三・三話 この世の常識
タルティシナ王国騎士長――オレが初めて彼女を知ったのは、オレが三歳の時だった。
もちろん前世精神有りのオレは、その頃から物心がしっかりしていた。
場所は王都中央から少し離れた大型の建物、闘技場。
そこでは五年に一度、ガスラート王国が催し物として開催している大会――「騎乗弾撃」という競技が行われている。
騎乗弾撃とは、人が乗れる大きさの使い魔に〈装甲弾〉を纏わせ、主人が使い魔に騎乗した状態で一対一で撃ち合い勝負する競技。
多くの挑戦者の中から最後の一人になるまで勝ち上がっていき、たった一人の優勝者を決める大規模な大会だ。
弾丸の如き速さになる〈装甲弾〉を纏った使い魔と一緒に主人も戦うその競技内容上、安全は保証されないが、その分優勝賞金も高く、大変人気な競技のため観客からもたたえられるメリットがある。
上手くすれば騎士団や貴族から一目置かれるチャンスがあるという点でも、出場する者は例年多い。
サリカ姉さんと一緒に父さんに連れられて、オレも騎乗弾撃を見に闘技場へ来た時に、彼女を初めて見かけた。
その競技に出場する彼女を見て、オレは衝撃した。
白く美しい一角馬に乗ったまだ五歳と幼い彼女が、優雅に、だけど圧倒的に、数多の相手を物ともせずに瞬殺していき優勝したその姿に……オレは単純明快に、男心全開でカッコいいと思った。
折角の魔法の世界、オレもいつか使い魔を召喚して――彼女みたいになりたいと思った……!
「えっと……?」
「お兄様? どうかされましたか……?」
「――はっ! あっ、へっ?」
突然の衝撃に疑似的な走馬灯でもしていたらしい……。
ルウナも、タルティシナ王国騎士長も困惑した顔を浮かべている。
「あの、もしかして帽子が頭に当たった時、打ちどころが悪かったですか?」
「えっ? いえいえ! 大丈夫ですよ。そもそも帽子が当たったくらいで怪我なんてしませんよ」
「そうですか? なら、良かったですけど……」
「しかしお兄様、本当に大丈夫ですか? 先程は少し様子が変でしたが……」
妹よ、心配してくれるのは心の底から嬉しいが、目の前の人を見れば誰でも動揺するだろ。
騎士団のトップだぞ? 王国最強さんだぞ?
「タルティシナ王国騎士長、申し遅れました。私はドゥラルーク侯爵の息子、グレンと申します」
「あっ! そういえば先程……。私も申し遅れました。同じくドゥラルーク侯爵の娘、ルウナです」
休日に職場の上司と出くわしたかの様な心境でオレが挨拶をすると、ルウナも同じ様に名乗り出した。
タルティシナ王国騎士長は被り直した帽子をまた脱ぎ、「これはご丁寧に……」とペコリと会釈をしてくれた。
「ご存知の様ですが、私はエテルカ公爵が娘にして、王国騎士団の騎士長をしている――『タルティシナ・シオン・エテルカ』です。よろしく」
――えっ?
……ん? 今、何と……エテルカ……?
公爵の……娘……?
まっ、まさか……。
二度目の衝撃に、オレは下げていた頭を勢いよく上げる。
「タルティシナ王国騎士長が……ガスラート王国の四大貴族のご家族!?」
「はい。そうです」
「お兄様、ご存知無かったのですか?」
「えっ?! あ〜、い、いやぁ……」
……逆に知っていたなら教えてくれよ。
「そっ、それより! タルティシナ王国騎士長は――」
「タルティシナでいいですよ。今は勤務外ですから、長い役職名は今は必要無いですよ」
「そう、ですか? では、タルティシナ……さんも、今日は大道芸を見に来られたのですか?」
「うーん……少し違いますかね」
無表情のまま、タルティシナさんが言葉を詰まらせる。
「何て言うか……少しあそこのテントが気になって」
タルティシナさんの視線を追ってみてテントと言うと、オレとルウナがまさに今向かおうとしていた、あの大きなテントのことか。
「あのテントがですか? まさか何かしら怪しい事件と関係があるとか……?」
「具体的に何かある訳では無いんです。何となく、直感……みたいな感じかな」
「はぁ……」
直感ね……。
でも、今まで数多くの事件や戦場を掻い潜ってきた王国最強の騎士長さまの感だ。
不思議と信憑性を感じるよ。
「なら仕方ないな、ルウナ。あそこに行くのはやめる――」
「でしたら! タルティシナ様、私たちと一緒に行かれませんか?」
「なっ!? ちょっ、ルウナ!」
「え?」
妹よ、君はそんな「怪しい場所ですよ」と言われた所に行きたがる娘だったっけ……?
