第四十八話「悪夢」
前回までのあらすじ (*´∀`*)
首チョンパされたメイドから出てきたカードをマテリアライズしたらタンポポが生えた。
今回の投稿は【第9回二ツ樹五輪プロジェクト】その無限の先へ 第4巻出版(*´∀`*)の「二ツ樹五輪 次回Web投稿作品選定コース(限定7名)」に支援頂いたゆノじさんへのリターンとなります。(*´∀`*)
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「……え? は? どういう状況っ!?」
その瞬間、確かに時間が止まっていた。
状況が飲み込めないであろう蒲公英、自身がこの意味不明な状況を作り出したにも関わらず混乱していた俺、そして柚子モドキでさえ。
わずかな間とはいえ柚子モドキが動けなかったのはおそらく、唐突に攻撃目標が増えた事による迷い、あるいは優先度の再構築の類だろう。
だからこそ、その一瞬を先んじて反応できた事は奇跡に近い僥倖。
「蒲公英っ!」
叫ぶ。第一の目的として、とにかく足を止めさせない事。
第二の目的として俺が味方……少なくとも敵ではなく、見知った知人の加賀智弥太郎であると伝える事。
第三の目的は、今まさに動き始めた柚子への警戒を促す事。
「は、はいっ!? ひえっ!?」
柚子モドキが動いた先は俺でなく蒲公英。本能か、戦闘力を感じ取って優先度を判断したのか、その行動は正しく、俺にとってはありがたい選択肢だ。
実際、蒲公英は俺が躱せないだろう柚子モドキの一閃を防いでのけた。
「って、なんですか、コレ!? というか、柚子? カガチヤタロー!? 説明求むっ!」
そもそも俺が把握できていないが、今は状況説明する時間すらない。突如現れた柚子モドキがその時間を与えてくれるはずがない。
「そいつは敵だっ! なんとかこの場を凌ぐぞ!」
「ええええ……ってアレ柚子ですよねっ!? どーなってんじゃーっ!」
最初の一撃を防いだ事で戦闘モードに切り替わったのか、蒲公英はその口調に似合わず鋭く素早い動作で続く柚子モドキの攻撃をいなす。
……そう、どういう理屈かはさっぱりだが、蒲公英は手した鎖であのやたらと鋭い大鎌の軌道を変えてみせた。これまでの経験で考えるなら、容易に切断されるはずなのに。
しかし、俺はそれを不自然とは思わない。むしろ、それが九十九姉妹にとっての当たり前で、モドキでなければできて当然なレベルの技量なのだ。身体スペックだけで動いているモドキと本物の間には、本来それほどの差が広がっているのだと確信した。
情けなくも、俺は蒲公英を挟むように柚子モドキとの距離を取る。決して目を逸らさず、ジリジリと這うような速度で。
その意図を把握してかは分からないが、蒲公英がこちらへ攻撃が向かわないようにポジショニングしてくれるのが助かる。
繰り広げられているのは嵐の如き戦い。混乱状態の蒲公英が猛攻を受身で躱し、いなし、無力化しつつ、攻撃が来ない事を幸いと柚子モドキが追撃を繰り返す、一見して一方的な構図。
「うわっ、わわっ! わきゃーーーーっ!!」
直接見て分かったが、俺があんな激突に巻き込まれたら確実に死ぬ。脱臼した左腕が動かない事を差し引いても関係なく、一瞬すら保たないレベルでの隔絶を感じる。蒲公英があのノリを維持したまま、柚子モドキの攻撃を捌けている事実に戦慄するしかない。
今の状況で俺ができる事は少ない。少なくとも白兵戦ができるような状態ではなく、先ほどまで使っていた六角棒かどこにあるのかすら分からない。だが、少ないだけでできる事はある。
ここですべき事は、実感させられた本来の戦闘力差を嘆く事じゃない。まずは生き延びる事で、その次に柚子モドキを撃退する事。正直、今の状況だと蒲公英の安否を気遣う余裕も必要もない。最悪、放っておいても蒲公英は生き残る。その前提を信じた上で、あいつを利用して生き残る事を考える。
フェミニストが激怒しそうな構図だろうが知った事か。
「はぁっ……はっ……はっ」
脱臼していないほうの肩が壁に当たり、半ばもたれかかるように体重を預けて立つ。
柚子モドキなら一足飛びで詰められる距離だが、それでもある程度の距離は離れた。
ウインドウからマテリアライズ用のカードを取り出しつつ、その絵柄と順番を把握。痛みと疲労で視界がボヤける。眼の前の嵐から目を逸らす事は恐怖しかないが、順番がどうなっているかすら把握できていない状態では、確認はどうしても必要だった。
幸い、確認できたのはベストでなくとも上々の……いや、ある意味望み以上の並び。
再び戦況に目を向ければ変わらず凶悪な光景が広がっている。ここまでの数秒ですら結構な回数の激突があったようだが、今のところ拮抗しているように見える。そして、何よりこちらへ注意が向いていない。マテリアライズを使った牽制を成功させるなら絶好の場面。それができれば一気に戦況が傾くはず。
常人が踏み込む事が許されない光景に、ここで俺が動く必要はあるのかと心が揺れる。……必要はある。
分かってはいた事だが、今の蒲公英に柚子モドキを仕留める事はできない。スペック差や戦闘スタイルの問題もあるが、状況を把握し切れていないあいつが柚子のカタチをしたアレを殺すよう動く気がしない。
かと言って悠長に説明できるような状況ではない。説明しても理解させられる気がしないし、納得させられる気はもっとしない。そいつを殺しても本物をマテリアライズできるから大丈夫だ、などと俺自身が未だ納得し切れていない事実が伝わるわけがない。
