第四十四話「九十九姉妹回収作戦」
今回の投稿は某所で開催した引き籠もりヒーロー第3巻書籍化プロジェクトの「二ツ樹五輪 次回Web投稿作品選定コース(限定5名)」に支援頂いた未知カケルさんへのリターンとなります。(*´∀`*)
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九十九世界は、化外の王の腹の中だ。
それは俺の恐怖心から生まれた妄想とも呼べるような推測で、確信に至る材料は世界を移動した際の感覚程度のような状況証拠だけ。しかし、口に出した時点でパズルのピースが嵌るようにそれが真実であるという確信に至った。ミステリーでトリックは何も解決していないのに真犯人に行き着いたような、蛍光ペンで『犯人はこいつ』と書かれているのを見た時のような印象である。
『なるほどね。じゃあ、それを前提に置いて行動しましょうか』
恐怖と焦燥感に塗れた俺の発言とは裏腹に、二号の反応は淡白なものだった。どうでもいい戯言と切り捨てて適当に返事しているのとは違い、ちゃんと受け止めた上でのものに感じる。正直上手く伝えられる気がしなかった俺としては拍子抜けなほどに。
「……信じるのか?」
『頭から信じてるわけじゃないけど、世界の狭間とやらが存在するらしい事は確からしいし、やる事は変わらないしね』
「それは……まあそうか」
言われてみれば確かにそうだ。俺が言った事が丸ごと真実でも虚言でもやる事に大差はない。
『変わるのはせいぜい、その推測を連絡してより慎重に対応してもらうよう促すくらい? 言っちゃなんだけど、今回の作戦ってウチがとれる限界までリソース投入したモノなわけで、コレで失敗するようなら手も足も出せないってくらいの体勢だし』
この作戦は俺が想像している以上に重大なプロジェクトで、スケジュール上突貫気味なところはあったにせよ、厳重な態勢の元に実行されているはずだ。現場からの意見を無視したりはしないだろうが、具体性の伴わない『今回で成功させろ』的な事を言ったところで最初からそのつもりに違いない。
実は内ゲバが起きていて足を引っ張る奴がいるかもしれないが、それは懸念があろうがなかろうが一緒だ。言うまでもなく気をつけるだろう。
『あとは、それを前提として推測してみたらいくつか見えてくる真実があるかもしれないから、空き時間でこの世界の正体について色々考えてみるとか?』
「……柚子、アレから何か分かった事はあるのか?」
「え? あー、色々調べたり計測したりはしてるけど、多分何も。単にあたしが聞いてないだけかもだけど、お姉様に聞いても何も出てこないんじゃないかな」
「そうか」
感覚的で頭脳労働に向いてなさそうな柚子だが、それでも重要な何かが分かって共有しないとも思えない。
『とりあえずは落ち着きなさい。幸いって言っていいのか分からないけど、今回は考える時間もあるわけだし』
「……そうだな。落ち着けるかは自信ないが」
『無理矢理でもいいから落ち着いた事にしときなさい。現実がどうあれ、多少はその認識に引っ張られるから』
この作戦で俺に課せられた役割は正直多くない。せいぜいがアンカーの設置くらいで、あとはほとんど自由な時間なのだ。
しかし、どうしても焦りは出る。あんな超存在を認識した上でその腹の中にいるという確信まで抱いていて、平静になれるほうがおかしい。そんな奴は……吉田さんとか平然としてそうだが、そういうイレギュラーは別としてそうそういない。
『そうね。何もせずにってのも厳しいでしょうから、ここまでの状況整理を。今のあんたのバイタルで理路整然とした説明なんてできないでしょうから、時系列順で並べてくれればいいわ』
「……時々、えらい大人な対応になるよな、お前」
『いや、神様候補だからね』
知ってはいるんだが、普段の態度を見ているとどうしても忘れがちになるのだ。ガチャ子様同様、見た目が幼女なのも問題なのだろうが。ツンデレ幼女っぽい見た目と言動なのに、意外と面倒見はいいと実にアンバランスだ。
『あと、とりあえず着替えてきたら? 普段がアレだから今更だけど、締まらないし』
「……忘れてた」
普段がアレは余計だが、俺の認識ではさっき着替えたばかりだったから服がなくなっている事に気付かなかった。こんな直接外気に触れるビルの屋上で気付かないあたり、俺も相当慣れてしまった感がある。それとも、よほど焦っているのか。
