第三十二話「檻の中のガチャ太郎」
檻の中にいる。(*´∀`*)
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「どーなってんだ?」
《 Uターン・テレポート 》を使って、九十九世界の渋谷のビル屋上に転移したと思ったら、牢屋の中だった。前回も意味不明だったが、行き先が確定しているはずの今回は尚意味不明だ。
MMO-RPGなどで規約違反……卑猥な名前を付けたりしてGMに怒られる説教部屋に見えなくもないが、それらしき奴はいないし、そもそもGMって誰よって話になる。
あるいは、九十九姉妹が俺を捕らえるために罠を張っていたとかなら分からなくもない。あいつらがそんな事するような奴らだとは思わないが、何分会って半日程度の関係だ。あいつら三人じゃなく、別の姉妹の思惑って可能性だってなくはない。しかし、その可能性は低いように思える。何故ならここはビルの屋上でもなんでもない、完全な屋内だからだ。増築しましたっていうなら分からなくもないが、捕らえるだけならでかい檻だけで十分だ。
使うカードを間違えたのかとも思ったが、ウインドウを開いてもスキルゾーンにあるのは《 Uターン・テレポート 》だ。転移系のスキルなどこれしかないのだから間違えようもない。実物がある以上、すり替えって事もないだろう。鑑定済だから解説文も読めるし。
「……とりあえず、ウインドウは使えるみたいだな」
ただの確認作業だったが、ウインドウが開けるなら何もできないって事はなさそうだ。すぐに装備を整える事もできるだろう。それが正解か自信はないので様子見だが。
また神様の思惑が絡んだ話だろうか。前回も報告の時点で異世界への転移カードと分かっていたみたいな事を言っていたから絶対にないとは言わないが、どうもそんな気がしない。見送りに来た幼女二人の言動を思い出してもそれらしい様子は一切見当たらなかった。彼女らは言わない理由はあっても、騙す理由が存在しない。わざわざ待機して、異常事態があれば急行する態勢まで整えてなんて……そういえば、この様子も見えているのだろうか。
なんとなく暗くて見え辛い天井付近に視線を向けてぐるりと見渡すが、反応はない。前回の転移直後は俺の故郷側の渋谷を監視していたみたいだから、今回もまだ見失ったままなのかもしれない。目の前で待機しているからといっても、不測の事態に対応には時間がかかるだろう。
とはいえ、前回二号が追いかけて来た方法を考えるなら、時間をかければ探査はできるはずだ。俺を中継地点にして飛んで来たって事は、多分俺自身の存在がアンカーのようなものになっているって事なのだから。
少し目が慣れてきた。ほとんど灯りがないのは前回と同様だが、まったく見えないというほどではない。通路の先に採光用の窓か何かがあるのかもしれない。
とりあえず、状況確認のために牢屋の中を見渡してみる。
部屋の一面は檻。良く見る等間隔に垂直の棒が並ぶタイプのものではなく、格子状に金属が張られた厳重なものだ。頑丈そうで、破壊はかなり困難と思われる。
人間が屈んでくぐれそうな出入り口が設置してあるが、そこは更に頑丈そうな金属の扉で塞がれていた。試しに手をかけてみるが、鍵がかかっているのか開きそうにない。< 魔法の鍵 >を試すという手も思いついたが、鍵穴そのものがない。外からしか解錠できないかそもそも物理的な鍵を使わない仕組みかもしれない。構造の関係から、檻の隙間から手を伸ばしても届かないだろう。
檻の向かいにはまた別の檻があり、同じ構造になっているようだ。視界の及ぶ限り左右を覗いても、似たような檻が並んでいる。……やっぱり鍵穴ないな。電子式の鍵かなんかか。
床や天井はコンクリのようなもの。手触りだけだと詳しい材質は分からないが、金属ではないと思う。
部屋の中には大したものはない。布団を敷けば簡易ベッドとして扱えそうなでっぱりが壁にある他、隅の方に便器が見えた。シャワートイレこそついていないものの、現代チックな洋式便器だ。……牢屋っぽいのに、ウチのニーハオトイレより立派なのはどういう事なんですかね。
天井の隅近くには……監視カメラがある。
「おーい」
監視している人が気付かないかと手を振ってみたが、まったく反応がない。通電してないっぽいな。前と同じで、使う人がいなくなってしまった系の展開だろうか。
そう考えて床を調べてみると、やはりホコリが積もっている。吹き曝しだった屋上よりはマシだが、最近掃除された様子はない。
本来布団を敷くところらしきでっぱりに腰を下ろす。ホコリでケツが汚れそうだが、そんなのは今更だ。
「さて、意味不明だぞ」
観察しても意味不明な事に変わりはなかった。分かったのは、ここが割と近代チックな牢獄で、使われていなそうだって事くらいだ。
本物の牢屋でお世話になった事はないから憶測でしかないが、刑務所ではない気がする。ここみたいな格子状の檻は使ってないだろう。ならどこなんだって聞かれても分からないが。
最悪の場合、ここで十六時間待機する事も検討しなければいけないかもしれない。《 Uターン・テレポート 》の仕様上、時間が経てば元の場所に戻るから、どの道滞在限界はそこだ。たとえここから出れなくとも、拠点に帰れないという心配はいらないはずだ。
かと言って、こんな訳のわからないところに押し込められたまま何もしないというのも癪だ。誰かの思惑があるにせよ単なる偶然にせよ、大人しくしてやる理由にはならない。
