第三十五話「秘匿」
二度目の九十九世界。(*´∀`*)
昔から疑問に思っていた事がある。
RPG、特に日本のものに良くある話なのだが、明らかに建物よりでかい、下手すれば街よりでかい相手に対して近接武器でダメージを与えているのは一体どういう事なのか。
「おかしくね?」
「いや、ゲーム故のお約束でしかない気がするんだが」
「飛び道具とか魔法とかなら別にいいんだけどさ、ナイフでそんなヤツ攻撃してもかすり傷にしかならねえだろっていうパターンあるだろ」
山ほどでかいヤツが小指程度のヤツに切りつけられたからって総HPの一割もダメージ負うんじゃねーよ。お前、どんだけその部位に身体機能集中させてんだよ、と気になってしまうのだ。挙げ句の果てに同じ場所にダメージを与え続ければ普通に死ぬ。
「実は演出なだけで、大してでかくないとか? 敵モンスターとして出現したヤツが味方になって、急にグラがちっちゃくなる事あったじゃん」
あったな、そんなの。敵を強そうに見せるための演出ですって言われれば納得するしかないんだが。人間のはずなのに、明らかに縮尺おかしいだろっていうヤツもいるし。
「2Dならまだ許せる技法ではあるんだがな、3D、それもフォトリアルでやられると萎えるというか」
「分からんでもない。ちゃんと飛び乗って攻撃とかならまだしも、その場で剣振ってるだけとか」
しかも、そういうのに限って飛ぶ斬撃が技に存在したりするのだ。
「というか、結局何が言いたいんだ、最近やったゲームの批判?」
「いや、でかいのはでかいでいいから、でかいなりの戦い方があるだろうって話」
「つまり、槍でマンモス仕留める原始人最強説だな」
「まあ、確かにそれはすごいと思うが」
途中からどっちが俺か分からなくなってしまったが、ともかく原始人は最強なのだ。
「……なんでやねん」
-1-
『私が渡したお土産もガチャ太郎が持ってるのよねー。緊急だったし、そもそもカード以外で持ち込みしたら怒られるし……あ、マイクいる? あ、いらない。なんでよっ!?』
泥に沈み込みそうな意識の中、マイクでキンキンにブーストされた二号の会話が聞こえた。俺が昏倒したと自覚したのはその直後だ。
そして、何故そうなったのかを思い出し、一気に覚醒する。
「えーと、かみさまが来たって事は緊急事態って認識したって事でいいのかな。カガチヤタローは大丈夫?」
『とりあえず死にゃしないし、今は安定しかけてるけど、なんでか脳波が乱れてたみたいなのよね。報告だと前の時も戻った時もこんな事なかったはずなんだけど』
どうやら近くに柚子もいるらしく、二人で話しているらしい。というか、今更だが二号がいるって事は緊急事態扱いされたって事か。
……当たり前だな。転移した直後に原因不明の昏倒ともなれば、事故を疑う。待機していた二号が救助に来るのもおかしくはない。というか、今までがアレだっただけでコレが普通の対応なのか。
「……緊急事態には違いない」
『あ、起きた。ほら、問題ないでしょ』
「問題あるわい。……くそ、あんなもんどうしろってんだ」
「大丈夫? カガチヤタロー」
俺が寝かされているのはベッドらしく、上から柚子が覗き込んできた。マントを着けていないのか一瞬全裸に見えてしまったが、水着はちゃんと着ているらしい。
「つーか……体が動かん」
『え、なんで。バイタルは別に……なんであんた痙攣してんの?』
「痙攣……」
自覚していなかったが、確かに体が震えていた。
体に上手く命令が伝達できない。全身の神経が仕事していない。痙攣とはいったが、これはそういう類のものではなく精神的なものだ。
……俺は今、恐怖に震えているのだ。まともに体を動かせないほどに。
『怯えてる……? どういう事? 使徒になったばっかりだったらともかく、今のあんたがそこまで怯えるのってよっぽどよ。……転送する時に何か変なものでも見た?』
二号は適当に言ってるだけだろうが、その質問は実に的を射たものだ。
「……見た。それだけじゃ説明にならないが、色々あった」
『色々あったって……転送してから倒れるまで十秒もなかったんだけど。今回はちゃんと見てたわよ』
「一秒の間に色々体験したんだよ……すまん、どっちでもいいから体起こして」
そんな事を言ったら、急にベッドが動き始めた。なんだと思ったが、入院患者とかが使う電動のヤツか。柚子がリモコン操作しているらしい。
「ここ、病院かなんかなのか?」
