二・十九話 魔物騒動、完
ナルシスゥトン隊長の剣がピノッキオ魔物の木製の固い体を突き刺した鈍い音が静まったと同時に、今まで広場に響いていた仲間たちの苦悩の悲鳴も止んでいく。
その事に気づくと、オレが押さえつけていた操られていた女兵士もピタリと動きを止めて呆然とした驚きの表情を浮かべている。
「倒した、みたいだな……。どうだ、体は自由に動かせるか?」
「は、はい……!」
オレが退くと女兵士がゆっくりと立ち上がった。
女兵士の体を操っていたあの糸は力無く垂れ下がっており、自然と離れ落ちた。
周囲を確認しても、先程まで操られていたみんなも同じ様に自由になったらしい。もう大丈夫みたいだな。
操られた仲間を押さえていたスライドやアキドたちはグッタリしながら休んでいるが、フィダーユ隊長に押さえ付けられていたレーズンが解放されると真っ直ぐにナルシスゥトン隊長の元へ駆け出して行っていた。
オレも左腕の痛みを我慢してナルシスゥトン隊長やオウクがいる場所に集まる。
打撲に噛み傷……早く帰って医者に傷の手当てをしてもらいたい。
「――っがぁ! ふぅ……やっとミミズから抜け出せた」
食虫筋長害から這い出てきた小竜姿のリアンがそう言ってオレの元へ来る。
小竜になって抜け出してきたみたいだ。
「ナルシスゥトン様、ご無事ですか!?」
「ああ、何ともないよ」
必死に安否を確認するレーズンにナルシスゥトン隊長はそう答えているが、腰でも抜けているのか地面に座り込んでいる。
その側にはナルシスゥトン隊長の剣が刺さったまま倒れているピノッキオ魔物の死骸がある。
結果として無事にピノッキオ魔物を倒せたけど、自分たちの主人を乱暴に扱ったのが許せなかったのか、コッペンはオウクに詰め寄り文句を言っており、レーズンは兜越しに見せる険しい眼光をオウクにこれでもかというくらいに向けている。
作戦の発案者はオレなんだけどなぁ……少しオウクに申し訳ない気持ちだ。
だけどオウクはどこ吹く風と平然と聞き流している。やるな、オウク。
「わぁたって言ってるだろうがぁ」
「オウク、今度という今度は――」
「まぁまぁ、何はともあれ、ナルシスゥトン隊長が魔物を倒してくれたんだから良いじゃないか」
動ける兵士たちやガジェンダーさんたちも集まってきたので、オレは二人の間に入って仲裁に入る。
「さっ、早くケスヤ隊長たちと合流して……」
「待て主人よ」
「リアン? どうかしたのか?」
場を丸く収めて隊長たちの帰還指示を仰ごうとしたが、リアンが真剣な表情で張り詰めた空気を放ちながらオレの前に出る。
「ふむ、まだ魔物は生きているぞ」
「なっ……!?」
リアンの言葉に周りの空気が一瞬で静まる。
まさか、まだ生き残っている魔物がいるのか……!?
「おい、ワシの『目』を誤魔化す事はできんぞ」
そうか、「魔力の流れを見る事が出来る目」でリアンは生きている魔物を見つけたのか。
周囲がざわつきまだ残っている魔物を探している中、一点を見つめているリアンの視線を追うと、その先にいたのはナルシスゥトン隊長だった。
「……な、何だ!? まさか僕に言っているのか! 勇敢に魔物と戦って皆を救った僕を魔物扱いしているのか!」
ナルシスゥトン隊長が何か言っているがそんな訳が無いだろ。
だけど魔物の姿は何処にも無く、リアンの視点は変わらずナルシスゥトン隊長に……えっ? まさか本当にナルシスゥトン隊長の事を言った訳ではないだろう?