檻をぶっ壊せないかと思い、ちょっと力を込めてみたがビクともしない。これがただの鉄の棒なら全力でやれば曲げる事くらいはできるかもしれないが、この構造だとそれも無理だろう。異様に厳重な造りである。
一応、現時点でも脱出方法らしきものは思いついているが……いきなりそれをするのは躊躇してしまう。多分上手くいくが、単純に危険なためだ。……試しにテストだけしてみようか。
「《 マテリアライズ 》」
フリーゾーンに突っ込んできた物の中からそれなりに大きくていらなそうなもの……< 犬小屋 >を物質化させてみる。
マテリアライズはペットボトルのようなものはそのまま手元に、明らかに大きいものは近くの空間か意識した場所に出現されるという仕様がある。これは拠点内のウインドウを使ったマテリアライズも同じだ。
今回< 犬小屋 >を出現させるのは檻の位置。物理的に干渉する場所を意識して出現させる。
結果、マテリアライズは無事成功。しかし、< 犬小屋 >は檻の前の通路に出現した。物理的干渉は極力避けて出現するのはマテリアライズの仕様通りなので、これで予想通りである。
マテリアライズができる事は分かった。ちゃんと物も出現する。ならどうすれば脱出できるのか。この檻を壊せるのか。
簡単だ。物理的干渉とか言ってられないくらいでかいモノをマテリアライズすればいい。拠点だと不発になるが、それはあの場所ならではの安全装置が働いているが故の事。ダンジョンなら普通に構造物を破壊しながら無理やり物質化されるのだ。なら、ここも同じはず。
「……まあ、まだやる気はないが」
俺自身もダメージを喰らいかねないから、ちょっと怖いし。
ひょっとしたら、少し待っているだけで二号が助けに来る可能性もある。そうじゃなくても、俺の立てた音に気がついて誰かここに来るかもしれない。様子を見に来た人は、いつの間にか牢屋に入っている半裸男と、牢屋の前に転がる謎の犬小屋に混乱するかもしれないが、その後の展開に寄与はしないだろう。むしろ、何も知らないフリで、俺から『その犬小屋は一体……』と問いかけてしまってもいい。
というわけで、俺の忍耐力が保つまでじっとしている事にした。
何も考えずに犬小屋を眺めながらボーっとするのは性に合わないので、色々考え事で頭を回す。これまでの事。これからの事。九十九世界でやる事のシミュレーション。ガチャやダンジョンの仕様変更案など。
身近な問題としては……この場所について。果たして、ここは何処なのか。最初に考えたように単に九十九世界で檻を用意して待ち構えていたとか、スキルの手違いで座標がズレたとかならまあいい。問題があるパターンは、ここが九十九世界以外の世界という場合だ。
その場合、九十九世界と行き来する手段がなくなるか、最低でもかなり不安定になってしまう。毎回行き先の違うテレポートなど怖過ぎて運用できないし、計画など立てられない。
《 Uターン・テレポート 》は世界を渡るスキルだ。本来は同世界上の座標を指定して利用するのだろうが、コレに関しては九十九世界に座標指定されているので間違いない。
そんな世界間を移動するスキルなら、ちょっと位置がズレただけでも多大な影響が出るはずだ。そのズレた先がまた違う世界だとしてもおかしくはないだろう。距離で考えるのは概念的におかしいかもしれないが、直線移動する場合、ちょっとでも方向がズレていたら遠くになるほど位置はズレるものだ。
だから、ここは九十九世界とはまた違った異世界だと思うほうが、色々な憶測が一致するよりも自然に思えるのだ。いや、結局どこなのかは分からんのだが。
「いかん、妙に落ち着いてしまう」
何故、牢獄で落ち着いてしまうのか。まさか、文明レベルがこちらのほうが上だからとでもいうのか。もしくは、いつも拠点でギラギラしているガチャマシンの存在がないからか。別に問題はないのかもしれないが、牢獄で落ち着いてしまうのは人としてマズイ気がしないでもない。
やはり脱出すべきか。ここが九十九世界とも違う異世界なら、積極的に調査するのが使徒としての使命なのでは? 言い訳に使いたいだけで、使徒としての自覚など大して持ち合わせていないが。
「よし、じゃあ一時間何もなかったら強硬策に出よう。えっと、転移してどれくらい経ったんだ……」
と、< Uターン・テレポート >のチャージタイムの確認をするため、ウインドウを開く。
「……ん?」
しかし、< Uターン・テレポート >に重なるように表示されているのは[ 15:59:59 ]という文字。
「おかしくね?」
< Uターン・テレポート >のチャージタイムは十六時間だ。これでは、ここに来てから一秒しか経過していない事になる。< 犬小屋 >をマテリアライズした時は気にしてなかったが、まさか止まってるのか?
ジッと表示を眺めていても表示は変わらない。秒の値すらそのままだ。なんだコレは。壊れてるのか? これでは最悪の場合のセーフティである自動帰還は働かない。
またもや、意味不明な現象が追加されてしまった。
「ヤバいな。下手すると帰れないって可能性まで出てきたのか」
もし、コレが表示通り時間が経過していないって意味で、拠点にいる神様二人もその認識なら、救助も期待できない。
時間が止まっているというなら俺が動けているのもおかしいから、チャージタイムのみに作用している? そもそも、コレは俺からMPなりなんなりを受け取ってチャージしてるんじゃないのか?