「え、カガチヤタローが来たビル屋上だよ。横に監視用の仮設の小屋建てたんだ。あ、そのベッドはなんか面白いから持ってきた」
病院かどっかからパクってきたのか。そりゃ誰も文句は言わんだろうが。って事は発電も動かしてるな。良く見たら蛍光灯だし。
『そんで、何があったの?』
「ちょっと待て、その前に色々確認する」
上体が起こされたところで、ウインドウを開く。それはなんの変哲もないいつものウインドウだが、フリーゾーンの一番上は想像通りのカードになっていた。枚数も4枚減っている。
……つまり、あの世界の狭間での出来事は本当にあった事で、犬小屋と電車と界間通信塔、そして桜に渡した< 便座カバー >はあの世界でマテリアライズ、あるいは譲渡した事になる。
良く見れば俺の格好も< ファウルカップ >のみである。布団があるからいいが、何か着せてくれるとありがたかったんだが。
「ああ、こっち来てからまだ三十分くらいなのか」
意識を失ってから結構経ってるのだと思っていたが、< Uターン・テレポート >のカウントは三十分しか減っていない。
……使徒になる前だったら三十分どころか二度と目覚めない可能性すらあっただろうから、ここは助かったというべきか。
『何見て……ん? あれ、なんで枚数減ってるの!? 私のお土産は?』
目ざとい二号が、フリーゾーンの枚数表示を見て気付いたらしい。しかし、真っ先に自分のお土産を心配するのかよ。
「いや、< 玄米俵 >はある。減ったのは別の四枚だ」
『あんた何が減ったのかも分かるわけ? というかなんで減ってるの? 事故?』
「直接の原因は事故じゃないが、まあ根本的には事故だな」
……いや、事故なんだろうか。認識した今なら分かるが、少なくともアレが……化外の王が俺をあそこに呼び込んだとは考え難い。
アレは俺に興味などない。持たない。そういうモノだ。わざわざあの空間に引きずり込んで、なんて面倒な真似をするはずがない。かといって、事故とも言い切れない。俺が変な運勢の元に生きているのはさすがに自覚しているが、これは明確にその範疇を飛び越えていると感じるのだ。別の誰かの思惑が絡んでいたとしても、それが誰かなんて予想はつかないが。
……とりあえず、桜は違うだろう。吉田さんも、小細工できる立ち位置ではあるんだろうが違う気がする。アレは異様なメンタルを持っただけの駄目人間だ。話だけ聞いてる陰陽師も違うと思うんだよな。
「手が動かん……」
ウインドウに手を伸ばそうとしたが、腕自体が動かない。震えている感覚さえない状態で、自分の視界がVRでも通したものにさえ感じられる。しかし、コントローラーはない。
『あー、代わりに取るわよ。とりあえずフリーゾーンのは全部出すわね。……あ、< 玄米俵 >あった。見なさい柚子、あなたたちにこの巨大な俵を十二個下賜してあげるわ!』
「俵? 食べ物?」
『俵は食べるモノじゃないから。この中に精米前の米が入ってるから、好きなだけ食べなさいって事よ! 私に感謝することねっ!!』
「おー、米、ご飯! へへー」
なんか、ものすごく精神年齢の低そうな会話が繰り広げられていた。
「< 玄米俵 >はいいが、< 界間通信塔 >を分けてくれ。ここの屋上に設置するんだろ。それ以外は戻してくれ」
『いいけど、あんた動けないんじゃないの? 私が設置してこようか』
ああ、こいつでもできるんだっけ。そういえば、前に< ナイフ >をマテリアライズしてたな。
改めて自分の手を眺める。多少マシになった気はするが、それでも自分の意志とは無関係に震えていた。まるで俺がスマホか何かになって業者のスパムメールを無制限に受けているような状態だ。
『治せなくもないけど、私が勝手にそれをすると怒られそうだし。緊急だったり、どうしてもっていうならやらないでもないけど』
「……じゃあ、悪いがここの屋上のは頼む」
『了解。……ってアレ、二枚しかない』
「一枚は別のところに設置した。減った四枚のウチの一枚だ」
『設置したって……どこにどうやって? さっきから色々ワケ分かんないんだけど』
世界の狭間にあるビルの屋上ですって言っても、理解も納得もされないだろうな。ちゃんと筋道立てて説明しても怪しさ満点だろうし。
「説明はちょっと待て。……柚子、花は呼べるか? ちょっと話さないといけない事があるんだが」
「お姉様なら、カガチヤタローが来たって連絡はしたからもう向かってるけど。どこにいたかは知らないけど、一時間はかからないと思うよ」