「私たちも丁度あそこへ向かおうとしていたんです。もし、何かお手伝い出来る事があればご協力させて頂きます」
う〜ん……手伝いを買って出るのは偉い……!
偉いけど……。
「る、ルウナ? 一旦落ち着いてだな……」
「ですが、同じ四大貴族だとしてもお二人が協力する必要は……」
「お兄様は騎士資格を持っていて、お父様の近衛騎士としても務めています。きっとお力になると思います!」
う〜ん……! 王国騎士長に兄をアピールしようとでもしているのか、ルウナの目がキラキラしている様に見えるけど……。
正直、自分から面倒事に首を突っ込むのは……。
「……なら、折角ですしお言葉に甘えて一緒にいきましょうか」
う〜ん……!! そこで甘えちゃんですね、タルティシナさん……。
何かそのまま二人の話が盛り上がってオレの意見無しで(ルウナに腕を掴まれて)ほぼ強制的に連れていかれるオレ。
こうなったら、百歩譲ってオレがタルティシナさんの手伝いをするのは良い。
だけどせめて、ルウナがそんな怪しそうな場所に行くのは阻止しないと……。
「ルウナ、危ない所かもしれないんだ。お前は外で待っていろ。なっ?」
「嫌です! お兄様とのデートはまだ続いているんですから、別行動なんて嫌です」
「だけどな……」
「一応、私が着いている以上お二人に危険な目には合わせないと誓います」
タルティシナさんが少し微笑んで、そう宣言する。
「いやぁ、確かに王国最強と謳われるタルティシナさんの側なら一番安全かもしれませんが、大事な妹を危ない所には……」
すると、オレの腕に掴まるルウナの手がギュッと握り直され、オレはルウナへと向き直る。
「お兄様は……ルウナと一緒に居るのは……そんなに嫌ですか……?」
涙目の上目遣いでそう訴えるルウナ。
――誰だ、ルウナをこんな悲しそうな表情にさせたのは!
「……はぁ、分かった。そのかわり、何があってもオレの側を絶対に離れるなよ」
「はい! もちろんです! 何があってもこの手は離しません!」
ころっとルウナの表情が笑顔に変わった。
……この笑顔が見れるなら、面倒事に首を突っ込むのも悪くないかもな。
「あの……」
ルウナの笑顔に癒されていると、タルティシナさんが余所余所しく声を掛けてきた。
「どうかしましたか?」
「えっと……こんな事を他人が聞くのも無粋ですが、もしかしてお二人は兄妹でその、恋人同士、とかですか?」
「こっ、こここ、恋人だなんて! そっ、そんなんじゃ……!?」
「そんな訳無いじゃないですか。普通の仲の良い兄妹ですよ」
「そう、なんですか。私は一人っ子で兄妹が居ないのでよく分からなかったんですが、それくらいが普通なんですね」
「そうですよ」
「はっ、はいぃ……。 普通ですぅ……」
誤解が解けて納得顔のタルティシナさんと、純粋ピュア過ぎて頬と耳を真っ赤に染めるルウナ。
そんなやり取りをしているうちに、オレたちは目的のテントの入り口の前へと辿り着く。
「ようこそ。……中は少々暗いので、足元にお気をつけてお入りくださいませ」
「ありがとうございます」
テント入り口近くで控えているジャグリング芸人と同じ不気味なお面を被った女性の案内で中に入っていく。
入り口には何重にも幕が重なっていて外から中の様子が全く見えないようになっている。
……これは確かに怪しさはあるな。
沈黙したままオレたちは先に進んでいく。
暗いテント内の通路を吊り下げられたランタンの明かりを頼りに更に進むと、開けた空間に出てきた。もちろんこの空間もランタンが無ければ真っ暗だ。
目を凝らして見ないと、中の様子もよく見えない。
「あれは……」
ようやく徐々に暗さに慣れてきて分かったが、ここには幾つかの大きめの物体が置かれている。
大きさは丁度人間大サイズで……って……。
「お兄様……あれって……」
