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雨と金木犀

作者: けら をばな

早朝の駅のホーム。大気の埃っぽさは冷気に誤魔化されている。


私の元に届いた金木犀の芳香は、傍らの道路を通り過ぎる折り重なったエンジン音や、ゴシック体ででかでか描かれた歯医者の看板と同期すると、人工物のような趣を一層強くした。

金木犀にしろ茉莉にしろ、日本の原生林に相容れない彼らは、むしろアスファルトとコンクリートの景色の中にこそ溶け込むものだ。


しかしそれはまるで私の姿を描いているようで、毎年この時期金木犀の香りが最寄駅に満ちるたび、居心地の悪さを感じてしまう。

日本人がどうしてスーツなど着、仕事しなければならないのだろう。


答えは明瞭で、オフィスとはその格好が一番似合うよう設計されているのだ。

そして都市全体が。

それが一番自然になるように作られているのだ。NYも上海も東京もロンドンも。いくら東京生まれの東京育ちの下町っ子であっても、都市性の前にはスーツでも着ないことには対抗できない。

テレビに出る、日本の新入社員の黒スーツを嘲笑うコメンテーターも所詮、百貨店のメンズ館で誂えたような、我々と大差ない格好をしているじゃないか。彼らの自慢は個性でも自由でもない。値札だ。


とにもかくにも、そんなふうにして、本当は不自然で人工的な金木犀も茉莉も、あたかも自然を体現するかのように街路に植えられているのだ。


驟雨に街の景色は一変した……とは、とかく陳腐な言い回しである。

都市性とは極端に雨に弱い。日頃不遜に胸を張っているのに、顔が水に濡れただけで途端被害者面するのである。大都市東京も、雨に対する耐性という点では、残念ながらロンドンに分がある。


そして今日私も驟雨の被害者となる。全身に雨がしみている。現代日本にあってもなくても、こんなとき服を濡らすのは傘を忘れた己のせいである。せめて会社帰りなのが救いだ。

濡れたまま電車へ駆け込む。周りから白い目で見られてやいないだろうか。幸い、そもそも周りは私に興味がないようだ。逆を考えれば分かることだ。


電車を出ると十五分程度歩かねばならない。

コンビニで傘を買おうか? 今日のこのたった十五分のために? こんなに全身濡れているのに今更? 走って帰る? 革靴とスーツで?

気が乗らない。状況のすべてが向かい風になっている。


電車は東京を離れ、遅延もなく我が最寄り駅へと辿り着く。雨は、少し弱まっているように感じ、それだけは救だが、どうしたって気が滅入る。

降りるしかない。駅のホームには屋根がない。コンビニへ寄ろうが寄らまいが改札までは濡れる運命だ。


降り立つ。それとほぼ同時に雨が強まる。あまりに、あまりにばっちりのタイミングだ。見事なものだから立ち止まってしまったほどだ。救いなどなかった。残念ながら笑える余裕はない。


そんなとき、ふと鼻に届くのは金木犀の香りだ。


雨とアスファルトのにおいに溶け込んで、雨に香りを弱められながらも、私のもとへと漂ってきた。

枝と花びらで雨を持ちながら、黙って立っている。


急にこいつが愛おしくなってきた。

「そうか」と思った。何を理解したのか聞かれたら答えられない。何に共感したか分からない。しかし、何故だろう、救われた気がした。


雨は降る。全身を濡らしてゆっくりと大股で歩く。敢えて雨を受けるように。


馬鹿の所業だ。こんなこと、きっと明日には後悔しているだろう。雨に濡れた書類を見つけて頭を抱えるかもしれない。


しかし金木犀の香る早朝の駅の待ち時間は、多少マシになりそうだ。それだけで良いじゃないか。

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