俺が言葉を発する事で、柚子モドキに注意を向けられる危険性だって大きく、そんな事になれば致命的だ。リターンは最低限なのに、リスクは極大。
その上で、狙うべき、注意すべき、成すべき事項の優先度をまとめ、それだけを果たすように覚悟を決めろ。極大のリスク……致命的な危険だろうが構わず利用して。
「……く、そ……」
視界がブレる。焦点が定まらない。蒲公英モドキから受けた無数の打撲と、なにより脱臼しただろう左肩の痛みが集中を妨げる。
今更気付いたが、片目の瞼が腫れてきたのか視界が塞がっている。遠近感が死んで、遠隔で物質化させるための空間把握がどうしても大雑把になる。
平時ならこんな状態でも自在に操れるよう訓練はした。感じていたプレッシャーだって、霧散したとは言わないまでも行動を妨げるほどじゃない。だけど、超速の超接近戦に割り込んで物質を投下するほどの精密性は捻出できそうになかった。
早鐘のような心音がうるさい。いっそ止めてしまえと思うほどに自身の呼吸音がうるさい。あいつらの鳴らす金属音がうるさい。
一発でいい。蒲公英を見ていれば、それだけの隙を作ればどうとでもなると分かる。今の俺が割り込めない戦闘を外部からコントロールすべく、その道筋を探り出す。確率だとか博打だとか知った事じゃない。やらなきゃ死ぬのだからやるしかないのだ。
攻撃対象が変われば死ぬ。動けば死ぬ。注意を向けられれば死ぬ。そんな凶悪な死の気配によって、走馬灯の如く時間が極限まで引き伸ばされた感覚の中、凡人は一歩だけ嵐の中へ向かう。
――Action Skill《 マテリアライズ - < ミラーボール > 》――
まずは一手。指定した座標は二人から離れた、どう足掻いても当たらない場所の上空。そこにやたら派手な、古ぼけて尚光を反射する球体が出現し、落下した。懸念通り狙いからはズレたが、許容範囲。
直後の一瞬、蒲公英と視線が交錯した。何が起こったのか、何をやっているのか、何をしたのか、どうして動いたのか、そんな感情が含まれた視線で、俺はまっすぐ視線を返す。テレパシーなんて使えないが、その一瞬で大まかにもこれからする事が伝わった事を信じる。……信じてもう一歩だけ死地に踏み込む。
最初の一手は蒲公英に俺ができる事を示す事だった。変な反応をして戦況が動かないように。もちろん柚子モドキのターゲットが移る危険性はあるが、それを飲み込んだ上で。……最低限、それだけでも良かった。
なのに、想像以上に事態は俺に良い方向へと向かう。突然現れたミラーボールに過剰反応した柚子モドキが、蒲公英と大きく距離をとった。
一方で蒲公英はミラーボールになど目も向けず、一瞬の間隙を突いて柚子モドキを追撃。超速で伸びた鎖の先端にあたる分銅がモドキの胴体を直撃。
想定内とはいえ、あまりに出来過ぎな展開。何もかもが理想的過ぎて、むしろこれからの展開が不安になるような、俺っぽくない奇跡。
当たり前だが、蒲公英の攻撃がクリーンヒットしたからといって、一撃では柚子モドキにとって致命傷にならない。
「っ!」
ここからが本番。ここからが最大の賭けだった。
痛みと熱に歪む視界。柚子モドキに再度認識され、そこから向けられた注意と殺気で絡められたように動きが鈍る。
だけど、それは折込み済み。その悪条件の上でできる事、成すべき事を果たすべく、震える手で次のカードに手をかけた。
それは必要以上に大きな動作に見えた事だろう。弱者が窮地でとる不格好な動作に見えたはずだ。半分は事実、しかし半分はあえて狙った事。
俺は柚子モドキの注意がこちらに向くよう、精密性を捨てて大きめの動作を見せたのだ。派手なミラーボールの物質化も含めての布石である。
一手ミスれば死ぬような、あまりに危険な行為だが、やらないといけない。どうしても必要な一手だった。
……柚子モドキが動き出す直前の予備動作がかろうじて視認できた。
「カガチヤタローっ!」
命の危機が生み出す極限の時間感覚は経験のない領域へと踏み込み、ひどく間延びした蒲公英の声が響く。
しかし、なんとなくでしかないが、ひょっとしたら多分に願望を含んだものかもしれないが、その声色で状況認識の差をわずかに埋める事ができた。
カードを投擲。こんな超感覚の中で精密なタイミングなど測れるはずもなく、マテリアライズの再使用タイミング上、可能な限り余裕を持った動作。
投げつける先には何もない。だけど、そこは蒲公英を避け、得体の知れない行動を見せる俺を狙うために柚子モドキがとるであろう最短の移動進路だ。
そこに、予めカードを置きにいった。
「《 マテリアライズ 》っっ!!」
――Action Skill《 マテリアライズ - < 壊れたスロットマシン > 》――
それは、現在残る手持ちの中で最も大きな質量を持つ一枚。派手だからダンジョン内の偽装用に使い難いと、戦闘に使う事を決めた一枚。
柚子の軌道がその進路にわずかに重なった瞬間、唐突に視界を塞ぐほどに巨大な業務用スロットマシンの筐体が出現する。
このタイミングなら避けられない。避けられてもノータイムでクリアできない。最低でも数瞬は稼げる。そう信じる。
「ッ!!」
俺はその結果を見る間もなく、横っ飛び。脱臼した肩を庇う余裕もなく、受身も考えない、可能な限りの跳躍。
一拍置いて巨大質量を切り裂く音が聞こえ、俺は狙い通りの展開になった事を確信した。
「いぃっ!!」
思わず叫び声を上げそうになるが、必死で我慢。どこが痛いのかすら分からないが、脳内物質が過剰に出ている今なら誤魔化せるはずだ。
