二・十話 初めてだったのに……
「チィ、おいチャプノブ、何処に行った、あいつ」
路地裏の奥からマントを纏ったひょろっと痩せた男が、イライラした様子で現れた。
「そんなに遠くには行っていないと思いますけどね、ダイブン兄貴」
痩せた男――ダイブンと呼ばれた男の言葉に返すのは、その傍らから一緒に現れたぽっちゃり体型の低身長の男、チャプノブ。名前と体型でちょっとしたゆるキャラ感がある気がする。
如何にも小悪党キャラ風な人相をした二人が何かを探すかの様に、辺りを見渡しながらこちらに近づいてくる。
「――ん? チィ、こんな所で盛ってるんじゃねぇよ」
しかし、悪態を吐きながらオレたちの側をそのまま通過していく。
「こっちの方に逃げたか? いくぞ、チャプノブ」
「はいよ、ダイブン兄貴」
「あいつ、絶対逃がさないからな……!」
路地裏の端まで行った男二人組はそのまま表通りへと出て行き、姿が見えなくなっていく。
何だったんだ? あの男たち。
それはそうと、いい加減……。
「――っぷは!? はっ、離れろ! 何をするんだ、急に!」
オレは目の前にいる、オレと唇を重ねている女性を引き剥がし突き離す。
「っ……」
蹌踉ながらも踏み止まった黒コートに身を包んだこの女性は、ただじっとこちらを見てくる。
男二人組が現れる少し前、黒コートの人影――この女性が路地裏の奥から出てきてオレに近づいて来た。
咄嗟にオレも身構えたが、コートの下から伸ばした両手を急にオレの首に回したかと思うと勢いよく壁に押さえ込まれ、唐突にオレとキスをしてきたのだ。
うぅ、唇を奪われた……もうお嫁に行けへん……。
「ったく……あんた、さっきの男二人に追われてるのか?」
「っ?! どうして、分かったの……?」
「いや、この状況なら大抵の人は察するだろ! あからさまに追われてたし」
透き通った声をしているな。
深くフードを被っていてよくは見えなかったけど、結構な美人っぽい。
「……さっきは、ごめんなさい。私はもう行くから忘れて下さい」
申し訳なさそうにペコっと頭を下げて「さようなら」と、そう言って去って行こうする彼女の腕をオレは掴む。
「ちょっと待てよ」
「……私に関わらない方がいいわ。それともさっきので『その気』にさせたのならごめんなさい。私に『その気』は無いわ。娼館ならこの裏通りを――」
「違う、変な誤解をするな」
面倒ごとはごめんなだけど、こうして関わってしまったからな……。
ここで見捨てるのは、人として流石に良心が痛むんだよ。
「はぁー……。とりあえず、今オレが泊まっている宿舎が近くにあるから、ひとまずそこに行こう」
「言ったでしょ、『その気』は無いって。それに、さっき見た通り私は追われているわ。貴方まで巻き込むかもしれないわよ……」
「だから違うっての。巻き込まれるのはごめんだけど、こう見えても一応は人を守る騎士なんでね。話くらいは聞くよ」
「……どうなっても知らないわよ」
「了解。それじゃあ、さっきの二人に見つからない様に注意して向かうとしよう」
半ば無理やり感もあるがそれはお互い様って事で、オレは彼女を連れて宿舎に向かう。まあ、そこから彼女を助けれるかは正直分からないけど。
ほっ、本当に連れ込んで「サービス展開」をするつもりは無いぞ!?
――誰に弁明しているんだろう、オレ。
「適当に腰を掛けてくれ」
バタンと音を立ててドアを閉めながら彼女が備えの椅子に座るのを確認する。
広く人の多い表通りを、さっきの路地裏で出会した二人組に見つからないように進んでいくのは思ったより簡単だった。
その後宿舎に辿り着きオレが寝泊りしている部屋に入ったオレたち二人。リアンはというと、宿舎に向かう道中も探したが速足だったとはいえ全然見当たらず、現在も行方不明中のままだ。
「道中キョロキョロしていたけれど、何か探していたの?」
「あー、まぁ、大丈夫だろ。実は結構しっかりしているヤツだし。確かティラ硬貨は持たせていなかったから、その内一人で宿舎まで戻ってくるだろう」
そう言いつつ腰の剣を外してオレはベッドに腰掛ける。鎧は飲み会前に外している。
彼女の方を向くと彼女もコートに手を掛けてそれを脱ぐところだ。
――おおっ。
コートから露わになった顔は少し褐色めいていて、柔らかそうに出ている唇と合わさり、サリカ姉さんとはまた違った美人顔をしていた。オレや姉さんより年上か?