……駄目だ、分からん。
意味不明なのは置いておくとしても、このままジッとしているわけにはいかない事が判明した。動かなければ永遠に牢獄の住人になってしまう。なんの罪も犯していないのに。
「仕方ない……強行突破だ」
ウインドウを開き、フリーゾーンからカードを取り出す。でかいから消費MPは心配だが、多分大丈夫のはず。
「《 マテリアライズ 》っっ!!」
極力、自分から離れた場所を意識してそれを物質化させる。次の瞬間、轟音を立てて巨大な質量が牢獄を貫通した。超うるさい。
俺がマテリアライズしたのは< 神戸市交通局2000形電車 >。つまり、電車の車両だ。当然スペースが足りるはずもなく、物理的に構造物を破壊しながら出現した。
見るも無残な有様になった車両は、鉄ちゃんなら噴飯モノの光景だろう。しかし、目的は果たせた。俺が通れそうな隙間は空いている。というか、牢屋の原型を保っていない。
「よっと」
瓦礫を乗り越えるようにして脱出。これで通路から出れないとなると問題だが、電車は建物自体を貫通しているらしく、崩れた壁の先に真っ暗な外が見えた。直接なら外に出る事もできそうだ。現在位置が高かったりしたら困るから、とりあえずは普通に出口を探すが。
特に意味はないが、マテリアライズした電車の中も覗いてみた。どうやら新品扱いなのか、妙に内容が新しい。いつどこで利用されていた機種なのかは知らないが、そんなに古い感じでもなさそうだ。ぶっちゃけ、俺の拠点より過ごしやすそうではある。
そんな事をしていてると、電車の外……というか通路の先で物音がした。明らかな異常事態に確認しに来たのだろう。それはつまり、人……かどうかは分からんが動く存在がいて、時間も停止していないだろうという事だ。
「な、何事だ、これは……」
ドアを開けて牢屋が並ぶ通路に入って来たのは人間だった。というか、薄暗くて顔は見えないが日本人の男らしい。
「あ、どうも」
俺は電車から降り、できる限り平静を装って話しかけてみた。
「ど、どうも? い、いや、そうじゃなくて……えーと、これは一体」
「電車ですね」
「それは分かるが、何故こんなところに電車が突っ込んで来たんだ」
「さあ」
何から何まで俺がやった事なのだが、とぼける事にした。相手の正体も分からない内に手の内はバラしたくない。最悪、マテリアライズによる質量アタックが警戒される恐れがある。
「あの、ここは一体どこなんですかね? 気付いたらここにいたんですが」
「あ……と、列車事故なのかな……その影響でここに飛んで来たとか」
「……飛んで?」
「ここはそういう場所なんだ。良く分からないモノが時々現れる。あんたも電車に乗ってて事故に遭ったはずみかなんかで世界から落っこちたんだろう……って、なんで全裸なんだ?」
どうやら色々事情を知っているらしい事が判明すると同時に、俺の格好に気付いたらしい。失敬だな、ファウルカップは装備しているというのに。
こんな格好で電車に乗ってるわきゃないっていうなら、それには同意だが。
「ここに来た時からこんな格好ですが」
「そうなのか……そういう事もあるのかな?」
特に嘘は言っていないが、それで納得しちゃうのか。……なんか、騙され易そうな人だな。吉田さんを思い出す。
「列車事故って事は、他にも人がいるのか? 乗客は?」
「俺一人です」
「ああ、中から出てきたもんな。そうなのか?」
「確認してもいいと思いますけど」
「と言っても、暗いし……確かライトがここら辺に……」
勝手知ったるなんとやらなのか、男は入り口近くにあったツールボックスらしきものの中からハンドライトを取り出した。厳重警戒の屋敷へ空き巣に来た泥棒が如く、俺の全身が照らし出される。
「うお、まぶしっ!?」
「ああ、悪い……って、なんだその格好。何着けてるんだ」
さすがに俺の格好は意外だったのか、突っ込みが入った。これが完全に全裸だったら逆に怪しくなかったかもしれないが、見せたいわけでもないというジレンマ。
「ファウルカップです」
「キャッチャーとかが着けてる? なんでそんなものを?」
「そんな事を言われても、これしかなかったというか」
「良く分からんが……色々意味不明って事は分かった」
男は理解を放棄したらしい。割と適当な人なんだろうか。
その後、電車の中に入って確認するものの、人影はなし。内装が異様に新しく、どこにも使用した痕跡がない事を訝しんでいた。当たり前だ。さっき俺が出した新品なんだから。
確認は数分で完了し、俺は男について外へと出た。そこは通電しているのか蛍光灯が煌々と輝いてる。
「趣味でそんな格好してるとかじゃなければ、状況説明の前に服を用意したほうがいいだろうな。……何か?」
そうして明るい場所に出て、ようやくまともに男の顔を見る事となったのだが……。あまりの既視感に、思わず見入ってしまった。
別段美形というわけではない。年も俺より上だろう。決して不細工ではないが美形でもない、中肉中背な普通の男性だ。俺が気になったのはそういう部分ではない。
「……吉田さん?」
何故か、その男は吉田晶氏のプロフィールに載っていた顔写真とまったく同じ顔をしていたのだ。
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「ん? 私を知っているのか?」
そして、それは正解だったらしい。
良く見れば、あの時見た顔写真よりも老けて見える。細部まで見れば結構な違いはあるだろう。しかし、なんとなく本人じゃないかと思えるくらいには似ていた。写真だけだとまったく似ている気がしなかったが、並べたらきっと使徒の吉田さんともどことなく似ているんじゃないかと思える。親子と言われたら信じてしまう程度には。
もちろん勘違いという可能性はあるかもしれないが、この反応を見る限り合っているような気がする。
「あ、えーと、顔写真付きのプロフィールで」
「ああ、派遣会社か何かの」
違うんだが、先ほどまでの適当な言い訳とは裏腹に、俺の脳は混乱状態にあった。
目の前の人は男性である。俺への反応を見るに、先日会った企画モノAVの神の使徒をやっているエロい吉田さんではない。どういう偶然かは知らないが、これはまさか平行世界の同一人物というやつなのか。九十九花が二人存在しているように、この世界の吉田さんだと?
「確かに私は吉田晶だが、君が知っている吉田晶とは別人だと思うよ」
そりゃ別人だろうが、その反応も不可解だった。この吉田さんは平行世界云々の情報があるのだろうか。
「詳しくは知らないが、平行世界っていう奴らしい。色んな世界に同一人物がいて、それぞれの世界で暮らしてるとかそういう話だ。多分、君と私の世界も近しい別世界なんだと思うよ」
「えっと……」
どうやら結構知っているらしいが、どこまで明かすか困っていた。知っててもおかしくない事、知ってないとおかしい事の整理ができていない。この展開はさすがに想定外だ。
「ああ、何か言いたくない事情があるなら聞かない。というか、聞きたくない。私が聞くとちょっと面倒な事になる可能性があるんだ」
しかし、言葉が詰まっている俺に謎の救済がもたらされた。
「それは一体……それを聞くのもまずいとか?」
「私が説明するのは問題ないが、とりあえず着替えようか」
「あ、はい」
何か特殊な事情でもあるのか、その物言いに困惑しつつ、俺は促されるまま着替える事にした。
案内された先は小さい個室で、業務用のハンガーに大量の衣類がかけられている。ほとんどが男性用のもので、スーツが多いようだ。ハンガーにかけられていないものも多く、そういうものは部屋の隅に積まれている。
「なんでこんなに」
どこかの店舗かというほどに大量の衣類が存在していた。婦人服や子供服、多分下着なんかもあるんだろう。どこかの制服や水着、着ぐるみまであった。特に関係のないものを着て出ていくという選択もあったが、そんなギャグをやるような場面でも間柄でもないなと自重する。向こうにある、著作権的に超問題のある着ぐるみなど論外だろう。ハハッ!