前回の時点ですでに俺用の服を常備してくれてはいたが、柚子に聞いてみれば今回はそれに加えて専用のプレハブ小屋を用意してあるのだという。上手くいけば今回で利用しなくなるだろう場所になんでとも思ったが、屋上に休憩所を設営する関係で運び込んだ資材を流用したものらしい。実際、更衣室用にロッカーと大きめな姿見を設置してあるだけだそうだ。
「……なんじゃこりゃ」
その専用プレハブ小屋にポツンと設置されていたロッカーを開けてみれば、やけに派手な色彩のスーツやシャツが並んでいた。ファウルカップを常備している関係で特に必須ではない下着までもがドギツい配色である。
見た目以外問題ないと言えばないが、わざわざこんな服を用意する意図も分からない。嫌がらせか。
「おい、なんだこの服は」
「え、何それ」
とりあえず着替えて文句を言いに外へと出るが、柚子の反応は未知のものに対するそれだった。こいつが用意したものじゃないのか。いや、格好に関してはそもそも柚子も大概なのだが。
『あんた、そのセンスはないでしょ。どこのヤクザの下っ端よ』
俺のセンスじゃねえ。こんなのしかなかったんだ。使徒になる前だってこんなドギツいアロハみたいなワイシャツ着た事ねーよ。営業だから色々気を使ってはいたが、むしろ地味な色合いのものばっかりだぞ。
「前にカガチヤタローが使った店のモノを運び込んでおいてって言ったんだけど」
明らかに意図的じゃねーか。
「ちなみに、運び込んだのは誰なんだ?」
「多分、たんぽぽちゃん」
『前回サンドバッグにした腹いせじゃない?』
「マジか」
そこまででもない気がしていたが、縛られて殴られればフラストレーションを貯め込んでいたのか? それとも、最近様子がおかしいとか聞いているからその関係だろうか。……まさか、元からセンスが悪いって事じゃないだろうな。
こんな状況じゃなければ問い正したいところだ。
「……まあいい。これでも特に問題があるわけじゃないし、どうせ制限時間付きだ」
機能的にはただのスーツだ。見た目を取り繕っても今更感は強いし。今はそれどころじゃない。
というわけで見た目を意識しない事にして、迎えが来るまでの時間、二号と柚子相手に《 Uターン・テレポート 》発動後の体験をそのまま口にした。要点の定まらない説明ではあるが、口にする事で整理できた面もあったのか、終わる頃にはある程度の落ち着けたと思う。だから、迎えに来た待雪と合流して再度説明する事になった際には多少マシな内容にできたと言えるだろう。
「一応という程度ですが、追加で耳に入れておいて頂きたい情報はあります」
意味があったのかなかったのか、移動する車中で説明をしたところ、運転席の待雪からそんな回答が返ってきた。
「前回、この東京の外に何もないという話をしましたが、その境界にセンサーを複数設置して変化がないか計測してみました」
「ああ、東京の敷地で異様に厳密な境界が敷かれてたってやつか。そう言うって事は何かあったって事だよな」
この世界は、何故か人が定めた東京の境界に合わせて壁が存在している。壁といっても内部と外部を隔てるようなものではなく、外があるように見せかける幻影のようなものだ。一見すればその外側には本来存在すべき海や隣接県の土地が見えるわけだが、実際には何もない暗黒空間が広がっている。
俺の推測を前提とするなら、その暗黒空間は化外の王……その内の一体の腹の中に広がる空間だ。そもそも生物かどうかすら分からない存在に対して人間の器官を当てはめていいのかは疑問だが、要するに胃のような消化器官って事である。
「はい。結果として、誤差レベルで縮小している事が確認できています。これが元々なのか計測を開始してからなのかは分かりませんが」
『じきにこの世界は消滅するって事? 誤差レベルなら結構な時間が必要っぽいけど、どれくらい?』
「一日で数センチ程度ですね」
『積み重なれば結構なものだけど、ほんとに誤差ね』
仮に一日一センチ縮まったとして、一年で三メートル半。十倍でも三十六メートルに過ぎない。いくら消滅の危険が迫っていても、救出計画が立っている今ならそんなスピートで危機感を抱くほどじゃない……が。
「……変だな。不自然過ぎる。いくら誤差レベルでも、ここが滅びた数十年前から縮小していれば、気持ち悪いくらい東京の敷地に合わせた壁になるはずがない」
「はい。なので、この縮小は最近始まった現象なのではと考えています」
九十九姉妹がここにやって来てからなら、誤差レベルの縮小が発生していても東京の境界が歪むほどではない。