肩より少し長めの黒寄り栗色髪は全て先が逆向きに跳ねていて変わった癖毛をしている。
もう一つおまけに全身コートで分からなかったが、中々出ていて引っ込んでいるスタイルをしていて、少々ボロボロのエプロン姿でも充分大人の色気があると思う……。
「……やっぱり襲うつもりだったの?」
「ん? いやいや、思ったより別嬪さんだなっと思っていただけだよ」
「そ、そう……一応ありがとう」
――まっ、全然ルウナの方が可愛いし美人だけどね。ルウナといい勝負する人なんて、姉さんくらいだろう。
それじゃあ、そろそろ……。
「それで、とりあえず人の『ファーストキス』を奪ったんだ。名前くらいは教えてもらえるか?」
「えっ?! そっ、そうだったの……なんだか、ごめんなさい」
「まったくだよ……」
なんとも言えない雰囲気になり掛けたので、「でっ、どうなのかな?」と改めて彼女に問う。
未だにモジモジと考え込む彼女だったけど、何か踏ん切りを付けたのかため息を一つ付くと、その綺麗な黒目がオレを見据えてくる。
「私の名前はロザネラ。改めて、助けてくれてありがとう。――えっと?」
「ああ、オレはグレン。ガスラート王国から任務で派遣されてきた騎士だ。どうぞよろしく」
目線で訪ねてきたのでオレも名乗っておく。
父さんにも言われているし、家族の身分で変に話がややこしくなるかもしれないので領主の家族だと明かすのはやめておこう。
「お互い名乗り終えたところで、貴女――ロザネラさんがあの如何にも怪しそうな二人組に追われていた理由は、伺っても?」
「ロザネラでいいわ。……そんなに大層な話じゃないの。よくありふれた、どこにでもある話よ」
哀愁含んだ口調で、ロザネラは腕を組んで話を続けた。
「私はこの中央都市で、唯一の家族である父と二人暮らしをしていたの」
――「いた」って、過去形か……。
「ロザネラのお父さんは……」
「一月前に、亡くなったわ」
「そうか……悪い」
オレの謝罪に「別に気にしないで」とロザネラが返す。
「今まで、父と私は色々な仕事をしていたわ。私たちには夢があってね、その為にお金を貯めていたの」
「へえ、夢ってどんな?」
答えるロザネラが、さっきまでの寂しげな表情から少し、まるで将来の夢を語る子供のような笑みを浮かべた。
「――『お花屋さん』。ほら、この領地って緑が極めて少ない土地じゃない。だから小さい頃から、私のお店で売った綺麗なお花でこの中央都市も緑豊かなところにしたいって、そんな事を思っていたの」
「良い夢じゃないか」
「父はそんな子供の夢を叶えようと、お店を開くための資金を貯める為に今まで頑張ってくれていた。早くに母を亡くして男手一つで大変だったでしょうに」
「立派で素敵なお父さんなんだな」
話を聞いたオレもほっこりした気分になり、オレも釣られて笑顔が漏れていた。
しかしロザネラの表情が徐々に曇りだす。
「そして今年になってようやく資金も溜まり、いよいよお店作りの開始――と思ったら、店を開く予定の土地の金額が、目標資金より少しばかり多くてね。でも事前に契約の日を決めていたから、すぐに残りの金額が必要だったのよ。そこで父は足りない分を金貸し屋の人達から借金したの」
ほんの三〇〇ティラね、っと。
確かに金額はそこまで高くはない。
高くはないが、この話の流れは……。
「だけど、借りた利子がおかしなくらい短期間で高額になっていった。開店間近の頃には借りた金額の倍の三〇〇〇ティラにも上っていてね……」
ロザネラは影を纏った笑みで「本当、まんまとやられたわ……」と続けた。
まぁ、確かによくありそうな話だな……。昔の火サスとかで似たような話を見たことがあるよ。
つまりはその金貸しの連中が、実は「闇金融」だったと。
「開店前にお店は取り押さえ、借金を返済する為に働いていた父も過労で遂に……」
「そう、かぁ……」
「そして終わらない借金返済の中、あいつらは『返済期限が』とか、『体で払え』とか言ってきて、とうとう私を捕まえようと襲ってきたわ。あとは貴方が見た通り、あいつらから逃げ続けてきたってわけよ」
パンっと手を叩き「はい、これで私の話は終わりよ」と、ロザネラは語り終える。
「……ふぅ。なるほどな」
他人の話ながら、あまりの話の重さに溜息しか出てこない。
「聞いといてなんだが、これはロザネラを助けるのは難しい話だ。借金が返せれば済む話かもしれないけど、流石に大金過ぎるな」
正直、領主の父さんに頼めば三〇〇〇ティラなんて大金も借りれるかもしれない。しかしその用途が、初対面の相手に同情したから借金の肩代わりにって、馬鹿な話だろう。
オレも同じ立場で、自分の子供がそんな理由でお金を借りにきたら当然断る。
第一、そんな明らかに不当な金貸し連中が耳を揃えて全額返済したところで、何かしら理由を付けて更に上乗せして請求して来るだろう。ロザネラを諦めるとは思えない。
