Relaxation「九十九世界」
ガチャ太郎が渇死しかけたり、ディディーと死闘を繰り広げていた頃の話。(*´∀`*)
こんな、すべてが終わりを迎えそうな今でさえ、一体何が起きているのかは分からない。
おそらく解明される事もないだろうけど、生物以外が消えたという話は聞かないから、意味はあると信じてこの日記を書こうと思う。
読む人がいなくても、そのまま風化してしまうのだとしても、こうして記録が残るのなら私が存在していた証明になるのではないかと思うからだ。
それに、もはや他にやる事もない。やりたい事も、やるべき事もすべて泡のように消え去ってしまった。
どこからが始まりだったのか。今となっては確認する術もないけれど、私の認識している限り、動物園で突然大型の檻が空になったという事件が最も古い事例だと思う。
死んだわけでも逃げ出したわけでもないけれど、最近空き檻が増えて困っているというニュースだ。私はそれを見て、良く分からないけど大変だなと思っていた。
それはあくまで確認された初の事例であって、それまでにも似たような現象は発生していたはずだ。予想でしかないが、大型の生物から優先して消えていたのではないかと思う。
人が消える。動物や鳥や魚などの生命体がなんの前触れもなく消える。
店に入ったら店員が誰もいなかった。
交通事故を起こした自動車に誰も乗っていなかった。
さっきまで話していた友人が消えた。
生鮮食品売場の商品が入荷しなくなり、業者が廃業した。
獲物がいなくなり、どこかの狩猟民族が全滅した。
これだけなら、大規模な怪奇現象と捉える事もできるだろう。けれど、世界規模で発生する現代の神隠しと思える現象は、その恐怖の一端でしかない。
いつ自分が、親しい人が消えるのか。それは確かに恐ろしい事ではあるのだけど、もっと恐ろしいのはそれがなんでもない事のように世界が続く事。
忘れたわけではない。そこにいた事は覚えている。痕跡や記録だって残っている。しかし、消えた存在に対して極めて無関心のまま、日常が続く。
さっきまで親しく話した相手が消えたのに、一切の違和感を覚えない。家族全員が消えた私とて、それは例外ではない。ただ、消えたという事実を素直に受け止めてしまう。
まるで、存在だけでなく、そのものの価値までもが消滅するような現象は、歪ながら普通に続く日常の中、真綿で首を締めるように浸透していった。
危機感を覚えたのは、日常に支障が出てからだ。不便なのは、生活を支えている人たちが消えたからだと理解した。
その事に気付き、ようやく私は恐怖した。人が消える事に恐怖を覚えない自分に恐怖した。世界が終焉に向かっているというのに、誰もが変わらずに生きているのだ。すでに社会は崩壊しているというのに。
テレビやラジオが放送しなくなり、新聞が発行されなくなり、インターネットが途絶し、公共交通機関が止まる。
店からは品物が消え、補充される事はない。やがて電話が止まり、電気が止まった。ライフラインを維持する人間が消滅したのだから当然だろう。
不便だと感じた時点ですべては手遅れなのだ。それを、困ったなとしか思えない時点で終わっている。
いつか私も消えるだろう。それは今これを書いている瞬間かもしれ
-1-
「やべえ……」
その日記を読んだ時、真っ先に口から出たのはそんな感想だった。
想像以上に意味不明な世界は、想像以上にやばい経緯を経て今に至っていた。
人が一切見当たらず、文明が崩壊していたとしても、敵性体が存在しないというだけで、私たちにとっては当たりと判断していた。しかし、その安全地帯は元の世界以上に意味不明な異常事態で滅亡していたらしい。
現状を見て、何かしらの形で人が消えたのだという想像はしていた。攫われた、移動したという真っ当な方法を含めて、死以外の可能性を考察していた。この世界には、私たちの世界に充満していた死の気配を感じなかったから。
ところがコレだ。まだ全世界で謎の消滅事件があってパニックになりましたと言われたほうがマシだ。それだって原因不明なままなら怖くて仕方ないけれど、これはそれどころじゃなく恐怖を煽る。あまりに理解不能な状況に、未知の恐怖を感じるのだ。