横になった体勢で状況の推移を確認すべく、視界だけでもそちらへと向けると、そこにはあまりに巨大な隙を晒し、蒲公英の攻撃を許してしまった柚子モドキの姿があった。本物だったら絶対に犯さない、モドキの行動パターン故の致命的な隙だ。
そして、それを口火に蒲公英の一方的なラッシュが始まる。
意味不明な軌道を描く鎖と体術の合わせ技。華麗なる連続攻撃に割り込む隙はほとんどなく、一方的にダメージを重ね続ける。
あきらかに分が悪いと判断したのか、柚子モドキは大きく後退。そのまま撤退の意思を見せ、蒲公英は追撃に移る――
「蒲公英っ! 追うなっ!」
「えぇっ!?」
――ところを俺が静止した。結果として、柚子モドキは逃げ切り、その場から姿を消す。
そうして、ようやく危機が去った。……気配は……ない。
「あ、あのー、状況説明してもらえます?」
「……おう」
柚子モドキの再奇襲を警戒しつつ近付いてきた蒲公英に顔も向けず返事。急に痛みがぶり返してきたのか、動けない。
それでなくとも、柚子モドキが逃げた通路から目が逸らせない。
「だが、とりあえず場所を移すぞ。ここは危険過ぎる」
「危険って言っても……安全なところなんて。というか何処です、ここ?」
「ある。……というか、そこに隠れてるお前らのお姉様に案内してもらえ」
かなり離れてはいるが、瓦礫の向こう側でビクッと反応した気配があった。普段なら絶対に気付けないが、緊張し切った今なら分かる。
おそらくは様子を見に来たのだろう。大人しく隠れてろと言ったのに、危機感を感じるレベルの騒音に耐えかね、来てしまったのだ。こんな化け物が入り乱れる中で何ができるはずもないのに。
「俺は……ちょっと、落ちる」
「え、ちょ……」
だが、正直今はその蛮勇が助かる。あまりに張り詰めた緊張の糸が急激なぶり返しで撓み、意識を保っていられない。
花だけなら物理的に運べない。蒲公英だけならどこに運べばいいか分からない。だが、二人いれば俺が気絶してもどうにかなるだろうと。
-2-
「い~~~~っ!!」
ゴキリと、体の内部で嫌な音が鳴り、直後に強烈な痛みが襲ってきた。経験があるから声を出さずに済んだが、意識が飛ぶほどの痛み。
予備用の衣類を利用した簡易的なそれは医術的に見ればかなり乱暴な応急手段だろうが、今は構っていられない。
「骨折は……してないっすね。罅くらいは入ってるかもですけど」
「……助かる」
蒲公英に脱臼の応急処置の技能があったのは本気でありがたかった。俺も過去に一度脱臼の経験があって、その際にいろいろ調べたとはいえ、自分の脱臼を治す技術やメンタルはさすがになかった。
とはいえ、左腕はしばらく使えそうにない。できれば腕を吊るして安静にしたいところだが、それすら代替の布から作らないといけない。
加えて、蒲公英から受けた全身の打撲と裂傷。特に目の腫れで塞がったままの視界では行動に支障をきたすだろう。
……あきらかに日々の活動すら制限される被害。これでもゴブリンに負ける気はしないものの、モドキを警戒しつつというのは無理がある。
昨日までのなんの光明も見えない状況だったら心が折れるような状況だが、幸い被害を出した以上に結果は得た。俺も花も、想像すらしていなかったような収穫だ。
「それで、どういう状況なんです? ……えっと、お姉様?」
「いや、あたしはむしろ聞きたい側なんだけど……」
痛みに呻いている俺を見て反応を得難いと考えた蒲公英は花に振るが、さすがに俺が説明するのがいいだろう。
動くのは厳しいが、上体を起こすくらいならできるし、そもそも再度意識を落とせるような痛みじゃない。
「いってぇ……簡単に説明するとだな、蒲公英モドキが首チョンパされて出てきたカードをマテリアライズしたらこの蒲公英が出てきて、柚子モドキを撃退してもらった」
「いや、それじゃさっぱりな……」
「……なるほど」
「お姉様っ!?」
やけに飲み込みがいい花に驚愕する蒲公英だが、これまで情報の蓄積がある花には伝わる内容だったはずだ。いくらなんでも端折り過ぎではあるが、それでも最低限必要な事は分かるだろう。
そんな俺たちを前に困惑する蒲公英だったが、もちろんちゃんと説明はする。それこそ、九十九世界からの転移直後から遡って。
細かい部分も含めた長い話になったが、蒲公英は意外にも大人しく話を聞いてくれた。
「……なるほど。良く分かんないのは諦めるとして、とりあえず納得はしました。……あの時、止めた理由も」
「いきなり殺せって言っても無理だろ。花が殺されかかってるとかならまだしも」
「そりゃまあ、そうですね」
そう、情報が足りなかったあの時の蒲公英に柚子モドキは殺せない。
もちろん、追撃していれば多少のダメージは入っただろうし、それは無駄にはならないが、あの時は安定を取った。
超能力やらなんやらを加味すれば分からないが、純粋なスペックではどの道全力で逃走する柚子モドキを捕捉する事は不可能だったろうし、あんまり離れられても困る場面だった。
「一応聞くが、戦力的にはどうだ? 真正面からやり合った場合の勝率は」
「少ししかやり合ってないので自信はないですけど、アレなら多分……なんとかなるんじゃないですかね? 普段の柚子とは比較にならなかったですし」
「そうなんだ」
「いやま、さすがにカガチヤタローだと厳しいというか、絶対矢面に立たせられないですけどね。だから、あの時何かしそうって気付いて正直ビビりました」
「やらなくて済むならやらねえよ。お前ら相手に勝てると思えるほど自惚れてない」