「あの場で助けてくれただけで充分よ。貴方がそこまで悩む事ではないわ」
「そうなのかもしれないけど、こうして事情を知っちゃったらなぁ……」
何かいい感じな解決法はないものかねぇ……。
額に手を添えてオレが考え唸っていると、ロザネラが椅子に掛けていたコートを手に取り立ち上がった。
「私はそろそろ行くわ。これ以上私に関わると貴方にも迷惑が掛かってしまうでしょうし」
ドアノブに手を掛け一言「ありがとう」と背を向けるロザネラ。
「待てよ」
ロザネラがドアを開ける寸前にオレが声を掛ける。
「何度も言っているでしょ、貴方には関係ないって。それにこんなのどうしようもないわ」
「分かってるよ。はっきり言って、オレが出来ることなんて無い」
座ったままロザネラの方に顔を向けながら、堂々と開き直って胸を張ってそう伝える。
今のところ本当にどうする事も出来ないのだ。だったらいっそはっきり言った方が清々する。
「だから、オレが中央都市に居るまでの間くらいはここに隠れていればいいよ」
オレの言葉に振り向いたロザネラは少々驚きの表情が浮かんでいた。
服はもちろん、改めてロザネラの足元を見てみると結構ボロボロになっていて、これまでずっと必死に逃げていた事くらいは分かる。
「そんな長くは居ないかもだけど、束の間の休息って事で。どうだ?」
問い掛けるオレに、ロザネラは音を発さずに口を開けたり閉じたりしながら目線を泳がせている。
「……いい、の? しばらくここに居ても?」
「遠慮なんかするなよ、ただの身勝手で失礼な同情だ。けど、こうして会ったのも何かの縁だ。助けにはなれないけど、それくらいはやらせてくれ」
「……ありがとう」
笑みを浮かべて礼を告げたロザネラが再び部屋の真ん中に戻ると、オレの正面に移動して頭を下げた。
「しばらくの間、お世話になります」
「ああ、こちらこそよろしく」
オレも会釈程度に頭を下げ、これからしばらくの同居人に挨拶を交わす。
ロザネラが落ち着いてきたタイミングで、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「失礼いたします。頼まれていたお湯をお持ちいたしました」
ドアが開くと、この宿舎の従業員が両手いっぱいの大きさの桶を持ってやってきた。
従業員は桶を室内に置き、ロザネラを一目見ると今度はオレの方を見てニヤリと笑みを浮かべて「どうぞ、ごゆっっくり」と言って退室していった。
「変な誤解でもされたか……? まっ、いいか。はい、ロザネラ」
桶に掛けられたタオルをロザネラに渡す。
「えっ……? これは?」
「訳ありで疲れてるだろうなって最初から思ってはいたから、部屋に来る前に宿舎の人にお湯を持ってきてくれるように頼んでいたんだ。これで体を洗って少しは休んだらいいよ」
「……何から何まで、ありがとう」
差し出したオレの手を握って心底安心した様な表情を浮かべる。
今まで苦労してきたんだろう。誰にも助けを求めないできたみたいだし。
「……じゃ、オレは部屋を出るから。何かあったら呼んでくれ」
「ええ。ありがたく使わせていただくわ」
ひらひらとオレは後ろに手を振り、ドアを開けようとした――その時。
「ふむ、今戻ったぞ! 主人よ、こいつに屋台の食べ物を奢ってもらったぞ」
「おいおい、グレン。てめぇの使い魔くらいちゃんと目を離すなってんだよぉ。ちゃんと飯代は代わりに返してくれよなぁ」
勢いよく扉が開き、迷子になっていたリアンと、そのリアンの面倒を見てくれていたらしいオウクが入ってきた。
「ああ、お帰りリアン。オウクも悪い――」
そこまで言った瞬間、パサッ――っと背後から布が落ちた音が聞こえた。
目の前の二人がその場に立ち尽くし黙ったままオレの後ろ側を見ているのが分かり、嫌な予感がしながらゆっくりとオレは後ろを振り返る……。
「えっ……と……?!」
そこには頬を赤くさせてこちらを、丁度服を脱いで下着姿になっていたロザネラが見ていた。
――ちょっと、服を脱ぐのが早過ぎないかい……?
「あー……悪い、邪魔したな。行くぞぉ、嬢ちゃん」
「ふむ? どうかしたのか?」
「嬢ちゃんのご主人様はただいま『お取り込み中』みたいだ。もう少し飯を奢ってやるから一緒に外にいような」
そう言い残してリアンを連れて出て行こうとするオウク。
「待て待てっ?! 誤解だ、変な気を使うな!」
若干気まずい部屋の中、オレは一言「なんか、ごめん……」とロザネラに謝罪を告げて、ドタバタと部屋を出て行き急いで二人を追いかける。
どうしてこうなったのか……誤解を解いて戻った後、改めてロザネラに謝るとしよう。
でもあんな事の後に、ロザネラと顔を合わせるのは何だか気が引ける……。
この後に遅れて続きが投稿されます。