幸い、現時点での私たちへの被害はない。この日記がそのまま真実だったとしても、その現象が二十年後の現在まで継続しているとは限らない。しかし、前触れもなく消滅する可能性があるというだけで、住処とするには問題があり過ぎだろう。間違っても終の住処にできる場所ではない。
「どうしますか? お姉様」
運転席で車を操る待雪が問いかけてくる。
どうする。私が判断しないといけない。
待雪はこの手の判断を得意としていない。戦闘判断、作戦の指示出しはできても、更に大きな視点での判断は不得手。そういう風に調整したのだから当然だ。
それが得意な子はすでにいない。今残っている子たちは待雪を除けば、若年で調整不足の子ばかりだ。単独で判断して行動できる、作戦単位を任せられる指揮官格の子たちは、ここに転移する直前の作戦ですべて失ったのだから。
この日記はつい先日新宿駅近隣のマンションで発見したものらしい。待雪が重要性に気付き、私に持ってきた。移動中なら時間もあるし、私が運転するわけでもないからと日記を開いてみればコレだ。ホラー映画か。
実をいえば、それらしい日記のようなものはこれまでいくつか発見している。今にして思えば、それ以外にも痕跡のようなものはある。けれど、それは単に人が消えたとかそういう事実が淡々と記録されているだけで、何の危機感も感じないものだったのだ。ここまで静かに、一切の危機感も持たず世界が滅亡したという答えを出すのには無理があった。
しかし、この短い日記はそれらの情報を埋めてくれるもので、点でしかなかった事実を流れに変える事ができた。個人の日記である以上、正確性に期待はできないし、間違っている部分もあるのだろうが、間違いなく重要な手がかりだ。
「……想像以上にやばい世界だったってのは分かったけど」
だからといって、解決の糸口が見つかるわけでも、安心して暮らせるわけでもない。この情報を元に、私たちはどうすればいいか。
どうしようもないんじゃないだろうか。原因不明、経緯不明、現時点での問題不明。分かったのは滅亡に至る流れの一部だけ。これでどうにかできると思うほうがおかしい。
「超逃げたいのに逃げられない」
この世界のどこに行っても消滅の危険からは逃れられない。逃げるなら、また別の世界にという事になるわけだけど。
「やはり転送装置は使えませんか?」
「無理やりなら後一回は起動できると思うけど……前より成功確率は落ちるだろうし、それ以前に電力も足りない」
使えるとしても、できれば使いたくない。私たちがこの世界に移動するのに使用した装置はそういう類のものだ。
成功確率は不明。試用試験の記録は残っていたけれど、成功実績はなし。そもそも、誰が開発したのかも分からない、仕様書もないシロモノだ。次の瞬間にでも殺される、そんな状況でもなければ使わない。そういう装置である。
ジャンパー適性どころか、超能力適性が皆無な私が使えた時点でその手の前提が不要なのは助かるけど、何をどうすれば成功確率が上がるのか分からない以上手出しもできない。
無数にエラーを吐き出しつつも、起動ができるのは確認している。転移を試みる事だけならできるはずだ。だけど、こんなもの、現時点でエネルギー足りますよーと言われても使いたくはない。私たちがここにいるのは奇跡的な偶然であって、もう一度それが成功するなどと思っていないのだ。というか、使うって言い出したら全員で止められるだろう。誰だって正気を疑う。
「……事故車で塞がれてますね。どかしてきます」
そう言って待雪は車を止め、前方で通を塞いでいる車を撤去しに向かった。無手のままだが、車一台分通れるサイズの空間を作るだけならどうにでもなるだろう。
素手で自分の数十倍ある重量を移動させる異様な光景も、今では見慣れたものだ。遺伝子的にはまったく同じ存在なのに、どういう理屈でここまで変わるのか理解できない。ホムンクルスを開発した連中の頭の中は一体どうなっているのか。
別に待雪は筋肉の塊というわけではないのだ。引き籠もりな私よりはちょっとだけ……ちょっとだけ無駄な肉がなくて引き締まっているけれど、普通に女の子の体だし。本人曰く、超能力の類でもないらしい。