俺は雑多に積まれた服の中から、適当にシャツとスボンを選んで着替える事にした。靴はスニーカーだ。これ、ほとんど新品だな。ここがどういう場所なのか、ますます混乱する。
続けて案内されたのはキッチンとダイニングのある、広めの給湯室のような部屋。後から設置されたのか、ウォーターサーバーや冷蔵庫、妙に目立つ自販機が自己主張している。良く見れば、カセットコンロがコンロの脇に設置されていた。電気は通ってるのにガスは通っていない?
「何か飲むなら適当にどうぞ。でも、そのキッチンは動かないから、水道水は出ない」
「じゃあ、緑茶で……手持ちないんですが、この硬貨借りても?」
「どうぞ」
緑茶や烏龍茶ばかり複数種類が並んだ自販機の中から適当に選んで購入した。設定か何かで押せば出てくるようになっているのではなく、普通に料金を投入してだ。そのためなのか、脇のザルに硬貨が積まれている。
牢屋といい、衣装部屋といい、さっきから意味不明な造りが目立つ。突拍子もなさ過ぎて、明晰夢でも見ている感じだ。
「じゃあ、改めまして吉田晶です」
「加賀智弥太郎です」
対面でテーブル席に座り、飲み物を前にして会話が始まった。俺は買ったばかりの緑茶ペットボトル。吉田さんは生活感剥き出しのマグカップである。
「まず最初の注意として、私を含む不特定多数に知られたくない事は口にしないほうがいい。私が言うつもりはなくとも、情報が無駄に拡散する事になるから。嘘を織り交ぜて混乱させたいっていうなら止めはしないけど」
「さっきも言ってましたが、それはどういうスタンスなんですか?」
単に深く関わりたくないっていうだけならそうはならないだろう。
「信じるかどうかは君の判断に任せるとして、思考を読み取ってるっぽい自称陰陽師がここを時々訪れるんだ。あんまり好ましくない奴だから、興味を持たれると面倒だよ。内容によっては、下手をすれば君のいた世界に迷惑がかかる恐れすらある」
なんだそれ。怪しい事この上ないんだが。……まあ、こっちが不利になりそうな事を言わなくていいってのは助かるが。
「逆に、聞きたい事があるなら私が知っている事は伝えよう。隠し事をするのも駆け引きをするのも、面倒だから」
「俺って極めて怪しい存在なわけですが、何故そんなに親切に? 会ったばかりで、信用もクソもないような間柄なんですが」
「別に信用はしてない。まあ、ただの暇潰しかな。やる事ないんだよ、ここ」
隠居後の老人のような事を言い始めたぞ。
「俺が強盗だとか思わないんですか?」
「欲しいものがあったら持っていくといい。殺すつもりなら、あんまり痛くしないでほしいが」
「いや、ただのたとえですけど」
「そういう世捨て人なんだよ、私は。護るべきものも目的も、人生への執着すらない。ここで生きているのだってただの惰性だ」
ウチの吉田さんも結構アレだったが、この吉田さんも人生に疲れてるって感じだ。案外似たような人生送ってきたのかもしれない。
「そういえば、ここって何処なんですか?」
「私の見解じゃないが、世界の狭間みたいなところらしい。本来はあり得ない異常空間だそうだ。例の怪しい陰陽師の言ってた事だから、鵜呑みにする事はないけど」
「……狭間」
平行世界ですらないのか。
「君が私でない私を知っていたように、平行世界……いわゆるパラレルワールドが存在する。この平行世界はそれぞれ独立していても、その性質上、常に隣り合わせで存在している……らしい」
「はい」
「平行世界同士は非常に近く、ゼロに等しい距離感で重なっているが、普通の方法ではお互いを知覚したり行き来する事はできない。しかし、事故のようなもので時折別の世界に移動してしまう事がある。私もそんな感じでここに流れついたわけだ」
「でも、ここは平行世界じゃないんですよね?」
「ここは世界と世界の間にある空間らしい。ゼロに等しい、けれど無駄に膨張した不思議空間。最初の疑問の回答として補足するなら、ここはその不思議空間にある良く分からない構造のビル。めちゃくちゃな接続で繋がってる意味不明空間の中では比較的安定した場所だよ」
良く分からない上に説明困難なものを無理やり言葉にした感じだ。実際、意味不明なんだろうな。
「言いたくないなら言う必要はないが、君は西暦何年から来た?」
「二〇二〇年です」
「実は私がここに来たのも二〇二〇年だ。だけど、体感上は十年以上ここで過ごしている」
「は?」
「なんか、空間だけじゃなくて時間の流れもおかしいんだよ。例の陰陽師を含めて、これまでここを訪れた連中はみんな二〇二〇年付近から来てる。憶測でしかないが、平行世界それぞれの時間は同じように流れてて、ここだけがおかしいんじゃないかって結論に達した。……あ、なんか心当たりあるっぽいけど、言わないでいいよ」
マジかよ。じゃあ、チャージタイムがおかしいのは、ここの時間が歪んでるからって事なのか?
