第二話「マテリアライズ」
|∀`*)出来た端から投げていく。そう、それは自転車操業。
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「えーと、どちら様でしょうか」
チュートリアルの終盤、突如姿を表した二体目の幼女。そのあまりに唐突な登場に、軽く意識が飛んでいた。
こんなところに現れる存在がまともな人間とは思えない。対応を誤らないよう、気を張り直さないと。
[ チュートリアルの説明役よ。ガチャ子に頼まれたの ]
返答は相変わらず脳内アナウンスのままだった。
なんだこの子。マイク通さないと喋れなかったりするのか? 直接脳内に響いてくるから気持ち悪いんだけど。
……ひょっとして、ここまでのアナウンスも全部この子がやっていたのか?
「ガチャ子?」
[ あんたのところの神様よ。あだ名みたいなもんね。ガチャ太郎にガチャ子でぴったりの主従じゃない ]
あの神様そんな風に呼ばれてるのか。本名ではないと思うが、そのままというかなんというか。あと、俺はガチャ太郎ではない。
「あの、色々聞く前に普通に話せませんかね? 脳に直接響くので」
[ あ、ごめん ]『……えーと、これでいいかしら』
「あ、はい」
脳に響いていた声が、部屋のどこからか分からないがスピーカーを通した音に聞こえるようになった。というか、こんな至近距離なのに、マイク使うのは変わらないのか。別に問題はないが。
『じゃあ、なんでも聞いてごらんなさい。本当なら使徒でもない人間相手に直接話しかけるなんて有り得ないんだから、感謝に咽び泣くといいわ』
この、なんだろう……多分本当にそういう偉い存在なんだろうけど、幼女な見た目のせいでコテコテな高飛車キャラも無理しているようにしか感じられない。すごく微笑ましい。保育園のお遊戯会見てる気分だ。
「君……あなたもひょっとして何かの神様なので? ガチャの神様みたいな」
『そうよ。私が司る権能は動画実況。主にネット配信で実況やってる人間たちの神ね』
「動画実況……」
映像ではなく、動画ですらなく、動画実況の神とは、また随分と範囲の狭い権能である。そんな狭いジャンルまで網羅していたら、いくら八百万の神々とはいえ、そのうち溢れ返ってしまいそうだ。
まさか、頑なに離そうとしないそのマイクはアイデンティティだったりするのだろうか。実況者って、あんまり手持ちのマイク持ってるイメージないんだけど。インカムとか、設置型のマイクだよな。
「何故、動画実況の神がこんなところに? まさか、俺を実況配信してるとか……」
さすがにそれは勘弁してもらいたい。
もしこの痴態が世界に向けて配信されていたら泣くどころの騒ぎではない。全裸で猫と戯れる成人男性の動画なんて、社会復帰不可レベルのグロ画像だ。
『してないわよ。してほしいならするけど』
「いえ、結構です」
『そう? 私自らの実況付きで配信なんて、なかなかの栄誉だと思わない? ガチャ太郎のガチャ生活みたいな感じで』
「結構です」
なんでそんなに押してくるんだ。俺は昔の深夜番組の企画モノみたいに全裸を世間に晒す趣味はないぞ。
今こうしてブラブラさせているのだって、仕方なくやっているに過ぎない。それ以前に、服を着てたって自分をネタに動画を配信したいとも思えない。自撮りをSNSにアップロードする人たちの気持ちすら分からないのに。
『ま、まあ、そうよね。私の実況はそんなに安くないし』
しかし、幼女様は露骨に残念そうだった。そんなに実況したければゲーム実況でもしてればいいのに。俺は見ないが、幼女の実況プレイってだけでアクセス稼げそうだ。
「というか、ウチの神様は会議に出てるらしいんですが、あなたは出席しないんですか? 派閥とか、ジャンルが違うとか」
『…………この前の神認定試験落ちたから、出席したくても出来ないのよ』
「はぁ……」
え……それってまさか、神様じゃないって事なんじゃ……。