問えば『ただ、体の使い方が分かるというだけです』と答えるけれど、人体にそこまでの秘められた力はないと思う。どれだけ脳のリミッターを外したところで、物理的に不可能なものをどうこうする腕力は得られないだろう。
ミュータントのような人体構造からして別物になるのなら分かるが、そういうわけでもない。必要ないのに人間の遺伝子を元に作成……クローン技術を使用しているという事は、そこに意味があるという事なのかもしれないけど、全然意味が分からない。倫理観のぶっ飛んだ科学者って、ほんと頭おかしい。
そんな事を考えている内に、待雪が戻ってきて、怪訝そうな顔をこちらに向けた。ジッと見つめているのが気になったのかもしれない。
「どうしました、お姉様?」
「……いや、待雪は力持ちだなーと」
「何を今更」
散々戦わせてきて、今更なのは確かだ。しかし、理屈も分からずそういうものと割り切るには、見た目が似過ぎている。私の遺伝子が元なのに。
再び車を走らせ、どかせた車の間を擦り抜けるように移動する。
「そういえば、やはり運転手の姿はありませんでした。両方ともです」
「やっぱり?」
これまでに得た情報を前提にしても不可解な事はいくつかある。いくつかというか……たくさんなんだけど、これもその一つだ。
事故を起こした乗用車の運転手がいない。それだけなら大した話ではない。単に運転手が消滅した事で制御を失っただけという可能性は十分に有り得る。
しかし、その数が多過ぎる。事故を起こした乗用車が多いという意味ではなく、運転手がいない乗用車が、という意味だ。
車は基本的に道路を走るものだから、道路を移動していれば当然車同士の事故だって見かける。今通り過ぎたのもそれだ。二台の乗用車が接触して事故を起こしたのだろう。だが、その二台両方に運転手がいないというのはどういう事なのか。
運転手が消えて事故を起こすのは分かる。それに巻き込まれた乗用車がいるのもおかしくはない。しかし、相手側の運転手もいないとなると、かなり不自然だ。
消失現象が見られた時期がかなり長期に渡っているのは分かっているのだ。そんな中、同じタイミングで衝突寸前の運転手二人が消滅するというのは……ましてや、そんな事故ばっかりなのは確率的に見て厳しい。単に事故で死なずに移動した、死亡後に誰かが移動させたというなら分かるし有り得ない事じゃないけれど、ここまで見たすべてがその状況というのは無理があるだろう。
加えて、町中でも死体を見かけない。私たちの世界とは違い、平和な日本の街中なら死体がないのは当然かもしれないけれど、世界がこういう状況になったのなら、行き倒れや放置された事故死体の一体くらいは見つけてもいいものだ。
それが、一切ない。遺体の処理が困難になるだろう末期なら放置されるような気がするのだが、孤独死の類も見当たらない。役所の火葬許可の記録は普通に発行されていたし、斎場の記録も残っているから、死人がいないという事はないはずなのに。
「どういう条件かは分からないけど、死体も消えてるって事なのかな」
「その可能性は高そうです。ここまで一切死体を発見しないのはさすがに不自然でしょう」
ここまで確認した情報では、消えるのはあくまで生体という事だったが、死体も消えるとなると話は変わってくる。果たして、それは同じ現象といえるのだろうか。
生体反応を元にその対象を消滅、あるいは転移させているというなら分からないでもない。しかし、死体もとなるとその理屈は通用しない。それなら、なんで他の物質が消えていないのだという話になる。
生鮮食品売り場に腐った元食用肉らしきものが普通に放置されていたから、蛋白質をターゲットというのも考え難い。プロテインも残っていたし。
人だったもの、動物だったものを、他の物質と区別するのは難しいような気もするのだが。
「意味分かんねー」
結局はその結論に集約されるのだ。
-2-
「お姉様でも分かりませんか」
「あんたは私をなんだと思ってるんだ」
「お姉様……ですね」
なんだそれは。いつでもそんな言葉で納得すると思うなや。
待雪だけじゃなく、ホムンクルスはみんなそうだ。私を無意味に神聖視、絶対視している。私に任せれば大丈夫と難事を放り投げてくる事も多い。
「あんたらと違って特別な才能なんてないんだから、分からない事だらけだってーの」
