三・十話 急いで準備してきますっ!
我が家である屋敷に帰ってきた筈なのに、オレは安堵するどころか一気に疲れが湧いて――いや、それどころか今この瞬間にも疲れが増していって一歩踏み出すのもやっとだ。
「――はあぁ……。何でこんな事になったんだっけ……?」
「ふむ、大丈夫か、主人よ? 随分顔がげっそりとしているが」
「ヘルプは知らなくてげっそりは知ってるのね……。はあぁ、そりゃあ元気なんか出るわけないだろ」
原因はハッキリと分かっている。
ただ、思い返そうとすると頭痛を起こしそうだが……。
それは数時間前、冒険者ギルド本部での騒ぎが落ち着いて少し経ってからの出来事だ。
『一緒に冒険に行くって……』
赤短髪の男の急な発言に、静まり返ったこの場でオレの呟きに続いて言葉を発した人がいた。
『リーダー……どっかで頭でも打つけちまったのか?』
『何処も打つけてねぇわ! つか何でそんな目で見てくんだよ!』
赤短髪の男にそう言ったキララさんの目は、所謂「かわいそうな者を見る目」をしている。
おそらくここに居る他の人たちもそんな目をしているんじゃないかな。
それはさておき、どこからツッコんでいけば良いやら……。
とりあえず誘われた理由から聞いてみよう。
『えっと……一緒に冒険をしたら何故オレの事を信用できるんだ?』
『ああ? そんなの決まってるだろ。同じ依頼を受けて、お互い命を預け合いながら依頼を達成させれば、自然とそいつの事が分かるもんなんだよ』
『……なるほど、流石キル兄。それは一理あるね!』
ちょっとドヤ顔で言った赤短髪の男の言葉に、隣で聞いて納得した様子のキキ。
流石兄妹、共感できる所は同じというわけだ。
『……命を預けあっている時点で信用し合える仲なんじゃないのか……?』
『アタシ達のリーダーは基本真面なんだが、妹が絡むとたまにバカなんだよ……』
『巻き込んですまないな』
申し訳なさそうにキララさんとガジェンダーさんがオレに謝罪してくる。実は何気に自分たちのリーダーに振り回されているのかもな。
当の本人は尚もドヤっていて、オレのツッコミは聞こえていない様子。
『う〜ん……オレはもう既に騎士資格を持っているんだが、冒険者資格は取れるものなのか?』
更に根本的な事を聞いてみる。
『――それでしたら可能でございます』
答えたのは赤短髪の男ではなく、受付に戻った筋肉質ギルド職員さんだ。
『どちらかを取得したら、どちらかは取れない、という決まりはございません。それは冒険者ギルドも騎士隊も同じでございます』
『そうなんですか?』
『はい。むしろ、どちらかを所得していればもう片方の実技試験を免除、もしくは判定基準を低くしてくれるという特典がございます』
筋肉質ギルド職員さんに被せて女性職員さんからも教えてくれた。
実技試験を免除っていうのは、どちらかを持っている時点で実力があると判断される、とかなのかな?
さて……理由? は聞き、資格も取れることは分かった。
あとは……。
『……ちなみに、その誘いを断ったら?』
恐るおそるオレに選択権があるかどうかを赤短髪の男に聞いてみる。
――ガンッ!