「トリガーの候補は私たちがこの世界にやって来た事か……」
「俺がこの世界に来た事」
『私たちの継続的な干渉が始まったからって可能性もあるわね。ガチャ子との通信とか』
厳密に言えば他にも色々あるわけだが、大雑把に考えてその三つが妥当だろう。……時系列的には似たようなもんだが、原因がどこにあるかで影響は異なるはずだ。
……どれも有り得そうな気はする。体内に異物が紛れ込んだ事で化外の王の胃が活動を始めたというのなら、候補としてはどれも有力だ。しいて言うなら、後になるほど化外の王への影響は大きい気はするが……。
九十九姉妹がこの世界にやって来たのはほとんど事故のようなものだ。化外の王への影響はあっただろうが単発的で、その後も世界に対して何か大きな事をしたわけじゃない。
一方で、俺は化外の王を認識できる狭間の世界から侵入し、帰還や再訪といった断続的な干渉も行っている。
そして、神様たちは直接でないとはいえ、通信などで継続的に干渉し続けている。加えて、干渉しているのは人などよりも強大な神格だ。
ホムンクルスは分からないが、ただの人間である九十九花と神々では感じる力も違うだろう。多分俺のような使徒や二号のような神候補も含まれるし、実際に足を踏み入れている違いも大きい。
「となると、救出作戦を実行に移した時点で縮小が早まる危険があるな」
どんな方法か詳細は聞いていないが、実行となれば間違いなくこの世界に対して大きく干渉する事になるはずだ。警戒はすべきだろう。
「それもそうなんですが、問題は横よりも上でして……」
『上?』
「東京タワーを使って上空の境界を調べているんですが、こちらは明らかに縮小が早い」
『つまり、東京の境界が変化する以前に、空が落ちてくると』
随分詩的な表現だと思うが、間違ってもいない。実際には空は幻で、落ちてきているのは何もない空間なわけだが。
「すでに伝えてはある話ですが、加賀智さんの懸念と合わせて改めて報告しておくべきでしょうね」
俺たちは今聞いたわけだが。単に連絡の行き違いなのか、現場に知らせるまでもないと判断したのか、あるいは知らせないほうがいいと判断したって可能性もあるな。
と、多少区切りのいいところで目的地についた。場所でいえば新宿駅だが、以前訪問したところではなく別の……九十九姉妹がこの世界に来る際に使用していたという転送器の前である。
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今回の救出作戦は九十九姉妹周辺の空間を丸ごと転移させて回収という手順になっている。なので、何かしら建物なり施設で一纏めにしてそれごと、という話になったわけたが、それなら少しでも研究価値のあるこの装置も頂いてしまおうという判断でこの転送器が選ばれたらしい。暫定的な所有者である九十九花の許可はもらっているし、それ以外に権利がありそうな者は軒並み別世界の存在なのだからもらってしまっても構わないだろう。
なんて呼べばいいのか分からないが、世界を渡る機械なら研究価値は十分過ぎるほどにあるだろうし、内部に残されている資料も重要だ。
「でっかいな」
転送器は安定させるための足がついているだけの球体で、乗り物というよりは建造物のような巨体がその場を抉り取るように占拠している。背景画の上に直接ペーストしたような不自然な光景だ。
元々ここにあったわけではないから当然出入りする構造にはなっていないが、転移の影響で周囲数メートルの建造物が抉れるようにしてなくなっているため、余計に出入りが困難な状態になっていた。
九十九姉妹がすでに手を加えたのか出入り口までの道は一応整備されているものの、運動不足だと移動は大変だろう。柚子曰く運動オンチなお姉さまがここを移動できるのか不安になるほどだ。
とはいえ、現在の俺ならその程度のアスレチックはものともしない。特に問題もなく開放状態にある出入り口へと辿り着く事ができた。
ちなみに入り口は一つなので、元の世界から転移する際はここを奪い合うように激しい銃撃戦が繰り広げられたらしい。
「……荷物だらけだな」
入り口を入ってすぐのメインホール。中は元々だだっ広い空間だったのだろうが、何かしらの機器がある場所以外は荷物で埋まっている。大体が本や紙類で、棚が少ないから余計に場所をとっているように見えた。時間があるなら電子化してしまえばすっきりするのだろうが、これだけの量となると正直結構な工数が必要だろう。今は時間もないし、取り込むための機器に使う電力の問題もあるからこうなってるわけだ。