「私にはお姉様が常人とは思えないんですが」
「遺伝子の元になってるから特別視してるだけでしょ。子供から親を見たら実態以上に偉大に見えるって感じで」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
こんな状況でまとめ役やっているのは、私にそういう適性があるからではなく、ホムンクルスの仕様の問題によるところが大きいはずだ。仕様上、ホムンクルスは同一の遺伝子を持つ人間からの命令を重要視するようになっているらしいのだ。
絶対遵守ではなく、ただ重視するというだけで反抗する事も否定する事もできるけれど、同一の優先度を持つ選択肢を並べた場合、遺伝子元の判断や命令が優先される。
ホムンクルスを兵器としてデザインする際にそうせざるを得なかった事情があるか、あるいはそれがメリットになると判断したのかは分からないが、とにかくそういう仕様になっている。
肉親的な感情以前にそういう事情もあって、待雪たちホムンクルスが私を客観視するのはちょっと無理があるのだろう。今では称賛の類はヨイショ的な意味合いと思ってスルーするよう心掛けている。
私は普通の人間だ。特にこれといった才能はないし、容姿には多少自信があったけどそのせいで面倒な事になる事が多かったし、最近はそれほどでもないけどコミュ障だし、できれば人と関わりない世界で世捨て人のように生きたいと思ってたりするし、ついでに言えば乳もない。特別な存在なんかでは全然ない。いや、特別かもしれないけど、どちらかといえばそれはマイナス面に振り切っている感じだ。
学校でだって孤立していた。平時ならともかく、紛争が常態化した後の軍学校じみた場所で味方を作れないのは致命的だ。みんな余裕がないから、足を引っ張る存在は捨てていくしかない。切り捨てられた側は劣等感を味わう余裕すらないまま、過酷な日常に放り出される。
国体が崩壊してからはもっとだ。存在価値がない、所属組織にとって価値のない者を養うところはどこにもない。どこからも放り出された私が特別なんかであるはずがないのだ。
「私がちゃんとしてたら、あんたたちも上手く使ってやれるんだけどね。結局こんな事になっちゃってるし」
「お姉様以外だったら、ここに至る以前に全滅してると思いますが」
「……運はいいかもね。悪運かもしれないけど」
たまたま生き残った。たまたまホムンクルスを手に入れた。たまたま襲撃した実験施設に平行世界転移する装置があった。たまたま、転移が成功した。
でも、その間にあった出来事は不運の連続だ。まともに落ち着けた試しなんてない。今でこそ一応落ち着いてはいるが、毎日が命の危機だったのだ。
ようやく手に入れた安息もかなり怪しくなっているあたり、碌でもない運命の元に生まれたと思う。
「食料問題だって、結局解決しそうにないしさー。腹一杯白い御飯食べたい。江戸時代か何かか」
「確かに、当面はなんとかなっても長期的には厳しいですね」
異世界からやって来た謎の自称営業マンから、この世界なら自生している食料もあるだろうと言われてなるほどと思った。元の世界だったら絶対に出てこない発想だ。
土壌汚染されていないだろう大地なら、工場でなくとも植物は普通に育つはずだ。実際に見た事はなかったけど、私が生まれる少し前まではそうして食料を生産していたのだから。まったくの手つかずの原生林でも、探せば食べられるものくらいはあるだろう。何千、何万という人間の腹を満たすのは無理でも私たち十三人分ならどうにでもなるはずだ。しかも、ここは少なくとも二十年前までは手入れされていた畑が無数に存在するのだから、どうにでもなるだろうと。
「古古米ってレベルじゃない備蓄は見つけたけど、お腹壊しそう」
「私たちなら問題ありません」
「私が飢えるでしょっ!」
ホムンクルスなら多少腐っていようが問題なく消化できるだろうが、普通の人間でちょっと胃腸弱めな私には無理がある。
今、新宿駅でテストをしているけど、食べられてもあんまりおいしくなさそうだ。
そう、楽観的な希望は希望のまま潰えた。この世界に自生している食料はないと考えたほうがいい。
畑はあった。田んぼもあった。果樹園だって見つけた。しかし、どれも自生なんてしていなかった。すべてが枯れ落ちていたのだ。