「そうか。じゃあ、本格的な説明はそれからだな」
二週間もあればさすがに通信手段は確保してるか。電気も使えるみたいだし、多分乗用車も使える状態になってるだろうから、合流も早そうだ。渋滞なんて有り得ないし。
壊れたバイブレーター状態の回復を待ちつつ、二号や柚子と会話していると、待雪を伴った花が小屋を訪れた。
「お久しぶりです。……あの、なんか隣のビルの屋上に変なのが増えてたんですが、加賀智さんが何か」
「隣?」
てっきりここの屋上に設置するものだと思っていたのだが。二号に視線を向けると、別に間違ったわけでもないらしい。
『この小屋とか、あんたの転送先のスペース考えたら、別の場所がいいだろうって思って。機能的にも設置条件的にも問題ないはずだし。ちなみに、今は座標発信と通信機能の自動調整中よ』
「問題ないならいい」
たしかに、あんな巨大構造物は邪魔だし。むしろ、設置場所をミスってこの小屋が壊れたりしたら大惨事だった。
『それで、一体何があったのか説明して。花も呼んだって事は、この子にも関係ある事なんでしょ?』
「……ああ」
一応、待っている間に用意してもらったノートを使ってまとめてはいたのだが、このメモ書き程度の情報じゃ理解はできないだろう。
つーか、自分で書いたのにミミズがのたくったような字で読めやしない。
「何かあったんですか? 緊急事態で神様が来てるってところまでは聞いたんですが」
「色々あるんだが、お前らにとって多分一番重要な情報から話そう……九十九桜に会った」
-2-
これで桜って誰ですかって言われたら俺も大混乱なわけだが、ここにいる三人とも九十九桜についてはちゃんと認識していた。
九十九姉妹の四女であり、この世界に転移してくる直前の作戦で転送機に乗り込むのが間に合わなかったという点も一致している。転送直前、蒲公英という子をオーバースローで閉まりかけた扉に向かって放り込んだというエピソードはちょっとイメージと違う気がするものの、まあそういう事もあるんだろう。ヘルメットを着けている時といない時で印象も違ったので、そういうスイッチがあるのかもしれないし。
「そう……ですか」
説明を聞いた花は思い悩むような反応を見せたが、納得自体はしているようだった。世界を渡る転送の余波に巻き込まれたのならそういう事も有り得るという認識かもしれない。
報告する上で九十九桜について、あるいは吉田晶については然程問題はない。俺と関係性があるとはいえ、言ってしまえばどちらも変な場所でたまたま会ったというだけに過ぎないのだから。陰陽師は警戒の必要はあるものの、それについても大きな問題とは思えない。今最も大きな問題は……あの世界の狭間という空間そのものと、化外の王だ。
いくらなんでもアレは危険過ぎる。アレが俺たちに興味を持っているかなんて分からんが、ただそこにいて活動しているだけで恐怖しか覚えない。それはあの世界の狭間にいなくとも変わらない。たった一枚、薄皮を隔てた先にあんな化け物の巣があるなんて状態で安心できるはずもないのだ。
どこまでちゃんとした認識をしているかは分からないが、あんなモノの存在を知っていて近くに住み続けるなど、俺には不可能だ。絶対に正気を保てない。使徒として精神が変質している俺でさえそうなのに、吉田さんは一体どうなっているというのか。あの人、絶対に頭おかしい。
『報告通りに受け取るとして、あんたなんか呪われてるんじゃないの? この子たちと遭遇した時点でさえ、ガチャ子が引いてたくらいなのに』
「……前からちょっと思ってたが、本気で疑わしくなってきたな」
何に呪われているかなんて分からないが、ちょっと色々寄って来過ぎである。昔から……特に大学時代は結構怪しいところはあったが、使徒になって以降はちょっと次元が違う。
『方針から考えれば手柄なのは間違いないけど、その功績が大き過ぎて弊害が生まれそう。今だって結構まずいんじゃないかってガチャ子が危険視してるくらいなのに』
「危険視?」
『使い潰されかねないって話よ。何十年ってレベルの長期で少しずつ進めていくプロジェクトが、新人一人入った途端一気に進行したってなれば確実に注目されるでしょ。評価される事自体は別に悪い事じゃないけど、評価されれば期待も高まるし、評価相応の仕事を回されたりもする。営業やってたんだから、その手の事例なんて腐るほど見てるんじゃない?』
心当たりはあり過ぎるほどにある。評価以上の過剰な仕事や責任に押し潰された人なんていくらでもいるのだ。
