オリオン「誰だろう……可愛い子だな」バスティエ「新しい士官候補生だったらいいのに」
何かを隠してるル・ヴォー艦長。リトルマリー号が事故に遭ったのは偶然ではないらしい。
そういう事なら簡単には引き下がれないマリー船長。
風紀兵団は居ないな?
私は辺りの様子を伺いながら、海軍司令部の建物群を離れる。
当然と言えば当然。この海辺の斜面にある海軍司令部の辺りからは、海軍の錨泊地が一望出来るようになっている。
タミア号もすぐに見つかった。二層の砲列甲板を持つ立派な戦列艦の隣に投錨させられている様は、村の司祭にお説教を頂いている悪戯小僧のようだ。
さて。どうすればあの船に乗り込めるだろう。
いや無理でしょう。どこぞの王宮より無理じゃないですかね……あの船の乗員は外部と連絡が取れないようにあそこに置かれているのだ。それを停泊中の戦列艦が待機任務のついでに見張っていると。
それに何とかして忍び込んだとしても、タミア号の士官や水兵が本当の事を話してくれるとは限らない。こっちが捕まえられて憲兵さんにでも差し出されればそれまでという話だ。行先が養育院ならまだいいが。
しかし。無理だ無理だと思いながら勝手に進んで行く、私のこの足は何なんだろう。今日はフレデリク君も休みだというのに。
グラスト港の海軍用の錨泊地は入り組んだ海岸の奥まった所にある。外洋との間には結構な高さの岩山の岬があり、湾内の船を外洋の船の大砲から庇ってくれるという訳だ。
修理ドックもいくつかある。リトルマリーにちょうどいいような小型船用のドッグもある。そして空いている……何故リトルマリーをそこに入れてくれないのか。
湾内だけでも四隻の戦列艦が停泊している……他にも大小様々な軍艦が。何とも物々しい港だ。
私は軍港側の岸壁をフラフラと歩いて行く。周りも軍人さんしか居ない感じになって来た。
タミア号の隣に泊まっている戦列艦の艦尾にはアソシアシオンと読めるレリーフが飾られている。アソシアシオン号は接岸していないが、小型のカラベル船が岸壁の跳ね上げブリッジに係留されていて、カラベル船からアソシアシオン号へと吊り橋が掛けられている。
不審な小娘は尚もアソシアシオン号に近づいて行く……周りでは数十人の海兵隊員が陸上訓練をしていたり、士官候補生のグループが先輩から講義を受けたりしているし、要所要所には歩哨が居て、時折海軍の憲兵まで巡回して来るのだが。誰も私に声を掛けて来ない。
「ぼんやりするな!」「道を塞ぐな!」
海軍さん、決してのんびりしているようには見えないんだけどなあ。むしろかなりピリピリしている。近くから遠くから、時折怒号が聞こえる……市民の抗議活動に昨日の海難事故、戦争の予感も漂っているというし。
だと言うのに。私はアソシアシオン号へと繋がるカラベル船の目の前まで来てしまった。その跳ね上げブリッジの前には儀礼服を着て儀礼杖を持った、岩山のように大きな海兵隊さんが二人立っている。
うわあ、こっち見てる……どうしよう。何か言わなきゃ……こういう時は、知ってる限りの事を適当に口に出せば……でも知ってる事って言っても私、海軍さんの事なんか何も知りませんよ。
「フォルコン号船長でパスファインダー商会会長のマリー・パスファインダーと申します。デュマペール提督はこちらにいらっしゃいますか」
ぎゃぎゃ!? 私何かまた適当な事言いだした!?
デュマペール提督って誰だっけ!?
腕周りが私の腰より太そうな、二体の海兵さんが一瞬互いの顔を見合わせる……
「フッ……ハハハ! 何かと思えば! 小娘が船長ごっこか? 提督閣下がここに居られる訳がなかろう、閣下は哨戒任務で海の上だ」
「それより小娘、何故こんな所に居る? この一帯は海軍関係者以外立ち入り禁止だ。全く、憲兵は何をしているのだ。おおい! 憲兵!」
ぎゃあああああああ!? 今度こそおしまいですか!?
「何を騒いでるんだ? あっ……お前、マリー船長じゃないか!」
今度は何!? カラベル船の舷側から現れたのはぎゃあああ野生のゴリラ!? ではなく……オランジュ少尉じゃないですか! 何で?
