三・四話 強いとは、優しいこと
溢れ出る大粒の涙で濡れたその綺麗な青い瞳で見つめながら、ルウナが必死に目の前の獣人奴隷の救助をオレに訴え掛けてくる。
「ど、どうしたんだルウナ……!?」
「うっ……うっ……ぐすっ……」
泣きながらルウナが体重をオレに全て預けてくる。今離れたら多分このまま泣き崩れてしまうだろう。
こんなに泣いているルウナを見るのは久しぶりだ。
「もしかして、あの子と知り合いなのか?」
「いっ……いいえ……」
「……じゃあ、どうしてあの子を助けたいんだ?」
我ながら、意地悪な聞き方だと思う。
だけど「奴隷にされた人が可哀想」と思う優しい心だけなら、あの子を助けることは出来ない。
奴隷なんてこの世にごまんと居るんだ。
奴隷制度が当たり前の世界で、それだけの理由で助けて行くなんて切りがないし、金銭的にも無理だ。
だから「奴隷を助けたい」では無く、「あの子を助けたい」理由があるなら……。
するとオレの腕を握るルウナの手に更に力が込められる。
「あの子の目に、光が無いんです……」
「光……?」
「……他の方達は、悲しんでいたり絶望している顔をしていました。だけど、目だけは! まだ助けを求めている、光を――希望を捨ててないように見えました!」
ルウナは奴隷を見て悲しみながらも、しっかりとその人たちを見ていたのだろう。
オレなんかじゃ気づけない様な所まで見ている。
「だけど……だけどあの子は、その僅かな希望すら願えない程に全てを諦めている様に……そう見えました」
「……そうか」
震える口で、必死に伝えてくれたルウナを優しく抱き留める。
普通の人なら、たとえ家族でも「気のせいだろ」と思うかもしれない。
だけど、オレはルウナの言葉を信じる。
どんなに不思議な話やスピリチュアルな話でも、オレがルウナの言う事を信じない理由がこれっぽっちも無いからな。
「ルウナ、最後にもう一度聞くぞ。あの子を助けたいんだな?」
「……はい」
「――よし、分かった」
ルウナの頭をポンポンと撫でた後、オレはその奴隷の入った檻の前に近づいて行く。
檻の周りには五人程の人たちが集まっており、小声でブツブツと言っている。
耳を傾けて聞くと「中々の毛並み……」とか「獣くさいわぁ……」とか「一〇〇……いや、五〇〇ならイケたが」など、各々の感想を述べているようだ。
本当、こういうのを聞いているだけで胸くそが悪くなりそうだよ。
「皆さんもこの奴隷を購入されるのですか?」
少しわざとらしく大きめに発したオレの第一声に、周りの人たちの視線がオレに集まる。
ランタンの明かりが狭く弱いせいでその人たちの姿がよく見えないが、暗闇の中でその目だけは何故か怪しく光って見える。
「お客様がこの奴隷を買われたいという事でよろしいですか?」
「――っ!?」
目の前の人たちに警戒していたオレの背後から、突如老人の様な若者の様な低音で声を掛けられ、思わず勢いよく振り返る。
「おや? 違いましたかね?」
目前にはこのハウスでもう何度も見たお面を被った、子供と変わらない低身長の人がいる。気配も無く何処から出てきたんだ、この人……。
まったく……ここの芸人たちはみんなこんな不気味で怪しい奴ばかりなのか?
「い、いえ……あの奴隷が欲しいのですが……」
「これはこれは。お気に召していただき、ありがとうございます」
オレに一礼してくるお面の人。
その光景を見ていた周りの他の客たちが急にクスクスと笑い始めた。まるで馬鹿にしてきているみたいで嫌な気分だ。
「……とは言っても今は懐が寂しいもので。後ほどお金を持って来て、まだこの奴隷が残っていればですけど。よろしければお値段をお伺いしても?」
「ええ、ええ。いつでもお越しくださって構いません。お値段の方は――」
オレの貯金と、グリスノゥザ領解決の際に貰った報酬、合計三〇〇〇ティラ位はあった筈。
それくらいあれは何とかなるだろう。
……そう思っていたが、次にお面の人の言葉で、オレのその考えが吹き飛ばされた。
「――八九六〇〇〇になります」
「なっ、はちじゅ……!?」
想定の何倍もの値段にオレは驚きを隠せずに言葉を詰まらせてしまった。
そうか、周りの奴らがクスクスと笑ってきたのはこの高額に挑んだオレを嘲笑っていたのか……。
「な、中々のお値段ですね……」
「ええ。詳細はお伝え出来ませんが、この奴隷はちょっとしたレアモノでしてね? 少なく見積もってもこれ位の値は張らせていただいております」
「なる、ほど……」
これは、いくら何でも無理だ……。
これ程の大金は、例えば父さんに頼み込んでも出してもらえる筈が無い。
「どうされますか、お客様?」
「くっ……」