「止まってるってわけじゃないんですよね。動けてるし」
「そうだね。ここに来る人も少しずつ後の時代から来てるみたいだし。この分だと、あと十年も過ごせば二〇二〇年九月になりそうだ」
冗談じゃないぞ。
「それだと、来年になる前に還暦迎えそうですね」
「体感上はそうなるだろうね。ただ、年はとらない……というか、老化はしないっぽいんだ。新陳代謝はあるのに、私の外見は以前から変化がない。元々若く見られる容姿だったが、五十近くてこれは異常だろう」
ウチの吉田さんは十代みたいな容姿してますが。
十年前のプロフィールでアラサーだったから、今はアラフォー。この吉田さんは更に体感で十年経過してるから五十って事か。確かに五十の容貌には見えない。四十にも見えないが。
「食べ物なんかも劣化しない。最初からあったモノ以上にカビが生える事はないし、鉄が錆びたりもしない。だから、食料に関してはかなり楽ができる」
「電気や水はどうやって調達を?」
「良く分からないけど、何故か通電してたりしてなかったり。水も出たり出なかったり……」
発電機か何かを使ってるわけじゃないのか。こんな変な空間で発電施設と繋がってるわけはないだろうから、元の世界と繋がってる?
「とまあ、仕組みはさっぱりだから解説もできない。あるものをただ使ってるだけだから。ちなみに、そこのキッチンは水もガスも使えないけど、排水は機能してるみたいだから、ここを水場として使ってる。あと、その自動販売機は中身が減らない」
「あのウォーターサーバーは?」
「ああ、あれは別のところから汲んできた水道水だよ。ここの水道が使えないから汲み置きしてるだけ。ペットボトルのミネラルウォーターと併用してる」
アレは中身が自動補充されるわけじゃないのか。
「物理的におかしいのは考えない事にした。どうせ理解も解明もできないだろうし。元の世界でだって、別に電気や水の供給システムを理解して使ってたわけじゃない」
「それは俺だって同じですが」
大半の人はあるものをただ使ってるだけだ。変なところに蛇口があったとしても、それが便利なら使うだろう。
「ただ、それはこのビルの中だけの事で、外に出るとまた色々違う。場所によってはもっと時間の流れが遅いところや、逆に早いところもあるらしい。ひょっとしたら、逆転して過去に向かってるところもあるかもしれない」
「移動すれば時間は経過するって事ですか?」
「そうだね。たとえばここから見える旧東京タワー……そういえば窓ないな、ここ。近くに東京タワーがあるんだが、向かったら多分私の寿命が尽きるまでにここへ帰って来れない」
「……見えるんですよね?」
「見える……というか、見るだけなら目と鼻の先だ」
ひょっとして芝公園あたりなんだろうか。
「逆の方向見ると通天閣も見えるんだが、こっちは経路にもよるけど体感時間で歩いて一日くらいでつく」
「通天閣? 大阪の?」
「その通天閣」
なんで東京タワーと通天閣がそんなに近いんだよ。
「外を見ると分かるんだけど、文字通り空間が歪んでるんだ。良く分からない空間にビルとか家とか東京タワーが浮かんでるような光景になってる。一応道路もあるが、かなり限定的だな」
めっちゃわけ分からん場所っぽいな、ここ。だが、時間経過の速度が場所依存なら、移動さえすれば帰れるって事かもしれない。
「そういえば、ここは何のビルなんですか? あの牢屋は一体……」
「色々な建物がごっちゃになってキメラ化してるビルのカタチをした別物? 牢屋は……はっきりとは分からないけど、近くの管理室らしきところにあった資料によれば、どこかの屋敷にあった施設っぽい。黒い世界もあったものだね」
「笑えねえ」
推測にしかならないが、ここは色んな世界から落ちてきたモノが集まってるんだろう。それはつまり、どこかの世界にはああいう牢屋完備の屋敷もあったって事だ。まあ、ありそうな話ではあるが、ちょっとお近づきになりたくはない世界である。
「まあ、のんびりしていくといい。時間は無限に等しいほどにあるわけだし」
そう言いつつ、吉田さんは飲み物を口にした。
-3-
「ちなみに、元の世界へ戻る方法なんかは……知らないですよね」
良く考えたら十年ここにいるわけだし。
「あるにはあるみたいだよ。私が知っているだけでも、二人は元の世界に戻ってる」
「え、じゃあなんで……」
「ずっとここにいるのかって?」
俺の考えている事は分かったらしい。
「ここは私にとって居心地がいいからね。元の世界に未練なんかないし、生活も大して不自由してない。たまに君みたいな存在も現れるが、多少話する程度ならいいアクセントだ。というか、出られると言われても私はここに引き籠もるよ」
「えぇ……」
「基本的に駄目人間なんだよ。致命的なまでに向上心がない。辛い事に不平不満を言っても改善する努力はしない。どんなブラックな環境でも甘んじて受け入れて、逃げもせず、ストレスで潰れるまでそのまま働き続ける。詳しい事を聞くつもりはないが、君がプロフィールを見ただけの私を覚えていたのだって、派遣先で自殺したとかそういう印象を持っていたからじゃないのか」
「…………」
大した観察眼と自己評価だった。当たっているわけではないが、まるっきり的外れというわけでもない。実際、吉田さんは自殺寸前だったみたいだし。この人は二〇二〇年まで生きてたみたいだが、似たような人生だったのかもしれない。
「そんな性格だから、自分からこの生活を変えるつもりはないわけだ。というか、どの平行世界だろうがロクな人生送ってないんじゃないかな。私だって、ここに来るまではさんざんだったし」
想像できる以上にロクでもない事になってるんだが、そんな事は言えない。俺の知ってる吉田さんはTSしてメス堕ちした挙げ句、AV女優やってますだなんて。
しかも、不安定ながらもなんだかんだで環境に適応してしまっているっぽいし。少なくとも俺だったら聞きたくない。
「それに、戻っても無職だしね。ここに来たのはコロナの影響で派遣切りにあった直後だったから、ちょうど良かったともいえる」
「コロナ? 日食の?」
皆既日食の外側の光だっけ? また、オカルトチックな話なのか。