と突っ込みたくなったが、指摘してはいけないような雰囲気を醸し出している。この際この子が正式な神様だろうとそうじゃなかろうと関係ないんだが。
『なによ……どうせ、神様未満の鼻垂れが動画実況の神とか自信満々に自己紹介してて恥ずかしいとか思ってるんでしょ!』
「いや、そんな事は……」
完全なる言いがかりである。ぶっちゃけどうでもいいし、ただの人間である俺には区別が付かない。
『わ、私が未熟とかそういう事じゃないんだからねっ!! むしろガチャ子が認定されるのが快挙なだけであって……というか、日本人ガチャにお金を注ぎ込み過ぎなのよっ! そりゃ信仰も貯まるに決まってるじゃないっ!!』
めっちゃうるさい。マイクの音量絞って下さい。
「確かに、世界でも飛び抜けてるらしいですからね。毎月ン万ガチャに注ぎ込むとか理解できないし、ちょっと異常かなとは思ってました」
期間限定のレアキャラのためなら湯水のように金を使う人たちもいるから、基本的に買い切りのゲームやってる俺には恐怖すら感じていた。
残業中に、この残業代でガチャ引くとしたら何回分か考え出したら危険信号らしい。
『なによ、ガチャ太郎なんて名前の癖に分かってるじゃないの』
「ガチャ太郎違う。加賀智弥太郎」
『名前なんて呼びやすければどうでもいいのよ。いっそ、そんな古臭い名前なんてやめて改名しちゃいなさい』
「答えはノーだ」
どうでも良くない。もしもその名前が定着して、これから先ずっとその名前で呼ばれる事になったらどうするんだ。
親父が偉人めいた財閥総帥に肖って付けただけの名前ではあるが、この年まで付き合ってれば愛着も湧くのである。
ガチャ太郎なんて先鋭的過ぎるネーミングはノータイムでノーサンキューだ。
『ガチャ太郎が嫌なら……そうね、チュバ夫なんてどうかしら。体張って動画再生稼ぐ仕事が待ってるわ!』
「そんな趣味はない。というか、さっきからなんで勧誘しようとしてるんだよ! なんかノルマでもあるのか」
動画配信やらせる気満々のネーミングじゃねーか。あまりにダサくてガチャ太郎がマシに聞こえる凄まじいネーミングセンスだ。
『そ、そんなものはない……けど、ほら、使徒がいたりしたら認定の査定に影響するかもって……思ったり思わなかったり。あ、でも、別に兼任とかもアリだから。ガチャ子とはいわばマブな関係なわけだし』
「決まりとか以前に、そもそも動画配信する気がないから諦めてくれ。良く知らないから興味がないとかではなく、拒絶したい」
『そ、そこまで言わなくても……それって、私の存在の全否定……』
そういう事になるんだろうか。動画実況の神というのなら、そのものと言えなくはないのかもしれないが。
なんか涙目になってるんですけど。幼女を泣かせる全裸成人男性とか事案ってレベルじゃない。つい、いまいち信用できないガチャの神様と同じ対応をしてしまったが、あっちと違ってこの幼女はもう少し人間味があるのかもしれない。……フォローしたほうがいいかな。
「あー、俺の知り合いにそういうの興味ある奴がいるかもしれないから、紹介とか推薦できるかも。基準とか分からないけど、人生からドロップアウトしたいくらい社会の目を気にしない奴とかいるし」
『ほんと? 信じるわよっ!? 規定で私自身からアクション起こすのは駄目だけど、紹介あれば通るかも』
あまりにチョロい反応だった。……どっちが、というのは微妙だが。俺も大概安い男である。
「どの道、元の世界に戻れないと無理だけどな」
『大丈夫。私結構暇だし、むしろこうしてバイト振られないと仕事ないし、出来る限りお手伝いするから』
マジかよ。手伝いしてくれるというのも、そこまで仕事がないというのも反応に困る。必死過ぎて悲しくなってしまうだろ。
「手伝いはありがたいが、そういうのアリなのか? ガチャ子様的に、俺が極限まで苦しむのを見たいとかそういう思惑があったりしない?」