転送器の巨大さと比較するとこれでも随分狭いように感じるが、どうやら体積のほとんどは機械か燃料タンクで、仮にでも人間が過ごせるのはこのメインホールとあと二つくらいらしい。その二つも居住性は皆無だ。
メインホールを見渡せば一応生活スペースらしきものもあるが、全体から見れば一割にも満たないだろう。一時的にならともかく、ここで九十九姉妹全員が生活するのは不便そうだ。
「あ、どうも加賀智さん」
そんな荷物の影から九十九花が顔を出した。作業中かとも思ったが、様子を見る限り適当に待機していただけのようだ。確かに九十九花は特別ではあるが、現場能力としてはホムンクルスのほうが遥かに優れているからそうなるのも頷けるというわけである。待雪や柚子を見る限り、当のホムンクルスたちも代わりに何かする事を苦にせず、むしろ花は何もしないで欲しいという意識のほうが大きいように感じるし。
「この世界で起きた消失現象について少しでも記載のありそうな文書類や重要そうな書籍を片っ端から詰め込みました。まだ整理中ですけど、とりあえず積めるだけ積んで解析は後でって事で」
……何もしてないと思ったのに、資料整理してたらしい。偏見で判断してすまん。
「とはいえ、別に今やらないといけない作業でもないですし……お茶でも出しましょうか?」
「あー、それもいいが、やる事は早めに済ませておきたい」
未だ焦燥感が消えていないだろう俺の言葉に花は首を傾げていたが、作戦の説明を開始する。お茶はなくても良かったのだが、すでに話が通ってる待雪が淹れてくれる事になった。
「この後、俺たちは二手に分かれて< Jアンカー >の設置を行う。予定していた最低限度ではなく、全基を設置するつもりだ」
『まあ時間はあるしね。特に問題ないんじゃない?』
二手に分かれるのはマテリアライズを行えるのが俺と二号だけだからだ。徒歩で移動したほうが早い二号は単独で、俺は待雪を借りて自動車で移動する予定である。自分で運転してもいいのだが、二号と違って一人で行動する理由もないし、あいつのほうが運転は慣れているだろう。俺、ペーパードライバーだし。
花は特に何もする必要はないが、ここに< Tアンカー >を残して定期的に戻ってくる姉妹に渡してもらう事になる。タイミング的に渡すのが遅くなりそうな姉妹には柚子が予備を持って手渡しに行くという案も上がった。スケジュールを見るだけならいくらでも余裕はあるが、細かい事でも前倒しにできる事はやっておきたい。
「例の空が落ちてくる現象について、直近で何か変化はあったか?」
「空? ああ、消失速度の話なら……どうなんですかね? 東京タワーにいる子からは特に……。元々そこまで精度は高くないので、よほど大きく変化がないと」
「一応確認してほしい。ひょっとしたら、俺たちが来たタイミングで早まってる可能性があるかもしれない」
「え? は、はあ」
花は再度首を傾げていたが、俺たちは< Jアンカー >設置を優先する事にした。俺たちの懸念は神様側に伝わっているので、作業時間の間に花にも伝わる事だろう。
「……なんでマニュアル車なんだ」
「え? 何か問題が」
どうでもいい事だが、待雪が回してきた自動車を見て俺は自分で運転しなくて良かったと感じた。別に運転自体はできるが、エンストする未来しか見えない。もしも一人で行動してエンストを繰り返していたら途中で泣くかもしれない。
ここに来るまで乗っていたのはオートマだったのに。
そうしてこの転送器を囲むようにして三基、残りのアンカーについても距離を空けて放射状に設置した。移動時間でかなり時間はとられたが、元々それは折り込み済だし、それ以外の時間はほとんどかかっていない。せいぜい、道の途中で障害物があって回り道したりどかしたりしたくらいだ。どうも、作戦概要が伝わった時点で事前調査という形で設置ポイントの候補は決めていたらしい。放置車などの障害物も元々はもっと多かったのを撤去したのだとか。
そんな感じで設置作業を終えて転送器に戻ってみれば< Tアンカー >も姉妹全員に配布し終えたらしい。
つまり、これで今作戦における俺たちの作業は終了という事になる。作業中は特に問題も発生せず拍子抜けなほどだったが、よくよく考えみれば単に俺が焦っているだけでこれが普通ともいえる。