「あれ? 新型コロナウィルス知らない?」
「ウィルスの名前なんですか。新型どころか旧型もちょっと」
「発生してないのかな。私の世界では2020年頭から世界規模でこのウィルスが蔓延して、結構な騒ぎになったんだよ。東京オリンピックも延期になるくらい。あの後終息してなかったら中止かも」
「え、オリンピックってそうそう中止にならない気が……というか、やってましたし」
営業職という事もあって、タイムリーな話題作りのために色んな競技の結果を追ってたくらいだ。ついでに、何故か金メダルも持っていたりするぞ。
しかし、オリンピックって戦争くらいでしか中止になったりしないと思ってた。どえらい資金が無駄になりそうだ。
年の頭からそんな話になってたらさすがに知らないって事はないし、ウチの世界では発生してないのかな。オリンピック開催の有無って、九十九姉妹の元世界ほどじゃないがかなりの違いだよな。
「幻の2020年東京オリンピックか。話題にもしなかったけど、これまで来た人たちの世界でも開催してるんだろうか」
「そんなに大規模だったんですか、そのウィルス」
「私が来た時点でも終息の見込みが立ってなかったくらいだからね。というか、まだ終息してないだろうし。それと直接関係あるかどうかは知らないけど、アメリカじゃそんな中で人種差別問題のデモが起きてシアトルが自治区になったりしてたな。かなりカオスな世界情勢だった」
「自治区って……」
一体どういう状況になったらそんな事に。九十九たちの元世界といい、平行世界の情勢は理解し辛い。しかも、この吉田さんの世界はウチとほとんど似たような感じっぽいのに。
「例の如く、第三次世界大戦に発展するとか言われてたけど、さすがにそこまではいかないだろうね。私にしてみれば文字通り別世界の話なわけだから、大して興味も湧かないんだが」
第三次どころか第五次までやってるような世界があるから、一概にないとは言い切れないのが怖い。ウチの世界だって、あんなテロと疑わしき事故が世界規模起きたばかりなのだ。どう転ぶか分からない。
「吉田さんに帰る気がないのは分かりましたけど、その帰還方法って誰でも使えそうなんですか? というか、本当に戻れてるんですかね?」
「あーごめん。明らかに普通じゃない連中の話だから、君が使えるわけじゃないんだ。例の陰陽師が怪しげな術で行き来してるって話だし」
「……その人について聞いても? ここまでの話だと、なんかいい印象はないですが」
「別に問題はない。口止めされてるわけでもないし」
ヘンテコな世界に生きてガチャ回して生きている俺だが、元の世界でそんなオカルト的な存在がいるとは聞いた事がない。神様は間違いなくオカルトで今となっては俺もオカルトなわけだが、それは置いておいて。
「陰陽師ってアレですよね、安倍晴明とかそういう」
「多分それで合ってる。でも、私が会ったのはいちいち陰陽師っぽくないんだよね。和装ではあったけど、西洋剣使ってたし、金髪だったし、一緒にいたのは坊さんだったし。いや、本物の陰陽師ってなんだよって聞かれても困るんだけど」
「外国人?」
日本かぶれのコスプレイヤーか何かなんだろうか。
「土御門とか言ってたから、実名なら本当に陰陽師なのかもしれない。私の世界では陰陽道は明治時代に廃止されてるけど、残った世界があるのかもね」
「ウチの世界も同じですけど。あんまり想像つかないんですが」
陰陽師って肩書だけなら、明治時代までは国家認定される正式な存在がいたはずだ。とはいえ、その人たちが神秘的な力を使えたり式神を使ったとは思えない。オカルト特集なんかで自称陰陽師が出演するのを見た事があるものの、現代における陰陽師なんてそんなものだ。
それっぽい格好をして、急々如律令とか言ってるだけでも陰陽師に見えない事はない。
「ただ、その自称陰陽師が何か特殊な力を持っているのは確かだ。かなり制限は受けてるみたいだけど、自分の世界とこことを行き来してるのも確かみたいだし」
「こんな場所がある以上、オカルトは否定できませんが……」
「私も何らかの超常的な力の存在は認めざるを得ない。私自身は凡人もいいところだけど」
「こんなところにいるのに?」
「ただここに漂流して、どこにも行けずに暮らしてるだけさ。住んでるところが特殊だからって、住人が特殊とは限らない」
ウチの吉田晶さんは特殊極まる存在なんだが、この吉田さんは一般人って事なのか。
「割と頻繁にここを訪れるから、何か聞きたいなら本人に聞いてみるといい。思考を読まれたりはするけど」
「ここに何かあるんですか?」
「東京タワーを調べようとしてるみたいで、その中継地として便利に使われるだけだよ。人が住み着いてる中だと一番近いし」
テンプレ的に異変調査でもしてるんだろうか。
「私が合わないだけで、君は相性良いかもしれないしね。胡散臭くて言動がおかしくて自己中だけど、一応善人の部類だと思うし」
「うーん」
思考読まれるのは……まずい気がするんだよな。神様やウチの世界にも関わる事だし、俺だけで判断していい気がしない。
「まあ、身の振り方についてはゆっくり考えるとして、陰陽師が来るにしてもこっちの時間感覚だと数ヶ月単位だし、とりあえず何日か滞在していくといい」
「いいんですか?」
「住み着いてるだけで別に私の物件でもなんでもないしね。これまでここに来た人も、何日か泊まってから旅立って行くのが基本だから慣れてる」
時間は動いてないわけだし、帰る手段が明確にあるわけでもない。期間はともかく、滞在はアリかもしれないな。
-4-
「来客用の寝室は用意してるから、しばらくはそこを使ってもらうとして、食事は……」
その後、近く……というか通路挟んで向かいにある部屋に案内されて、そこを寝室として自由に使っていいという事になった。掃除はしてあるものの、窓すらない倉庫にベッドを押し込みましたって感じのシンプルな場所だったが、ちゃんと寝床があるだけでもあの牢獄よりはマシだろう。というか、俺の拠点より快適だ。
また、食料も提供してくれるらしく、大量にパンなどが保管された部屋に連れて行かれる。