『自分の使徒相手にどんな外道なのよ。ガチャ太郎の中でガチャ子はどんな事になってるの?』
「人の心が分からない超越者」
『い、いや、間違ってはいないけど……確かに微妙に自己中というか、相手が何考えてるのか気にしないというか……多分B型的な』
おい、なんか無茶苦茶言い出したぞ。こいつと友達やってて大丈夫なのか、ガチャ子様。B型の人を敵に回すような事も言い始めたし。
『というか、それも結局経験が足りないからで、基本的にはいい子だから! 周りがどう言ってても私は信じてる!!』
「ちなみに、告げ口とかは」
『やめてっ!? 仕事回して貰えなくなる!』
随分と世知辛い友人関係であるが、とりあえずこの子が妙に人間味のある神様……神様未満という事は分かった。
神様なんて超越者なら、ウチの幼女様みたいなのがデフォかもと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。どっちが普通なのかは、まだサンプルが足りないからなんとも言えないが。
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「脱線しまくってしまった気がするが、話をチュートリアルに戻そう」
『そ、そうね。そもそも、その役目だったんだし』
ついでに言うなら俺の口調も明後日の方向に飛んでいってしまった。最初は慎重に敬語で謙ろうかと思っていたのに、元に戻す気にもなれない脱線具合である。
『で、何か聞きたい事はあるの? なければそのままこのフロアを抜けてチュートリアルのボス戦だけど』
「戦うのがどんなボスかっていうのは聞いてもいいのか?」
『チュートリアル用に弱体調整したゴブリンもどきよ』
……もどき。確かにゴブリンならファンタジーの定番だが。
チュートリアルだから手加減してくれてるって事だろうか。ずっと警戒し続けてきたが、案外そこまで鬼畜な難易度じゃないのかもしれない。楽観視は出来ないが、弱体しているというなら、貧弱な現代人である俺でも倒せるのかも……いや、それを基準に設定されているという事も考えられる。
「どれくらいの強さかとか」
『そんな事言われても比較対象が元のゴブリンになっちゃうし……。多分、もどきが五匹いてようやくゴブリンといい勝負出来るかなってくらい』
それだけ聞くと凄まじい弱体化だな。正にチュートリアルってわけだ。逆に、ボスの五倍の強さの敵が雑魚として出現すると書くと、急に無理ゲー臭が漂ってくる。
『ただ、これまで戦った経験がないガチャ太郎が勝てるかって聞かれるとあんまり自信はないかも』
「結局、殺し合いなわけだしな。そこはしょうがない」
俺でも赤子の手を捻るくらい楽に絶命に至らしめる相手が出てくるとは期待してはいない。それはそれで怖いし、どんな貧弱な生命体なのかという話だ。
極一般的な社会倫理の中で生きてきたのだから、生き物を殺す事に拒否感があるのも確かだ。それがモンスター相手だとしても。
「たとえば、あんたが戦うとするなら?」
『そんなもん、遠くから超音波で脳をシェイクして終了よ。戦いにならないわ』
何それ、超怖い。つまり、今の俺も瞬殺できるって事? ……いかんな、チョロいとか色々失礼な事を思っていたが、やはり超越存在であるという事か。
「そこで死んだ場合は? また[ 拠点 ]からやり直しとか」
『一時的な処置でここが[ 拠点 ]扱いになってるから、その場合はここに戻ってくるわよ。水場とトイレもあるし』
言われて部屋の中を見渡してみれば、確かに[ 拠点 ]にあったと同じ水場と……忘れていたが[ 拠点 ]に影も形もなかったトイレらしきドアがあった。
……そういえば、あの[ 拠点 ]トイレないぞ。どーするんだよ。まさか垂れ流しにしろとか、そういう事なのか。一時的な[ 拠点 ]扱いのここのほうが立派ってどういう事だよ。
「一応聞くが、武器とか借りたりは……?」
