一・十八話 告げられる瞬間
王城の医務室で眠り続けていたオレが目覚めた日から、ざっと二週間が経った今日、ようやく退院して家に帰ることが出来る。
祝いにと、マスタングさんに誘われてお城の食堂でお昼をお世話になってしまった。中々、試験でお世話になった人と一緒に食事をというのは緊張するものだった。
「マユバさん、マスタングさん、この度は色々とお世話になりました」
「おう。怪我が治ってよかったな」
「だが、まだ完全には治り切っていないんだ。無理はしないようにするんだぞ」
マユバさんやマスタングさんの優しい心遣いには、本当に感謝しかない。
オレの怪我はほとんど治ったのだが、黒岩大人形に叩き落とされた時に、片足が酷く骨折してしまったらしく、まだその片足だけ完治はしていない。
「歩けない程では無いですよ。もう何日かすればこの足も治るらしいですから」
まあ、しばらくは不慣れなまつば杖生活だけど。まつば杖なんて、前の世界でも使った事なんて無かったから少し歩き辛い。
「皆さま、お兄様が大変お世話になりました。ありがとうございました」
迎えに来てくれたルウナが、二人に向けて深々とお辞儀をしながら感謝を告げる。その後ろ姿が、まるで立派な大人のように見えた。
こうして見ると、小さかったあのルウナも、しっかり成長したんだなぁ。
なんだか目頭が熱くなってくるよ……。
「こんな可愛らしい妹さんに迎えに来てもらえるなんて、羨ましい事だ」
「おいおい、あんたが言うと犯罪臭がするんだから、気を付けろよ」
「何を言う! 変な意味で言ったのではない。それに王に仕える騎士が、不埒な事をするわけがないだろう」
冗談交じりなマユバさんの辛口発言に、真面目な顔でキッパリと反論するマスタングさんだが、いつものやりとりなのか冗談だと分かっているように見える。
……まあ、もしもマスタングさんが本当にルウナに不埒な事をしたら、あのちょび髭を問答無用で毟り取ってやるけどさ。
「それではお兄様、帰りましょう」
「そんだな、ルウナ。では、失礼します」
「おう。妹さんも困ったことがあったら、いつでも私を頼りに来ていいからな」
「またな、グレンくん」
マスタングさん達に見送られて城門を出たオレとルウナは、すぐそこで待機している手配した迎えの馬車へと向かう。
「おにぃちゃん!」
まつば杖を突いてヨタヨタと歩いていると、オレの耳に元気そうな女の子の声が入ってきた。その声のした方向に視線を向けると、一人の小さな子供がこっちに手を振って笑顔で走ってきた。
銀色の短髪で白いワンピースを着た可愛らしい女の子が、オレの方へまっすぐに突っ込んでくる。
――マズい。片足を負傷しているからこのまま来られると突き飛ばされる……。
だけど間一髪の所で、ルウナが横から両手を伸ばして前に出てきてその女の子を捕まえた。
助かったよ、ルウナ。
さて、ルウナに抱きかかえられて喜んでいるこの女の子は一体誰だ?
「ナイちゃん。来てくれたの?」
「うん! 今日、おねぇちゃんたちがお家に帰るって聞いたから!」
ルウナと面識があるのか、楽しげに会話をしているナイちゃんと呼ばれたこのニコニコした女の子。
この子、何処かで会ったような気も――あっ、思い出した。
ルウナと一緒に黒岩大人形に追われたあの銀髪の子か。
あの時は気絶してて、ルウナにそのまま一緒に避難させたんだった。
もう、ルウナを守ることで頭がいっぱいだったから忘れてたな。とりあえずこの子も無事に助かって良かった。
「おにぃちゃん、お怪我、大丈夫?」
抱え上げていたルウナが下ろすと、ナイちゃんがオレの近くまで来てそう聞いてくる。
「うん、これくらい大丈夫だ。心配してくれてありがとうな」
「ううん! わたしの方こそ、助けてくれてありがとう! おにぃちゃん」
あれ? オレが合流した時にはもう気絶してたから、知らなかったと思うけど。
「ナイちゃん、オレのこと覚えてるのかい?」
「ううん、おねぇちゃんに教えてもらったの。おにぃちゃんが、おねぇちゃんとナイを助けてくれたって!」
ルウナに目だけ向けて確認すると、どうやらそうみたいだ。
オレが療養している間、二人は何度か会って仲良くなったらしい。家族で一番下のルウナにとって、妹が出来たみたいに思っているのかもしれないな。
わかるな、その気持ち。オレも初めて妹が出来た時は嬉しかったから。
だけど、一部訂正しておかないと。
「ナイちゃんを助けたのは、オレじゃなくてこっちのお姉ちゃんだ。だから、ありがとうはお姉ちゃんに言ってあげて」
「うん! おねぇちゃん、ありがとう!」
ナイちゃんが満面の笑顔でルウナにお礼を言い、ルウナが嬉しそうにしている。
「でも、おにぃちゃんがあの悪いお岩さんを倒してくれたんでしょ。だから、おにぃちゃんもありがとう!」
「おっ」
「あぁーっ?!」
振り向いてそう言うと、顔を近づけたナイちゃんがオレの頬にキスをした。最近の子は大胆だな。
そしてルウナは口を開けて動揺しているみたいだ。子供のキスだぞ?