「コンビニの惣菜パンとかおにぎり……だけじゃないのか」
入り口近くの利用し易いところにそういうものがあるというだけで、倉庫には様々な種類の保存食が積まれている。その量は一人で消費するなら数年どころじゃ利かない量だ。
弁当なんかもあるのか。完成品として出荷されてるものは大抵ありそうだ。
「腐らないから、常温保存可能なものはとりあえずここに放り込んでる。冷凍庫は別にあるから、冷食はそこ。肉や野菜は専用の冷蔵庫に放り込んであるけど、あんまり使わないな。食い散らかしたりしなければ、自由に飲み食いしていい」
「料理とかしないんですか?」
「昔はしてたけど、面倒になってね。手軽に食べられるものが大量にあるし、コンロはカセットコンロくらいしかないから制限されるし。今はここ常温食か電子レンジで作れるものばっかりだね。気が向いたら料理するけど、大抵は長続きしない」
こういう生活してるとそうなるんだろうか。保存に気を使わなくて良くて、大量にあるならあえて自分でとはならないかもしれない。
スボラな男の一人暮らしって感じではある。俺も大して変わらんし。
「良く人が来るんですよね? そういう人はいなかったんですか?」
「料理する人もいたけど、そもそもここに長く留まる人はいない。帰る手段を探しに行く人は多いし、そうじゃなくてもどこか別のところに行くね」
「なんかここに問題があるとか?」
「問題といえば問題かな。怖いんだよ」
「怖い?」
帰りたいならここを離れるのは分かるが……それ以外でも留まらないというのは違和感があった。これだけ広くて物資も充実しているのだ。提供も渋らない。他所の事情は知らないが、住みつく人だっていてもおかしくはないだろう。人間関係にしても、吉田さんは駄目人間だが基本人畜無害な人で、よほど性格が合わないのでもない限り共同生活に問題がある気がしない。これだけ広ければ別の階に住むという選択肢だってあるはずだ。
「百聞は一見にしかず。屋上行って見てみようか」
「はあ」
階段を使うかとも思ったが、どうやらエレベーターが動いてるらしく、そのホールまで歩いていく。結構大きなビルなのか、割と遠い。
「元々乗り換えの階だったみたいで、エレベーターのカゴは基本ここに待機してる。上に行くのはコレ、下はそっち、横はそれ」
「横?」
「良く分からない方向に行くカゴがあるんだよ。行き先は普通の建物なんだけど。そういう不思議空間って事で」
時間の流れや空間の接続だけじゃなく、物理法則までねじ曲がってるのか。エレベーターが左右移動するなよ。
ついでに、ここの階層表示は15階だったが位置も合ってないらしい。行き先の階層もバラバラで、そもそも移動できる階が少ないとか。一応、階段なら普通に移動できるらしい。
目的地らしい屋上には問題なく行けるらしいので、俺たちは上層行きのエレベーターで移動した。
「あの……なんで階ごとの紹介が手書きなんですかね?」
商業施設のエレベーターに良くあるように、エレベーターの扉の上には階層表示の電光掲示板と各層のテナント紹介のようなものがある。しかし、何故かそれらは手書きの紙が上から貼り直されてした。
「私が張った。元々のものと全然一致しないから、行ける部分は調査して分かりやすいようにしたんだ。ここに来た最初の頃は探究心も旺盛だったから」
張られた紙の中には、凡そビルのテナントに入らないだろう施設も多い。ビルの上層階にポツンとある八百屋、交番とヤクザの拠点が一緒の階にあったり、個人宅なのか藤原さんという表記もあった。多分、表札がかかっていたのだろう。
俺たちが乗った階には、謎の牢獄の表記もある。まあ、謎だよな。今なんて電車が突っ込んでるし。
「物が流れ着く先には関連性の高いモノが多い傾向があるから、私が物資調達するのは下の階にあるスーパーが多い。上の交番やヤクザ事務所には時々拳銃が流れ着いたりするから、興味あるなら持っていくといいよ。役に立つ気はしないけど」
「関連性って……あの、俺が流れ着いたのは牢獄なんですが」
まさか、俺が牢獄に縁深いって事なのか。
「あくまで傾向であって絶対じゃないから。それに君の場合は電車ごとだし、良くある例外なんじゃないかな」
電車は俺が出したモノなんで、流れ着いたのは俺単品なんです。……言わないけど。
そんな話をしてると、エレベーターは屋上についた。示している階層以上に時間がかかった気がするが、そういうモノなんだろう。
出た先は簡易なエレベーターホールで、シャッターで閉じられている。脇に扉があるので、出入りはここからするのだろう。
勝手知ったるなんとやらか、吉田さんは鍵を取り出して扉を開いた。この人なら、勝手にここに来ても気にしなそうな気はするが、何か怖いモノがあるのだとすると当然の処置なのかもしれない。
流れ着いた人が吉田さんと遭遇しないまま屋上に出ないための処置とか。
「暗い」
深夜だから当たり前なのだろうが、屋上に灯りはなかった。……しかし、見上げても星は出ていない。曇りとかそういう事ではなく、何もないのだ。
「……なんだ、アレは」
代わりに、見上げた先にはいくつかの建物が見えた。何もない暗闇にポツンと建物が浮かんでいる。
「アレは最近来た鈴木さんの家だね。真正の引き籠もりだから、ここから気球で上がったまま誰とも干渉しないんだ」
「いや、そういう事ではなく」
どうなってんだ、ここ。建物が浮かんでるぞ。いや待て……まさか、このビルも。
そう思い、ビルの柵から下を覗き込んでみた。……見事に何もない。深い、深い深淵にただ吸い込まれそうになる。見てるだけで不安を覚える暗さだ。
「さっきも言ったように、謎空間に建物単位で宙に浮かんでるんだ」
「……確かに言ってましたね」
だが、聞くのと実際に見るとではインパクトが段違いだ。物理法則とかどこかへ飛んで行ってしまっている。
「あっちに見える通天閣も、建物そのものしかない。もっとも、中身は別モノだけど」
吉田さんの指差す先には確かに通天閣らしきものがあって、ライトアップされていた。
というか、更に遠くには見た事ある建物がいくつも浮かんでいた。……なんか、病ンデレラならぬシンデレラ城まであるぞ。