吉田さんが自殺する切っ掛けになったような破綻プロジェクトは論外だが、そこまでいかなくとも似たような事例は知っているし、関わった事もある。
「しかし、どんな組織構造してるかは知らんが、そんなブラックな事になるものなのか? 神を名乗ってる存在だぞ」
『あのね、私たちは日本の神なのよ。分かるでしょ』
「凄まじい説得力だな、おい」
日本の神々である以上、日本という国の社会体制から影響を受けるのは必然。似たような気質になるのなら、そういう精神論やブラック臭のする体制になる可能性もあると。現代になって多少改善されたといっても、根っこの部分にそういうものがあるのは変わらない。
たとえ効率良く仕事を終わらせても、定時に帰るヤツは非難されるものだ。
『まだ大丈夫だと思うけど、そろそろ気にしたほうがいいかも。あんたの場合、自分の意志に関係なく際限なしに功績を積み上げるなんて事もありそうだし。はっきりいってこの世界や狭間を調査して報告しても、この子たちを保護するのでも強烈な功績だから』
「分かった。忠告感謝する」
多大に評価された結果、何かが間違って化外の王を仕留めてこいなんて言われないとも限らないのだ。九十九姉妹の保護や調査は仕方ないにしても、別に出世したいわけでもないんだから、あまり目立たないようにしよう。
「というか、別に保護するって確定したわけじゃないだろ。調査次第でここが安全って事も十分に……」
「あの……すいません。可能なら保護をお願いしたいです。実は結構深刻な事になってて」
俺のセリフを遮るように、花から声がかかった。
「ひょっとして、何か分かったのか? なんで無人なのかとか」
「えーとですね、こっちも結構な意味不明さで全貌はさっぱりなんですが、こうしている間にもいつ消えるか不安があるというか……」
花からの説明によれば、この世界は一九九九年頃からゆっくりと人間や動物が消滅する現象が発生していたのだという。しかも、誰も消えた事に興味を持たない、それまで存在してた者への興味を失うという怪奇現象だそうだ。加えて、期待していた食料もロクに自生していない。種を植えても発芽も成長もせず、元からある植物も実を付けない状態らしい。
「カガチヤタローを待ってる間、ここでもプランター置いて試してみたんだけど、全滅」
昏倒する直前にみたプランターか。後で見れば分かるが、確かに何も生えていなかった気がする。
「え、じゃあ、お前ら何食ってるんだ? てっきり、自生してる作物食ってスローライフ謳歌してるものだとばかり……」
「微生物も数が減ってるのか、古いモノでも食べられそうなモノはあったので、それを。探せば缶詰なども結構あったので」
『え、じゃあ私の< 玄米俵 >って超ファインプレーだったりする? 沢山持ってきたわよっ!!』
「げ、玄米!? 古古米とかじゃなく?」
『古古米なら普通精米されてないと思うけど、コレは新米よっ!!』
余程厳しかったのか、異様な食いつきを見せた花はそのまま二号に連れられて小屋の外に出ていった。外でマテリアライズしたのか、嗚咽するような声が聞こえてくる。マジかよ、どんだけ困窮してたんだ。
世界の狭間で桜がもっといいモノ食ってたとか言っても、救助しないとか言い出さないよな。
「よし、よし、これなら後一年は耐えられる」
戻って来た花はそんな事を言いながらガッツポーズを見せたが、一年は無理だろ。
「って、そんなに耐えたくないっ!? 食料もそうだけど、怪奇現象がもっとアレで深刻なんです!」
「いや、分かってるが」
米に釣られたのはお前だ。
「大抵の条件なら飲みますんで、なんとか保護してもらえないでしょうか。ちょっと本気で困ってるんです」
『まったくの無条件ってわけにはいかないにしても、その後の身の振り方を含めてそこまで負担になるような事はないと思うわよ? ……ただ、問題は条件じゃなく方法なのよね』
「で、ですよね」
そもそも、今回だって前回の情報収集の延長のような扱いで、今後のために前段階として< 界間通信塔 >を設置するというのが目的だったのだ。移動手段を一枚のカードに頼ってる状態で保護ってのは無理があるだろう。
『座標特定して、相互の連絡手段を確立してから移動手段を模索してって流れになるからどうしても時間はかかると思うわよ。今自動調整してる< 界間通信塔 >でいきなり連絡できたりしたらかなり短縮になりそうだけど』
「ちなみに、それはいつ頃結果が出るとか」