『とりあえず初回は禁止だって。それに合わせて、もどきのほうも何も持ってないし。……まあ、あんまり不甲斐ないようなら私の裁量に任せるって言われてるけど。見るに見かねる惨状なら武器とか……あとはマイクとか貸すわよ?』
「……マイク」
内容はともかく、どうしようもないようなら救済処置はあると。
しかし、全裸同士の取っ組み合いになるって事か。悲惨な絵面だな。実況動画的には面白いのかもしれないが、やらされるほうはたまったもんじゃない。
それから、思いつくままに役に立ちそうな質問を投げ続けた。
半ば駄目元で必勝法や弱点なども聞いてみたが、対象が貧弱過ぎて判断できないとの事だ。
そんな中で返ってきた回答を繋ぎ合わせて分かった事は、ゴブリンもどきとやらは武器を持っていないが、鋭い爪は持っているとの事。引っ掻き攻撃には気をつけないといけない。
その他、攻撃方法として考えられるのは頭突き、噛み付き、体当たり。矮躯で体重が軽いからマウントを取りにくる事はないだろうという事。逆に、こちらからマウントを取りに行くのはアリかもしれない。
『じゃあ、ガチャ子には出来ないアドバイスをあげる。本気で殺す気ならなんとでもなるわよ』
「……貴重なアドバイスをどうも」
『いえいえ』
……なるほど。確かにそのアドバイスはウチの神様では出てこなそうだ。そして、多分だが真理でもあるんだろう。
最後のフロアへと向かう通路。その一番奥。ドアの前で足を止め、目を閉じた。出来る限りのイメージを浮かべ、少しでも戦えるように、動けるように。
体験した事がないほどに鼓動が高まっているのを感じる。呼吸の仕方を忘れてしまったように、酸素を取り込めない。全身の筋肉がこのまま動けば断裂しそうなほどに強張っているのを感じる。
駄目だ。落ち着け。対峙する手前の段階ですでに怖気づいてどうする。こんな事ではただ殺されるだけだ。しかし、俺の人生の中にこんな状況を気持ちを切り替える経験などない。
喧嘩とは訳が違うのだ。相手がそこらのチンピラよりも、あるいはもっと……小学生くらいの身体能力だとしても、それが殺し合いというだけで別次元のハードルになる。
動画実況の神様の言うように、本気で殺す気なら、それが出来るくらい動けるならば簡単に勝てるのかもしれない。だけど、それがあまりに遠い。
じっと立ち尽くして何分経っただろうか。後ろのフロアにいる幼女は何も言ってこない。きっと、何時間だろうが構わずそこにいるのだろう。
ドアを開かなければ始まらない。手を、足を動かさなければ始まらない。後輩の墓参りに行く事も、ペットを飼えるマンションを借りる事も、家に帰る事も、その権利を得るためにガチャを引く事も、何も始まらない。
必要もないのに焦燥感に駆られる。ロクに覚悟も決まらぬまま、手が動いてしまう。
ドアが……開いた。
そこに待ち構えていたのは明らかな異形。
人型ではありつつも、深緑の肌に異常な矮躯。狂暴な目と爪と僅かに尖った不揃いの牙。それは、非日常に浸かりつつある中で初めてはっきりと目にしたファンタジーだ。
冷静に見れば大した事ないのだろう。力もなさそうだ。勢いをつけて蹴り飛ばせば宙にバウンドして飛んで行ってもおかしくない。……なのに、俺は恐怖を感じていた。明確な敵対心。鋭利な殺気。俺の足を床に貼り付けているかのようなプレッシャーは現代日本の日常では決して経験する事のないものだ。
ゴブリンもどきが動き出す。その動作は隙だらけで、戦闘経験のない俺でも容易に対処出来そうなほどである。
しかし、相手がどうこうの前に俺の体が動かない。恐怖で縛り付けられた足はピクリとも動かず、脳からの命令を伝えようとしていない。呼吸が出来ない。視界が定まらない。
今になって気付く。俺がドアの前で決めたのは覚悟でもなんでもなく、ただ無闇矢鱈に恐怖を増幅させていただけなのだと。
やめろ。来るな。来ないでくれ……っ!?