すると赤短髪の男が持っていた槍(両端の矛部分は厚手の布に巻かれていて納刀状態)を床に叩きつけて、しばらくしてからオレに向けてニッコリと、初対面だが似合っていない微笑みを浮かべてボソッと一言言ってきた。
『逃げられると思うなよ……?』
あの一言を最後に、その場は静かに締められた。
レクアたちはその後オロオロと気まずそうにしていたが、これ以上は付き合わせられなかったので今日の依頼の仕事へ行ってもらい、赤短髪の男のパーティーは冒険者ギルドで待機し、そしてオレは赤短髪の男パーティーを待たせて一度帰ってきた。
「いやいや……ただの脅迫だろ、あんなの」
あの後すぐに家の人に確認するからと言い一度は解放してもらったが、オレに耳打ちで「貴族だろうが何だろうが、逃げたら必ず見つけ出すからな……」と追い討ちを掛けられたら、このまま知らんぷりはできない。
「オレが貴族だって知ってたのかよ……。っていうか、貴族に脅しってバカなのか、あいつは。まぁ、オレの貴族らしく無い性格が仇になって脅し返すことも出来なかったんだけど……」
「主人は上に立つ者には向いてない性格だからな」
「悪かったな……前世だってただの平社員だったんだよ……」
「ぜんせ? ヒラシャイン? 聞いた事が無いが……珍しい魔物か何かか?」
「独り言だから気にしないでくれ」
とりあえず赤短髪の男たちとの依頼をするにしろ何にしろ、まず父さんに相談しないとな。明日からまた普通に仕事からあるのに冒険者の仕事を勝手に受ける訳にはいかない。
オレは屋敷のドアを開き、父さんがいるであろう仕事部屋へ足を向かわせる。
「あら? 帰ってたのね。お帰りなさい、グレン」
二階の下り階段の側からこちらを見下ろして声を掛けてきたサリカ姉さん。
「朝早くに出掛けてたみたいだけど、もしかしていい人とデートだったのかしら?」
「そんな相手がいたらリアンを連れて行かないですよ、姉さん」
姉さんが少し意地悪そうな笑みを浮かべて言ってくるが、絶対に分かってて言っているよな、あの人。
「前にお会いしましたよね、冒険者をしているレクアたちに呼ばれて会っていたんです」
「……グレン、妹のルウナに手を出せないからって、年下の子に手を出すなんて……」
「えっ!? そ、そうだったのか主人……? レクア達を狙っていたのか……?」
「弟を変態思考な人間扱いしないでくれませんかね!? リアンもギルドでの出来事見てたしその場に居ただろ! はぁ、はぁ……ただでさえこっちは疲れてるのに……。それで、姉さんは何をされてたんですか?」
「私は自室で明日の仕事についての書類を纏めていたところよ」
そう言って手に持っている書類の束を落とさない様にオレに見せてくる。
優秀で仕事が出来る姉さんは最早父さんの秘書的な立場だな。
「それはお疲れ様です。お父様に少し相談事があるのですが、お父様は仕事部屋ですか?」
「あら? お父様の今日の予定、グレンは聞いて無かったかしら? 今お父様はドゥラルーク領管理の領地に出向いて会議をされているわよ」
……言ってたっけ?
そうかぁ、父さんは視察に行っているのか。さて、どうしたものか……。
――あっ、姉さんさっき明日の仕事の書類を纏めてたって言ってたな。それなら姉さんに相談できないかな?
「姉さん、少し相談があるのですが……」
「え、何かしら?」
「ちょっと明日のオレの仕事、休みに出来ないかな……なんて」
「貴方の仕事? 少し待ってちょうだい」
姉さんは手に持っている書類の束から何かを探す様にパラパラと書類を捲りながら、ゆっくりと歩き出し階段を降りてくる。
ながら歩きで、しかも階段を降りるなんて危なっかしいな。
「う〜ん、何日くらい暇があったらいいの?」
「えっ、えっと何日だろう? どれくらい掛かるか分からないから、五日くらい見て……っていうか器用ですね」
「うん? 何が?」
書類を見てばかりで一度も足元も見ずに降り切ってオレのところまで来た姉さんは、まるで「普通できるでしょ?」とばかりに不思議そうな顔をしていた。
「そうねぇ……」
しばらく書類と睨めっこしていた姉さん。
「うん、それくらいなら大丈夫ね。グレンの予定は空けておくわ」
「えっいいんですか?! 理由とか何も話してないけど……」
「グレンが何の理由もなく、仕事をサボりたいなんて言う子じゃないことは分かってるわ」
何の疑いもなく堂々と言ってくれるのはとても嬉しいが……。
「……散々『妹に甘い』っているのに、姉さんも意外とオレに甘いですよね」
「そんな事は無いわよ」
ペラペラと再び書類を捲りながら姉さんは顔を背けた。
照れ隠しが下手――。