実験してみないとはっきりした事は分からないけれど、この世界では新たに発芽しないんじゃないかと思う。虫がいなくて受粉できないとか、土壌の微生物がどうとかではなく、新しい生命が許されていないかのような不自然な現象だ。
見かける木々は、きっと消失現象が発生する以前から生えていたものなのではないかと思う。
これが例の消失現象に直結しているのかは分からないけれど、私たちの食料事情に直結しているのは間違いない。
つまるところ、この世界で新しく食料生産をするというのはまず不可能で、すでに加工されているものを探すしかお腹を満たす方法はないのである。
新宿を中心に散策して、ある程度確保はできたけれど、とても安心できる状態じゃない。はっきりいって詰んでいる。
「あーもー、ほんと助けて下さい。加賀智さーん」
「次に来るまで、最低でも一週間と言ってましたからね。そこで事情説明するにしても、即解決とはいかないでしょうし」
現状、唯一の光明はあの自称営業マンだけだった。
この世界より尚意味不明な状況にあるあの人が世界を移動しているというのは確かなのだ。いや、消えただけで確かめたわけじゃないけど、こんなところで詐欺を働いても意味はないだろうから、その可能性は無視する。
少なくとも、この死んだ世界で残骸漁りする以外の物資供給能力は持っている。なんか、自分の食べるものにも困ってる感じではあったけど、聞く限りではその補給能力に限界はないはずだ。
上手くいけば、こんな世界じゃない、真っ当に安住できる世界に連れて行ってもらえるかもしれない。それなら、多少怪しかろうが神様だって信仰する。
「早まる可能性はない事もなさそうだったので、例の指定があったビルに常時誰か一人は張り付けるようにしてますが、余裕をみて二週間程度は覚悟しておいたほうがいいんじゃないかと思ってます」
「なんとかならんかね」
「いや、私に言われても……」
連絡もできない。完全に向こうの行動待ちだから、もどかしくて仕方ない。毎日といわないから、まともな御飯が食べたい。
下手にあのパック御飯を食べてしまったせいで、日本食への欲望が抑えきれなくなっている。いや、後悔しているわけじゃないんだけど。
「最悪、半年くらいまでならなんとかなるはずです。防腐処理したミュータント肉も大量にありますし」
「あんなのやだー!」
「私だって嫌です」
ミュータント肉が嫌なのはみんな一緒だ。そんなのは分かっている。
誰があんなミンチにしてもゴムみたいな食感になる肉を食べたいと思うのか。幸い調味料は大量に確保できたけど、それで誤魔化せるようなレベルでもない。
無駄に栄養価が高いのがムカつく。
「次に加賀智さんが来た時には、姉妹の誰かを質草に入れてでも食料を貰わねば」
「質草に入れられたほうがいい生活できそうな気がするのがまた困ったところですね」
本当にそれっぽいから困る。なんなら、ペットでももう少しまともな餌をもらえるだろう。
「どっかの国や組織みたいに勢力として独立を保ちたいわけじゃないんだから、いくらでも従属するのに」
「あっちでもそういう打診は受けましたよね」
「まともな生活が保証されるわきゃないって確信できるほどに碌でもない組織ばっかりだったからね。確実に使い潰されるのが分かってて従属はしないでしょ」
その点、加賀智さんのところなら使い潰される心配は……絶対じゃないけど低いだろう。
むしろ、なんの役にも立てそうにないから無駄飯食らいとして捨てられそうな気がしないでもない。いや、捨てられても先に展望があればいいのだ。ここではそんな先の事すら分からない真っ暗闇なのだから。
「まあ、保護を願うにしても不義理はしたくないので、この世界の調査は進めておくべきでしょうね。ちゃんとした情報提供だけでも印象は変わるでしょうし」
「今のところ、こっちが払える明確な対価はそれくらいだしね。待雪の稽古っていっても、無理やり捻り出したようなもんだろうし」
「……アレに関してはどうなんでしょうか。次回、こちらに来る時はすでに私より強いという事も考えられます」
「え? あのちっちゃい神様はともかく、加賀智さん相手には圧倒してたよね?」