「おいリアン、魔物は何処に……」
「――ふむっ!」
「リアン?!」
オレの問いに応える事なく力強く両翼を羽ばたかせたリアンがナルシスゥトン隊長へと向かって飛んでいく。
〈熔炎装〉を纏った左手の爪を構えたリアンは、着地と同時に振りかぶる。
「おいおい、いくらナルシスト過ぎてムカついても殺したらダメだ!」
「――死んだフリなど、ワシには通じないっ」
リアンの攻撃はナルシスゥトン隊長――では無く、そのすぐ近くの地面を吹き飛ばした。
「ぐっ……?! な、何だっ!」
咄嗟にガードしたオレは衝撃波に晒されながら状況を確認する。
辺りに石つぶてと火の粉と熱風を撒き散らしたリアンは突き刺さった左手を抜くと、顔を上に向けていた。
「――キャララララ」
「はっ……!?」
先程まで聞いていた不気味な声が聞こえ、オレも同じく上を向く。
そこにはリアンの攻撃から宙に逃げた、ピノッキオ魔物がいた。
「まだ死んでなかったのかっ」
四肢を広げてこちらを見下すピノッキオ魔物。
それに気づいた兵士たちの中から誰が発したのか号令が掛かると次々に武器を構えていく。
するとピノッキオ魔物が両腕を後ろに逸らし、一気に前に振りかぶった。同時にピノッキオ魔物腕の動きに合わせて、シュッ――という音と共にチラチラと何か光った様な気がした。
「なん――」
ピシャ――ブシャァァ!
ピノッキオ魔物が何をしたのか理解する前に次に起きたのは、赤い噴水だった。
突然、兵士たちの何人かの手足や半身が吹き飛び血の雨を噴き上げ、今までよりも大きい苦痛の声が響き、広場が瞬く間に見るに堪えない惨状へと変貌した。
「主人、無事か!」
「――は? り、リアン……?」
何が起きたのかは分からないが、リアンがオレを抱えてさっきまでいた場所から避難した事はすぐに分かった。
「サナキ!? リュマ!? 動くな、すぐに手当をする!」
「た……いちょ、う……」
「申しわけ――」
「喋るな! じっとしていろ!」
フィダーユ隊長の叫び声が聞こえる。どうやらフィダーユ隊長の部下が負傷した様だ。
「な……何が起きたんだ」
「ふむ、あの魔物がまたも『あの糸』を使ったようだ。攻撃としてな」
オレはよく確認できなかったがリアンが言うには、ピノッキオ魔物は指から出した一〇本の糸を勢いよく振りかぶり、兵士たちの体を糸で切り裂いたらしい。
……あの時聞こえた音とチラチラしたのはその糸だったのかっ……!
「コッペン! しっかりするんだ!」
ナルシスゥトン隊長の声も聞こえ、そちらに視線を移す。
そこには左足の膝から下が無く倒れているコッペンと、そのコッペンを支えているナルシスゥトン隊長たちの姿が……。
「ナルシスゥトン様……ご無事、ですか……?」
「お前が僕を庇ってくれたから何ともない……。コッペン、しっかりするんだ!」
「ナルシスゥトン様、今すぐコッペンの止血をします!」
コッペンまで……!
「――くっそ!」
同じ部隊の仲間がやられた苛立ちを抱えつつオレはピノッキオ魔物の行方を探る。
着地したピノッキオ魔物は血に濡れた顔で変わらず奇怪な笑い声を上げていた。
まるで、これが本当の実力なんだと、オレたちを嘲笑っているかの様に。
取り囲むように接近していた兵士の殆どが重傷を負い、死んだ人もいる。
今は急ぎ距離を置いて仲間たちに可能な限りの応急処置を受けている。
「ナメたマネしてくれんじゃねぇか、デクのボウがぁぁ!」
そんな中で大鉈を振り上げる女冒険者が高らかに吠えながらピノッキオ魔物に迫っていく。
「馬鹿がっ! さっきの魔物の攻撃を見ていなかったのか、退避しろっ!」
フィダーユ隊長の警告も既に遅く、ピノッキオ魔物は再び腕を振りかざし女冒険者へと糸を伸ばす。
また赤い噴水が上がるかと思ったが、ガキィン――と固い物が打つかり会った音が鳴る。
冷や汗を流す女冒険者と糸の間には大盾を構えたガジェンダーさんがおり、ギリギリ防御が間に合ったようだ。
「はっ! ナイスなタイミングだぜ、ガジェンダー!」
「この馬鹿、一人で先走るなって何回言えば分かる!」
「説教なら後で幾らでも聞くってよぉ!?」