ごめん、ルウナ……。
「――なら」
すっ――と、その声と共にオレとお面の人の間に、一人の女性が入ってくる。
「タルティシナさん……!?」
「グレンさんが買わないなら、私が買いたいのですが、良いですか?」
被っている帽子を押さえながら、さっきまでと違って冷たく感じる落ち着いた声色で、タルティシナさんがオレを庇う様にお面の人にそう言う。
「……ええ、もちろん。どのお客様でもお望みでしたらお売りさせていただきます」
先程より若干お面の人が警戒している様な気がする。
「早速ですがこちらの奴隷のお値段の方ですが――」
「大丈夫です。先程の会話を聞いていましたから」
するとタルティシナさんが何も持っていない左腕を何も無い空間に手を伸ばす。
ドサッ……。
次の瞬間、そんな重い音と一緒にタルティシナさんの左手の中に、パンパンに膨らんだ大きめの袋が置かれていた。
「え――っ!」
よく見るとその近くに、白髪で執事服を着た老紳士が立っており、老紳士の手がタルティシナさんの手の少し上の位置にあった事からあの袋は老紳士が渡した物の様だ。
「ご用意しております、タルティシナ様」
「ありがとう。すぐに出るから外で待っていて」
「かしこまりました」
タルティシナさんの一声にお辞儀をして返した老紳士。
次の瞬間、本当にオレが瞬きをしている間に、もう老紳士はそこには居らず消えていた。
……えっ?
何? 一流のバトラーとかなの……?
白髪老紳士の急な登場と退場にオレが呆けている間に、タルティシナさんが次の段階に進もうとしていた。
「代金はこれでお願いします。数えるのが大変そうなので計算はお任せします。多少はお釣りが出るかと思いますが手間賃という事で差し上げます」
「え、ええ、ありがとうございます……。直ぐにご確認致しますので、テントの入り口付近でお待ち下さい。確認が済み次第直ぐに奴隷のお引き渡しの準備に掛かりますので……」
タルティシナさんから手渡された袋を受け取ったお面の人がそう言い残すと、暗いテント内の更に奥へと消えていってしまった。
……持ち逃げされたりしないよな。
「言われた通りに入り口へと戻りましょう。心配しなくても、ここは私達の王国内。下手な行動には出てこないでしょう」
顔にでも出ていたのかオレの耳元でそう小声で言ってすれ違うタルティシナさん。
オレは元の道を戻ろうとするタルティシナさんを急いで呼び止める。
「あ、あの! どうしてタルティシナさんが? タルティシナさんがわざわざあんな大金を払う必要は無いし、そもそも脈絡のないルウナの言った事をどうして信じてくれたんですか?」
立ち止まったタルティシナさんが振り返ると、その顔が薄暗い空間の中でうっすらと微笑んでいる事が分かった。
「つい先程出会ったばかりの関係ですが、他人の為に泣けるルウナさんの言葉を、私は信じれます」
――優しい人だ。
強さだけではなく、人を想い動くことが出来る。
オレにはマネ出来ないな。
「あり……ありがと、ござい……」
「良いんですよ。気にしないで下さい」
タルティシナさんの言葉に、ルウナはタルティシナさんの元に駆け寄ると泣きじゃくりながら、途切れとぎれにそうお礼を伝える。
「ありがとうございます、タルティシナさん」
「いえ。ひとまずあの子は私の家で様子を見てみます」
小声で「先程言ったように、少しあの子ついて気になる事もありますから……」と付け加えると、タルティシナさんは今度こそ元来た道へと戻って行き、オレもルウナを連れて入ってきた入り口へと向かう。
オレたちが入り口の所へと戻ってきた時には既に準備が終えていたらしく、そこには入り口の所にいたお面の女性と一緒に最低限の身だしなみを整えられた先程の奴隷の獣人の女の子が待っていた。
「この度は私どもの商品をご購入頂きまして、誠にありがとうございました」
お面の女性がマニュアル通りかの如くお礼の文を述べて深々と頭を下げる。
その隣に控えている獣人の子は視線を下ろしたまま無反応で立っている。今になって見てみると確かにルウナの言っていた様に、気持ち目の色が真っ黒に見える気がする。
「奴隷を買われたお客様には、奴隷に対して最低限の衣食住を与える責任が――」
「もちろん、責任を持って面倒を見るわ。もう出てもいいですか?」
「――はい。本日はありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
タルティシナさんのその一言で一瞬空気がピリついた気がしたが、最後にお面の女性がもう一度お辞儀した後、獣人の子をタルティシナさんの方へ受け渡す。
「動ける……? さぁ、行きましょう」