駅前でやった手合わせでは、加賀智さんと待雪の間には埋めがたい差があったはずだ。一朝一夕でどうにかなるような差ではなかったと思う。
具体的な実力差なんて分からないけど、素人目に見てもはっきりと分かるような差だ。
「ひょっとして、実力を隠してたとか?」
「いえ、全力かどうかはともかく、そういった思惑はなさそうでした。あの時点での加賀智さんは……そうですね、お姉様が知っているたとえなら、皇道軍が開発していたアドバンスドと同等程度の実力だったかと思います」
「ああ、アレ」
私が一時期身を寄せていた、京都を拠点に活動していた組織の一つが皇道軍だ。軍とはいってもその実態はただのテログループで、歪み切った国粋主義者たちが自分たちに従わない者を排除しているだけの団体である。従順な日本国民を庇護をする姿勢は見せていたので、一時的な避難所としては有用だったのだ。特に運営に関わるような事はなかったものの、半年くらいは関連施設で寝起きしていたはずだ。
倫理観の狂った世界にあって、ただのテロリストが幅をきかせられるはずもなく、当然のようにあの地獄を生き抜くための武器を保有していた。それがアドバンスドと呼ばれる改造人間の作成技術だ。
自我を極限まで削り、洗脳を施した上で薬物による身体強化を行う。筋力、反射神経、集中力などが強化されたそれは、指揮官としてはともかく一兵士として見るなら優秀な存在といえるだろう。もちろん真っ当な生活になど戻れない。戻す事を考えない不可逆的な改造だ。多分、あれじゃ寿命だって短いだろう。
強力とはいえ、あくまで後天的に創られた後付の兵。最初から専用の戦闘生物として創られたミュータント・ソルジャーやホムンクルスとは比べるまでもないが、それでも一般的な成人男性とは比較にならない身体能力を持つ。自我がないのだって、用途を限定するなら従順そのもので指揮し易いという利点になる。それ以上に、アドバンスドの利点はその生産コストにある。必要な薬物は自分たちで精製可能で、素材はそこらに転がっている。適性によって製造期間に差はあるものの、それだって一から作成するのに比べれば誤差のようなものだ。死ぬまで歩みを止めず、絶対に裏切らない恐怖の軍団が、敵対組織に攻め込む度に膨張するのである。そんな、お手軽な元人間の生体兵器がアドバンスドである。
国粋主義者を気取っててアドバンスドとか、馬鹿なんじゃないかと密かに思っていたが、別にアメリカが敵というわけでもないから自分たち的には許容範囲なのだろう。あるいは、製作者が外国人だったりするのかもしれない。
尤も、待雪がアドバンスドと戦ったのは私が身を寄せていた頃ではなくかなり後の事だ。残党のような連中と関東で遭遇し、排除したのだ。
その際に皇道軍は膨張を繰り返した挙げ句、内ゲバで崩壊した事を聞いた。あんな刹那的な組織が長続きするとは思ってなかったので、そんなもんだろうという感想しかなかったけれど。
「それくらいなら、やっぱり待雪と勝負にならないんじゃ」
「あの時点でならそうでしょう。問題は、アレが一週間で手に入れた力という事です。それ以前が平均的な成人男性だったとするなら、その成長速度は尋常じゃない」
「…………」
ああ、そんな事言ってたっけ。一週間前までは普通の営業マンやってたとかなんとか。
普通の営業マンが戦闘技術を持っていないという保証はないけれど、平均的の成人男性並みだったとするなら驚異的どころの騒ぎではない。
そんな単純なものではないだろうけど、次回来る時は倍強くなっていてもおかしくはないという事か。
「いくら身体能力が高かろうが教える事はありますし、訓練メニューも組みましたが、すぐにいらなくなる事も考えられます。どこまで対価として受け取ってもらえるか」
「ふーむ。……やっぱり、神様の使徒ってやつって事なのかな」
「間違っても人間の成長速度ではないかと」
確かにすでに人間辞めてる感はあった。雰囲気からして普通の営業マンとは隔絶していたと言っていいだろう。なんかこう……オーラが違う。
「それに、根本的な問題として、本当に信用していいのかという疑念が残ります」
「あれ? 待雪的にはそんなに警戒してなかったと思ったけど」