ガジェンダーさんの大盾の影から飛び出した女冒険者が大鉈を横薙ぎに斬り掛かる。
「キャーーキャララ!」
ピノッキオ魔物はそれをバック宙で回避した。
さっきまでとまるで動きが違って何に覚醒したのかと思ったが、見た限り女冒険者の大鉈が途中で動きを止めて衝突音がしたので、地面に固定した糸を使って防ぎつつあの様なアクロバットな動きをしたようだ。
「――はぁっ!」
着地して動きが止まったピノッキオ魔物の背後から剣と短剣を持って現れたフィダーユ隊長が追撃をする。
右手の剣を斜めから斬り落とすと、ピノッキオ魔物が両手をクロスさせて防いだ。多分糸を腕に巻きつけて盾にしているのだろう。
攻撃を防がれたその状況からフィダーユ隊長は更に一歩踏み出し、左手に持った短剣を逆手に持ち替えて外側から振りかぶりピノッキオ魔物の脇腹の位置を狙う。
それをピノッキオ魔物がクロスさせた両手を解いて防ぐモーションを取ろうとする。
「これならどうだっ――ふんっ!」
バシュンという音が聞こえ、離れた位置に移動していた弓矢を持ったケスヤ隊の兵士が矢を放ったのだと分かった。
ケスヤ隊の兵士の矢は見事にピノッキオ魔物の両手が重なる位置を貫通し両手を固定させた。
「マリィ?!」
「――はあぁ!」
ガツンッ――そう音を立て、フィダーユ隊長の短剣は見事に突き刺さり右腹から左腹を確実に貫通させた。
「……オーネット……マリィィ、オネット!」
しかしナルシスゥトン隊長の時と同じく効いていないらしく、フィダーユ隊長が突き刺した際の僅かな隙を突かれてスルッと股の間から走り抜け出していった。
「キャララー!」
ピノッキオ魔物は、ボキッっと両手を繋ぎ止める矢を力任せに折ると、左右それぞれ突き刺さったままだが両手を自由にさせると、今度は攻守交代と言わんばかりにフィダーユ隊長の背後から糸を伸ばす。
「くっ……!」
「させっかぁ!?」
「チョーシにノンじゃねぇ!!」
だがその攻撃を防いだのはオウクの大剣と、女冒険者の大鉈だった。
そのまま三人でピノッキオ魔物に攻め入るが、ピノッキオ魔物も上手く交わしていき、お互い攻防を繰り返していく。
「主人、ワシも行くぞ」
「待て、今入っても恐らく状況は変わらないし三人の邪魔になるかもしれない。それより……」
何とかしてピノッキオ魔物の動きを止める方法を考えないと。
「でもなぁ……!? そもそも矢が突き刺さって体を二度も貫かれて無事とかどうすれば……」
未だ消えない腕の痛みに思考を持っていかれない様耐えて必死に考える。が、正直原理は分からないが実質不死身な魔物をどうやって……。
「――いや、待て……」
「ふむ、どうかしたか主人」
徐々に追い詰められていく三人を見兼ねたリアンが今まさに飛び出し掛けた瞬間、オレはある事を思い出した。
「あの魔物、斬られたり貫かれても平気そうだったのに、リアンの攻撃から大きく避けていた。それに最初にリアンが近づいた時も食虫筋長害を打つけて距離を離していた……。もしかしたらあの魔物、火の攻撃に弱いのかも!」
「つまり、ワシの出番という事だなっ!」
オレが大きく頷くや否や、リアンが速攻であの激戦の中へ急接近していく。
「なんだぁ……!? 邪魔すんじゃ……」
「構わず続けろ!」
リアンに気づいた女冒険者の悪態を無理やり閉ざし、リアンは口から幾つもの火の粉の魔法〈散花火〉を放つ。
人体に害の無い火の粉が舞う中、リアンの突然の魔法に一時動きを停止させた三人だが直ぐに我に帰り攻撃に戻る。
そしてピノッキオ魔物は……。
「ギャギャギャァァアア!?」
オレの予想が的中したらしく、〈散花火〉の火の粉に今までに見せなかった動揺を見せる。
パニック状態になったピノッキオ魔物が〈散花火〉の範囲外に逃げようと必死に逃走を図るが、器用に広範囲に吹き舞いたリアンの思惑通りに逃げ場を奪っていく。
「殺傷力の無い〈散花火〉で倒せないだろうが、さっきまでと動きがまるで違う……」
ただただ喚き出したピノッキオ魔物だったが、気が動転したピノッキオ魔物がめちゃくちゃに糸を伸ばして所構わずと暴れだした。
――バシンッ! ズバンッ! ドゴォン!