「そういうことね。嫌な感じの正体はこれか」
ルウナとタルティシナさん、それぞれの反応する視線の先にある沢山の鉄の塊――鉄檻の中身に、オレは正直後悔した。
「……ちっ。ルウナを連れてくるんじゃなかった。タルティシナさん、これって……」
「はい。間違い無いですね」
オレたちは鉄檻の中から向けられる沢山の人の視線を浴びながら、答えを合わせる。
「ここは――奴隷を販売しているテントの様です」
やっぱり……。
暗くてはっきりは見えないが檻の中に見えるのは、ダボっとした無地服を着た人間や獣人の姿。
ランタンの灯りに照らされて見えた奴隷たちは、みんな無気力に座り込んだり泣き崩れていたりして、正直見ていられない。
「もちろんこんな大々的にやっているんです。役所には許可を貰っているのでしょう」
「……でしょうね」
……この異世界では奴隷制度が認められている。
自己破産した者や犯罪者、訳有りな者が奴隷商に拾われたり、捕まったりし、奴隷として扱われる。
もちろん、獣人のバルドント侯爵たちが居るんだ、「ラノベあるある」な亜人のみの奴隷制度とかでは無く、普通の人間も奴隷として扱われている。
それがこの世界の常識……現に見て見ぬふりをしてきたが、この国でも奴隷を見かけた事は何度もある……。
元現代世界人のオレは、その常識に慣れるのに大分時間が掛かった。
それでもオレはまだいい。
問題は……。
「お兄様……わっ、私、こういう所だとは知らず……その……」
「ルウナ……あまり周りを見ずに、しっかりオレの腕に捕まっていろ」
「はい……申し訳ありません」
顔色を悪くするルウナを抱き寄せてなるべく周りを見せないようにしてやる。
奴隷制度が当たり前の世界では、ルウナもこの現実には慣れた方がいいのかもしれないが……。
「いいや。ルウナが本当に優しい子で、オレはすごく嬉しいよ」
「お兄様……ありがとう、ございます」
「ああ。……それでタルティシナさん。許可が降りているなら、このテントに問題は無いと思いますが、他に気になる事はありますか?」
「ええ……この先が少し気になる……かもです」
「分かりました」
オレは掴まるルウナの腕に手を添えて周りを見せないようにルウナを背後に回し、先に進むタルティシナさんの後に続く。
通路先には更に幕で仕切られた場所があるらしく、入り口と同じようなお面をつけた人が居た。
その人は何も発さずにオレたちをただ見てくる。
「通ってもよろしいですか?」
しばらくの沈黙の後、その人は入り口の幕――から少し離れた幕壁を掴み、引っ張る。
隠し入り口だったのか、そこから奥に突く通路が出てきた。
怪しさ満点だがタルティシナさんは躊躇なく奥へと進んでいく。更に奥に進むと、先程の広間より狭い空間に辿り着く。
そこには一つだけのランタンのみに照らされた鉄檻が一つあり、その周りに何人かの人たちが集まっていた。
「――あれ。あの檻の方から、何か嫌な感じが……」
「あの中にいるのは、耳……? 獣人ですかね?」
檻の中で、無気力に地面に座り込んでいるのは、長い白髪をボサボサにさせた女性……?
小柄で恐らくまだ子供だ。ボサボサの髪の中から獣耳が見え、ボロボロの奴隷服の下部からは同じく白い毛の尻尾が飛び出ている。
しかし、先程までの鉄檻の中にいた奴隷たちと違い、あの獣人奴隷には檻の天井と繋がれた手枷を嵌められている。
凶暴な獣人なのか?
「だけど獣人の奴隷もそこまで珍しくは無い筈ですし、何でこんな隠す様な場所で――ん? ……ルウナ?」
「お兄様――」
何か考えている様子のタルティシナさんに話し掛けていると、ルウナがオレの腕を何度も引っ張り呼び掛けてくる。
頬に幾つも流れるくらいに涙で濡れた目でオレを見つめ、その手は小さく震えていた……。
「――あの子を、助けて下さい……!」