「今回の分の休日を減らせばいいだけなんだから。しばらくは働き詰めたけど、頑張ってね」
――前言撤回だ。
「そうだ、リアンちゃん。今から厨房に飲み物を貰いに行くけど、一緒にお菓子でも貰いに行く?」
「ふむ! 何だろうな、焼き鳥かな?」
「さっきまで冒険者ギルドでお菓子食べてただろ? あと焼き鳥は多分出ないぞ?」
またしても意地悪な笑みを浮かべた姉さんに、オレは引き攣った笑顔でお礼を述べて厨房に向かう二人を見送った。
「はぁ、休日返上のイベント出勤……ブラックなのかこの状況……?」
「――お兄様!」
「うん? うぉ――っと! こらこら、走ったら危ないだろルウナ」
「えへへっ。ごめんなさい」
背後から急に抱き着いてきたのは、我が愛する愛妹のルウナだった。この無垢な子供の様な笑顔が相変わらず可愛らしい。
それと抱き着いた衝撃的で一瞬ふわっと舞ったルウナの美しい金髪が、オレの心労を癒してくれる。
「お帰りなさい、お兄様。今日のご予定はもうお済みになったのですか? でしたら今から私のお部屋で一緒に――」
「えーっと、ごめんなルウナ。今からまた出掛けるんだ」
「――えっ? あ、そう、ですか……」
残念そうに暗い顔をさせるルウナ。
ごめんな、オレも何でお前の誘いを断ってまで出かけなきゃ行けないのか分からないんだよ……。
本当、なんで行かなきゃいけないんだろう……。
「な、なら! また戻られてから……!」
「それとだな……今日からまたしばらく家を空けることになったんだ……」
頑張って笑顔を浮かべたルウナにそう言うと、「えっ……」と声を漏らして固まってしまった。
「そ、そんな……だって、あれ? た、確か長期任務のお仕事はまだ入って無かったはずでは!? それに今日からって、今日は休暇の筈……!」
ああ、ルウナの必死な姿が胸に突き刺さる……。
「それが話せば少し長いんだが、実はキキのお兄さんがな――」
オレは事の顛末をルウナに説明した。
心配を掛けたく無かったので、殺されかけた事は伏せたけど。
「えっ、えっ……? それでどうしてお兄様が一緒に依頼を受ける事になるのですか……?」
うん、その疑問はもっともだ。
ただ、同じパーティーのキララさんやガジェンダーさんも分からなかったみたいだし、ちゃんとした理由を考えるだけ無駄なのだろう。
どうしても理由を付けるなら、あの男が多分バカなのだろう事と、オレがそのバカに脅されているからだ。
「なるべく早く帰るから、それまで待っていてくれ」
「……分かりました。――ですが!」
溢れそうだった涙を拭い、ルウナがその潤んだ瞳でオレを見つめて手を握ってくる。
「以前の任務のような危ない真似は、もうされないで下さい!」
――参ったな。
冒険者の仕事だから、絶対危険な事はしないと断言できないんだけど……。
「分かった。危ない事はしないよ。ちゃんと無事に帰ってくる」
「……約束ですからね」
「ああ、任せておけって」
可愛い妹のお願い事は断れないからな。
無事に帰れるよう頑張るか。
ルウナに見送られて屋敷を出て冒険者ギルドに戻ってきた来たオレとリアンは、ギルドの休憩スペースで待っていた赤短髪の男の元へ向かう。
家に戻ったオレは流石にただの服装で冒険依頼を受ける程無知では無いので、鉄鎧程の面積は無いが急所の部位に鉄が備えられている動きやすい革鎧に着替えてきた。
「よぉ、待ったぜ。へぇ、随分良い装備を着てきてやる気じゃねぇか。いい事だ」
席から立ち上がると、赤短髪の男がオレたちに近づいてくる。
「んっ? そっちの、リアンちゃん? だったか。嬢ちゃんはそんな普通の格好で良いのか?」
「ふむ、必要ない。ワシに鎧も武器も要らないからな」
「あぁ、そういえば実は魔物なんだったか? まぁいいや。それより、お前らが行ってる間によさそうな依頼を選んでおいたぜ」
勝手にそんな大事な物選ぶなよ……。
内容によっては命に関わるんだから。ルウナとも約束したんだ、あまりにも危険そうなのは流石に断って変えてもらおう。
そう考えているオレを余所に、赤短髪の男が意気揚々と懐に手を入れて何か探しだした。
「……あれ? 無い……何処に仕舞ったっけ?」
「おいおい、リーダー。さっき机の上に置き忘れてただろ」
キララさんがちょいちょいと赤短髪の男の肩を叩き、依頼書と思われる紙を手渡す。
意外と抜けた所がある奴らしい。……いや、意外でもないか。だってオレの中でこの男は「バカ」確定だし。
「お前らと受ける依頼は、これだ!」
見せてきた紙には地図らしき絵と、依頼の内容が書かれていた。
「何なに――『古城に巣食う魔物』の討伐……?」
……どうやらこの男は、一番オーソドックスな物を選んできたようだ。