『それは分からないわね。一応、向こうでも事前にできる調整はしてたみたいだから、可能性としてはゼロじゃないけど……。とりあえず、その確率を上げるために二台目も設置する? 高いところのほうがいいって話だから、東京タワーの展望台とか』
展望台にあんな巨大構造物置いたら、天井突き抜けるんじゃないだろうか。ここの東京タワーが壊れたところで大した問題はないだろうが。
「まさか、徒歩で東京タワー登るのか? エレベーター動いてないよな」
『じゃあ富士山とか? 場所としては、そっちのほうが安定感あるわよね』
登山か。夏の富士山ならそこまで難易度は低くないものの、時間的に間に合うのか。
「富士山はないです」
『まあ、ガチャ太郎の移動時間考えると厳しそうよね』
「いえ、そういう意味でなく……富士山そのものがないんです。東京の周りはあるように見えるだけの幻で」
花の言葉は富士山への設置を否定したように聞こえたが、それは説明を受けていない新事実を指しているように聞こえた。
「……どういう意味だ?」
「どこまで存在しているのかは調査中なんですが……」
聞いてみれば、東京の外側に見えている風景はほとんど幻で、陸地も海もそう見えるだけの謎空間になっていて何も存在しないらしい。
いや、どういう世界だよ。なんでわざわざそんな迷彩みたいな真似までして……。
何もない空間に浮かんでるってだけなら、実は世界の狭間と同じ空間って事もありそうだが、毛色が違うような。時間だって、ウチの世界と同じように流れてるようだし。
「多分、東京の周りは全部存在してません。そもそも、ここが地球かどうかも怪しくて……。無人になってるのと関係があるのかも正直分からない状態です」
そりゃ、東京しかないんじゃ日本とは言い切れないが。
『人工空間じゃないと思うんだけどね、ここは日本だって感じするし』
「分かるのか?」
『うん。理由を聞かれても分からないけど、そんな気がする』
こいつ自身日本から生まれた神格もどきなんだから、その感覚は分からないでもない。< Uターン・テレポート >の表記だって、はっきりと渋谷って書いてあるくらいなんだから、ここが東京である可能性はあるだろう。
だとしても、それ以外はどこに消えたんだって話だ。何故、それをわざわざ隠す必要がある。わけ分からん。
調査報告の一環として無人の住居から回収した日記なども読ませてもらったが、確かにコレは怖い。なりふり構わず逃げたいというのも分からなくはない状態だ。ただの日記のはずなのに、それだけでホラーと化している。
しばらく休んで、普通に歩けるくらいには痙攣も収まってきた。化外の王への恐怖が薄らいだりはしないが、これはまあ仕方ないのだろう。あんな化け物、近寄りたくない。
「とりあえず、言われた事を先に片付けるか。富士山がないのはともかく、東京タワーなら登れない事もないし。それとも俺が持ってきた物資の確認するか?」
「何持ってきてもらったのか興味はありますけど、用事があるなら先にそっちを済ませてしまったほうがいいんじゃないかと」
「まあ、移動中に説明してもいいしな。悪いが、車出してもらってもいいか。そっちが構わないなら俺が運転しても……」
次の目的地に移動しようと話をしていたところで、何かが震える音がした。スマホのバイブ音のような、俺がさっきまで体から鳴らしていたような音だ。
『あ……と、え、ほんとに?』
どうやら二号の持ち物らしい。どこからかスマホのようなものを取り出し、画面を見て驚いている。
『なんか繋がったみたいよ。ガチャ子から通話が来た』
「……マジかよ」
てっきり駄目元で設置したのだとばかり思っていたのだが、拠点と通話が繋がってしまったらしい。少し待つと、いつもの宙空ウインドウに神様の顔が表示された。
『どうも、こんばんは。初めまして、九十九花さん。お話は色々伺ってます』
「ど、どうも」
急に振られた花が挙動不審になりつつも返事をする。
「色々報告があるんですが、そっちから見てたりしました?」
『ええ、驚愕ってレベルじゃないですが、大体把握してます。それでですね、< 界間通信塔 >の三基目なんですが……』
こうして通信が繋がった以上、無理して東京タワーに置く必要はないんじゃないだろうか。なんなら、予備としてそこら辺に置いてもいい気がする。
『その世界の外に置きましょう』
しかし、神様からの提案はちょっと想定外のものだった。
-3-