「お久し振り……でもないですね、オランジュ少尉。パルキアに戻ったんだと思いましたよ」
「俺もそのつもりだったけど、ポンドスケーター号の行先がこっちだったんだ。見てくれ、お前のおかげで俺、大尉になったんだぜ」
オランジュ大尉は眩しく大きな白い歯を剥いて笑い、親指で階級章を指差す。二階級特進ですか! すごいじゃん。この人は真面目で正しくて有能なのだ。報われてくれて良かった。
「お前達、口の聞き方には気をつけた方がいいぞ? こいつだぞ、あのゲスピノッサ一家を寡兵でぶちのめして生け捕りにしてコルジア海軍に突き出し、三百人の人質を救った私掠船の船長は。こいつがその気になれば、お前らなんか指先一つで四つ折りにされるぞ?」
オランジュ大尉はそう言ってジロリと二人を睨む。やめてください……そしてこの岩山のような海兵さんでもオランジュ大尉は怖いらしく、たちまち直立不動で冷や汗を垂らし敬礼をかまして来た。
「たたっ、大変失礼致しました! 御高名はかねがね伺っていたのですが、そんな豪傑ならきっと髭に導火線でも編み込んだ怒りっぽいギョロ目の大男に違いないと想像しておりまして……」
「まさか本物のマリー艦長とは、誠に申し訳ありません、小官共の不躾をお許し下さい! 今後はより一層精進致します!」
オランジュ大尉は顔を近づけて来る。近くで見てもゴリラに似てるなあ。可愛い。
「だけどお前ももうちょっと気をつけてくれよ。デュマペール提督がここに居るって事は秘密なんだぞ。ユロー枢機卿に見つかったらまずいんだから。それでこいつらも焦って、とにかく追い返してしまおうと思ったんだよ」
あっ。全然知らない話出て来た……そもそもデュマペール提督って誰だっけ……あとユロー枢機卿という名前は初耳ですけど……あの風紀兵団を連れた温厚そうな人がそうなんでしょうか?
「まあ、お前なら大丈夫だろ。俺アソシアシオン号の海兵隊長にもなったんだ。すげえだろ? 提督に会いたいなら俺が紹介するよ」
アソシアシオン号はグラストを拠点とするアイビス北洋艦隊の旗艦だそうだ。凄いなオランジュさん。
小船の海兵隊長から艦隊旗艦の海兵隊長に抜擢されちゃったんだ。お針子で例えるなら、ヴィタリスの衛兵さんのベストを修繕していた私が、王都のドレスデザイナーの助手になった感じだろうか。
私がそんな事を考えている間に、オランジュさんはカラベル船を通り抜けアソシアシオン号へと向かう。私もついて行く。このカラベル船は老朽艦で、単に艦隊旗艦であるアソシアシオン号を警備する詰所として使われている感じだった。
橋桁のようになったカラベル船……船の一生もいろいろですねぇ。
戦列艦という物の甲板を踏むのは二度目だ。前回はサイクロプス号に打ちのめされ炎上するソーンダイク号だったけど……
凄いな、戦列艦……これを人間が作り、海に浮かべたのか。全長は甲板だけでも50m以上ある。幅も15mくらいかな。そして三本の大きなマストに大量の艤装……最早海上を移動する城だ。
そして……上甲板は停泊中という事もあり、人影もまばらなのだが……足元の下層甲板から、何とも言えぬ気配が漂って来る……この下で何百人もの男達が暮らしている気配が……
「オランジュさん、この船何階建てなんですか?」
「何階建てって言ったら五階建てかなー。俺も初めて乗った時はびっくりしたよ」
「どうです? 乗り心地」
「うん。水兵は砲列甲板で暮らしてるけど、海兵隊は専用の隊員室があるから楽だな。俺は士官だから申し訳ないくらい立派な個室を借りてるよ。でもフォルコン号が一番良かったな、飯も美味いし広々としてたね。ここは何せ人が多い」
オランジュ大尉は私を艦尾楼の方へ案内して行く。甲板に居た水夫はびっくりしたような顔で私を見ている。小娘が居るのが珍しいんだろうか。私と同じくらいの年の士官候補生も居るなあ。
「じゃあちょっと話をして来るから」
艦尾楼の提督室と書かれたレリーフのある扉の前で、オランジュ大尉は私にそう言って、一人扉の中に入って行く。
艦長室とは別に提督室がある。艦隊旗艦ならではの光景ですよね。偉い人が多いと乗組員は大変だろうなあ。そんな事を想いながら私は待っていた。すると。
「何故そんな奴を連れて来た!? 提督閣下がグラストに居るのは秘密だと、あれ程言っただろう!! チンパンジーか貴様は!!」
「だから言ってるじゃないか! あいつは特別な奴なんだ、そんな奴だから提督がここに居る事も御見通しなんだ、追い返して済む話じゃないって!」
解らないけれど、扉の中では何か不都合な出来事が起きているらしい。
やっぱり帰った方がいいような気がして来ましたよ。船に帰ってとっとと次の港目指して出港した方が……
「フォルコン号、パスファインダー艦長! お入り下さい!」
部屋の中から半ギレでそう叫んだのは、提督の側仕えの人だろうか。