それと、本当は倒したのもオレじゃなくてタルティシナさんなんだけど、もう訂正するのも面倒だし、これくらいの頑張ったサービスは良いよね。
「大きくなったら、ナイがおにぃちゃんのお嫁さんになってあげる!」
「あ、あはは、子供との『恋愛フラグ』はなぁ……」
「ん? れんあいふらぐってなーに?」
「なんでも無いよ。ほら、ナイちゃんももう戻りなさい。一人でうろうろしてると、お父さんお母さんが心配するだろ」
「うん! じゃあね、おにぃちゃん、おねぇちゃん!」
可愛らしく笑いながら、ナイちゃんは手を振ってバイバイして帰っていった。
さて、ルウナ。そろそろ子供相手に嫉妬の視線を向けるのはやめなさい。
「お兄様、馬車に上がるのも大変でしょう。この手に掴まってください」
先に馬車に乗ったルウナが手を差し伸べてくれたので掴まるが、オレを引き上げる程の筋力はないだろうから、反対の手で馬車の縁を握って自力で乗るとしよう。
「ありがとう、ルウナ。――おっと!?」
「きゃっ!」
体を持ち上げると同時にルウナが勢いよく車内に手を引いたので、そのまま勢いに負けてルウナの上に乗っかってしまった。
スタイルの良い母さん譲りのルウナの胸部に顔が埋まってしまい、謝罪しながらオレはルウナの上から体を退かす。
びっくりさせてしまい、ルウナも顔を赤くさせている。
ちなみに兄弟だし、ルウナがオレのベッドに潜り込んで胸が当たるなんて事はよくある事なので、「恥ずかしくて」顔を赤くさせているわけでは無いと思う。
「大丈夫か、ルウナ。驚かせてごめんな」
「い、いえ! 私こそごめんなさい、お兄様。ふぅ……そ、それでは、出発致しましょう」
「ああ。あ、あれ……?」
「どうかしましたか?」
「いや、何か忘れてるような気がしたけど……気のせいかな。なんでもない」
そう言って御者に合図を送ると、馬車はゆっくり動き出し、王城から段々と離れていく。
道にできた戦いの跡がまだ直せておらず、ガタガタの道を馬車が通る度に揺さぶられながら、オレは今回のことを振り返る。
騎士の試験を受けに来たはずが魔物と戦う事になり、ゾンビゴーレムとボロボロになりながらも必死に戦った末に結局負けて、最後は憧れのタルティシナさんに助けられる。
異世界主人公みたいに勝つことは出来なかったけど……まあ、ルウナを守ることが出来たんだから、我ながら上出来ってところかな。
「傷だらけになっても、オレもリアンも頑張ったよな」
――んっ?