「っが、ぁああっ!!」
飛びかかってきたゴブリンもどきの爪が肌を抉った。俺は一切の回避行動すらとれず、ただ適当に振り下ろされただけのそれを無防備に喰らっていた。
皮膚が裂け、肉が抉られ、血が吹き出した。大した出血量ではない。しかし、自分の血を見てしまった事で更に恐怖が膨張した。
痛い。痛い。痛い。恐怖で何も感じないのに、幻覚のような痛みが脳を焼く。痛いはずだと、純粋な痛覚を伝えてくる。
何も出来ない。狂気に身を委ねて勢いのままに動けたらなんとかなるかもしれないのに。だだっ子のように拳を振り回すだけでも勝てるかもしれない相手なのに。なのに、それすらもが遠い。
棒立ちのまま、何度も爪を突きつけられ、蹴り飛ばされ、伸し掛かられて殴られて、咬みつかれて、皮膚を齧られた。
回る。回る。意識が回る。悪酔いしたように視界が定まらない。グルグルと、俺を痛めつける怪物の顔がドアップで焼き付く。
そうして何も出来ないまま、俺は貧弱な攻撃に晒され続け……意識が暗転した。
チュートリアルとして用意された、必要以上にお膳立てされた俺の初戦闘はこうして無残な死を以て終わった。
-3-
全身から血を失ったような、気怠いというにはあまりに強烈な、石になったような疲労と脱力感に囚われたまま、意識が戻るのを感じた。
あまりに悲惨な体験が脳裏に蘇り、半ば反射的に目を開くと、石の天井が見えた。
「……あ……死んだ、のか」
その事に思い至ったのはすぐだった。一応、脳は働いているらしい。
目は開けど動けない。体がいう事をきかない。痛みはないが、どんな状態で甦ったのか分からないから、動けないのが精神的な問題か物理的な問題か判断できない。
ただ、ボーっと天井を眺め続け、床に体を投げ出していた。
くそ、なんだアレは。想像していたどころではなく、まったく未知の体験だ。あんなもの、心構え云々でどうにかなるものじゃない。
戦闘というにはあまりにお粗末な内容だっただろう。細かい内容なんか覚えていないが、あいつは本能のまま適当に動いていただけ、俺は棒立ちでそれを受けていただけだ。それは分かる。
相手がどれだけ弱かろうが、動けないなら勝てるはずがない。武器があったところで結果は変わらないだろう。逆に、あの状況で動ける奴なら武器などいらない。殴り合いが始められれば容易に勝てる事は分かるのだから。最初は武器を貸さないというのも、そういう理屈の上で決められた事だったのだろう。
『あー、棒立ちのままサンドバッグになったガチャ太郎君、どんな気分ですかー』
しばらくして、マイクを通した実況幼女の声が響いた。
どんな気分って、最悪な気分に決まっている。かつてないほど悲惨な精神状況だ。
『ま、何もしないんじゃ勝てるわけないわね。当たり前だけど』
「……うるさい」
マイクを通した声が馬鹿にされているようで、確かに俺は馬鹿にされるような状態で、それでもイラついたから掠れた声で文句を言い放つ。
『ここで文句が出るなら上々。想定し得る最悪よりはかなりマシな感じね』
……だろうな。普通ならここで折れそうだ。……いや、俺が一人で放り出されていたら折れて動けなくなっていただろう。そんな確信がある。
多分、声をかけてくる存在があったからまだマシな状態で踏み留まれたのだ。あまりに格好悪いと。あまりに無様過ぎると。
『どういう基準で選んでるのか知らないけど、やっぱそういう素質も見てるのかもね』
「……素質なら、野獣みたいな奴のほうがいいんじゃないか」
最悪でないというだけで、間違っても良い結果とはいえない。世の中にはアレを平然と乗り越える奴はいるだろうし、その数は決して少数ではないと思う。次点でも、ちゃんと戦闘を始められる奴はいるだろう。
俺の場合は最悪の結果を体験してまだ折れていないというだけだ。
『いや、ガチャの使徒なんだから戦闘だけが素質のすべてじゃないでしょ。というか、いつまで寝てるのよ?』
ずっと仰向けに寝たまま会話を続けていたが、傍目には動けそうな状態ではあるらしい。