「道や電柱なんかも建物扱いなのか繋がってたりはするけど、接続はかなり限定的だね。移動経路はかなり制限される」
「……確かに怖いですけど、これじゃどこ行ったって怖いでしょう?」
建物が謎空間に浮かんでいるのだ。下に何もないのだから怖いに決まっている。道路も、ガードレールがあったりするが、あまり意味はないだろう。
ふとした拍子で下に落ちてしまう不安は拭えない。しかし、見る限りそれはどこも一緒で、ここが怖いからといって移動する先などないように思える。でかい陸地……たとえば東京ドーム丸ごとみたいな場所があったりするのか。
「怖いのは浮かんでる事じゃない。いや、まあこれも怖いけど、慣れるし」
吉田さんはすぐ慣れそうだが、個人差があると思います。俺なんかは……慣れそうだな。
「ちなみに、落ちたらどこに行くのか分からない。案外平行世界のどこかに辿り着いたりするのかもしれないけど、戻って来た人はいない」
「……それはつまり、足を踏み外したかなんかで落ちた人がいると」
「そういう人もいるかもしれないけど、私が知ってるのは投身自殺かな。ここは夢で、死んだら目が覚めるとかなんとか騒いだ末にダイブ」
そりゃ、こんな環境じゃ発狂する人もいるだろう。元の世界に未練があったらなおさらだ。
「それで、浮かんでる事じゃないなら、怖いモノっていうのは」
「ああ、その話だったね。えーと、ここは言ってみれば境界線のような場所なんだよ。ここから通天閣方面は割と安全圏、だけど反対側……旧東京タワー方面は危険域なんだ」
「逆側?」
反対側を見れば、なるほど確かに東京タワーがある。ライトアップされていて、そこだけ見れば深夜の港区に見えなくもない。
だが、周りに何もないのはやはり異常だ。地面すらないのだから。いや……待て。
「……何もない」
東京タワーの向こう側は真の闇だけが広がっている。こちら側ではポツポツと浮かんでいる建物や道路が一切存在しない。振り返って通天閣側を見るとそれは明らかだ。
「東京タワーが大きいから目立つだけで、小さい建物はあるかもしれないけどね。ただ、大体あそこが時流の限界点。あそこから先は時間が完全停止するらしい」
「時流……?」
「時代の風潮とかそういう意味じゃなく、時間の流れ。あの東京タワーから離れるほどに時間の流れが早くなる。体感で十年過ごしても変化はなかったけど、ここも完全停止してしまうかもしれないって警戒して、逆方向へと逃げるわけだ。通天閣のあたりでもほとんど止まってるようなもんなんだが、それでもここよりはってね」
普通に動けて代謝もしている以上、時間停止ってのは違うのかもしれないが、そこにいる人にとってはあまり関係ない。ここにいる吉田さんは現に十年以上の体感時間を生きてるわけで、時間に置き去りにされるという恐怖は拭えないだろう。……確かに、それならここに留まらないのは納得できる。
……しかし、通天閣方面に行けば時間は流れるのか。移動距離は必要だろうが、わずかでも時間が経過するなら帰れるかもしれない。
「だから、ここら辺に残るのは私のような世捨て人か、鈴木さんのような真正の引き籠もりだけだ」
いや、この際鈴木さんはどうでもいいんですが。
「それと、恐怖の根源はそれだけじゃない」
「……まだ何かあるんですか」
「あの向こう側には何かがいる。目を凝らせば少しずつ認識できるようになるけど……ああ、それ以上見ないほうがいい」
ジッと東京タワーの向こう側を見ようとした俺を吉田さんは止めた。パッと見ただけでは真っ暗闇に東京タワーが浮かんでるだけに見えるのだが。
「見るのもヤバいものが?」
「特別何かされるわけじゃない。アレはただそこにいるだけ……多分、停止しているんだ。だけど、アレは見て認識するだけでヤバいものだ。そう理解させられる。好奇心に負けたのか、望遠鏡を持ち出して向こうを観測しようとした奴は発狂した」
「…………」
なにそれ。
「自称陰陽師はアレの事を化外の王と呼んでいる。……まあ、そんな化け物が近くにいるんだ。たとえ動かなくても、少しでも遠くへ逃げたくなるのは人の心理ってものだろう?」
「むしろ、吉田さんがなんでここに残ってるのかが不思議なんですが」
「便利だしね、ここ。それに別に被害を受けた事はないし」
そういう問題ではないと思うんだが。
……そう考えると、やっぱり普通じゃないよな、この人。同一人物ではないが、使徒に選ばれる人はそういう何かがあるって事なのか。企画モノAVとはまったく関係ないと思うけど。
「吉田さんはそのヤバいものを見たんですか?」
「はっきりとは見ていないが、一応は。形状としては蛇とかミミズとか、そういう細長いカタチをしていたと思う。途中で意識が途絶えたから自信はないけど」
特別怖い形状でもないけど、見ただけで恐怖する。そう理解させられると。
なんか、ウチの神様を前にしたリョーマを更に極端にしたような……。
「……それは、神とか邪神とか呼ばれるものなのでは?」
「あー、神ね。そういうオカルト的なものは信じてなかったけど、ここ自体がオカルトだからね。あんな超常的な存在なら神に相応しいのかもしれない。あんまり信仰したくはないけど」
超常の存在はいる。未だにアレが神っていう感じはしていないが、存在は確かなのだ。なら、それとは別の超常がいるのはおかしくもなんともない。いや、案外同じカテゴリだったりするのかもしれんが。
……俺がここに飛ばされたのはソレの意志? 情報が少な過ぎるが、有り得なくはない。その場合、そのヤバいものに認識されているかもしれないという部分がまた恐怖を誘う。
少し悩んで決断する。漏洩の危険を考慮しても、こちらの事情を多少バラす事を。
「吉田さん、この屋上って使う事あります?」
「いや、鈴木さんが気球の発進に使ったくらいだが。まさか、ここに住みたいとか?」
「住みたくはないですが、ちょっとでかいモノを置かせてもらえないかなと」
何もないところにいきなり巨大な物体が出現して、関係ありませんは通らないだろうからな。最低限の説明は必要だろう。
ハハッ。(*´∀`*)