多少自惚れ始めていたのは確かだが、すべて霧散した。蒲公英の言葉はまごうことなき事実だ。事実過ぎてバカにされたとも思えないほどに。
改めてホムンクルスの性能を見せつけられる一戦だった。俺が戦えていたのはモドキだったからで、正常な状態なら勝負にもならない。
人間やめた感はあっても、本格的な戦闘生物と比較したらまだまだ勝負の土俵に上がれないって事だ。それがホムンクルス最弱の蒲公英相手でもだ。
「というか、アレ何やったんです? いきなりビカビカした球が出てきて」
知らんかもしれんが、アレはミラーボールである。
「《 マテリアライズ 》は見せた事あるだろ? その応用だ。起きてる現象だけ見れば質量投擲」
「……う、うーん、あたしよりよっぽど超能力」
「だよね」
そんな事を言われても困る。ぶっちゃけ俺の能力かと聞かれても怪しいし。
普通に考えるなら、弾を別に用意する必要はあるにせよ、あんな質量を簡単に射出できる能力は反則だろう。それはそれとして使うが。
実は花や蒲公英たちがいた世界にも似たような事をできる超能力……物質転送能力の保持者はいたらしいのだ。専門でも適性でもなかったから詳細までは分からないらしいが、少なくともあんな巨大なものをポンポン使えるような力ではなかったらしい。
それどころか念動……いわゆるサイコキネシスの類で動かす質量として見てもかなり規格外なのだとか。
……蒲公英が使っているだろう鎖にしても、質量としてはそこまでじゃないからな。
「物質転送しているわけじゃなく、カードから物質化してるだけなんだけどな。カード投げてただろ」
「最後のも大概ですけど、じゃあ、ビカビカを出したのは?」
「それも同じだ。知覚領域の範囲内なら座標指定できる」
「やっぱり超能力じゃないですか!」
「なんでやねん」
なんで蒲公英がキレ散らかしているのかといえば、その目視範囲内での座標指定をもっとも多用するのが彼女で、だからこそその常識に縛られているらしい。説明しても……ああなるほど、そうやって転移してるのか……ってなるはずもなく、それはまったくの別物だと言っても納得してくれそうになかった。
そもそも、今言い争うような事でもない。ウチの神様相手には、不条理をそういうものって割り切る寛容さが大事。
「なら別に超能力でもいいよ。詳しい説明なんてできんし、おかしな力ってのは変わらんし」
「カガチヤタローが本当に人間が疑わしくなりますね。その人間にしては異様な筋力も含めて、実はミュータントかアドバンスドなんじゃ……」
「ミュータントは前に聞いたが、アドバンスドって何よ」
軽く聞いてみれば、どうやらそういう改造人間モドキがいたらしい。もちろんどっちでもないが、普通の人間よりはそれらに近い事は確かだ。
というか、改めて一ヶ月前まで営業マンやってた人間とは思えんな、俺。
「……ともあれ、悪材料しかなかった状況に陽が差したわけだ」
「良かった……」
蒲公英だけとはいえ、家族とも言える九十九姉妹の一人が戻ってきたにしては、花の反応は淡白だ。とはいえ、それはこれまで散々危機的、絶望的状況を潜り抜けてきた果てのものなのだろう。本質的な感情は、目尻に溜まった涙で察する事ができる。
年齢や見た目、立ち振舞からは想像もつかないが、彼女は常に強い感情は出さないよう務めているように感じる。それをここ数日で感じていた。
それが生来のものか、後天的に身につけたものかは分からないが、損な性分だと思う。
「と言っても、これからどうするんです? 出られるような場所なんですかね、ここ」
「出る方法はあると信じてダンジョン攻略するしかないな。誂えたように第二層以降に繋がる階段もあるし」
「あー、あの柚子のモドキが来たっていう。その階段の先に次のフロアがある……んですか? 見てないんですよね?」
「そりゃ……」
……言われてみたら確かにそうだ。実際、第二層……階段の先があるのは確信に近いが、それはいつものダンジョンの仕様を背景に考えているに過ぎない。ガチャにしても、この部屋にしても、ダンジョンにしても、徘徊するゴブリンにしても、知識の下敷きなしに受け入れるにはあまりに無茶苦茶だ。
「あるとは思うが、確かめないとな」
どの道、今のところはあの道以外の進路はないのだ。第一層のどこを探しても迂回路か行き止まりしか見つかっていない。
確信がないだけで、ウチのダンジョン同様にフロアの接続はあの一点だと思うんだが。漠然とだが、そう感じている。
「ちょうどいいから、いろいろ説明しておくか」
どうせしばらく動けそうにないしと、俺はこれまでの体験談を二人に聞かせる事にした。
使徒になってからの波乱万丈な、本人として笑えないコメディもどきの体験談だ。
花にはすでに聞かせている話だから席を外してもいいんだが、別段文句を言うでもなく、何度か目の話も聞くつもりらしい。
「ふむふむ……とりあえず、カガチヤタローが無茶苦茶って事は分かりました。お姉様もそうだと思いますけど、理解できない上で飲み込むしかない」
「……だよね」
「なんでやねん」
「だって、今更疑う気はないですけど、そんなもん脳が理解を拒絶しますって」
俺だって、ただ話を聞かされたらそう感じるかもしれないが。どっちかといえば、おかしいのは神様だと思うのに。
「じゃあ、あたしはとりあえずそのカードを掻き集めてくればいいんですね?」
「今はその認識でいい」
俺が動けるまではそれがベストだろう。役割分担含めて話し合う必要はあるが、今はそうしてもらうしかない。