体が動かないと思っていたのも、どうやら精神的なものだったらしく、手から順に少しずつ動かす事が出来るようになっていた。
意識的に筋肉に力を込めるようにして、ようやく体を起こす事が出来た。とりあえず胡座の状態で一息つく。
『で、どんな感じ?』
「痛みはない。というか、戦闘中も恐怖で痛み感じるどころじゃなかった。今はただ気怠い」
『最初はそうでしょうね。数分で普通に動けるようになると思うけど』
数分で動けるようになる……か? 本当に? そんな気はまったくしない。
……いや、多分これは精神的なものなんだろうな。澱のような恐怖に頭まで漬かっているような状況だから、普段通りに動けるはずがない。あの体験は少し思い出しただけでも血が凍りつくような恐怖が這い上がってくる。
『で、しばらく休んでいく? なんなら膝枕くらいしてあげるわよ』
「休まない」
『そう……えーと、無理はしなくていいと思うんだけど』
幼女にバブみを感じる性癖は持っていないからオギャる気もないっていうのもそうだが、今足を止めるのはマズい。絶対にマズい。
全身を覆う恐怖の他に、俺が今感じているのは危機感だ。恐怖と危機感がせめぎ合っている。
おそらく、今休んで時間を空ければ動けなくなる。そうすれば良くてさっきの二の舞で、最悪あのドアを開く事すら出来なくなりかねない。これは、駄目になって腐り果てる一歩手前の状況だ。……体験した事があるから分かる。
退路があるなら……このまま何もせずに元の世界に戻れるならそれでも構わないが、先にあるのは餓死だ。そこまで行かなくてもロクでもない未来が待っている。……というか、そんな結末をあの神様が許してくれない気がする。なんとなくだが、そういう部分にはとてつもなくドライなんじゃないかと思えてならない。
立ち上がり、ストレッチを始める。異様に硬くなっていた筋肉を解すように念入りに。無理にでも動けるように。
『やる気ならいいけどね。……なら、気休め程度だけど、いいアドバイスをあげる』
「アドバイス?」
「これ、使いなさい」
実況幼女はそう言うと、ずっと離さなかったマイクを手渡してきた。
「えっ……あんた、それ使わないで話せたのか?」
「何言ってるのよ。意味分かんない」
いや、分からないのこっちのセリフだ。なら、なんでずっとマイク通して話してたんだよ。趣味か。
「このマイクで何をしろと?」
「叫びなさい」
「……は?」
「なんでもいいから叫べ。ここには、大声上げて文句言う人も神様もいないから」
「あ、ああ……ここで?」
「そう、今、ここで。言い換えるならシャウトするのよ!」
シャウトって……なるほど。確かに、緊張を解すにはいいかもしれない。
俺は受け取ったマイクをポンポンと叩き、使える状態である事を確認する。スイッチはないみたいだが、不思議パワーで常時ONな仕様なのだろう。
思い切り叫ぶなんてあまり経験はないが、ようはストレス溜め込んだ後の外周り中に突発的に入ってしまう一人カラオケのようなものだ。ちょっと前にようやく課長になった、不良営業の先輩が得意とする手だった。
『うぉああああああああああーーーーーっ!! くそおおおおっ!! なんで俺がこんな目に遭わなきゃなんねえんだよっ!クソがっ!! 何がガチャだ! 意味分かんねえんだよっ! ふざけんじゃねえええっ!! いつか絶対その面張り倒してやるからなっ! クソ幼女っ!!』
俺の雄叫びは、ハウリングする事もなくフロア内に大きく木霊した。
ただ叫んだだけだ。息切れがするほど気合を入れて叫んで、全部吐き出したら恐怖が薄らいだ気がする。あるいは別の何かで上塗りしたような。
「すっきりした?」
『すっきりした。確かにいいな、これ』
「なんであんたがマイクで話し始めるのよ」
ちょっとした茶目っ気である。
『……そういえば、なんか武器貸してもらえるんだっけ?』
「ああ、そんな事を言ったような……言ってないような。……というか、マイク返しなさいよ」
いや、間違いなく聞いたぞ。確かにあのゴブリンを殺すだけなら武器はいらないだろうが。
