最後の父の日
誰にでも死は必ず訪れる。
あなたの大事な人もいづれいなくなる。
2010年の6月。
たいして仲良くなかった父が私の前で呟いた。
「6月20日、父の日かぁ...」
わざとらしく、言ってぇ!
父親らしいこともしてくれてないくせに欲しいのかよ...って正直思いながらも私は父に言った。
「お父さん、なんか欲しい物あるの?」
「そうだなぁ...靴が欲しいなぁ。」父は小さな声で言った。
「買ってあげるよ。」私は言った。
自分は父に高いものを買って貰ったことなどなかったので、
そんなに高いものを買う気もなかったけど、まあ、お金はあるんで、とりあえずなんか買ってやろうとは思った。
そして父の日、靴を買いに行こうと私は父と車で出かけた。
百貨店とか高級品を売ってる靴屋ではなくて、
父に安い靴屋に連れて行かれた。
「お父さん、どれがいいの?欲しいの選びなよ。」私はちょっとぶっきらぼうに言った。
父は黒以外の靴は履かない人なので、
幅が広めの靴を何足か選んで試し履きをして
1足の合成皮革の靴を選んだ。
合皮は通気性も悪いし、革が伸びないから
足に馴染みにくい。
私自身が本革以外は嫌いだったので
「お父さん、合皮でいいの?」と聞いた。
「雨でも履けるのが欲しかったから合皮でいいんだよ。」と、
父はちょっと笑って言ったから...
それで良いのだと私は疑うことなどなかった。
4900円位だった。
嬉しそうに見えたんで、私はそこそこ喜んでいたんじゃないかと思った。
帰りにラーメンか何かをご馳走して食べて帰ったと思う...。
翌年の2011年の父の日は色々あって何もあげなかった。
その年の12月に肝臓に癌が再発した。
肝細胞癌。
末期。
余命3ヶ月と告げられた。
見た目元気だった父が死ぬとは思えなかった。
だか、病魔は父を徐々に蝕んでいった。
声も一夜にして変わった。
癌は声帯をも変えた。
ツヤのあった声はしわがれた老人のような声になった。
「よその父は亡くなっても、うちの父は亡くなる訳がない」
そんな訳のわからないことを...
まだまだ生きられるんだろう!と根拠のない自信があった。
3月22日、朝
自宅の廊下で倒れ救急車で運ばれた。
翌日 3月23日
誰かが迎えに来たのだろう。
父は空をかくように手をのばし一点を見つめて手招きしていた。懐かしいような嬉しそうな顔をした父の目から涙が一筋流れた。
その後、開いた瞳が徐々に水分を失っていった...。
「生」から「死」への移行を目の当たりにした。
2012年 3月23日16時過ぎ
父は亡くなった。
父らしい潔い死に様だった。
人はあっけなく命を落としてしまうものだと
不思議な感覚だった。
桜が大好きだった父に「桜が咲いたら一緒に花見に行こうね。歩けなかったら車椅子でも借りようか...。」
話していたのはつい最近だ。
桜が咲く前に父は「あの世」に旅立った。
願いはかなわなかった。
その年の桜は大層見事で綺麗だった...。
そして、6月の「父の日」が来た。
けど、父はもういなかったから去年、最後の父の日に何もあげられなかったことを私はひどく悔やんだ。
そんな話をして、最後に買った靴の話をした時に姉が言った。
「お父さんはあの時、ほんとは本革の靴が欲しかったんだよ。あんたには高いから遠慮して安い合皮を選んだんだよ!」
私はお金はあったから欲しけりゃ買ってあげたのに...
なんだか無性に切なくなって、ちょっと泣いた。
靴を見るのがなんだか辛くて父の靴はほとんど捨ててしまった。
あなたのお父さんもあなたのお母さんも
今は元気だとしても、ある日突然別れは来るもんです。
母の日は皆さん忘れないけど、とかく、父の日はおざなりにされがちです。
どうか、父の日も忘れずにお父さんにプレゼントを差し上げて下さい。
今回が最後の父の日とになる日がいつか、必ず来ます。
生きてる時になるべく優しくしてあげて下さい。
たまには話を聞いてあげて下さい。
美味しい物をご馳走してあげて下さい。
優しい言葉をたまにはかけてあげて下さい。
温泉旅行に連れていってあげて下さい。
「ありがとう」を伝えて下さい。
私のように後悔がないように...。
あなたが後悔しないように。
あなたが今、ご両親について
うるさいとか、うっとおしいとか
思っていても親はいつまでも生きてはいません。
一緒にいる時間をどうか大切に過ごして下さい。