ゴブリンなどの注意点や地図の共有はするにしても、今後どういう体勢で活動するかは別途検討だ。
-3-
「か、加賀智さんっ!? 解熱剤出ましたよっ! これっ」
それからしばらく経って、俺はおそらく脱臼が原因の熱で本格的にダウン。ここで拠点効果が働くかは分からないが、使徒の自己治癒に任せるしかないと半ば諦めかけていたところに花が駆け込んできた。
手渡されたカードを見れば確かに見覚えのある医薬品のカードだ。
< 使用済みの解熱剤 >
……例によってなんだか劣化版のような感じだが、絵柄を見る限り半分くらい使われているだけで、個々の錠剤の入っている……なんて呼ぶか分からないやつは未開封だ。
実は九十九姉妹たちがあの世界で物資を漁っていた際、鎮痛剤や風邪薬、胃薬など手軽に使えそうな医薬品は手に入らなかったのだ。もちろん薬局が空なんて事はなかったが、見つかるのはすぐに用途が見出せないものがほとんどだった。
食料品などもそうだが、人類が消失していく中で貴重かつ嵩張らない医薬品は真っ先に略奪される対象だったのだろう。
俺がその立場だったら、確かに略奪に走る自信がある。そんなのが何人もいれば、そりゃ空にもなるはずだ。
「すげー助かる。……やっぱり運いいのな、君」
「えへへ」
こうして見ると、年相応……というよりもそれより幼くすら感じる反応なんだがな。
解熱剤はありがたく頂き、パッチテスト代わりにまず一錠だけ服用して確認。その後しばらくしてからかなり多めに服用した。用法用量を守っている余裕はないし、使徒の体ならこの程度は大丈夫だろうと。
人間の体から遠ざかっている自覚はあるのでむしろ効かない可能性も考えていたが、ちゃんと熱は引いてきた。おかげで頭が動く。
「結構時間が経ったが、首尾のほうは?」
「蒲公英が慣れてきたみたいなんで、ガチャを回す回数は確保できてます。排出品のリストはまとめてあるので……どうぞ」
「ああ……」
◆ノーマル
< 歪んだネガネフレーム >
< ボツネーム >
< ガラガラ >
< 老朽化した手摺 >
< 欠けたコンクリートブロック >
< ライ麦粉 >
< 古古米 >
< 食用熊肉 >
< 豚肩ロース肉 >
< ウィンナーシュニッツェル >
< 激安ソーセージ >
< 特売品卵パック >
< 鮪 >
< 焼ほっけ >
< カットレタス >
< もやし >
< 茄子(規格外品) >
< フィリピン産バナナ >
< ジャボチカバ >
< マカロニサラダ >
< チーズフォンデュセット >
< レーズンパン >
< おばあちゃんの味噌焼きおにぎり >
< 絹豆腐 >
< 味付海苔 >
< 小粒納豆 >
< ホールトマト缶 >
< グレープジュース >
< クッキー >
< 溶けかけのチョコレート >
< 売れ残りの駄菓子 >
< 大福 >
< 和三盆 >
< 金平糖 >
< ポテトチップス(激塩) >
< チーズケーキ >
< ほうじ茶(御得用) >
< 玉露(偽物) >
< 薄口醤油 >
< サラダ油 >
< ごま油 >
< 煮込まれた豚骨 >
< 亜鉛サプリメント >
< フェノールフタレイン溶液 >
< 歯磨き粉(チョコレート味) >
< 柔軟剤 >
< 精密ピンセット >
< 玄関マット >
< かき氷機 >
< 蛍光ペン >
< 原油 >
< 船底のフジツボ>
< 鼻毛カッター >
< ワイパー >
< ランプ >
< 蓄光剤 >
< LEDライト >
< オルゴール >
< 写真立て >
< 線香 >
< 五寸釘 >
< 巨大人工ダイアモンド >
< 動物の骨 >
< いじめっ子告発資料 >
< 不穏な交換日記 >
< サイコパス読本 >
< 兎跳びの歴史 >
< 実家からのビデオレター >
< ◯◯高校の裏サイトログ >
< 改竄された資料 >
< エロDVD福袋(閉店放出品) >
< ストーカーの痛ポエム >
< 犯人の残した証拠 >
< バイト募集の張り紙 >
< 離婚届 >
< 自由帳 >
< 目録 >
< 祖父母の恥ずかしい日記 >
< 闇に葬られたスキャンダル >
< ナパーム精製レシピ >
< ミステリー小説セット >
< 理不尽トリック傑作選 >
< おっさんの俳句 >
< 蓮コラ写真 >
< ボーリングピン >
< 本格的★タロットカード >
< 多面ルービックキューブ >
< 四面体サイコロ >
< クローバーのジャック >
< 足りない麻雀牌 >
< かんたん!手品キット >
< かんたん!監禁セット >
< 手作り人生ゲーム >
< メガホン >
< 物干し竿 >
< モンステラ >
< タケネズミに齧られた竹 >
< ビニール傘 >
< 未発見失踪者の遺品 >
< 改造ガス銃 >
< 曲がったゴルフクラブ >
< 歪んだ金属バット >
< ホッケーマスク >
< ヘルメット >
< 事務用サック >
< タンクトップ >
< チビT >
< 激安トランクスセット >
< 高級靴下 >
< 古着 >
< 反物 >
< 布の切れ端 >
< 褌 >
< 巾着 >
< 学校指定ブラウス >
< 大日本帝国海軍将官正服 >
< 登山靴 >
< 幼児用長靴 >
< 深海の長靴 >
< 売れ残ったランドセル >
< 疑似餌 >
< 木工用ボンド >
< テトラポッド >
< 割れた蛍光灯 >
< ハンガーラック >
< テレビ台 >
< アイロン台 >
< 深海の砂 >
< 海亀の這った砂 >
< 血痕付レンガ >