無人の都市を乗用車が走る。それだけ聞くとポストアポカリプスものの一場面のように聞こえるが、単に誰もいないだけの都市をファミリーカーで走っているだけだ。
時刻はすでに昼の十二時を回っている。この世界にいられるのもあと六時間だけだ。
実は< 界間通信塔 >を通して神様と通信が繋がったのには一つ理由があって、俺という存在をブースターにして通信を補強していたらしい。つまり、近くに俺がいるから通信が成立していたという事で、俺なしでも繋がるようにするためにはその状態で更なる調整が必要だった。その調整が終わったのがついさっきというわけだ。これで、俺がいない状態でも二つの世界間で通信が可能となるわけである。
通信可能なスマホ型の子機は予備を含めて五台。これを九十九姉妹の中で共有し、使い回す事になる。もっとも、< 界間通信塔 >から直接通信やメールをする事も可能らしいので、これらの子機が全滅しても通信ができなくなるわけではない。
配分としては花に一台、補助として待雪に一台、残りの三台は各方面の調査を行っているリーダーが所持するカタチになりそうだ。
調整時間があったので、俺からの支給物資の検分をすでに行っている。基本的に俺がいらないものばかりなのでガラクタ同然ではあるのだが、食えるものであれば< 鰻のゼリー寄せ >でも喜ばれた。好んで食いたいものではないが、記念館に飾るよりは有意義な使い方ではないかと思われる。尚、< ゴブリンの睾丸煮込み鍋 >はさすがに受け入れられなかった。まだミュータント肉を齧るほうがマシと言われてしまう、ゴブリンの金玉の儚さよ。
また、多分いらないだろうと思っていた焼酎も、姉妹の中に酒好きがいるらしいので譲渡する事になった。
そして、一番注目されたのはなんと< 屋内用簡易農園 >と< 野菜の種 >だった。
俺とリョーマの糞尿だらけという事も伝えた上で小屋の近くにマテリアライズしたところ、当たり前のように物理的には有り得ないビルの天井ぶち抜く深さの農園が出現。もちろん下の階で見てもそんなものはない。
そんな不思議施設なのはさておき、コレの目的はこの世界で農業が可能かどうかのテストである。
出した者の責任として農園の土をほじくり返し、発酵しやすいように混ぜる。肥料の使い方としては論外極まる手順だが、糞尿だけを分離する作業はしたくなかったので諦める事になった。
その農園とそこから土を分けたプランターに、成長の早い野菜やハーブ、そして< 野菜の種 >を植えて、しばらく観察。これで芽が出るなら< 屋内用簡易農園 >はこの世界に発生している怪奇現象から外れているという事になるわけだ。
ちなみに< 野菜の種 >はランダムで野菜が生えてくる種であり、放っておいても定期的に別の野菜が育つという摩訶不思議な種という事が分かっている。成長もかなり早いらしいので、もしこの世界でも育つのなら九十九姉妹の食卓に彩りを添えてくれるだろう。ウチの拠点で使うという事も考えたのだが、< 屋内用簡易農園 >は持ち帰りたくないし、これで農業したいと思わなかったのでセットでの譲渡だ。
< 屋内用大麻栽培セット >も用意はしたのだが、こちらは突き返された。当然といえば当然の結果である。俺もいらないのだが。
「それにしても、加賀智さんの世界ではアレが標準なんですか」
「全部が全部ついてるわけじゃないが、よほど古くなければ設置されてるな。なくても困ったりはしないが、いざ使い始めると手放せなくなる」
車中、後部座席で俺と花が話しているのはシャワートイレについての話題だ。
第五次大戦中の世界では普及していなかったらしく、この世界で見かけても首を傾げていたらしい。一応、動作するものはあったので調べはしたものの、結局使わずに放置したそうだ。何も知らない人から見れば、わざわざ肛門を洗浄するための装置を設置するという行為に疑問を覚えるのは当然なのかもしれない。
俺はそこまで詳しくはないが、元々この手の商品はアメリカが発祥だと聞いた事がある。その割にアメリカでは大して普及していない気もするが、始まりが輸入品だったのは間違いないはずだ。いつ頃に開発、輸入され、どれくらいかけて日本で普及したかは知らないが、平成に入る前後ですでに大きく情勢の変わっている世界では違いが生まれるのはおかしくないだろう。
というわけで、どうせウチのニーハオトイレには設置できないし、今後も必要になるかはかなり微妙なところだったので、かなり前に手に入れた< ダイナマイト・インパクト >を例のビルで使用していた簡易トイレに設置する事になったのだ。そう、工事現場などに置かれるあの簡易トイレである。