しかし、悪い予感は消えない。これが直前の体験からくる考え過ぎなのか、自分自身には判断がつかない。
盛大に時間を余らせて、残りはひたすら待機時間だ。さっさと作業を終わらせてしまった事に後悔などないが、こうして時間が余ると余計な事を考えてしまう。手慰みにと渡された資料……誰かの日記に目を通しても内容が頭に入ってこない。集中できないのは、他人の日記に興味がないという理由もあるだろうが。なんとなく気恥ずかしいのに面白くはない、読み物としては最悪な代物である。
一応、これまでに会った事のない姉妹と顔合わせをしたが、説明し難い焦燥感のせいで頭に入って来ない。柚子や待雪、蒲公英の時はそこまで感じなかったが、大したイベントが付与されずに顔と声が同じ相手を覚えるのは地味に困難だ。……花の名前から覚えたほうが良さそうだな。
「加賀智さんの懸念していた通り、確かに縮小の速度は早まっているという報告がありました。とはいえ、注意深く観察しないと分からない程度ですが」
『その程度なら影響はないでしょうけどね』
「その程度で済めばな」
別にいくら早くなろうが成功さえすればいいんだが、もし失敗した場合はこの世界の住人と同じ末路を辿る事になりかねない。ただ消滅するだけならまだしも……いや、それだって御免だが、謎の不可解な現象が怖過ぎる。
そんな俺の考えが伝わって至るのか、二号の表情もどことなく険しいものに感じられた。一方で花は不安げである。いくら修羅場を潜ってきた経験があるとはいえ、基本的には年相応の少女なのだと思い知らされる。
「もし、外部からの干渉が速度に影響しているなら、危険なのは転移のタイミングになる」
『化外の王っていうのが意識して速度を上げてくるとか?』
「それはない……と思う」
あいつはこちらを認識していても興味などない。この世界の住人だってきっと一緒で、この消滅現象はもっと自動的なものなのだ。興味を持たれても嫌だが、だからこそ怖いという面もある。
「多分俺たちで言う胃に食事が落ちてきたから消化液が分泌されたとか、そういう無意識の反応じゃねーかな」
『腹の中っていうのが文字通りって事?』
「…………」
分からないが、口に出した事でそれが正答に近いものじゃないかという予感が生まれた。ただの推測でしかないが、そう考えるとしっくりくる気がするのだ。
案外俺たちが消化速度を調整できないように、化外の王も自分でどうこうできなかったりするのかもしれないが、あえて楽観的に捉える必要もない。
『じゃあ、この世界は化外の王に消化されて消滅したって事なのかしらね? だとしたら何を栄養にしてるのかしら。肉体とか物理的なものだけじゃないわよね?』
「単に栄養にするってだけなら、この世界で起きた現象は付加要素が多過ぎて不可解な気が」
どうなんだろう。花の言う通り、ちょっと腑に落ちない。特に、消えた存在に興味を失う現象について。……なんらかの情報や概念を食っている?
そもそも、この世界は何故東京だけとはいえ残っている? 腹に収めたもの……世界を丸ごと消化するなら、ここだって東京の外と同じように跡形もなく消え去っているはずだ。食べ残しにしても不自然だろう。
境界にある幻だって意味が分からない。あるいは東京だけ残っているのではなく、境界線に沿ってバラバラにされただけで別な地域が残っている可能性も……。前に考えたように小笠原諸島のような離島の問題もあるし。
……仮定しかない現状ではある程度仕方ないにしても、仮定に仮定を重ね過ぎだ。考えるほどに答えが遠ざかっている気がしてならない。
「俺に確信があるのは、今この東京は化外の王の腹の中にいるって事だけだ。それに加えて外部からの干渉か何か……トリガーは不明瞭だが、徐々に境界が縮まっているって事ははっきりしている。考えるとしたら、この二つだけを前提にした形のほうがいいだろうな」
当然、これが縮まり切れば俺たちはこの世界ごと消滅するんだろう。その前に脱出する計画は現在進行中だ。
よくよく考えれば、俺だけなら安全に帰還する手はあるのか。作戦を実行せずにいても、《 Uターン・テレポート 》の発動時間が切れれば俺は元の拠点に戻る事になる。いくら縮小速度が早まっているとはいえ、多分それが一番安全だ。
だが、それを伝えてただ作戦を延期するのはアリだろうか? こんな不確定な推測とも呼べない懸念のために? 大体、何と言って延期するというのか。九十九姉妹は救出できませんが、自分の身だけでも安全を確保したいから延期しましょうとか……。心に棚を作れる大人としては、単純に格好悪いというのは横に置いておいても、ただ自己保身に走るには未確定な事が多過ぎる。絶対にそうなるという確信があるならまだしも。