近くの岩場、魔物の死骸を無差別に切り刻んでいく。
「くっそぉ、パニックになって暴れ出しやがった」
「糸を四方八方に振り回していて周りからも攻めれない……」
「よけぇメンドーになってんじゃねぇかよ!」
「まさか状況が悪化するとは思わなかったんだよ、すまない……!」
予想外の行動に次をどうするか頭を抱える。
するとピノッキオ魔物のいる場所の壁の上から石ころが転がるのが見え、オレは視線を上げた。
その壁の上部の一部に穴が空いており、人影が一つあった。その人影が穴から飛び出し落下していくと、その手に握られた長い剣が煌びやかに反射する。
「あれは、ケスヤ隊長……!」
ピノッキオ魔物に向けて真っ直ぐ静かに落ちていくケスヤ隊長。
その存在に気づいていないピノッキオ魔物の頭部目掛けて垂直にケスヤ隊長の長剣が落下していき、剣がピノッキオ魔物を捕らえると、ケスヤ隊長が長剣で円を描き、その動きに合わせて長剣がピノッキオ魔物の体で円を描くとブンブン振り回しているその木製の両腕を瞬く間に斬り落とした。
「今だ! ――なっ?!」
オレはこの瞬間を狙い剣を抜剣しようと手を持っていくが、オレの手が何も無い空間を空ぶる。
そういえば先程女兵士を抑える時に咄嗟に手放して置き忘れた事を思い出す。
「何処かに武器は……あれはっ!」
急いで周りの武器を探すと、少し離れた所に吹き飛ばされていたナルシスゥトン隊長の剣があるのを見つける。
オレは振り絞った体力で飛び付き、その剣を掴むとリアンに向けて投げ飛ばす。
「リアン! 火を!」
「何だか分からないが、分かった!」
オレが投げた剣を〈熔炎装〉を覆った手で一瞬鷲掴むと、そのままその高熱を帯びて溶け掛けている炎の剣をピノッキオ魔物に狙って投擲する。
「よしっ!」
炎の剣が高速でピノッキオ魔物に迫り、その不気味な形に彫られた顔を貫く――かと思ったが、狙いが僅かに逸れてピノッキオ魔物の背後に抜けた。
失敗したか……!
「オオォォッ!?」
――そう思ったその時、高らかに雄叫びを上げて無駄にきらびやかなマントが付いた鎧着込んだ者が、ピノッキオ魔物の背後へと全力で駆ける。
「ぼ、僕が……! みん、なを……!」
いつものキメ顔をぐちゃぐちゃにして走り切ったその者が、ピノッキオ魔物を通り過ぎ掛けた炎の剣を掴みピノッキオ魔物に迫っていく。
「熱っ?! うぅぅっ……! みんな、を……!?」
その存在に気づいたピノッキオ魔物がまたも逃げ出そうとする。
しかしそれをケスヤ隊長が「逃がさん!」と胴体から長剣を突き刺して地面に繋ぎ止める。
「救う……! 誇り高き、貴族なんだぁーー!!」
炎の剣を天高く構え一気に振り下ろしたその者――ナルシスゥトン隊長の斬撃が、ピノッキオ魔物を頭上から斬り下ろしていく。
「ギャギャギャァァアア!? マリィィ! マリィィ!!」
高温の熱を帯びた剣の熱によってピノッキオ魔物の触れた部分から瞬きする間も無く燃えていき、股まで斬り裂かれたピノッキオ魔物の体は、真っ二つに引き裂かれて燃えていく。
悶え苦しむピノッキオ魔物への攻撃を終えたナルシスゥトン隊長は炎の剣を投げ捨てると、火傷の痛みに泣き叫ぶ。
オレとレーズンは急いで近寄り、持っていた水をひたすらナルシスゥトン隊長の両手に掛けた。
体が崩れ始めたピノッキオ魔物の周囲を兵士たちが囲い、油断する事なく警戒する。
それに対してオレは赤く燃え盛るピノッキオ魔物の炭となっていく物に視線を向けて、段々と警警戒心が解けていく。
徐々に弱くなっていく火からパチパチと音する。それが何故か、ピノッキオ魔物の鳴き声に少し聞こえた気がした。
マリー……パチパチ……オーネ……パチパチ……マ……ネット……パチパチ……マ……オ……ウバチバチ……オー……マ……パチパチ……。
そんな幻聴もしばらくすると火と共に耳から消えていき、灰と化したそのチリは、坑道に吹き流れる風で飛んでいき跡形も無くなっていった。
「魔物は倒した! 我々の勝利だっ!」
ケスヤ隊長の勝利の宣言にみんなが声を上げて答える。
今度という今度こそ、本当に終わったみたいだ。
ようやく帰れるぞ……ルウナ。