獣人の子にそう優しく話し掛けながらタルティシナさんが獣人の子と一緒に外へと向かい、オレたちはこのテントから出て行った。
「タルティシナ様、皆様、お疲れ様でございました」
テントを出ると赤暗い夕日と共に、さっきの白髪老紳士が出迎えてくれた。
老紳士は静かに近づいて来ると、その手に持っていた長めのローブを獣人の子の上から掛けて、そっと獣人の子の体を支えた。よく見ると少しばかり足元がフラついていた様だ。入り口が出てくる時の僅かな時間で気づいていたようだ。
流石一流のバトラー……。
日も暮れて人気も少なくなった広場の真ん中までオレたちは移動した。
「タルティシナさん、すみませんでした。お力になるどころか色々とご迷惑を……」
「いいえ。私だけで入っていたとしても同じ事をしていましたから、気にしないで下さい」
「あの……その子を、よろしくお願いいたします……!」
「ええ。安心してルウナさん。この子に無茶はさせませんから。機会があればルウナさんもこの子に会いに来て下さいね」
「はっ、はい、是非!」
笑顔が戻ったルウナが元気にそうタルティシナさんに告げる。
それを微笑ましそうに見ている老紳士の元にいつの間にか呼んでいたらしい貴族用の馬車が着くと、タルティシナさんと獣人の子が乗り込み、老紳士が御者台に乗る御者の隣に座る。
流石、オレたちと同じ大貴族兼王国騎士長の家。
オレの家より大きく立派で、それでいて派手過ぎない装飾の馬車をお持ちで。
馬車の窓からタルティシナさんが顔を出してくる。
「ルウナさん、またね。グレンさんももし仕事であったらよろしくお願いします」
「タルティシナさん、今更ですが年上な上に王国騎士長という上司の立場なんですから、オレに敬語はいりませんよ」
憧れの人に敬語を使われるのも変な感じがするし。
「…………分かったわ。じゃあね、グレン」
「はい、タルティシナさん」
「気をつけてお帰り下さい」
ヒヒィーン! ガラガラガラガラッ……。
御者の合図を受けた四頭の馬が、綺麗に足並みを揃えて馬車を引いて進み出した。
そのままオレとルウナに見送られてタルティシナさんたちが乗った馬車が広間から伸びる大通りの道を進んで消えて行く。
ふと隣を見ると、馬車が消えた道を心配そうに見つめるルウナの姿が視界に入った。
「……気にするな、ルウナ。ガスラート王国が誇る騎士長のタルティシナさんが面倒を見てくれるんだ。あの獣人の子もきっと助けてくれるさ」
「お兄様……はい、そうですね。私たちも帰りましょう」
「ああ」
ゆっくりと微笑むルウナと腕を組んで、オレたちも帰路を目指す。
「どうだ、ルウナ。今日は楽しかったか?」
「……はい。色々ありましたが、とても楽しかったです!」
「そうか。ならまた一緒に来ようか」
「はい!」
可愛らしい笑みを浮かべて擦り寄ってくるルウナの頭を優しく撫でてやる。
兄妹仲良く歩いていると、向かい側から槍の様な物を肩に担いでフラフラと歩いている男性がこっちに来ているのに気がつき、念の為少し大回りに避けて通り過ぎる。
「たっく、ざっけんなよぉ……一体、何処のどいつだよ、ちくしょぉ……」
何やら独り言を呟いていたみたいだが……。
足取りからまぁまぁ酔っていたかもしれない。酔っ払いに絡まれたら面倒でしかない、避けといて正解だな
「どうかしましたか、お兄様?」
「いや、お腹が空いたから早く帰ってゲッソさんの料理が食べたいなと思ってな」
「そうですね。早く帰ってお姉様達と夕食にしましょう」
こうしてオレとルウナの今日のデートは終了した。
帰ったら多分、留守番をさせていたリアンの機嫌を今度は取らないと。
翌朝、リアンのご機嫌取りにクタクタになって熟睡していたオレの元に、一羽の訪問者が訪ねてきた。
「ふあぁーっ、まだ朝早いのに……。今度は何の様だよ、ハヤテ」
何時ぞやの飲みの誘いと時と同じシチュエーションでオレの部屋の窓の前まで来ていた、風遠梟のハヤテ。
レクアの使い魔だ。
白とエメラルド色の綺麗な羽が、オレの寝ぼけ目を優しく刺激してくる。
「また手紙を咥えて持って来てくれたのか。……ん? 今度の差出人はキキからか」
寝起きの脳をゆっくり動かして手紙の内容を読んでいく。
「えぇと――ん? ……はっ?」
まだ脳が寝ぼけているのか、ちょっと意味がよく分からない文が書かれている様に見えた。
少し雑に腕の袖で目元をゴシゴシと擦り、今度はしっかりと手紙をよく読んでみる。
しかし何度読んでも、手紙の内容は変わらなかった……。
その内容とは……。
「ち、『ちょっと冒険者になってくれない?』……? 何言ってんだ、キキの奴……」
これ、夢じゃないよ……ね?