『というか、消化するにしてもどこまでが対象なのかしらね?』
「どこまで?」
『この世界の人間は消滅した。動物も、多分微生物とかも。植物だって形は残ってるものもあるけど、生きてるとはいえない。なら私はどうなのしらね? 私だけじゃなく、使徒であるあんたやホムンクルスも』
どうなんだろうか。
「えーと、この世界にも神様がいたとして、今いないって事は……」
『それはまた別。人がいなくなれば私たちも消えるのよ。だから、今現在この世界に神がいないのはおかしな事じゃないのよね。もちろん、元からいなかったり消化された可能性だってあるわけだけど』
つまり、俺や二号が消化されない可能性はあると……単純にそう考えるのは楽観的に過ぎるが、絶対ではなくなったわけか。いや、だからといってみすみす消化されたいわけじゃないが。
時間があるからと、ダラダラと答えの出るはずのない考察を続ける内に作戦決行……転移の時間が迫ってくる。
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『テストをしましょう』
特に考察も対策も捗らないまま、決行時間を迎えようとしていたその時、神様が通信越しにそう告げた。
『現在、最も懸念されるのはこちらから干渉した際に消滅の速度が早まるかどうかです。いくら早まろうが、転移が完了してしまえば問題はないわけで』
それはまあそうだ。境界が縮まる現象について色々考察していたが、重要なのは謎を解き明かす事ではなくこの世界を脱出できるかどうかなのだから。
「一応確認しますが、この世界というサンプルを失う事に関しては?」
『そういう意見もありましたが、使徒さんや九十九姉妹の身柄を優先します。というか、使徒さんの身柄が最優先です。これは全会一致の認識と考えて下さい』
「平行世界出身の生きるサンプルである花じゃなくて、俺が最優先なんですか?」
正直意外だった。これまでの生活を振り返っても俺の扱いは重要視されているように感じないからだ。とはいえ、よくよく考えてみればそれもそうかという結論に落ち着く。最近、事あるごとに実績を上げ過ぎだと言われていたわけだし。
評価や重要性と生活レベルは一致しないという話である。
『今後の事を考えるといいか悪いかは判断に困りますが、使徒さんは相当に重要視されてるんですよね。最悪、時間経過で様子を見て使徒さんやチュバ子ちゃんだけ先に帰還してもらうって事になるかもしれません。アンカーの設置が終わった今の時点で使徒さんをそこに残すメリットもあまりないですし』
ああ、そういう意見はあったのか。神様の言うように特殊なモルモットとして重要視されているようで実に判断に困る評価だが、今は安全度の優先順位付けに関わる話だ。とりあえず良い方向に捉えよう。
というか、正直俺自身からは言い出し辛い話だったから、向こうから話を振ってくれたのは助かる。
『というわけで、転移時のフェーズの内いくつかをテストとして実行してみます。これで変化がないなら特に問題ないわけですし、早まるようでも傾向は掴めます』
事前テストといっても、こちら側でする事はあまりない。急速に境界の縮小に備えて、観測している九十九姉妹に注意を促し、場合によってはここまで退避してもらう事を伝えるくらいだ。大体のタイミングは教えてもらったが、ここからでは何が起きているかも分からない。
そうして、事前テストが無事終了したのか神様からの通信が再度繋がった。
『なんて微妙な結果なんでしょうか』
通信画面に映る神様の表情は少し困惑しているように見える。
『そっちでも観測できていると思いますが、フェーズ実行時に縮小は進行、干渉を続ける事で進行速度が早まる事、中断すれば元に戻る事も確認できました』
花に視線を向けると、こちらも同じように困惑顔だった。
「……大して変わってないですね、これ」
『そうなんですよね。変化があるのは確かなんですが微量で、全フェーズ実行したとしてもその位置まで進行する危険はないレベルです。もちろん傾向から判断しているだけで確実ではないですが』
拍子抜け……でいいのだろうか。懸念していた問題は確かに存在するものでも、影響を及ぼすほどのものではなかったと。