< 風穴の空いたドア >
< ゴミ箱 >
< 壊れたロードローラー >
< 廃棄された電気自動車 >
< シャンデリアの欠片 >
< 畳 >
< 掛軸 >
< ルームランナー >
< 火山灰 >
◆イクイップ
< 履き潰したスニーカー >
< 錆びた長剣 >
< 穴の空いたマスク >
< おしゃぶり >
< ライオットシールド >
< 強盗用バラクラバ >
◆スキル
< ベッドメイク >
< スクワット >
< 足踏み >
< 深夜テンション >
< スリ師の極意 >
< ガン牌 >
◆ユニット
< 大福っぽいハムスター >
< カマキリ >
< ヒメカンテンナマコ >
◆ベース
< 汚染された池 >
< 有刺鉄線付きバリケード >
< シューズボックス >
< 切り株 >
< 土嚢 >
多分、排出順ではなく、ある程度カテゴリ分けされたリスト。しかし、分類しきれていないあたりに、ガチャから出るものの雑多性が良く分かる。……多分、途中で嫌になってるな、コレ。
「少し間が空いたからか結構な量だな」
時間的に巡回三、四回分くらいだろうか。ウチの拠点と違ってカードの容量制限がないから判断し難い。
「はい。でも、正直これはっていうものはなくて……」
大量に羅列されたカード名を見るだけだと正体不明なものも多いが、だいたいは即戦力に直結しないものだと分かる。
あえて言うなら、食料になりそうなものが多いのと、マテリアライズの残弾に使えそうな物がチラホラあるのは好材料か。
あとは……武器や生活用品などの本来の用途で使えなくもないってレベルのものばかり。やっぱり劣化品も目立つな。
「何か自分で使いたいものはあるか? 生活用品でも……< 学校指定ブラウス >とか」
「はい、頂きます。あと、武器に< 改造ガス銃 >とかどうですかね?」
「実際に見てみないと分からんが……いや、試してみるか」
改造ガス銃をマテリアライズしてみると、そこそこ強力な改造がされていたのか、ゴブリン相手ならギリギリ有効ダメージが通りそうな代物だった。ただ、ガスや弾丸の替えがない使い切りという事もあって、花の護身用に使ってもらう事にした。
同じく< ライオットシールド >も渡しておく。盾として有用なのは分かっているが、実践で使いこなす技能も習熟する余裕もないからだ。
< 有刺鉄線付きバリケード >などはここの防御用に。他にも陣地構築に使えそうなモノはあるが、マテリアライズの弾として使わせてもらう事にした。見た目だけなら如何にも何かありそうな< 巨大人工ダイアモンド >もだ。イラストだけだとサイズ感が分からないのがきつい。
「あとは、細かい菓子類……特に日持ちしそうなやつは事前にマテリアライズしておいてもいいかもな。今なら自然治癒分のMP余ってるし」
「い、いいですねっ! ぜひっ!」
花の食いつきがすごい。ここまでも甘味類は渡しているはずなのだが、いつまで経ってもこの反応である。
「あのさ、君らそこまで食料困窮してたのか?」
「当たり前じゃないですかっ!? 加賀智さんはミュータントのミンチ肉だけで過ごす悪夢を知らないから……っ」
「いやまあ、確かにアレはまずかったが」
ここに来てしばらく、食料の備蓄に不安があった頃に、ものは試しにと保存されていたそれを食べてはみたのだが、確かに食えたものではなかった。かつてリョーマが食ったら死ぬぞと言ったゴブリン肉のブロックよりはマシだろうが、少なくとも進んで食べたいほどじゃない。
何故か栄養はあるらしいし、全然腐らないので、最低限の非常食としては優秀なのだろう。日常的にあんなものばかり食べていたら甘味が嬉しいのは分かるが、この反応は如何にその期間が長かったかを窺わせる。
……桜も白米で泣いてたしな。
今考える事じゃないが、あいつの救出作戦も待ってるんだよな。あんなところ……と言うのは吉田さんに失礼かもしれないが、放置するわけにもいかない。
こういう風に、眼の前以外の展望が考えられるようになってきたのは、蒲公英が加入して多少は余裕が生まれたからだろうか。
「く……ぅうううう……」
「うおおおおお……」
その後、チーズケーキを食ってガチ泣きしていた花と蒲公英を見てしまったら、さすがの俺もホールの残り全部食っていいぞと言うしかない。
普段遠慮しがちな花でも、これは一切躊躇する事なく自分の分として確保していた。
「ああ……、明日にとっておこうって決めたのに……決めたのに」
二人でその日の内に全部平らげるとは思わなかったが、それで活力が維持できるなら安いものだろう。ホムンクルスの蒲公英はもちろん、花だってこの程度で気にするような体型ではないし。……むしろ、もっと食ったほうがいい。
「悪いが、あと何日か頼むぞ蒲公英」
「了解っす。チーズケーキのために、あのゴブリン?とかいうのを絶滅させるつもりで狩ってきますっ!」
俺が長期離脱する事で、いきなり蒲公英一人に任せる事になって抱いていた、野良ゴブリン相手に戦えるかという懸念はまったくの杞憂。
むしろ、今回の事で本当に絶滅させるんじゃないかという不安すら感じさせる。チーズケーキ事件の直後の蒲公英はそんな迫力があった。
チーズケーキの件がなくとも、良く考えなくとも以前から人型の相手と殺し合っていたはずだから、心配する必要などなかったのだ。
しばらくしたら、アレはかなり当たりの部類であると気付いて打ちのめされそうだが、あえて今言う必要はないだろう。
「あと、階段前の仕掛けの件も頼むぞ」