「というか、貸し出すのは私の意思だからね。……まあ、ちょっと先取りになっちゃうけど」
そう言いつつ、チョロい幼女様が見覚えのあるカードを取り出して俺に見せてきた。ナイフが描かれた青いカードだ。それはおそらく見たものと分類が異なるカード……。
[ ナイフ コモン イクイップ/ウエポン ]
『《 マテリアライズ 》』
幼女がそう言うと、カードが光を放ち、形を変えていく。後に残ったのは、無骨なナイフだ。
これがアナウンスで言っていた《 マテリアライズ 》ってやつだろうか。……なんか違う気がするんだけど。
「本当はこうやって実体化させて使うもんじゃないんだけどね。もどき相手なら装備する必要ないでしょ」
『いや、それはいらない』
「嫌がらせかっ!? 随分余裕あるじゃないのよっ!!」
刃の部分を持ってこちらへ手渡そうとしてくる幼女だったが、それを受け取るつもりはなかった。いや、カードがモノに変わったのにはビビったが、欲しいのはそれじゃない。
『借りたいのはナイフじゃなくてこのマイクだ』
-4-
再び、ゴブリンもどきの待つ部屋の前に立つ。
今度は考え込むような事はしない。勢いそのままに突っ込んでいって、深く理解しないままに終わらせる。一度手を出せれば、二度目もなんとかなるはずだ。きっと。
だから、一回だけ深く、深く息を整えた。……良し、行くぞ。相手どころか自分でも良く分からないウチにケリをつけてやる。
「うおらっ!!」
思い切りドアを蹴り飛ばし、中へと飛び出す。フロアの中央には相変わらずゴブリンもどきがいて、飛び出してきた俺を見て困惑しているような表情を見せた。
フロアの中央に俺のものらしき夥しい量の血痕が残っていて思わず怯みかけるが、それを無視して走り出す。
前回はもっと遠かった気がしていたが勘違いだ。俺たちの間に大した距離はない。その距離を詰める中、俺は手にしたマイクを口へと移動させ……。
『ああああああああああああっっっっ!!』
思い切り吠えた。
牽制の意味もあるが、大部分は勢いをつける目的だ。
「どぉらっしゃああああっ!!」
その咆哮に続くように、駆ける勢いそのままにサッカーボールキックを放つ。体勢など考えない、後の事も考えない素人キックである。
俺の脚は確かにゴブリンもどきの体を捉え、爪先をめり込ませ、宙に浮くほどのダメージを発生させた。ついでに、勢いを殺す気もなかった俺の体も躓いたように宙に放り出される。空を……飛んだ。
意味不明な勢いで転がる中、手放してしまったマイクがどこかに当たった音が反響する。
どういう状況かも分からない。無我夢中で起き上がる事だけを考え、行動に移す。
立ち上がって、ゴブリンもどきの姿を捉えたら、警戒すら一切せずにそのままタックルだ。上手い事マウントポジションをとれた。
「あああっ! 死ね! 死ねっ! 死にさらせっ!!」
何も考えずにただ拳を振り下ろす。何度も何度も叩きつける。相手の反応など見ない。絶対に見ない。見たら何かを感じてしまう。最後まで何も考えずに殴れ。殺しの忌避感に仕事をさせるな。
すでに死んでいる可能性もある。タックルの時点で終わっていた可能性だってある。だが、手を止めるわけにはいかない。
相手が死んだかどうかも確認できないが、体力の続く限り、腕の上がる限り殴り続けるつもりだった。
俺の無残な初戦闘と初死亡、そしてリベンジマッチはこれで終了だ。泥臭いにもほどがある戦いだが、折れずに一歩を踏み出したのだ。
「……手が痛え」
どのタイミングかは分からないが、どうやらモンスターは死ぬと消えるらしい。血痕や付着した肉はそのままだが、俺はそれに気づかずに石床を殴り続けていたようだ。……やっぱり、ナイフ持ってても意味なかっただろうな。マイクのように、序盤でなくしてしまうのがオチだ。
そして、その床には血に塗れたカードが一枚残されていた。
[ ゴブリンチケット ]
良く分からないが、これがモンスターが落とすというチケットなのだろうか。
……随分と血に塗れた報酬だ。
連続更新の自転車操業は一旦中断で。(*´∀`*)
次は多分銀色のアイツ。