ハリウッド映画のお約束のようにギリギリで脱出なんて想像もしていたが、別にそんな展開を望んでいるわけでもないのだから、問題ないならそのほうがいい。
というか俺の場合、そういうギリギリの展開になったら真っ先に死ぬタイプなのだ。確実に生き残るだろう九十九花がいる分余計にそう感じる。
『このまま実行しても問題なさそうですが、どうします? 一応でも安全をとって使徒さんが帰還するまで後ろ倒しにしてもいいですけど』
「俺がいて成功確率が上がるわけでもないですし、それなら……」
念には念を入れて《 Uターン・テレポート 》の効果時間切れまで後ろ倒しに……続けようしたところで言葉が詰まった。続けて、内側から全身を冷やされたような強烈な悪寒に襲われる。
『……使徒さん?』
なんだコレは。猛烈に嫌な予感がする。その選択肢をした事で取り返しがつかない事になるような危機感を覚える。
俺は危険察知のような、ある種第六感のような鋭い感覚を持ち合わせていない。これまでの人生でもいざという時はいつも失敗していたし、むしろ経験や知識のような確かなものに頼る性分だった。
あのゴブリン塗れのダンジョンでも同様だ。危険察知は追いつかず、仮に危険を感じても咄嗟に行動できず、死ぬ時は死ぬ。そういう人間なのだ。
だが、そんな俺でも明確に濃厚な死の香りを感じるほどに、強烈な危機感が全身を襲っている。
一体何が問題なのか分からない。懸念材料が見えていない。ただただ未知の危険を感じている。ここで俺一人が帰還したら死ぬと。
ここまで強烈な危機感が、ダンジョン内での死のような復活の許される死と同じとは到底思えない。それはきっと使徒ですら殺し得るもので、あるいは死よりも危険な何かなのだ。
「……花、どっちがいいと思う?」
「は? え? なんでいきなり私にっ!?」
突然の危機感に俺が頼ったのは主人公体質だった。咄嗟にそんな不確かなものに頼るほど、俺はこの一瞬で追い詰められていた。
花としてはいきなり振られて困惑するしかないだろうが、それが一番安全な道のように感じてしまったのだ。
「えーと、じゃあ残ってもらっていいですか? 大人の人がいたほうが安心できるのは確かなので」
「わかった」
「……本当にそれで決めるんだ」
九十九花の生存能力は多分本人のみに作用する運命のようなものだ。ここに至るまででホムンクルスに欠員が出ている事から、たとえ近くにいたところで安全は保証されない。
俺は怯えている。傍から見ればきっとなんでもないところでいきなり怯えだした滑稽な存在に見えるだろう。そんな他人の目が気にならなくなるほど、恐怖に縛られていた。
この恐怖の正体が掴めない。化外の王か? ……それは違うような気がする。アレはもっと巨大でどうしようもないものだ。
これはもっと小さく、それでも俺にとっては巨大な何か……そういう存在に知覚されているのではないかと感じる。
きっと、俺はこの存在を知らない。だから説明もできない。口にしたところですべてが誤っているような、むしろ答えから遠ざかるような、そんな気がしてしまう。
何事もなく終わりそうだった雰囲気が一変した。少なくとも、俺はそんな楽観的に捉えられない。更に捉えられなくなった。
「それじゃ、点呼。……あれ、一人足りない……って蒲公英っ! 何隠れてるのっ!! こんな時にふざけんなー」
「だ、だって……カガチヤタローが」
意識の裏側で進行する準備がまるで遠い出来事のような、そんな感覚。
このまま流れに任せて始めてしまっていいのか。あまり良くはないが、それ以外の選択肢をとれそうにない。
『第十二フェーズに移行。想定より若干縮小速度は早いですが、このまま……』
上手く思考が働かないまま、九十九姉妹救出作戦は佳境を迎える。表面上は何事もなく、失敗する要素など欠片も見当たらないまま。
そうして当たり前のように転移は発動し……。
……当たり前のように、失敗したのだ。
-4-
「……ここは」
いつ失ったか分からない意識が覚醒する。目の前には硬い床。俺はうつ伏せに倒れていたらしい。
気を失う前までの九十九姉妹たちが奏でる同じ声の喧騒は聞こえず、ただ静寂が広がっている。
はっきりと異常事態だ。やけに落ち着いた心でそう認識していた。何か起きるとは思っていた。しかし、何が起きるのかは見当がつかず、止めるべき言葉も理由もなく、またこれよりマシな選択肢もなかった。
「……九十九花」