「はいはい、分かってますって。……できれば、このフロアにいる間に仕留めたいんですけどね」
その表情と声色なら、躊躇して仕留め損なう可能性は低いだろう。
俺が仕掛けた階段前のトラップは、引き続き蒲公英にチェックしてもらっている。ただ、数回巡回した限り、ゴブリンの足跡らしきものが確認できたのが一度だけ。つまり、柚子モドキは通過しておらず、このフロアをうろついているという事になる。
この状況で最も警戒すべきはこの拠点にモドキが現れる事。だから、蒲公英の巡回もかなり短いスパンで確認に行ってもらっている。
加えて、今だけの対策として行き来ができないよう、この拠点前の通路を物理的に完全封鎖までしていた。今後、俺が復帰する際は撤去する必要があるものの、蒲公英のショート・テレポートが使える事で、完全封鎖してもカード回収巡回に向かえる環境なのだ。
「このまま、あたしだけ巡回して引き籠もってもらっててもいいんですけどね」
その構図も検討はしたのだが、この拠点と花を護る事を優先するなら悩みどころではあった。
俺一人でここを護るのは戦力が足りない。蒲公英がいれば最悪柚子モドキが奇襲してきてもなんとかなると考えると、むしろ俺が外回りしたほうがいいカタチになりそうな気もしている。もちろん、それだって俺が十全に動ける前提だが。
……ただ、どうしても俺は出る事になりそうな……複数体ホムンクルスを救出して、あとは引き籠もっているだけって構図にはならない予感がしている。戦闘勘みたいなものはともかく、こういう予感は結構当たるのだ。
「というか、お姉様が死んだ目で回してるアレだって、代わってもいいんですけど」
「それは駄目。あたしの役目だから」
「そ、そうっすか? しんどくないですか、アレ」
「……正直キツイ。だけど、駄目」
間髪入れず蒲公英の申し出を断った花の目はかなり真剣なものだ。
……まあ、考えている事は分かるのだ。花は自身をお荷物にように感じている。絶対そんなわけないと思うのだが、実際直接的に何もできないのは確かなのだ。だから、面倒で投げたガチャ回しという苦行に自分の役割としてしがみついているのかもしれない。それはそれとして苦行とは感じているのだろうが、俺もやりたくないから正直助かる。
「んじゃ、次の巡回行ってきます。カガチヤタローはちゃんと寝て回復させるように」
「おー、了解」
状況は出口は見えないものの、確実に好転している。これで俺が復帰できれば、今後の展望を考え、調整する余地も出てくるだろう。
そのためにちゃんと休養するのはご尤もな話だ。
-4-
また、この夢か……と気付いたのは、眠りについてすぐの事だった。
電気も点けない薄暗い部屋。ゴミを片付けもせず散らかるままに放置した部屋。ベッドの脇で大の大人が蹲るだけの部屋。
何度も何度も、繰り返し見る夢。克服して外に出たあとも継続して見ていた夢。
とはいえ、使徒になって以降はさっぱり、それ以前でも克服したんじゃないかってくらいに見なくなっていた悪夢だが、こうして見るとやっぱりなという感想が浮かんでくる。
……俺はまだ囚われたままだと。
このタイミングで見た理由は他分、薬の摂取。なんでもかんでもそうなるわけじゃないが、心身が弱っている時期に何らかの薬を飲むとそれが呼び水になる事が多い気がしている。
そして、夢を見る前はだいたい分かるのだ。ああ、今日はあの夢を見るんだろうなと。
蒲公英に促されて、簡易的に個室として使わせてもらっている部屋でベッドに入った時点で、その予感がしていた。
とはいえ寝ないわけにもいかず、諦めたように過去のトラウマと向き合う事になる。
人生の中でもっとも荒んでいた大学時代の後半部分。部屋の中で蹲り、ひたすら現実逃避を続けた文字通り悪夢の時期。
夢である事は自覚できるが、どの道自由は効かないし、その時の感情に引っ張られる。それを体感し続けるだけの夢。
何もしない。できない。ただただそうなった原因を繰り返し脳に叩きつけられる、ひどい追想もあったものだ。
結婚まで考えた彼女がいて、彼女自身ではなく環境の問題ですべてが壊れた。なのにそこからどうともせず逃避し続けた結果がコレだ。
事情を知れば誰もが同情した。だけど、当事者以外に分かるはずがない。分かったつもりになられるのも御免だった。
頻繁に訪れる家族だって理解できるはずがない。ウチの両親としても、すでに顔通しまで済ませていたのに、そんな事になっていたのかと困惑するしかなかっただろう。
誰もが、親しい相手ほど気を使い、腫れ物を扱うように距離を取っていた。血の繋がらない弟だけが空気を読まないフリで、デリカシーのない励ましを続けてくれたのは感謝しかない。良くできた弟だ。
その時はぶん殴りそうなくらい苛ついていたが、元の体格差もあって諦めさせられたのすら狙っていたかもしれない。原始人かと疑うようなマッチョになってしまった今の俺では考えられない事だろう。普通に勝てるし。
とはいえ、それはすべて結果論で、振り返ったあとにそうだったと気付いただけの事。
当時、絶望の縁にあった俺にそんな事を考える余裕はなく、ひたすら荒んでいただけだ。表に出す性格だったら軽犯罪くらいしていたかもしれないし、あるいは謎のアクティヴさで自殺していたかもしれないと思うと、内に籠もるタイプだったのは良かったのだろう。
『ごめんね。……どうしても言い出せなかったの』
謝るな。お前が悪くない事なんて百も承知なんだ。
何もかも環境が悪い。そこから助け出せなかった、その気概すらなかった俺が悪い。渦中にいて、悪くないのはお前だけなんだ。