だからこそ、私の前に連れてきたのだと思っていた。そうでなければ、待雪なり柚子なりが個別に対応して報告を受けるだけだっただろう。
「怪しいのは怪しいですが、加賀智さんに関しては人格的にそう問題はないかと思います。なにより、柚子が気を許しているので」
「あー、うん」
良く分からないが、柚子の動物的勘のようなものは姉妹の中でも群を抜いている。その柚子が気を許しているなら悪人ではないという事なのだろう。
出合い頭に戦闘になったとは聞いているが、その直後にあれだけ関係を修復しているなら感情的な問題ではないだろうし。柚子ならともかく、全裸の成人男性と無人都市で遭遇すれば普通警戒する。
世界を渡るのに全裸になるというのは理解できなくもない。要はどこまでが加賀智弥太郎なのかという認識の問題に起因するのだろう。私たちの世界のジャンパーやテレポーターも、装備をつけて転移できない者は多かったはずだ。
一般人の私からしてみれば、どこまでが自分かなんて上手く認識できる気がしない。体内にいる微生物は自分の範疇なのかって感じで。
「問題は彼自身ではなく、その背後関係です」
「……一応、あの神様は私たちに同情的だったみたいだけど? 本当に神様かどうかは置いておくとして」
言いたい事は分かるが、一応反論してみた。
「本当に神かどうか、正体についてはこの際大した問題ではないでしょう。それについては加賀智さんも確信してないようでしたし」
「助けてもらえるなら、神様でも悪魔でもなんでもいいって状況だしね」
「問題は、あまりに存在が隔絶してて理解が及ばないという事です。価値観の分からない相手に身を委ねるのは怖過ぎる」
皮肉な話ではあるが、大昔の宗教戦争のようなものだ。相手が何を考えているか分からないから信用できない。他国民でも、同じものを信じているなら理解はしやすいって話だ。だから、理解の及ばない他宗教国家を攻撃する。
人と人との相互理解の問題でさえ、最初の一歩を踏み出すにはそういう取っ掛かりが必要なのだ。これがまったくの別存在というのなら溝はもっと大きいだろう。普通に会話できる分、まだマシなのかもしれないけれど。
「戦力的な問題もあります。加賀智さん曰く、あくまで神候補らしい彼女一人が相手であっても、お姉様を護り切る自信はない」
「……やっぱり、強いの?」
私には差があり過ぎて理解できないけど、待雪が何もできずに無力化されるのはよっぽどの事だ。元の世界ではちょっと考えられない。
「どうしようもないと感じたのは初めての経験です。隔絶し過ぎてて手も足も出ない、どれくらいの差があるのかも分からない。一瞬にして心が折れ、無条件で屈服しそうになりました。……柚子は良くあそこまで踏み込めたと思うほどに」
「そんな事を言われても、助けてもらう相手選ぶ余裕なんてないわけだけど」
「そうなんですが、護衛としてはどうしても割り切れません。この際、彼女や加賀智さんの上司とやらが表面上の通り好意的、同情的と仮定しても、同じような格の存在すべてがそうだとは限らない。万が一、害されそうなった時に私たちの力が何の役にも立たないとなれば不安にもなります」
「元の世界じゃそんな事なかったしね。なんだかんだで、あんたたちは個人として最高峰に近い戦力だったし」
もちろん、すべてにおいてという意味ではないし、待雪だってそんな自惚れてはいないはずだ。万能性よりも特化性、一部の何かを尖らせるために他の何かを犠牲にするのは生体兵器ならずとも良くある事である。基本的に汎用性の高いホムンクルスだって得手不得手の差は大きい。というか、大きくせざるを得なかった。
一分野で彼女たちを圧倒する存在は元の世界にもたくさんいた。それこそ例のアドバンスドの中にだって、お前本当に元人間かと疑うような突然変異的超戦力を有した個体もいたのだ。
そんな存在が相手であっても、彼女たちは心折れたりしない。かなわないと思う事はあっても、別角度からの対応で状況を打破しようとするはずだ。こういった精神性に関しては待雪は他の子たちよりも強い傾向がある。
それが、どうしようもないときた。つまり、私の安全保障に自信がないという事でもある。
「なーに、あんたたちがいない頃だってなんだかんだで生き残ったし、いても絶望的な事だっていくらでもあったけど、それでも生きてるんだから、なるようになる」