俺と同じように床に転がっているのは花の姿が見えた。体に異常がないか確認しつつ起き上がり、近づいてみれば、意識はないものの無事なように見える。ただ気絶しているだけだろう。
それよりも問題は……この場に俺と花以外の姿がないという事。二号や他のホムンクルスが見当たらない。
「くそ、なんだこれは」
どうなっている。一体何がどうなってこうなった。作戦は本当に失敗したのか、それすら分からない。
出入り口は塞がったまま開かない。確かに堅牢な扉ではあるが、スイッチ一つで開くものだ。パスワードだって今はかかっていないはずである。しかし、鍵がかかっているとかそういう物理的なもの以上に開く気がしない扉だった。
まるでゲームでフラグが立たずシステム的に阻害されているように。超常的な何かから出るなと言われているかのように。
諦めてメインホール内を再度確認する。積まれた荷物の隙間に蒲公英あたりが埋もれているではないかと探してみるものの、やはり姿はない。
となると別の部屋という事になるが、選択肢となる場所は少なく、倉庫とメンテナンスルームのみのはずだ。この機器はあくまで転送器であって本来居住機能などなく、トイレすらないようなシンプルな構造なのである。
手始めにメンテナンスルームから覗いてみると、そこにはメインホールの機器よりも更に使用用途の分からない機器が並んでいる。それらと独立して部屋のど真ん中にでかいカプセルのような機器があったが、これは確かホムンクルス製造機だったはずだ。材料は柚子で枯渇したものの、研究価値はあるとそのまま残されたものである。
一通り調べ終わり、何も分からない事が分かってメインホールへと戻る。
少し落ち着いたのが、その時点で本来気付いていなければいけない現象に気付いた。何故こんなにも不自然なのに気付かなかったのかというほどに不可解な現象だ。
「……色がない?」
見るものすべて……いや、ほとんどのものから色が失われ灰色に見えた。ほとんどといったのは床に倒れたままの九十九花と俺はそのままだからだ。俺たち二人だけが背景から浮き上がるように色付いている。
それを前提に見直してみれば、実はここにある機器のほとんどが起動状態である事が分かった。起動状態なのに動いていない不可思議な状況。
「……まさか」
思い当たる節があったので、ウインドウを開いてみた。そこには予想した通り< Uターン・テレポート >のピクリとも動かない残り時間が表示されている。
起きている現象は異なるが、世界の狭間で見たように時間停止しているという事なのだろうか。まさか転移の発動途中で、時間が停止した結果という事に……いや、それなら二号やホムンクルスが消えているのはおかしい。
時間停止そのものは初めての体験ではないが、それ以外が不可解だった。狭間を通過する際に時間停止に巻き込まれたとしてもこうはならないという確信がある。明らかに時間停止以外の何かが起きている。
「……倉庫のほうも見ておくか」
他に候補はないのだから済ませてしまおうと、もう一つの扉へ足を向ける。花に案内されて事前確認をしているが、ここは確か手狭な空間に複数のロッカーが並ぶだけの部屋だったはず……。
「は?」
そこに広がる光景に変な声が漏れ出た。
見覚えのない空間ではない。しかし、事前確認した倉庫ではない。それはあまりに見慣れた光景で、だからこそ何故こんなところに繋がっているのか分からない場所だった。
正六面体で切り抜かれたような石造りの部屋。壁には俺が入ってきたものとは別にもう一つの扉があり、部屋の中央にはポツンとガチャマシンらしきもの設置されている。
「まさか……俺の拠点なのか?」
それは、俺が初めて神様に呼ばれた時のような殺風景な光景だ。
……いや違う。灰色で色が付いていないからすぐには分からなかったが、これは俺の知っているマシンじゃない。
「このマシン……やけに見窄らしくないか?」
良く知っているド派手な演出がギラギラと映し出されるそれではない。時間停止して更には色彩が灰色なのを加味しても不自然なほどに貧乏臭い姿だ。
それも経年劣化などで朽ちたわけではなく、最初からそういう形で作られたような、とてもここから高レアリティのカードが排出されるとは思えないデザイン。
「なんだここは……一体どうなってるんだ」
これまで以上に不可解な場所に立ち尽くし、俺は放心し続けたままそのガチャマシンを見つめ続けていた。
次は魔王様と勇者様の予定。(*´∀`*)
一話完結の短編なのに、蛇足にならないか不安は募る。