マテリアライズして気付いたのだが、どうもこの商品、ウチの世界で売られている商品でないらしい。すでにマテリアライズしてしまった後なので神様に渡すわけにもいかなかったのだが、多分異世界製のモノだ。
何せ、電気不要、水道への接続不要、ただ洋式便器に設置すれば動作するという謎のアイテムなのだ。ちゃんと動作する事は初期設定の動作テストで確認済なので間違いない。
ただ、物騒なダイナマイト・インパクトという商品名がアルファベットで刻印されていて、マニュアルが日本語なのは一体どういう事なのか。こんな仕様を実現できて、今の日本と大した違いのない言語を使用している世界でもあるというのか。謎である。
まあ、これで九十九姉妹もケツを洗浄する魅力の虜になる事は間違いない。それは現代日本のシャワートイレ普及率からいっても当然ともいえる結果だ。使えない俺にはあんまり関係ないので、しばらくニーハオしていようと思う。
「というか、ウチの世界の九十九花も使ってるんじゃないか」
「私がもう一人いるって話ですよね。なんというか、ちょっと変な感じなんですが」
「俺も会ったわけじゃないが、調べたらいたみたいだぞ」
『そうね。真正の引き籠もりやってたわ』
助手席の二号の言葉に、それまで無言で運転をしていた待雪が吹き出した。
「……すいません、つい」
「私自身、平和な世界ならありそうだとは思いますけどね」
『どの道、使徒になるんでもない限りは会わせないと思うから気にしなくていいと思うわよ? 向こうも困惑するってレベルじゃないだろうし』
こいつらの誰かを動画実況させるつもりなら、必然的に目にとまりそうな気がするのだが、こいつはそこら辺考えているんだろうか。……考えてないんだろうな。
「使徒ってそんな簡単になれるものなんですか? 加賀智さんがそうだとは聞きましたが、いわゆる天使とかの事ですよね」
『解釈は色々あると思うけど、人数以外の制限があるっていうのは聞いた事ないわね。ちなみに、私の使徒ならいつでもウェルカムよっ!!』
「は、はぁ」
お前の使徒って要はただの扶養家族やがな。メンツの問題もあるから言わないでおいてやるが。
「保護するにしてもそれで終わりじゃないし、どの道身の振り方は考えないといけないしな。桜の事もまさか放置ってわけにはいかないし」
「それも、加賀智さんに任せっきりっていうのは問題ですよね」
『可能なら、あんたたち自身でなんとかするっていう手もアリだとは思うわよ。ガチャ太郎は色々やり過ぎて目立ち過ぎだし。……あの様子だと、もう一回行くのも怖いんじゃない?』
「……正直に言えばな」
思い出すだけで震えるほどに恐怖を感じている。桜を放置するのは気が引けるが、それと天秤にかけても傾きかねないほどにこの恐怖は大きい。
『世界の狭間って存在が露見した以上、これから先調査しないって選択肢はない。だけど、それをするのが誰かってのは別問題だしね。なら、関係のある九十九姉妹がってのはアリだと思うわよ』
「他の使徒が調査する可能性もあるって事なのか?」
『あるでしょうね。私は言ってみれば部外者だから、誰が関与してるかなんて知らないけど。分かってるのは、あんたが会った吉田晶くらい?』
「吉田さんを派遣するのはやめてあげて欲しいんですが」
さすがに不憫ってレベルじゃない。その話を聞くだけで同情で泣いてしまうかもしれない。それくらいなら、いくら怖くても俺が行くよ。
とはいえ、神様たちがそこまで人材不足とは思えない。俺がちょっと予想外の功績を立てているから目立っているだけで、実際に調査するならそれに向いている使徒だってたくさんいるだろう。
……といっても、化外の王を正面からどうにかできるとは到底思えないんだが。上のほうの神様だったらどうにかなるんだろうか、アレ。
-4-
「あのあたりが境界ですね」
車で港区まで移動し、東京湾手前で車を降りる。待雪が示すのは、この東京が存在しているというラインだ。……普通に東京湾にしか見えないが、どうやらそう見えるだけらしい。
試しに小石を投げ込んでみるが、確かに海と垂直に境界でもあるのか消えてしまった。
「あっち……江東区のほうはどういう扱いになるんだ?」
「それが、東京の陸地に沿って普通に存在します。どこまでが東京か分かった上で切り取ってるような感じで。調査を継続した結果、大凡東京都と定められている土地が境界だと判明しています」