「……あっ。――リアンを忘れた」
ドゥラルーク侯爵領のオレたちの家である屋敷の前で馬車が止まったので、オレとルウナ、そしてカンカンに怒ったリアンが馬車から降りる。
「リアン、悪かったよ。そろそろ機嫌直してくれないか?」
「ふんっ!」
聞けばリアンはずっと中庭で昼寝をしていたらしく、あの後急いで馬車を戻して探すと、食堂でマユバさんに愚痴を言いながら残り物の食事をやけ食いしていた。
それからはずっとこの調子で、現在まで全然口を聞いてくれていない。
流石に今回は本当に悪いことをしてしまった。
「食事になればリアンも機嫌を戻してくれますよ、お兄様」
「だと良いんだけどな」
そんな会話をしながら入り口に向かって低い段差を登っていると、目の前で扉が開いていく。
手前で使用人の人たちが出迎えてくれて、正面にはサリカ姉さんが待ち構えていた。
「お帰りなさい、グレン。大変だったわね」
「ただいま、姉さん」
「ただいま戻りました、お姉様」
「ええ、ルウナもお帰りなさい。グレンを迎えに行ってくれてありがとうね。あら? リアンはご機嫌斜めなのかしら」
「ふむ!」
姉さんの問いかけに、リアンが頬をぱんぱんに膨らませて頷く。
「あらあら。さあ、三人共疲れたでしょ。自室に戻ってゆっくりしてきなさい」
「そうするよ。久しぶりに自分のベッドで、横になりたい気分だ」
オレはそう答えて二階に行く階段の側まで行き、近くの使用人を呼んで登るのを手伝ってもらう。まつば杖だと難しそうだからな。
リアンに頼もうとも思ったが、オレが頼む前にまた外に出て行ってしまった。恐らく裏庭で不貞寝しに行ったのだろう。
これは、後で今晩の夕食に鶏肉を出してもらうように、料理人のゲッソさんにお願いしないと。
「これで良いかな、っと」
夕食時になり、オレは着替えた服装を整えながら、自室の窓へと向かう。
「リアーン! もうすぐご飯だから、変身して食事部屋に来いよー」
案の定、裏庭で寝ていたリアンに声を掛ける。そろそろお怒りも鎮まっているだろうから、後はご馳走で機嫌を戻してくれるだろう。
「……ふむ、わかった」
「――あっ、そうだ、リアン! 今日はちょっと真面目な話があるから、服はドレス風なのにしてくれー」
「ふむ? こうか?」
オレの注文に、変身してラフな格好だったリアンが、もう一度服装だけを変えた。
黒と赤の落ち着いたドレスで、スカートの丈が膝より少し上と短めになっており、腰元にピンクの花が飾られている。
中々に可愛らしい衣装だ。
「うーん、ちょっと派手かもしれないけど、いいか。そのまま先に行っていてくれ。オレもすぐに行くから」
「ふむ、了解した」
そう告げて裏口から屋敷の中に入って行くリアンを見届け、オレも正装を最後にチェックして部屋を出る。
食事部屋の前でちょうど姉さんとルウナと合流した。
「あら、タイミングは合ったみたいね。どうかしら、グレン。私の格好は?」
胸の下で腕組みをする姉さんの服は、黒を基準とした大人びた服装をしていて、後ろ髪を肩に掛けている。
「とても綺麗なドレスですね、姉さん。まるで『魅惑の女性』って感じです」
「それは褒めているのかしら?」
「もちろん」
姉弟としても、魅力的に見えるよ。
「お兄様! 私はどうでしょうか?」
嬉々とした笑顔で聞いてきたルウナは、白を基準にした姉さんのより大人しめの服で、上から水色のショールを羽織っている。
うん、ルウナの可愛さが更に引き出されている。
「ああ、ルウナもすごく似合っているよ。とっても素敵な大人の女性にしか見えないな」
「えへへっ、ありがとうございます!」
そんな美人な女性二人を連れて、オレたちは扉を開けて夕食の席へと足を向けた。
「グレンの試験が無事に終えた事と、二人が無事にこの屋敷に帰った事に、乾杯」
みんなで乾杯した後に、家族全員で豪華な食事をいただいた。
リアンは大きな骨付き鶏肉で見事上機嫌に戻り一安心する。
家族団欒を楽しんでしばらく経ってから、父さんが話を切り出した。
「グレン、王都で起きた事件の事についてはマスタングから手紙で聞いている。ご苦労だったな」
「ありがとうございます、お父様」