「……やはりお姉様は常人ではないと思います」
「なんでじゃ」
懸念は忘れずに、警戒は解かずに。杞憂であればそれでいい。このままだと本当に保護されるのを期待するしか道がなさそうなのはアレだけど、これまでと比べても最悪ってほどじゃない。
案外、なんでもない事のように生活保障されたりするかもしれない。楽観的に考えるのがいいとはいわないけど、完全に悲観するのも問題がある。大した事はできないとはいえ、私はこの子たちの姉であり、まとめ役なのだから。トップが悲観的に過ぎると下にも伝染しかねない。
-3-
「つきました」
「うん」
さて、色々問題はあるけれど、これも問題の一つだ。
そもそも、車に乗って移動していたのはドライブを楽しむためじゃない。引き籠もりな私が新宿駅を出たのは、ちゃんと目的があっての事だ。
やって来たのは東京湾。そこには私たちの世界とは違って汚染されていない海が広がっているように見える。
「ていやっ!」
そんな海に向かって、そこら辺にある石ころを拾って投げてみた。
「……向日葵の報告通りですか」
「まじかー」
石は、海に落ちる手前……その途中で消えた。
海は本当に青いのか。塩辛さが感じられるほど汚染されていないのか。ひょっとしたら魚がいたりするのかも、なんて期待をしつつ姉妹の一人である向日葵は海に向かったらしい。
結果としては、とりあえず見える範囲に魚はいないものの、結構綺麗な海が広がっていたらしい。ならばちょっとだけ舐めたりしてみようかと指を海水につけようとしたところで異変に気づいたそうだ。
「……海がない」
そこにあるのは、海のように見えるだけの何かだ。……いや、違うか。何もないのだ。
「理屈は分かりませんが、幻影の類でしょうか」
「大規模過ぎるし、目的は一切分からないけど……とにかく海は存在しないと」
「向日葵も試したそうですが、何かを括りつけてロープを投げ入れてみますか?」
「多分結果は同じなんだろうけど、お願い」
待雪は車に積んで来たロープを取り出した。その先には、どこから持ってきたのか鉄球が括りつけてある。
それを海に向かって投げると、私が投げた石と同様、途中で消えた。座標的には陸地の端からわずかに手前、そこに幻の壁らしきものがあるのだろう。
そして、どれだけ力を入れたのか分からないが、ロープはどんどんと減っていき、数メートルを残して止まった。どこかに当たったというわけではなく、単に待雪が握っているからだ。
「下に落ちてますね。感触的に底に届いてません」
何もない空間で鉄球がブラブラしているという事だろう。当たり前だが、いくら海でも沿岸はそこまで深くない。見た目と構造が異なっているのは明白だ。
ロープを引き上げてみれば、鉄球を含めて無事に戻ってきた。パッと見、破損などはない。
「踏み込むのはどう考えても危険ですね」
「普通に落ちて戻ってこれなそう」
踏み込んだ途端死ぬとか、そこまでの危険はなさそうだけど、こんな意味不明な空間に飛び込むのは命綱があってもやりたくないし、やらせたくない。
無機物が大丈夫でも生物が活動できる保証もないし。
まあやれる事はやっておこうと、試しに録画用のカメラを投げ込んでも何も映らない。真っ暗だ。多分、真空でもないんだろう。良く分からない空間だ。
照明を照らしても何も見えない。ならば音はどうなのかと、なんか騒音を立てて踊る置物を放り投げてみれば、消えた瞬間に音も聞こえなくなった。
「これが、ずっと続いていると」
「何箇所かでテストしたようですが、おそらく沿岸部は全域同じ状況なのではという話です」
何もないところに本州が浮かんでるような状態という事だろうか。
「となると、上も怪しいかな」
「あの空も幻影だと?」
あとで何かを飛ばしてテストしてみよう。東京タワーは残っているようだし、そこから飛ばしてもいい。まあ、その結果がどうあれ、異常な事には変わりない。
列島すべてか、あるいは本州だけか、ひょっとしたら更にその一部分だけかもしれないけれど、この日本は良く分からない空間に存在している。
「ここは、日本であっても、地球ではないかもしれない」
まあ、地球とは言ってない。(*´∀`*)