それだと小笠原諸島とかどうなるんだろうか、なんて疑問も浮かんだが、調べようがない。ひょっとしたら何もないっていう空間の先に浮かんでたりするのかもしれんが。他の国もそうだが、別の県もどこにいったのやら。
「海はないとして、川は?」
「普通に流れてます。海への接続部分については調査中ですが」
「ひょっとして上も?」
「はい。簡易ロケットなどを使って試しましたが、高度三千メートルより先は何もありませんでした」
実に奇っ怪な現象だな。外を見てないから分からんが、単に謎空間に浮かんでるだけなら狭間と似たような場所って思えるんだが。なんでわざわざ景色をそのまま見せているのか。
海も、その向こうに見える景色も、昼に照らしている太陽も、夜の星も偽物と。ここからここまでが東京都だ、なんて都の職員でもなかなか把握していない気がするんだが。……狭間とは違って、なんか人為的なものを感じるな。
そんな待雪の解説を聞いて、どこに< 界間通信塔 >を落とそうか考えていると、誰かが走って近寄ってきた。
ここにいるのだから、九十九姉妹である事は確実で、容姿もそれを裏付けるように一緒である。服装は何故かメイドだ。
「うぉーいっ!! お姉様ー! 桜ちゃん生きてたってマジ!? 一体全体どういう事なのさ!?」
なんかうるさいメイドだった。そのメイドがちょっと離れた場所にいる花に話しかけている。
「えーと、待雪?」
「あーと、末から二番目の蒲公英です」
「ああ、桜が投げ飛ばしたっていう」
転送直前、ギリギリのタイミングで転送機にオーバースローで放り入れたという姉妹だ。この炎天下でメイド服は暑そうだな。
「え、なんか見た事ない子がいる!? ひょっとしてあなたがカガチヤタロー? なんかちっちゃいね!」
それは動画実況の神候補だ。
『私はガチャ太郎じゃないわ! それはあっち』
と、俺に向かって指が向けられた。それに合わせて蒲公英の視線も俺に向く。
「お、おおおーっ!! すげー! 男の人だっ!! ミュータントソルジャーのハゲと違うっ!?」
「お、おお」
ものすごい勢いで近づいて来て色々触られる。なんだこの子。距離感近過ぎるだろ。
「ちょっと、蒲公英」
「すげー! ねえねえ、ちんこ見せて!!」
「蒲公英っ!!」
あまりの勢いに絶句していたところ、待雪が声を上げて蒲公英を回収、そのまま引き摺っていった。
「うわーーーーっ!! なんでじゃー!!」
いや、いくら珍しいからって初対面の相手にちんこ見せろはないだろ。
二人が物陰に隠れて見えなくなった後、花のほうに視線を向けたら無言で頭を下げられた。九十九さんちは一体どういう教育をしているのか。
「それで、マテリアライズしてもらうのは半分くらい境界からズレた部分にして頂ければ、上手い具合に落ちると思うんですが」
「あの……蒲公英はどうしたんだ?」
「忘れてください」
一人で戻ってきた待雪が、まるで何もなかったかのように続きを始めようとするが、さすがに無理があると言わざるを得ない。
……まあ、こっちのほうが優先か。
「ビルに設置した重量と同じくらいなら、半分くらいずれてれば押し込めるかと。最悪、重機を使いますが」
「できればパラシュート付けたいしな。分かった」
意味があるのか、そもそも開くかどうかも分からないが、落下保護用としてパラシュートを用意してもらっている。一旦マテリアライズした後、それを付けて境界の外へ落下させる予定だ。
「じゃ、いくぞ」
――――《 マテリアライズ 》――
カードを持ってマテリアライズを発動。目視で場所を意識すれば、牢獄の時と同様にそこへ物質化されるはず……だったのだが。
「あれ?」
< 界間通信塔 >は一切ズレず、全体が陸地に出現してしまった。
「どういう事だ?」
境界の向こう側を意識していないから、自動でこちら側に寄せられたとかだろうか。良く分からん。
「悪い、なんか失敗したみたいだ」
「モノはあるわけですから、重機使って落としますか。準備するのに時間かかりますが」
さすがに俺たちだけでこんな巨大構造物を押し込めない。となると時間がかかっても重機などを用意して移動してもらうのがいいだろう。
「それは俺たちが戻ってからやってもらうとして、さっきの蒲公英についてなんだが」
「忘れてください」
取り付く島もなく、九十九蒲公英の存在が秘匿される事になった。
この後、普通に帰りました。(*´∀`*)





