人が、帆布の下でもがく男達の上に落ちて来た。
「ぎゃあああ!」「いてぇぇえ!!」
「そっちだ! フォアマストだ!」
甲板の誰かがまた叫ぶ……海賊達が見上げると、まさに。フォアマストの天辺付近に青い服を着た小柄な男の姿が見える……
その男はマスケット銃の他に片刃の鋸を持っていた。そして異様なすばしっこさで支索からマストへ、そしてまた支索へと飛び移りながら……その鋸で帆の操作に必要な動索を、ブレースや吊り綱を切断して回っているらしい。
ブレースを切られたフォアマストの帆が風を受けられなくなり、カリマール号は減速する。メンマストのトプスルも既に甲板に落ちている。
左舷にはシーオッタ号が突き刺さっており、回頭もままならない。
「ふ……ふざけんなァァ!! 撃て! あのシロアリ野郎を撃てェェ!!」
ようやく何が起きているのかに気づき、甲板で怒号を挙げたのはカリマール号の船長を務める男だったが、そこへ。
「こうでいいかァあ!」
シーオッタ号側から逆に乗り込んで来た少年兵が、盾ごと船長の男に体当たりし、跳ねられた船長の体は傍らに居た海賊のマスケット兵二人の方へと飛んで行き、彼等を薙ぎ倒す。
◇◇◇
そんな中、フォルコン号はカリマール号の右舷後方へと急接近していた。
「もっとスピード出ないんですかこの船は! 一体誰があれを野放しにしようと言い出したんですか!」
フォルコン号の艦首では優れて背の高い眼鏡を掛けた優男が、槍斧を手に苛立って叫んでいた。
その傍らでは鼻先に結んだ手拭いで頬被りをした体格の良い男が、片手で頭を抱えてペコペコと謝っている。
「面目ない、俺がその場に居れば止めたんですが、だけど俺はその時留守番で」
「……私が言ったのよ!! 文句があるなら私に言いなさいよ、不精ひげに言うんじゃないわよ!!」
甲板の絞盤に覆い被さってぐったりとしていた美女が、上気した顔を上げて叫ぶ。外気は氷点下に近い寒さなのだが、その周りでは小太りの男を始めとする数人の水夫が板切れや布切れを使い、一生懸命女性に風を送っている。
◇◇◇
―― ドサドサドササ!!
「畜生またやりやがった!」「早く撃ち落とせェェ!」
「その前に甲板を何とかしろォォ!」
カリマール号の船尾、ミズンマストのトプスルが帆桁ごと落ち、舷側を乗り越え半ば海に落ちた格好で、引っ掛かって止まる。
甲板では飛び込んで来た少年兵と老兵、カイヴァーンとルードルフが奮戦し一進一退の攻防が続いている。カリマール号側も混乱の中マスケット兵をどうにか繰り出そうとするが、シーオッタ号側にも銃や弓矢を持った者がそれなりに居た。
そこへ。
「ウガァァアアアア!!」
「まッ、待てッ!!」「うわっ!?」
シーオッタ号の甲板で鎖で巻かれて倒れていたアナニエフが、起き上がるなりカリマール号めがけ突進し出したのだ。
二人の大人とヨーナスとエッベは急いでその鎖の端を引っ張って抑えようとしたが、アナニエフの怪力には全く通用せず振り落とされる。
「船長! アナニエフが逃げた!」「馬鹿、言うなエッベ!」
エッベは思わずそれをマストの上に居るはずの彼等の英雄、フレデリクに知らせようと声を張る。ヨーナスは慌ててそれを止めようとするが遅かった。
「うおおお!!」「我らがヴィクトルが戻って来たぞ!」「親分!」「親分!!」
それを聞いたカリマール号の海賊達は気勢を上げる。彼等にとってヴィクトル・アナニエフは圧倒的な強さと支配の象徴なのだ。
カイヴァーンもルードルフも間に合わなかった。上半身を鎖で巻かれたままのアナニエフはシーオッタ号の船首からバウスプリット、そしてカリマール号の甲板へと飛び移り、帰還を果たしてしまう。
「親分! 今鎖を解きます!」
「お前らァァァ!! 他の奴には目もくれるなァ、まずあのチビを殺せェ!!」
アナニエフはぐるぐる回って手下に鎖を解かせながらそう叫ぶ。
海賊達は戸惑う。勿論先程からやっているのだ。マスケット兵は他の仲間の間に隠れて、銃身を掃除して火蓋を閉じ装薬と銃弾を詰めなおし、火打石を調整して撃鉄を起こし、それから空を見上げあのチビの姿を探して銃を構えようとしているのだが。
―― ドン! ドンドンドン!!
マストの上のチビはサルよりも素早くマストから支索、支索から帆桁へと飛び回りながら、凄まじい頻度で銃弾を降らせて来る。向こうからは甲板のマスケット兵は丸見えらしいし、狙いをつける暇も無い。
「む、無理ですあんな奴」
一人のマスケット兵が自分の銃を撃ち終えて弱音を吐く。
「ふざけンなァァア!!」
哀れな男はアナニエフの張り手に吹き飛ばされて波除板へと叩き付けられる。
「お前ら、マストを切り倒してしまえ! とにかくあのチビをぶっ殺せェ!!」
アナニエフは叫ぶ。そこへ、右舷側の物見の男が慌てて駆け寄って来て注進する。
「お、親分、右舷からも敵の船が!」
「あァあ!? 俺はあのチビを殺せと言ってるんだぞクソがァアあ!?」
しかしすっかり血の登ったアナニエフの頭に、その言葉は届かなかった。もっとも届いていた所で、シーオッタ号を引きずり帆の半分を失ったカリマール号が右舷後方から迫るフォルコン号に右舷砲列を向ける事は出来なかったのだが。
◇◇◇
「あれを連れ戻しに行きますよ! ロイ船長! 後は御願い致します!」
一方フォルコン号の船上。艦首に立つファウストは眼鏡をずり上げながら、舵輪を預かるロイに向けて叫ぶ。艦首には他に、ファウストがサイクロプス号から連れて来た水兵のうち20人程が集まっている。
「やっぱり凄いですねあの男。撃たれる覚悟で接近したのに、とうとう一発も飛んで来ませんでした」
水兵の中の隊長格の男がファウストに囁く。結局サイクロプス号の乗組員達はあれをフレデリクという男だとしか知らされていなかったのである。
ファウストは眉間を抑える。ファウストはフォルコン号の乗組員には彼がハマームに居た事を隠し、部下達には彼女がこの船の船長のマリーである事を隠す、二重の秘密を抱えなくてはならなかった。
「……始めるとしましょう」