そして、絶望から逃避した先にあったのは袋小路。どこにも行けない悪夢の日々だ。
そこから立ち直ったように見えても、逃げ出した事実は変わらない。
果たして神様は知っているのだろうか。生まれた時から怪しい宗教に振り回された彼女に絶望を見てしまった俺が、最も忌み嫌うものは神仏の類だと。
吉田さんの事を考慮するなら、使徒になる奴の身辺情報くらい洗っていると思うのだが。
人の心が分からない神様だが、そこに悪意はまったく感じない。それが救いなのか、俺には分からない。
結局、悪いのは本物の神仏ではなく、人の悪意によって作り出された虚構の信仰。
だが、神々の成り立ちを思うに、それは人為的に創られた虚構と何が違うのかと思う事はある。どちらも人の情念、信仰から生まれたものではないかと。
『悪いのは悪用する人間に決まってんだろ』
いつか弟に言われたその言葉は真理だ。しかし、その表面的なものだけではなく、更に奥に異なる真理を孕んでいる。
何故俺は、神仏を忌み嫌いつつも使徒なんてやっているのか。信仰対象がどうこう以前に、神仏そのものを嫌悪しているのに。
最初にやむを得ない理由があったとしても、あまりにふざけた深夜番組のような環境でも、慣れつつある中でどこかやりがいを感じてもいた。
なのにその一方で、こうして悪夢が続いているのは、どこかで嫌悪が拭えなていないからなのだろう。
……俺は矛盾したまま存在している。
神様がもっと聡明で、何もかも分かって上で導かれていたらどうしただろうか。信仰と決別、どちらに転んでいただろうか。
そう考えると、あの適当極まるガチャ狂いの神様だったのは幸いだったのかもしれない。
俺は矛盾を抱えているからこそ、俺のままでいられるのだから。
「……今考える事じゃねーや」
翌……朝かどうか自信はないが、とにかく起きて最初に口から出たのはそんな感想だった。
悪夢を見るのなんて今更だし、そのあとしばらく気が滅入るのもいつもの事。
だけど、今は弱音を吐くわけにいかない。蒲公英はともかく、花の前では頼れる大人でいないといけないという使命感に似た意地があった。
その建前があるから無理が通せる。情けない自分にならないために。情けない自分を開き直るような大人にならないために。
俺はきっと、そのために花を利用しているのだろう。
-5-
体を捻り、全身の筋肉の連動を確かめる。
細かいところに引き攣るような感覚はあるが、概ね元通り。全身の細かい傷も、能力を制限する段階は過ぎているのが分かった。
「ほ、本当に大丈夫なんですか? まだ三日ですよ?」
「パーフェクトじゃないが、まあ問題はない」
「人間はおろか、ホムンクルスだってそんなに早く治らないと思うんですけど」
「脱臼自体は経験があるから、普通はどんなもんかは知ってる」
当たり前だが、過去に脱臼した際はこんな簡単に元通りにはならなかった。腕を吊る時期ですらはるかに長く、痛みがなくなるまでは結局月単位の時間を必要とした。
痛みは今も残ってはいるが、稼働に支障はない。これよりよっぼどひどい条件で活動してた事はあるし。
……改めて、ブラック極まる仕事環境に泣けてくるな。
「……そこら辺はやっぱり使徒だからなんだろうな」
それに加えて、自信はないものの、いつもの拠点内で働いている自動治癒がここでも効いている気もしていた。
比較するようなものではなく相当に微細な、だけど自分以外の力を感じるというか。
「…………」
古ぼけた、見窄らしいガチャマシンに視線が向いた。
……いつもの拠点のそれと比較してコモンレベルの機能が働いていると考えると、そんなものって気がしてくる。
なにもかもが特別な価値を持たないコモンだけの空間。ここはそういう場所なのかもしれない。
「というか、全開で動く気はないよ。どちらかというとリハビリ目的で、蒲公英との連携や役割分担、やれる事の細かい擦り合わせがメインになる」
もちろん、チケット目的でゴブリンは蹴散らすが。
「ただいまー」
「そうこうしている内に戻って来たぞ。蒲公英、しばらく休憩してから、俺のリハビリに……」
……付き合ってくれと声をかけようとしたところで、蒲公英の雰囲気が妙な事に気付いた。
神妙に見えてどこか嬉しそうな、何かの切り出し方に迷っているような。おそらく、明確な悪材料ではないと思うが。
「ひょっとして、柚子モドキと遭遇したのか?」
「あー、それも話さないと……なんですけど、それどころじゃなくて」
歯切れが悪いな。
「いえね、いつもの巡回ルートで例の階段前にも寄ったんです。そしたら切断されたピアノ線が……」
「……柚子モドキは第二層に戻ったのか」
それならかなりやり易くなる。最悪、階段前を蒲公英に張ってもらって、俺はチケット回収に専念するという手だって……。
「それは多分そうなんですけど……足跡は二人分で」
「……は?」
「そんでもって、こんなん落ちてたんですけど。……これ、例のカードっすよね?」
そう言いつつ、蒲公英は一枚のカードを見せてくる。それは見慣れたコモンチケットではなく――
「向日葵……?」
――麦わら帽子をかぶった少女が描かれた、< 九十九向日葵 >という名のカードだった。
「これって、ひょっとしなくても大戦果?」
蒲公英が向日葵を拾ってきたぞ。(*´∀`*)
牛歩でも進んではいるけど、次は二回連続で敗北のターンよ。
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