「二人とも無事に帰ってきてくれて嬉しいわ。幼かったグレンも、立派に成長したのね」
父さんと母さんの言葉に、少し照れ臭くなってしまう。
「この話はまた後日改めて聞くとして、グレンよ、試験の結果を聞かせてくれるかな」
いよいよ本題を聞いてきた父さんに、懐から取り出した銀のメダルの資格証を取り出し、家族に見せる。
姉さんと母さんはおめでとうと祝ってくれたが、やはりルウナは浮かない顔をしている。
オレも表情を変えないようにしているが、心情はルウナと同じだ。
そして資格証を確認した父さんは一度頷き、一人の使用人に何か伝えると、その使用人は部屋を出て行ってしまった。
「よくやったなグレン。これでお前も騎士としての資格を得たという事だ」
すると、部屋を出た使用人がすぐに帰ってきたが、その手には丸められた一枚の紙があり、父さんはそれを受け取ると縛っていた紐を解いていく。
「グレンよ。前にも話したように、騎士となったお前には、私が決めた場所で勤めてもらう」
そう言って開いた紙をオレに渡してきた。どうやら契約書の様な物らしく、一番下に勤め先が記されているみたいだ。
気づくと、隣に座っているルウナが、オレの服の袖を掴み、寂しそうな表情をさせている。
意を決してオレは、ゆっくりと視線を落とし、文章を読んでいく。
しかし……。
「……えっ?! これは……どういうことですか、お父様!」
「どういうこともなにも、そのままの意味だ」
「しかし、これは……」
「いっ……一体、何と!」
頭の処理が追いついていないオレの腕を取り、ルウナが顔を覗き込ませて内容を読んでいく。
「行き先は……『ドゥラルーク侯爵領の領主邸』って……」
オレと同じ様に、ルウナも内容の意味を理解するのにフリーズしてしまっている。
そんなオレたちを見兼ねて、父さんが咳払いを一つした後に口を開く。
「グレンには、私の近衛騎士及び、私が命ずる派遣任務を請け負うドゥラルーク侯爵領の騎士となってもらう」
そういうことか、父さんの説明にようやく意味が分かった。
だけど……。
「――ここに居続けても、よろしいんですか?」
「ああ、サリカからもこうする様に言われておるしな」
「姉さんが……?」
オレは反対席に座っている姉さんに振り向く。
「あら、私はそんな事は言っておりませんよ。ただ、『ルウナが悲しむ様な事はしないで下さい』とは言ったかしらね」
ワイングラスを片手に、わかりやすくとぼけて語る姉さん。
オレが居なくなるとルウナが悲しむ、だからここに居られるように父さんにお願いしたらしい。
……やっぱり姉さんも、オレと同じでルウナに甘いと思うな。
それを実行した父さんもそれは同じだけど。
「ただし、騎士としてしっかりと努めてもらうからな。身内だからと贔屓はしないぞ」
「はい!」
オレが力強く返事をすると、父さんは席の後ろに手を伸ばして一本の剣を取り出し、それをオレに差し出してきた。
「これは……」
「私が昔使っていた剣だ。鍛え直されてあるからな、なまくらではないぞ。グレンが騎士になったらこれをやろうとずっと考えていた。受け取りなさい」
オレは剣を受け取り、少しだけ抜いてみると、確かに新品同様に手入れがされた綺麗な真剣が姿を見せる。
「ありがとうございます、お父様」
「その剣で、グレンの大切な人を守っていくのだぞ」
「はいっ」
――本当によかった。
これでルウナと、離れずに済む。
すると、安堵していたオレの首元に、勢いよくルウナがしがみついてきた。
倒れない様に踏ん張りルウナの方を見てみると、先程と変わり、目元に涙を浮かべて心の底から嬉しそうな笑顔をしている。
「よかった……! お兄様と離れなくて良いんですね。よかったです!」
「ああ、そうだな」
家族の見ている前だとちょっと恥ずかしいが、この際いいだろう。
オレはルウナと喜びを分かち合い、みんなでオレの着任を祝い、改めて乾杯をした。
それから食事が終わり、各々が部屋に戻る際、ルウナに小声で「後で誰にも見つからない様にオレの部屋においで」と伝えた。
少し酔っていたのか、顔を赤くしながら静かに頷いてルウナは自室に戻っていった。
ルウナ、きっと喜ぶだろうな。